一般社団法人生涯けんこう -7ページ目

2008.1.25 の覚書メモが出て来たので重複になるかもですが、メモに従って再度書くことにします。

 

13:20 大学病院の診察室へ入る(やはり2時間待ちでした)

Y先生と面談 3月末で移動なので、K先生に引継ぎしていただくことになった。

 

その時のY先生は私見と断ったうえで次のことをおっしゃいました

ハッキリとは言えないが、早期とは言えないが、末期ではなさそう。

手術するしかない。

良性ではない。

 

その話を聞いてちょっとショックを受ける。

切らないで済むかもしれないとの可能性が断たれる。

 

手術の覚悟が必要と言われたの対し「お願いします」と返事した模様です。

 

K先生と手術に向けた検査の段取りについて話す。

 

血液検査 受付直後に採決された模様(右腕) 診察前だったので多分通常の検査項目だったはず。

病院で受付するとセットの様に採血が行われ、血液検査の結果を待って診察が行われるパターンだった。

これは5年間大学病院へ通ったが、お決まりのようだった。

 

14:00 検査開始

血液検査 本日2回目 午前中は右腕だったため、左腕で5本分を採血。

心電図 異常なし

肺活量 コツがあるとのこと。限界まで息を吹かされ苦しかった。

レントゲン 立って胸(ウラ)、腹(オモテ)。寝て 腹上向き

エコー 人当たりが優しい技師さんで丁寧に見てくれた。

     肝臓には怪しい所はなさそう。

     「早く発見されてよかった」「深刻ではない?」と励まされた。

     (顕著な転移が無さそうと言う意味か?)

     「胆石がある事」「脂肪肝がある事」は見抜かれた。

     胆石は特に痛みもなく慌てて治療する必要はないと言われていた。

     脂肪肝は10年以上前から治療を受けていた。

16:00 K先生と血液検査の結果の説明を受けた。

 貧血は心配ないレベル

 肝機能の数値は確かに高いが、当時はこんな値を行き来していた。

 CEA 8.1 > 5.0 と高い

 

後の検査予定

1/28 地元の医師会病院での造影剤を使ったCT検査

1/31 バリウムでの胃の透視 大学病院 8:30より

 

18:00 T市のファミレスにて 雑炊と豆腐サラダを食べる

     K町で駐車場の書類(解約用)を取りに行く

     車で帰宅途中にスピード違反取締り(ネズミ捕り)に遭遇。被害なし

 

シクシクとした 胃の痛み有り 空腹のせいかも

検査に備えて前日から絶食していた。夕方の雑炊が24時間ぶりの食事だったし、控えめだったから

 

大きい方の便は無かった。

 

結構細かく書いていますねー。

大学病院で診察を待つ間ってなんであんなに落ち着かないのでしょうか?

別に自分が悪いことをした訳ではないのですが、

何故か、悪さがばれて今から怒られる子供のような

なんとも言えない居心地の悪さがあります。

 

そして、同じく自分の番号が呼ばれるまでの間がなんとも嫌ですね。

大学病院で受付すると受付番号が印刷された紙が出てきます。

以後は検査、診察、精算までこの番号で管理されます。

 

話があらぬ方向へ行きそうなので続きです。

 

妻と大学病院で落ち合いました。

消化器外科の診察室の前です。

ただ、前回も述べたように私は比較的落ち着いていました。

ちょっと不思議な感覚ですが、もう一人の自分がいて、

実際の自分の行動を観察しているような感じがありました。

 

客観的に見れば、命にかかわるような厳しい状況で大学病院にまで来ているのは

一生の内でも滅多にある事ではありません。

しかし、先ほどのもう一人の自分はこの先どういう展開になるのか見てやろう的な気になっています。

至って呑気と言うか悲壮感がありませんね。

 

妻にMクリニックで撮って貰った胃カメラ写真をみせ、やっぱりガンだったことを伝えました。

妻は事前に聞かされていた事もあって、取り乱した様子は有りませんでした。

それよりもこれから先どうするかを一生懸命考えていたようです。

ここでやはり、義父が同じ病院、同じ医師に胃ガンの治療をしてもらった経験があったことがいい方向に作用しているのでしょう。

全くのはじめてだったら、こうも落ち着いてはいられませんね。

それと前回も述べた通り、義父の治療はうまくいっていて元気だったことも安心材料だったと思います。

 

