「出来難(できがた)き事を好んで之(これ)を勤(つとむ)るの心」。


 安倍内閣メールマガジンに出てきた、この言葉。総理が1月26日の国会開会の際に施政方針演説に引用したそうで、もともとは福沢諭吉の言葉なのだとか。


「自分は、士族(死語……)の教えに従って、難しいことこそ好んで取り組んできた。西洋の学問を学んだのも、それが困難な分野だと思ったからであり、もっと困難なものがあればそちらを学んだのだ」

福沢諭吉は、そんな趣旨でこの発言をしていたみたいです。


 この気持ち、少し分かります……と言ったらおこがましいでしょうか。でも、簡単にできることなんて本当につまらないもの。ラクなことに素敵なことはあまりない。ほとんどない。そして、リスクを取ってチャレンジを仕掛ける人はやっぱり素敵です。


 けれども、出来難き事ばかりやって挫折を繰り返していると、それはそれで問題……。最近、実は自分がそういう罠にはまっているような気もします。ついつい、高いところばっかり見てしまうのです……分不相応に。そして、足元がおろそかになり、理想と現実のギャップにばかり不必要に苦しむ。


 だけど、それってもしかしたら、いちばん良くないパターンじゃない……? という気がしてきました。結局、発展性もないし。


だからこれからは、出来る事を着実にこなしながら、出来難き事を大きな目標に据えて果敢にチャレンジ……!


 これこそ、目指す姿です。

女流川柳作家の時実新子(ときざねしんこ)さんが亡くなりました。享年78歳。

ごく普通に結婚して子どもを育て、40代になって大恋愛をし、10年間の確執を経て離婚、58歳で再婚という波乱万丈な人生を送った作家です。

川柳というと、「サラリーマン川柳」や「たった四杯で夜も眠れず」のような江戸時代の時事批判モノを思い浮かべる方も多いと思います。

ですが、新子流川柳は激しく情熱的でときにユーモラス。「有夫恋」「恋歌ノート」など、学生時代に熱心に読んだのを思い出します。

「手が好きでやがてすべてが好きになる」

なんてしおらしくも可憐な一句があるかと思うと、

「野良犬の目となり愛を乞う日あり」

「ほんとうに刺すからそこに立たないで」

とドキリ、ヒヤリとするようなものも。
そうかと思えば、一転して

「待針のように素直になってみる」

と、やっぱりいじらしかったり、

「泣いた泣いたたくさん泣いたたくあんかじる」

「考えているコスモスは薙ぎ倒せ」

「間違いは間違いとおせ桐の花」

こんなふうに、意外にたくましかったり。

でもおそらく、時実新子の基本的なスタンスは

「あたしの恋を蔑む涙なら 母よ」

この一句に現れているような、凛としたプライドに支えられていたのではないかと思います。

パワフルで、くるくると変わる感情。そしてその表現の仕方が時実川柳の魅力なのです。

最近はビジネス書ばかり読んでいて、文芸とはずいぶん遠ざかっていましたが……この機会に、少しは川柳や短歌にもふれたいな、と思います!

 来年度新年号の沖縄特集のために、いろいろと調べているうち、この言葉に行き当たった。


「なんくるないさぁ」

「なんとかなるさ」という意味の沖縄方言だ。


 これは、今いちばんのお気に入り。もともと、神経がムダに細くて心配性な私には、精神安定剤のような役割をしてくれる、とてもありがたい言葉。語感のかわいらしさもあって、心のなかでつぶやくと、なんとなく、気が楽になる。

 思い詰めたって、仕方ないじゃない。なるようになるさ。世の中、自分ではどうすることもできないことの方がずっと多い。くよくよしたって始まらないじゃないか。それでもどーんと構えてあきらめずに前に進んでいれば、きっと良いこともあるさ。

 そんなふうに、肩の力を抜いてラクな気持ちになれる。




 沖縄、というと、都会とは180度違う、のんびりゆったりしたイメージが強い。巷には「沖縄時間」が流れていて、待ち合わせに1時間遅れるのなんて序の口。そこに住む人たちも、「なんくるないさぁ」「いちゃりばちょーでー」(行き会えば兄弟、知り合えばみんなトモダチ、とでもいった意味)の精神で仲良く、穏やかに暮らしている。

 そんな様子を小耳にはさむと、なんだか一見、沖縄のひとたちはとってもラクに生きているように見える。が、果たして本当にそうだろうかと私は考える。


 私たちの編集部では、特集記事の制作にあたって東京から現地に移住した人の簡単なインタビューをした。その原稿のなかで、心に残っている言葉がある。


 沖縄の人たちは、たとえば家の鍵をなくした、というような大事のときも「だっからよー」(そうなのね)と言うだけで、相手をとがめない。それは、狭い社会で生きていくための知恵なのだ、というような内容だった。「あなたが悪い」と決め付けてしまうと、相手には逃げ場がなくなり、みんな息苦しくなってしまう。そうならないための手立てなのだ、と。

