薔薇と王子のブログ
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もともとフォロワー数10人いないくらいだったし、フォロワーの人達との交流もないし全員削除した口笛

 

何故かって、フォロワーの全員がビジネス系もしくはスピ系のブロガーばかりだったから。

 

私がイイねボタンをなくしたのも、イイねの大半がそっち系のブロガーの人達ばっかで気持ち悪かったからなんだよね。

 

だって、イイねなんて思ってないのに自分の宣伝でやってるんでしょ?ゲロー

 

別に興味もない読んでもいないブログにイイねしたりフォローしたりして変な人達だゲロー

 

あの人達ってセミナーとか商売の勧誘をブログの中でやってて、誰かを幸せにするとかよりも、自分が有名になったり金持ちになる事しか考えていない気がする。

 

そんな詐欺っぽい人達とは関わりたくないんだよねー。

 

 

 

 

 

メキシコシティでの移動手段は徒歩とメトロだけでバスなどは利用しなかった。

 

ここは私が宿泊したホテルの最寄り駅 Insurgentes metro station の駅前です。

 

東京のメトロの写真が壁に飾られていました。これは銀座線ですね。

メキシコ市の地下鉄は、建設当初、フランスの援助を受けたため、基本的にパリ地下鉄のシステムを導入しているそうです。

 

海外で電車や地下鉄をよく利用するのだけれど、バスを利用する事は滅多に無い。

 

日本でも知らない土地でバスに乗るのはあんまり好きじゃないし。

 

お知らせしますのボタンを押しそびれて降りるはずだったバス停で降りれなかったり、間違って違うバスに乗ってしまい目的地とは違う場所に行ってしまったりした事が何度かあって、電車のほうが私にとっては便利な乗り物です。

 

驚いたことにメキシコシティのメトロにも女性専用車両がありました。

 

女性専用車両のあるホームには男性を立ち入れさせないように警備員も立っていました。

 

女性専用車両は男尊女卑の強い日本とインドにしかないものだと思っていたのだけど、ここメキシコにもあるなんて。

 

という事はメキシコって男尊女卑の国なのだろうか?と思ったけど、旅行者目線ではそんなことは感じ無かった。

 

調べてみるとラテンアメリカには「マチズモ」という男性優位主義な考え方が昔から根付いているようで実は男尊女卑やDVなどの事件が多いそうです。

 

この方のブログを読んで、メキシコ系のアメリカ人でも亭主関白なのかって驚いた。

アメリカは日本と比べると女性を大切に扱う風習があるのですが、そんな環境にいてもやはり自分の親を見て育つとそうなるのでしょうか。

 

どんなに亭主関白でも快適な衣食住や経済を奥さんに提供してあげてるのであれば、まだ良いとしても亭主関白というか女性差別な男はこの世からいなくなって欲しいですね。

 

こんなメキシコは80%以上の人口がカトリック教徒でとても信心深い国民でありまして、メキシコシティの街中でも40センチくらい聖母マリアの像を持ち歩いてる人を何度か見かけました。

 

日本ではマリアモチーフだがお洒落として売られたりするのですが、私がメキシコで宗教グッズを購入した時、どのお店でも店員さんは嫌な顔をしたりは決して無かったのだけど、不思議そうな表情をしていました。

 

ここは教会でもないのに聖母マリアの垂れ幕が。

 

日航ホテルがありました。 お客さんは、やはり日本人が多いのでしょうか。

 

中央広場のソカロ

 

この辺りは観光スポットの集まる場所なので、メキシコシティを旅行するなら必ず訪れる場所だと思います。

 

 

週末だったからなのか、とても賑やかでした。

 

本当の先住民族なのか衣装を着てイベントをしているだけなのかわかりませんがダンスをしてました。

 

可愛い犬と先住民族

 

近くのタコス屋さんに入ってみた。

ビーフのタコスを注文したのだけど、とっても美味しかったです。

値段が安かった記憶があります。

 

日本で例えると、たこ焼き屋さんみたいな感じで、中に少しカウンター席があって気楽に入れる感じのお店でした。

 

ソカロの中央広場からラテンアメリカタワーまでは600mくらいの距離です。

 

 

この1956年に開業した44階建ての高層ビルタワー、展望台があって夜景も楽しめるようです。

 

1985年に起こったM8.1のメキシコ地震でいくつかの建物が被害を被っけど、ラテンアメリカタワーは無傷だったそうです。

 