K大学病院の消化器外科の診察室は10室ほどあって、Y先生の部屋は表示されています。

よそもそうでしょうけど、電光掲示板がいくつかあってそこに診察予定の患者の受付番号が表示されます。

最初の一人が診察室で診察中です。それぞれ5人ほどの待ち行列が表示されています。

ですが、中々私の番号が表示されません。

正確な待ち時間は覚えていませんが、2時間くらいは待たされた記憶があります。

 

やっと私の番号が表示され、診察が進むごとに少しずつ前に進んでいきます。

当然私の後ろには番号は表示されません。

前の人の診察が終わり、診察室をでていきます。しばらくして、やっと私の番が来ました。

妻と二人で診察室に入りました。

Y先生が待っていました。

当然紹介状の内容を読んでおられたはずです。

しかし、紹介状の宛先が何故自分なのかは分かっておられなかったと思います。

なにせその時私は旧姓のままで、義父とは姓が違いましたから。

 

義父の手術の執刀医はY先生です。そしてそのまま主治医として義父を見てくださっていました。

妻はほとんどそんな義父の付き添いで来ていましたから、先生とも顔馴染みです。

診察室に入ってきた妻の顔を見て一瞬で理解されたのでしょう。

第一声は「お父さんの次は旦那さんなの」でした。

それからはとんとん拍子で話が進みました。

胃カメラ写真から検査結果を待つまでもなく、ガンに間違いないということで

まずは

手術室の予約(2/19)

ベッドの確保&入院日(2/15)

ガンの進行度と転移の有無の確認のための各種検査の予約

が決められました。

 

とここで問題が発生しました。

大学病院のCT検査の予約が取れなかったのです。

入院日まで20日もあるのに大盛況(?)で予約が入れられなかったのです。

そこで色々話をする中で、地元の医師会病院が候補に挙がりました。

CT検査は設備さえあれば受けられます。

Y先生はその医師会病院に勤めていた(大学病院から派遣されていた)経験があり、融通が効くとの事でした。

 

さて、ここで重要なことをY先生から聞かされました。

実はY先生は

「他の病院へ行くことがすでに決まっていて、手術は出来ない。」

「自分が信頼する(?)医師に担当してもらえるようにしておく」というものでした。

折角の紹介状が無駄に・・・

Y先生に手術して貰えないの・・・

ちょっとショックです。

しかし、決まっているものはどうしようもない

折角Y先生がそう言ってくださるのだから、信用することにしました。

こうして長い長い1日が終わりました。

 

次からは検査編です。

2008.1.25 いよいよ大学病院へいきました。

 

とその前に少し時間を戻して妻への電話の場面を補足します。

私の心の中の動きです。

結構淡々として行動しています。後で振り返ると

・最悪ガンかもしれないと覚悟していた

・ガンだとしても治した人たちがいることを知っていた

・自分も治せると思っていた

・でも胃カメラ写真や医師の態度から結構厳しい状況であることは分かった

こういう状況ではショックで頭が真っ白になって何をしてよいか分からないのが普通です。

そうならなかったのは「自分なりにガンへの備えが出来ていた」からだと思います。

これは非常に重要なことです。

この先どうなるか分からないから不安になる。

知識が無いから迷う。

迷うから余分な出費はするし、回り道をすることになる。

結果的に体に負担を強いる治療をしてしまって残念な結果になる場合も多い。

 

電話を受けた妻の話です。(これは聞き取りの結果です)

・結構ネガティブな私からガンの可能性が高いかもと聞かされていた

・非常に不安な気持ちで電話を待っていた

・検査結果の電話があったときやっぱりと思った

・父が胃ガンで全摘手術を受け、通院中だったから「えーまたやん」と思った

・でも、父は手術後1年半元気でいたから、きっと夫も大丈夫と言い聞かせていた

・単身赴任が長く、自分が付いて行ってたらこうはならなかったのではとも思っていた

とこんな感じだったそうです。

 

さて、これは全く別の話なのですが、鳥越俊太郎氏には肺がんから肝臓転移で4回手術を受けています。

テレビの密着取材が付いていて検査結果を奥様に電話で伝える場面が放映されていました。

さすが、鳥越氏で、取り乱した様子はなく、淡々と話されていた記憶があります。

 

私から妻への電話はどうだったかなと思ってしまいます。

きっと鳥越氏よりもう少し落ち着いていたかもしれませんね。

だって「治す気満々」「生き抜く気満々」でしたから

 

福岡市内のMクリニックから博多駅へ

その後 10:17発 JR普通電車で博多駅を出発し、

途中で快速に乗り換えてK駅に着きました。

K大学病院へ行くにはバスかタクシーでの移動となります。

結局適当なバスがなくタクシーで向かいました。

700円の領収書が残っています。

 