 都会のように、人がたくさんあふれていて、いかようにも動いて居場所を確保できるなら、そんな手立ては必要ないのかもしれない。むしろ、それでは他人の存在に脅かされて自分の身が危うくなるリスクがある。自分の立場や権利を主張して自分を守る必要があるのだろう。



しかし、その土地に根づいて、その小さな輪の中だけで生きていかざるを得ない人たちにとっては、我を張り通すことは致命的だ。周りの人間たちとできるだけ摩擦を起こさずにうまく溶けこんでいけるような、まさに「和をもって尊しとなす」日本的感性こそが求められるのだろう。

そう考えると、都会のほうがよほど自由気ままに、ラクに生きていられるような気がしないでもない。けれども、そのラクさは孤独を呼ぶラクさだ。

大らかに不自由さを黙殺するか、孤独を引き受けて自由になるか。これは、究極の選択なのかもしれない。正しい答えというのはなくて、人はどちらか水に合ったほうを自ずと選んでいくのだと思う。

沖縄特集の記事作りのためにブーゲンビレアのことを調べていたら、おもしろいウェブログを発見した。

http://ynamamine.ti-da.net/e740766.html


 ブーゲンビレアといえば、鮮やかな赤やピンク、紫色がまぶしい、南国を代表する花だ。もっとも実は、花のように見える部分は「苞」と呼ばれる葉が変形した部分で、本当の花はもっともっと小さいらしい。だから、花だと思われているところは、ミズバショウの白い部分やアジサイの「ガク」のようなものだろう。


 ところでこのブーゲンビレアは、水や肥料を与えすぎると、花をつけずにトゲばかりになってしまうのだという。なんとも不思議だ。ごく自然に考えれば、水や肥料はふんだんにあげればあげるほど、美しい花が咲くような気がしてしまう。できるだけ良い環境を整えてあげて、何不自由ないくらいに栄養を満たしてあげれば、養分をすっかり吸収した輝くような花が、あふれんばかりに咲きそうな気がする。

 でも、決してそうではないのだ。むしろ、少し乾いた土地で水をひたすら吸い尽くし、必死で生き延びているくらいのほうが、ずっと綺麗な花をつけるのだろう。


 それって、きっと人にも当てはまるんじゃないだろうか……? と、ふとそんな気がした。何でもできるように居心地の良い環境を整えてあげて、蝶よ花よと言っていれば、子どもはすこやかに美しく育って才能をフルに花開かせることができるのか? というと、決してそうではない気がする。 むしろ、逆ではないだろうか。

 それよりは、多少切羽詰って動かざるを得ないような状況に置かれているほうが、よほど個人の能力を発揮できるのではないか。それも、個人個人の資質によるのかもしれないけれど。


 だからと言って、常に命の危険が迫っているような状況や、自尊心が傷ついてばかりのような状態が続いては、やっぱりのびのびと力を伸ばせるような気がしない。何事もバランスなのかも……難しいものだなぁ、とつくづく思ったのでした。

今日は渋谷での買い物帰りに、Bunkamura Galleryの万華鏡展をのぞいてきました音譜
(こんなイベント)
http://www.g-vivant.com/kaleido/ibento.html

万華鏡というと、トイレットペーパーの芯がちょっと大きくなったような、「子どものおもちゃ」的なものを想像するかもしれません。

けれども……あにはからんや。
万華鏡の世界とは、実はとても奥深いのです!!

もはや、外観のデザインにもこだわった芸術作品という感じ。
顕微鏡のようなものあり、ブラックボックスのような箱型のものあり。豪華絢爛な世界ですキラキラ

今日見てきた万華鏡の最高価格は……なんと89万5000円!
車が買えそうな値段ですね。

ここまで来ると、もう「万華鏡」というより「万華装置」という感じ目

中を覗くと、明るい黄色のバックに、ステンドグラスのような複雑な模様が浮かび上がります。つまみを回すと、そのステンドグラスの模様がゆっくり、ゆっくりと形を変えて……見ているだけで夢心地ラブラブ!

そういう大型装置はさすがに10台くらいで、そのほかは、フック船長が覗いている携帯型望遠鏡みたいなタイプでした。

筒型のデザインも、プラスチックのものから木目調、ガラス、金属……と本当に種類が豊富!

中身もひとつひとつ色彩に個性があって、20種類くらい嬉々として覗いてしまいました音譜

ひとつほしいな……と思いながらも、「¥25,000」とか「¥38,000」という値札にひるみ、やっぱり今日は決心がつかなかった……しょぼん

毎年展覧会をしているそうなので、次の機会にはもっとゆっくりと見て、お気に入りの1本を持ち帰りたいなと思ったのでした。