ここは確か動物園の近くだと思うのですが、忘れました。 動物園行きたかったのだけど入り口に長蛇の列ができていて、ペットボトルの水も持ち込めなくて入り口に用意さてているゴミ箱に捨てなければならないし、面倒なのでやめました。

 

東南アジアと同じくメキシコでも露店では生ものは買わないと決めていたのに、そんなことは忘れてアイスを買ってしまいました。

 

刻まれたトルティーヤがトッピングされていたのを覚えています。お腹壊しませんでした。

 

ポテトチップスも買いました。チリソースがかかっていて、小さなライム付きだった。

 

日本に帰ってからしばらくの間、ポテトチップスにはライム(もしくはレモン)とチリソースをかけて食べてました。

 

美味しいので是非試してみてね。

 

他にも珍しいメキシコの駄菓子のようなものが売られていたので購入。

手前のはVero Mangoというメキシコのキャンディなのですが、マンゴー味のキャンディにチリがまぶされている物です。

 

私は甘酸っぱいタマリンドの甘酸っぱいキャンディにチリがかかったヤツが好きなのですが、日本にはこんなタイプのお菓子は売られてないですよね。

 

メキシコ人の友達は甘いのと辛いのが合わさるのが美味しさなんだと言ってました。

 

露店のアイス屋さんでもチリをかけてあるの見かけたしなあ。

 

真ん中の平ぺったいヤツはなんとなく気になて買ったのですが、食べずに日本に持って帰り、色が綺麗なので暫くの間

部屋に飾ってました。結局捨ててしまったのだけど。調べてみるとcachetadaというアメだそうで、平ぺったいまま食べるのではなく小さく折りたたんで食べるそうです。

 

 

 

一番下にある回りにヒマワリの種が挟まっている薄っぺらい煎餅みたいなお菓子も食べずに日本に持って帰って部屋に飾っておいたのですが、

 

調べてみるとObleas Pepitoria というお菓子だそうでソースせんべいみたいな歯ごたえで間にはキャラメルが挟んである甘いお菓子だそうです。

 

週末は人が多くて込み合うけれど歩いてて楽しいですね。どこの国もですが。日本はちょっと窮屈かもしれないけど。

 

マリアのオブジェを発見。

タイの道端では仏教の祭壇の前を歩くときは手を合わせているのを見ましたが。

 

ここでは拝む姿は見かけなかったどころか、よっかかって携帯か何か見てますよね。

 

踊る子供達

 

次回もメキシコシティでの思い出をつづります。

 

つづくおすましペガサス

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2011年にメキシコとアメリカを一人旅した時の思い出です。

 

熊しっぽ熊からだ熊からだ熊からだ熊からだ熊からだ熊からだ熊からだ熊あたま

 

グアナファトからメキシコシティまでは長距離バスで移動した。

 

バスターミナルまではタクシーで20分くらいかかるのでホテルをチェックアウトした後に、タクシーを呼んでくれないかとレセプションで頼むと、このホテル周辺は車の乗り入れが禁止されているのでタクシーを呼ぶことができないと断られた。

 

車の走る通りでタクシーを捕まえることができると言われたのだけど、その時は朝の7時くらいだった。

 

外は明るいけど人気は無くて不安だった。

 

あのホテルの人も嘘を言ってる感じじゃないし、安全だからそうやって言ったのかもしれないけど。

 

そういえば空港からホテルまでの送迎の時はどこで降りたのだろうか?

 

道を走る流しのタクシーを止めバスターミナルまでと伝えた。

 

タクシーにはメーターが無い。

 

無事にバスターミナルに到着し、値段を言われる前に「これでいいでしょ?」とあらかじめ調べておいた料金を渡して、すぐに車を降りた。

 

運転手はもうちょっと欲しそうな顔してたけど私は急いで車から離れて行った。

 

メキシコの長距離バスの車内はクーラーが効きすぎていてとても寒いという情報があり、少し厚めのストールを持参してたので冷え性の私にはとても役に立ちました。

 

メキシコシティ行きのバスは2社あって私が予約したのはETNというバス会社だった。

 

私が行った前の年にグアナファトからメキシコシティへ向かう途中バスに強盗が入ってきて金を出せといわれたけど、反抗した日本人の男の子が殺害された事件があったので少し不安だったが、このバスは私が乗る予定のノンストップじゃなくて何度かバス停に停車して人が乗ってくるタイプだったらしい。