この行程だと大学病院の午前の受付終了時刻の11:30に間に合わない恐れがあったため、

妻に受付だけを済ませてもらっていました。

当然保険証は私が持っていたので、病院へ事情を話して受付をしてもらいました。

結局11:20に着いた。

 

さて、そこからが長い長い。

受付がぎりぎりだったので当然診察は最後でした。

 

次は診察室でのやり取り編です。

2008.1.25 9:15ころ

Mクリニックでの胃カメラ検査を終えて検査結果を聞くことになった。

胃カメラ映像を見せられ、相当焦ったような口調で言われたことは

「仕事に戻っている場合ではない」

「仕事より命が大事でしょう」

「ガンセンターでも大学病院でもどこにでも紹介状を書くから今すぐそれを持って病院へいくように」

ということだった。

 

「ひょっとしたら、体に悪いものができているかもしれない。

最悪、ガンかもしれない」

との悪い予感はあった。

しかし、医師からいきなりそんなことを言われても戸惑うばかりだった。

ちなみにこの時点ではっきりガンだといわれた訳ではない。

(後で分かったことだが、組織を採取して、病理医が判定して初めてガンが確定する。)

だから、この時点ではあくまで「ガンの疑い」でしかないということらしい。

一応組織検査をするために、胃カメラの際に組織は採取したらしい。

しかし、なぜかその結果は紹介先の病院に伝えられることはなく、再度の胃カメラ検査を実施することになった。

なんだかねー。無駄じゃねー。これは誰がお金を払うの?

って結局私だった訳ですよ。

 

それはさておき、これからどうするか?

まず、紹介状を書いてもらう病院はどこにするか?

そこで、ここしかないという病院が頭に浮かぶ。ついでに医師の名前も

それは、自宅に近く、入院しても家族が通ってこれる病院であること。

ある程度の大きさの病院でしかも信頼できる医師がいること。

 

でK大学病院の消化器外科のY先生あてに紹介状を書いてもらいました。

これはY先生が親戚であるとかではありません。

実は、検査日の1年半前ぐらいに義父が同じ胃がんになり、Y先生が執刀医だったからです。

そのままY先生が義父の主治医を務めてくれていました。

K大学病院へ救急車で義父を運んだ時も救急車へ同乗したのは私

入院から手術への立ち会い、通院の付添などできることはやってきていました。

その過程でY先生は厳しいけど信頼できる医師であることは分かっていました。

なので、Y先生あてに紹介状を書いてもらうことに迷いはありませんでした。

 

2008.1.25 9:30ころ

つぎにすべきことは職場への報告です。

・このまま病院へ行けと言われたこと

・職場へは戻れず、午後も休むこと

・今後のことは後から報告すること

を上司へ電話して了解をとりました。

正直、何を言われたかはよく覚えていません。

 

さらに妻へ電話しました。

胃カメラ検査を受けることは妻も知っています。

多分検査結果が気になって不安いっぱいで待っていたことでしょう。

・K大学病院へ行くことになったこと

・仕事は休むこと

・妻の午後の予定をキャンセルして、大学病院で落ち合うこと

・午前の大学病院での受付(11:30まで)を済ませておいてもらうこと

を伝えました。

 

続く

いよいよ胃カメラ写真を見せられました。

別の投稿でもお見せしました。

これがフルバージョンです。

改めて自分で見てもガンの異様さが際立っていますね。

普通のガンは素人には見分けが付かず、色を染めたり、特殊な光を当てたりするそうですがこれはそんな必要はありません。

でも組織検査が済んでいませんので、ガンが確定したわけではありません。

(あらかじめお断りしておきますが、この写真の名前は井上敏夫ではありません。

その年に養子縁組したために旧姓が記録されています)

 

ついでにそのクリニックから頂いた診察結果の資料も載せますね。

ガンとは書いてありません。

場所が何処か?ぐらいの情報しかないですね

私がこの闘病記を書こうと思ったのは恩返しの意味もあります。

インターネットでガンに対する様々なことを調べたとき実に多くのホームページやブログを見ました。

ご存知の様にインターネットの世界は玉石混交です。

嘘や悪意の情報もありますが、逆に非常に貴重で役に立つ情報もあります。

信頼に足る情報は少ないですが・・・

 

なのでこの闘病記は当時のことを正確に再現するだけではなく、その後に分かった情報も含めて書いて行く積りです。

つまり、この闘病記を読んでくださる読者に参考になるであろう情報を発信する事が大事だと思ったからです。

 

