旅行記の続きです。第一次大極殿(だいごくでん)に入ると中はこのような雰囲気でした。中央にある八角形の部屋は高御座(たかみくら)と呼ばれるもので、天皇が座る場所だったそうです。ちなみに当時の朝廷で行事があるときには大極殿の内部に入れたのは天皇と皇后のみで、それ以外は入ることができなかったそうです。また大極とは北極星のことを言うそうで、これは当時の中国(唐)の長安の都にならい夜空の星の中で唯一動かない(ように見える)星である北極星を中心と捉えて北側が天皇の位置ということになったそうです。なので、行事の時は天皇と皇后のみが南側を向き、それ以外の家臣は全て北側を向いていたということになるそうです。ちなみに、当時の高御座はどのような形だったのかを示す文献は残っていないそうで、これは平安京に移ってからの形を参考に作られているそうです。
大極殿の天井には方角を示す想像上の動物をメインに十二支が描かれていました。キトラ古墳や高松塚古墳の発掘でも有名になった動物ですよね。
こんな感じで北側には玄武(げんぶ)が、
南側には朱雀(すざく)が描かれていました。
ちなみに大極殿の当時の柱は全て都が移された時に解体されてしまったらしく木材については発掘されていないそうです。なぜ、こんな形に復元できたかというと、柱の跡で大きさと高さがだいたい判明し、さらに当時は雨どいがなかったそうなので、屋根に降った雨が落ちた痕跡を元に屋根の大きさを推定し、全体的な建築様式は現在に残る奈良時代の建物である唐招提寺金堂などを参考にしたそうです。長くなりましたので、続きは次回とさせていただきます。