しかしこの情報、もう一度ネットで検索してみたのだけど出てこないんですよね。

 

私の幻想だったのだろうか。

 

私が利用したバスはノンストップで約4時間半程でメキシコシティに到着すると思っていたので、途中から強盗が乗ってくることはないと思っていたら、なんと一度だけ停車したのです。

 

私の勘違いだったのか、この日はたまたま停車したのかわからないけど、強盗が乗ってきたらどうしようと不安になりながら乗客を見ていると、制服を着た中学生くらいの女の子達だった。

 

 

しばらくするとハイウェイを走り始めた。

 

砂漠というか荒野のような景色が続く

一本の細い道が山のほうまでずっと先まで続いてて、こんな場所のこの道のずっと先に誰かが生活しているのだろうかと不思議に思った。

 

同じ場所にずっといて、なんの刺激もなく、生活の大半が日常になってしまうと、自分の世界観が狭くなっってしまう。

 

海外でなく、国内の一人旅でも色んな事に気づかされるのだけど、私の場合、遠い国へ行けば行くほど、考え方が自由になる。

 

自分が住んでいる場所の常識が実は常識ではない事もある、もっと自由に自分らしく生きて行ってもいいのではと気づかされる。

 

私が旅が好きな一番の理由は、そういった沢山の事を気づかせてくれるからだ。

 

自分の知らなかった強さとか弱さとか。 

 

いくつかの国を1人で旅してきたことで日本という国や日本人を客観的に見る事ができるようになった。

 

これからは自分自身の事も客観的に見ることができるようになればいいのになと思う。

 

途中、大きな像がそびえたっていた。

日本でも中心地から田舎の方へ向かう時にこんな景色を見たことが何度かあるな。

 

バスの車内は座席も広く快適だったけど後ろにあるトイレがとても臭かった。

 

誰かがドアを開けるたびに結構きつい臭いがした、ドアが閉まってる間は大丈夫なのですが。

 

ハイウェイの道路の脇には沢山のペットボトルやビニールが散乱していたのもショックだったなあ。

 

一部じゃなくてずっとそんな景色が続いた。

 

国は掃除をしないのかなと思った。日本では考えられない景色だった。

 

 

メキシコシティのバスターミナルは、はっきりと記憶にないのだけれど広くて立派なバスターミナルだった気がする。

 

バスを降りてタクシーチケットを購入する場所へと向かった。

 

係員なのかわからないけどオレンジ色のベストをきたとても体格のいい男性が何か私に話しかけてきた。

 

背も高く横幅も大きく顔立ちはフランケンシュタインのようだった。

 

メキシコシティは治安が悪いから気を付けなければと思っていたが、早速詐欺師が私に話しかけてきたと思い、私は首を振り無視をした。

 

するとまた何か言ってるので良く聞いてみると「タクシーチケットはあそこで買えるよ」と教えてくれていた。

 

外見は恐ろしいのだが優しい笑顔をで教えてくれた。 海外へ行くと実はすごく親切な人まで警戒してしまう事が何度もある。

 

だけど何も警戒せずホイホイついて行くのは危険すぎるし、アルゼンチンではわざとケチャップを衣服に付けて、ケチャップが付いてますよと近づいて拭いてあげるふりをし、財布や貴重品を盗むと言った犯罪もある。

 

悪人は優しいふりをして近寄ってくる事もあるので油断は禁物だな。

 

乗ったタクシーは日本では見かけないくらい古くて乗り心地の悪いTOYOTA車だった。

 

空港から中心地までは約30分で到着します。

 

外も中もボロボロでクーラーは故障してるのか節約の為使用しているのかわからないが、ドアを全開にしていて、車を大型トラックに囲まれた時は排気ガスと暑苦しいもんやりとした空気で気持ち悪くなった。

 

宿泊したホテルはユーロスターズ ソナ ロッサ スイーツというホテルでした。

 

 

 

普段は使用しないのだけど貴重品を入れて腰に巻いて上から服で隠すタイプのものに現金を入れていたのだけど、これって使ってみてわかったのだけど、お金を取り出しにくくて知らぬ間に落としてしまいそうだし、私は一日だけしか使用しなかった。

 

ポケットに入れるとすられる可能性があるし、バックはひったくられる可能性がるので腰に巻いて内側に隠すのは良いのかもしれないけど、私は女性なので現金やクレジットカードをブラに入れて持ちあるくことの方が多いです。