2008.1.24 21:00 以降は絶食

2008.1.25 8:30 福岡市内のMクリニックに到着

 

一応こんな感じの検査となります。

胃カメラは口から入れるタイプのものです。

(最近は負担が少ない(オエッとならない)鼻から入れるタイプもあります。)

【消泡剤】胃の中のあぶくを消す液体を飲みます。紙コップに少しの量
【咽頭麻酔】検査時の苦しさを和らげるため、のどにゼリーの麻酔を使います。(3分程度)
希望により 【点滴・鎮静剤】点滴しながら鎮静剤(静脈麻酔)を行います。早い話が眠っている間に検査するやり方です。
【胃カメラ検査】検査時間は5分前後です。

口にマウスピースを咥えてカメラが通りやすくします

検査自体はベッドに横向きに寝た状態で受けます。

【検査終了】しばらく安静にする。(静脈麻酔無しの場合は10分程度、静脈麻酔の場合は20-30分程度)

 

※鎮静剤を使用した場合は、眠ってしまい気づいたら検査は終わっていることがほとんどです。(無痛胃カメラ)

 

以下に胃カメラを受ける場合に注意事項等を載せます。


検査前日
•前日の夕食は夜9時までに済ます。
•その後、検査までの間は水分(お茶、紅茶、スポーツ飲料)はOK。
•内服薬はいつもどおり飲む。

 

検査当日
•朝食は食べない。
•水分、お茶、紅茶、スポーツ飲料はOK。(牛乳、ジュース、アルコール類などはNG)
•高血圧、心臓病などのお薬はいつもどおり飲む。

•糖尿病のお薬は飲まない。インシュリンも注射もなし。
•女性の方はなるべく薄化粧とする。

 

ご来院の注意事項
•なるべくゆったりとした服装で来ること。

 

2回の黒い下痢とタール便が出たことで胃からの出血の疑いが出てきました。

しかし、これはまだ疑いや可能性であって真相は闇の中です。

「まさかガンじゃないよね」

「ガンだったらどうしよう」

まあこんな感情が浮かんでは消えします。

 

この中途半端な状態と言うのが一番精神的に来るものがあります。

不安ばっかりでどうしたらいいのか分からない状態は実に嫌なものです。

 

ここで2つのパターンがあるみたいですね

1.不安に負けて先延ばしにする。

  はっきりガンだと言われるのが怖いから

2.はっきりさせるためにそれなりの検査を受ける。

で私は2.を選択しました。

で、胃カメラが出来る内科クリニックをネットで調べて予約しました。

 

何故逃げずに検査を選択できたのか?

 

ここがポイントなのですが、後で思うと多少なりとも「ガンへの備え」が出来ていたから?

ではないかと思います。

別の投稿でも述べたように「自分自身の健康不安」から「健康法なるもの」の勉強を始めていた。

健康の対局である病気のことも少しずつ調べていた。

病気の頂点である「ガン」のことも少しずつ調べていた。

ここで心配性の私はもし自分がガンになったらどうやって治すか?

をおぼろげながら決めていた。

「栄養で病気を治す」を基本にしようとゲルソン療法の勉強をしていた。

多分、手術や抗がん剤は痛いし、苦しい目に会う割には治らない人も多い治療なので嫌だという思いがあったのでしょう。

本来小心者ですから(笑い)

また、そのやり方で治っている人たちが大勢いる事も知っていました。

 

ここで一言、ゲルソン療法を食事法と思っている人もいるようですが違います。

ゲルソン療法とは薬も手術も行わないで、栄養で病気を治す病院で行う治療法です。

ここはゲルソン療法の詳細はご紹介しません。

 

少し本題からそれましたが、「逃げずに検査を選択できた理由」に戻れば

自分の体に起こった事は自分で受け止める=きちんと原因を探ることがスタートです。

なにも分からなければ、有効な対策を打ち様がありません。

原因を追究した後で、今できることは何か?

何をするのがベストか?

