来年度新年号の沖縄特集のために、いろいろと調べているうち、この言葉に行き当たった。
「なんくるないさぁ」
「なんとかなるさ」という意味の沖縄方言だ。
これは、今いちばんのお気に入り。もともと、神経がムダに細くて心配性な私には、精神安定剤のような役割をしてくれる、とてもありがたい言葉。語感のかわいらしさもあって、心のなかでつぶやくと、なんとなく、気が楽になる。
思い詰めたって、仕方ないじゃない。なるようになるさ。世の中、自分ではどうすることもできないことの方がずっと多い。くよくよしたって始まらないじゃないか。それでもどーんと構えてあきらめずに前に進んでいれば、きっと良いこともあるさ。
そんなふうに、肩の力を抜いてラクな気持ちになれる。
沖縄、というと、都会とは180度違う、のんびりゆったりしたイメージが強い。巷には「沖縄時間」が流れていて、待ち合わせに1時間遅れるのなんて序の口。そこに住む人たちも、「なんくるないさぁ」「いちゃりばちょーでー」(行き会えば兄弟、知り合えばみんなトモダチ、とでもいった意味)の精神で仲良く、穏やかに暮らしている。
そんな様子を小耳にはさむと、なんだか一見、沖縄のひとたちはとってもラクに生きているように見える。が、果たして本当にそうだろうかと私は考える。
私たちの編集部では、特集記事の制作にあたって東京から現地に移住した人の簡単なインタビューをした。その原稿のなかで、心に残っている言葉がある。
沖縄の人たちは、たとえば家の鍵をなくした、というような大事のときも「だっからよー」(そうなのね)と言うだけで、相手をとがめない。それは、狭い社会で生きていくための知恵なのだ、というような内容だった。「あなたが悪い」と決め付けてしまうと、相手には逃げ場がなくなり、みんな息苦しくなってしまう。そうならないための手立てなのだ、と。
都会のように、人がたくさんあふれていて、いかようにも動いて居場所を確保できるなら、そんな手立ては必要ないのかもしれない。むしろ、それでは他人の存在に脅かされて自分の身が危うくなるリスクがある。自分の立場や権利を主張して自分を守る必要があるのだろう。
しかし、その土地に根づいて、その小さな輪の中だけで生きていかざるを得ない人たちにとっては、我を張り通すことは致命的だ。周りの人間たちとできるだけ摩擦を起こさずにうまく溶けこんでいけるような、まさに「和をもって尊しとなす」日本的感性こそが求められるのだろう。
そう考えると、都会のほうがよほど自由気ままに、ラクに生きていられるような気がしないでもない。けれども、そのラクさは孤独を呼ぶラクさだ。
大らかに不自由さを黙殺するか、孤独を引き受けて自由になるか。これは、究極の選択なのかもしれない。正しい答えというのはなくて、人はどちらか水に合ったほうを自ずと選んでいくのだと思う。