 

取り出すときに相手に見えない感じで少し後に体を向け胸ポケットから取り出すようなふりをするのですが。

 

全てのメキシコシティのホテルでがそうなのかは分かりませんが、このホテルに限ってはデポジット保証金として現金かクレジットカードのコピーを預けなければなりませんでした。

 

そんな事は初めてだったので不安だったけど私の前にチェックインしていた人もクレジットカードを渡してコピーを取ってもらってたし、大丈夫だろうと思い私もクレジットカードを渡した。

 

何もなかったけど何だかいい気はしないですよね。

 

このホテルを選んだ理由の一つはバスタブが付いている事だけどなんとジャグジーのです。

 

広々としたバスタブではないけど狭くもなく快適でした。

 

そしてなんとこのホテルは寝室とは別にリビングルームまであるのです。

 

リビングルームにはテレビと6人くらい座れそうなソファー、そして冷蔵庫と電子レンジまでありました。

 

4泊して2,4500円ほどでした。 コスパ高いです。

 

メキシコシティだから物価が安いのかもしれませんが。

 

現在もまだ営業していて口コミも良いままでした

 

1人旅でこんなに広いホテルは泊まった事ないので夜は少し怖かったです。

 

私は狭い部屋のほうが落ち着くのかもしれません。

 

この日はそんなに時間がないのでホテルから徒歩圏にある近代美術館とルフィーノ・タマヨ博物館へ行きました。

 

メキシコシティのシンボルである独立記念塔の頂上には黄金に光る天使像が飾れています。

天候の関係でグレーに見えますけど、実際は金色なのです。

 

これは多分レフォルマ通りだと思うのですが、メキシコシティは道も広く交通量がとても多かった記憶があります。

 

この日に行った美術館は公園や博物館や動物園、植物園などがある緑の多いエリアにある。

 

途中行き方が分からなくなって公園の手入れ?をしている男の人に道を尋ねると英語が分からないようで地図を見せると、

こう行ってこうだと指で方向を指して教えてくれました。

 

近代美術館はメキシコを代表する芸術家の作品が展示されています。

 

これは誰の作品だか分かりませんが紙コップを使用した作品です。

 

フリーダカーロの有名な作品『2人のフリーダ』が展示されていました。

 

この絵の作者はわからないのですが、誰なのでしょうか?

この絵はどんな思いを表現しているのでしょうか。

色んな想像を掻き立てられ、ずっと見てしまいます。

 

他にもユニークな作品が展示されていました。

 

 

 

こちらはメキシコで最初のビデオアートのパイオニアとして知られているメキシコシティ出身のPola Weissの作品です。

 

YouTubeに動画がありましたので貼り付けておきます。

 

 

美術館のトイレもレオンの空港と同じく蓋も座る部分もなくて空中椅子のような恰好をしなければならず太ももを鍛える事が出来た。

 

この時私は喉がカラカラだったのだけど、トイレの入り口に自動販売機があったので水を買おうと値段を見ると、法外だというくらい高かった。

 

これは私の見間違えではないと思いますが、いくらだか忘れたのだけどすごく驚いたのを覚えています。

 

だけどどうしても水が飲みたかったので買おうとすると、お金を入れても戻ってきてしまう。

 

美術館の従業員が通りかかったので使い方を聞いてみると、これは故障中だと思みたいなことを首をかしげて言っていたチーン

 

美術館を出てホテルへ帰る途中、レフォルマ通り沿いにベンチが沢山ある場所があったのだけど、そこには沢山のカップルがイチャついていた。

 

カップルは男性同士のカップルです。日本ではまだ日が落ちていない時間にこんな目立つ場所で男性カップル達がイチャツイチャしてるのなんて見たことが無いので、歩きながらだけど、じっと見てしまった。

 

その内の1人がジロリと私を睨んだ。確かに私はじっと見すぎてしまったかも。だけど、見られたくないなら人気のない場所でやればいいのにねニヤニヤ

 

 

つづくおすましペガサス

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

グアナファトには美術館や博物館もあり芸術も楽しめる町です。

 

私はリエゴ・リベラ博物館へ行きました。

 

壁画家そしてフリーダ・カーロ夫としても有名なメキシコのグアナファト生まれの画家です。

 

 

彼の生家が博物館になっており一階にはリベラ家の家具などがそのままの配置で展示されていて、二階以上にはディエゴ・リベラの作品が展示されています。

 