 

それが「ガンを自分で治す」意味だと思っています。

当時のメモによれば

2008.1.17 通勤の帰りに博多駅のホームでラーメンの立ち食い

       当然好物である辛子高菜を入れていたらしい

2008.1.18 朝、トイレに行った際に便器に黒く薄い膜のようなものを発見した

       正直正体がわからなかった。今思えばタール便の走りである下痢だったかも

その日は日帰り出張をしている模様でした。

 

2008.1.22 またもや通勤の帰りに博多駅のホームでラーメンの立ち食い

       当然好物である辛子高菜を入れていたらしい

 

ここで異変発生

突然激しくむせて、口に入れていたラーメンをぶちまける

カウンターテーブルと床にこぼれたラーメンを備え付けのティッシュで拭く

物を食べている最中にむせて吐くなどと言う経験は初めてだったので訳が分からず焦った覚えがあります。

 

2008.1.23 翌朝、トイレに行った際に便器に黒く薄い膜のようなものをふたたび発見した。

       さすがに2回目不安になる。

       でもそのまま仕事をする。

 

ここでいよいよ運命のタール便の登場です。

夜のトイレの際に、水の底になにやら黒い物体を発見しました。

中指くらいの太さで20cmくらいのものが2個あった。

ひょっとして

ひょっとして体の中に良くないものがある???

 

昔は手術が出来ないので、黒い便が出るとどうしようもなくて患者は死んでいた。

そして黒い便は大腸でなく、胃の出血であることが頭に浮かびました。

大腸からの出血は赤い血が混じる。ガンだけでなく痔の場合も同じです。

なんでこんな雑学が・・・

 

2008.1.24 胃カメラが出来る病院を調べて予約する。

逃げてばかりもいられないので、職場近くで胃カメラが出来るMクリニックに予約の電話を入れる。

この時点で派遣先の上司にある程度の訳を話し、翌日の半休の許可を取る。

 

次は胃カメラ検査編です。

私はタール便が出て胃カメラ検査でガンが見つかりました。

ではその前に自覚症状がなかったのかとなりますが、明確な物はありませんでした。

まあ、鈍感で気付かなかっただけかもしれませんが・・・

 

ただ、昔から何故だろうということはありました。

それは胸焼けです。

明確に覚えているのは釣りが好きで(船に酔うため)もっぱら磯釣りに出かけるとき

コンビニで「おにぎりとお茶」を買うのですが、帰るころになると決まって胸焼けがしていました。

これが胃がんのせいなのかは分かりません。

それ以外は特に変化は無しでした。

 

考えてみれば結構怖い話です。

直径7cmで胃のかべを突き抜けていたほどの進行ガンで、末期でもおかしくなかったガンに全く自覚症状が無いのですから

多分あと1年発見が遅かったら、間違いなく転移して末期ガン宣告を受けていたでしょう。

 

ちょっと気になって胃がんの症状を調べてみました。

・胃がんの自覚症状には特有なものはない

・腹痛、腹部不快感、食欲低下、吐き気、嘔吐、胸やけ、げっぷなどは、胃がんでない場合も起こる

・本人は気づかないでいても、検診などでがんが見つかるケースも多い。

・進行すると、おなかの痛みや不快感などを訴える人は増えてくる

・吐血や黒色便などの出血症状が出現することもある

・さらに進行すると、全身倦怠感、体重減少のほか胃がんそのものが(しこり)となるケースもある。

 

その頃は半分自営業で通常の健康診断程度は毎年受けていたが検査で引っかかることはなかった。

見逃されちゃったかな?

 

ただ、毎年人間ドックで放射線浴びまくりも返って、ガンを誘発しそうでどうかと思います。

少なくとも、ある程度年を取れば、体のケアに気を配って、健康な体つくりを目指し

体からの小さなメッセージを見逃さない様にすべきと思います。

 

私は2008年1月25日に胃カメラ検査を受けたところからガン闘病が始まりました。

当日の午前中に胃カメラ検査を受け、

紹介状を貰って、その日のうちに某大学病院へ行きました。

詳細な検査を受けないままガンに間違いないと言うことで入院日と手術日の予約を入れられました。

入院日までに各種検査を受けました。

2008年2月15日 入院

2008年2月17日 手術前説明&同意書の提出

2008年2月19日 手術

2008年3月7日 退院

再発予防の抗がん剤を勧められるが辞退する。

 

それから5年間大学病院へ主治医に言われるまま検査のため通院しました。

2009年7月の検査で腫瘍マーカーが跳ね上がり、再発の危機が訪れる

2度目の抗がん剤を勧められるがこれも辞退する。

その後自助努力で腫瘍マーカーは正常値へ下がる。

 

最終的に手術後5年経過で大学病院から無罪放免となる。

 

これが私の闘病記の概要ですが、もちろん胃カメラ検査の前からガンを疑わせる症状がありました。

その間で色々な出来事とこころの動きがありました。

もう11年も前の出来事なのですね。

 

でも、治す気満々の私は私の闘病記を誰かの参考にしてもらうために色々な資料を残していました。

折角なのでそれらの資料もご披露しつつ闘病=ガン生還の記録を書きたいと思います。