奥さんだったフリーダ・カーロの絵です。

フリーダ・カーロの映画を見てディエゴ・リベラの事を知りました。

 

フリーダが22歳でディエゴが42歳くらいの時に結婚し、周りからは美女と野獣のカップルと言われていたそうです。

 

確かに体格からして野獣のようですね。

 

この絵は誰なのかわからないのですがフリーダ・カーロの妹クリスティナではないか?と思うのですが。

 

ディエゴは相当な遊び人で女性をとっかえひっかえしていたそうです。

 

フリーダ・カーロの妹とも関係を持ったそうで(ほんとありえないムキー)彼女の裸体の肖像画も描いたという記事を読みました。

 

酷い男ですよね!そんなに見た目が魅力的だとは思わないのだけれど、芸術家としての才能だったり、女性を惹きつける何かがあったのでしょう。

 

このアステカ文明のような額縁に飾られた絵の人物は誰だか分かりませんが、なんだか印象的だったので写真を撮ったのだと思います。

 

この作品はメキシコシティのディエゴ・リベラの壁画館にあるようなのですがなぜこの場所で撮影できたのか不明です。

ディエゴ・リベラと骸骨が手をつなぎ、その背後にフリーダ・カーロがいますね。

 

一階は写真撮影禁止だったのか撮り忘れたのか一枚も写真がありませんでした。

 

ディエゴ・リベラ博物館からすぐ近くにあるグアナファト大学

立派な建物でした。

日本の大学と交換留学もしているそうです。

 

トルティーヤ生地の機械を発見。

これは日本にもあるのだろうか?機械とはいっても出来立てだから美味しそうですね。

 

ランチはトルティーヤのスープとコロナビール

チーズとアボカドも入ってます。

 

そしてこれは何を注文したのか私は覚えていないのだけど汗

豚か鶏肉にモーレソースがかかったものでしょうか?

 

盛りつけの感じが東南アジアっぽいですね。

 

味も全く覚えていなくて、このお店はフラリと入ったのですが、店員さんも親切で良いお店でした。

 

基本的にメキシコ人は皆親切でフレンドりーなのだけど、グアナファトの生地屋さんでは若い女の子の店員さん達はみんな無表情で冷たかった。

 

陰で悪口を言われたり笑われたりなんて事は無かったのだけど、商品について尋ねても対応はするけど無表情で一切目を合わせてくれなかった。

 

生地屋にはアジア人客なんて滅多に来ないだろうし、興味があるけどそれを隠していたのか、緊張してたのかな?

 

店長らしき年配の女性はニコニコと親切だったし。

 

可愛い家。

 

こんな風に出窓に鉢植えを飾ってるのをよく見かけた気がする。

 

この黄色い建物バシリカ教会の中に入ってみました。

 

現在は分かりませんが当時は写真撮影可能でした。

 

椅子に座って暫くこの建物の内部や雰囲気を堪能しました。

 

親子で礼拝に来ていて、お母さんが子供に胸元での十字に切り方を教えていました。


 仏教の場合は、手を合わせるだけなので簡単ですね。私が3才くらいの頃、祖母の家に遊びに行った時にお仏壇の前で手を合わせた時の事を覚えています。

 小さい子供がやると可愛いからなのか、そこにいる家族や親せきのみんなが笑うんですよね。

 

私も甥っ子が小さな体でくしゃくしゃと手を合わせ一生懸命目をつぶってる姿を見ると可愛くて笑ってしまいます。

 

私がこのメキシコ旅行をしてた時は父親が余命半年くらいだと宣告されていました。

 だから祈りをささげる人達を見ていると私も手を合わせ祈りたくなりました。

 

仏教徒のアジア人が教会で数珠を持って手を合わせ、お経を唱え祈り始めると周りはどのような反応をするだろう。

 

数珠は持っていなかったけど、私がここで何かお祈りするのは変なのかなと感じた。

 

今考えると別に変だとは思はないけど。

 

私のすぐそばにに座っている女性が泣きそうな顔をして祈っていた。

 

何を祈っていたのだろうか。

 

わからないけど泣きそうで悲しい表情をして祈る姿を見ていると、心が痛くなって教会を出た。

 

観光でフラリとこの教会に入った自分がなんだか失礼な感じがして恥ずかしくなった。

 

宿泊したホテルの近くの広場で演奏会がありました。

 

私が滞在したホテルにあるレストランのテラス席でもお客さんの座るテーブルを囲んでマリアッチが演奏をしていた。

 

私が見かけた時は男性客1人のテーブルに4人くらいのマリアッチのオジサンが演奏をしていた。

 

その男性客は気まずいのか機嫌悪くしてるのか、歓迎している雰囲気ではありませんでした。

 

私も1人で食事してていきなり回ってきて演奏されたらちょっと困るかもしれないです。

 

陽が沈みライトアップされたフレアス劇場。

 

メキシコ旅行の最初の場所がグアナファトだったのだけど、メキシコって芸術の国なんだなって思いました。

 

翌朝、長距離バスでグアナファトからメキシコシティへと移動しました。

 

つづくおすましペガサス

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

世界遺産の町グアナファトは小さな町なので観光しやすい場所でした。

 

ちなみにこのグアナファトという地名は先住民族のタラスコ族の言葉で「カエルのいる山がちな場所」(Quanax-juato)が語源だそうですby Wikipedia

 

こちらはCallejon del Beso

日本語で口づけの小道という意味です。

 

グアナファトは山の斜面に密集して建てられており、この小道では隣家同士、身を乗り出せば窓越しにキスができる距離だという事で

そのように名付けられたそうで、人気観光スポットの1つです。

隣家同士、犬猿の仲だった2件の息子と娘が恋に落ち、夜ごと2階に窓から身を乗り出してキスをしていたという伝説があるそうですよ。

 

ロマンチックですねドキドキ

 

本当の話であれば、この2人の恋の行方が気になりますね。

 

現在では観光地にもなってる事だし。

 

メキシコでも屈指の美しさと言われている、フアレス劇場(Teatro Juarez)

1903年に完成したそうで、内部の装飾には金が豊富に使用されているそうです。

 

私は中に入らなかったのですが、見学しておけば良かったなあなんて今さら思った。

 

週末には演劇やオペラ、クラッシックなどが上演されているそうです。

 

この劇場の前の階段に座って小売店で購入したサンドイッチを食べたのだけど

 

サンドイッチにハンバーガーのピクルスが入ってると思いきや、ハラペーニョだった。

 

日本でハラペーニョが入ったサンドイッチなんて食べたこと無いけど、メキシコでは当たり前なのかもしれない。

 

食を通してでもちょっとした文化の違いを見つけるのも海外を旅行してて楽しい。

 

私以外にも地元の人なども階段に座って会話をしたりと時間を過ごしていた。

 

小学生の団体がいて、社会科見学なのかなあとボンヤリ見ていると、ひとりの女の子が私に話しかけてきた。

 

スペイン語なので良くわからないが、Nombreと聞こえたので、私の名前を聞いてるのだと思い、答えた。

 

すると次々と他の子供達も集まってきた。

 

再びスペイン語で聞いてきたのだけど、Dondeと言ってるのが分かったので、どこから来たのか聞いてるのだろうと思い、日本だと答えた。

 

すると、その子が中国?と私に聞いた。

 

なのでノー、ハポンと答えた。

 

特にラテンアメリカの国々では中国も日本もごっちゃにされているようななで、しょうがない。

 

チーノ(中国人)=アジア人=日本人という感じだろう。

 

直ぐ側にいた小学生たちの先生が、子供達に中国と日本は違うのよと説明し、私に英語で、文化がちょっとミックスしてるのよね?

 

と言った。

 

さすが先生だな。先生まで東京が中国にあるという無知な人だったら私はがっかりしただろう。

 

1人の子供が写真を撮ってもいいかと聞いて来たので、いいよと答えると、他の小学生達も私の写真を撮り始めた。

 

 

みんな可愛いですよね。アジア人がどうやら珍しいようです。

 

私も写真を撮り返しました爆笑

 

先生も私を撮影。

 

みんな元気だろうか?

 

10年前なので今は二十歳くらいになっているのかなあ。

 

私を撮った写真はまだ残されているのかなあ。

 

私は10年経った今ここでブログにアップしていますが。

 

暫くして小学生たちは劇場の中へと入っていった。

 

するとまた子供がいたのですが、行進をしながら、みんなで口を揃えて大きな声で何かを言ってました。

 

写真手前に写る女性の羽織るストール。メキシコっぽさがありますね。

 

こちらはグアナファトのシンボルともなっているバシリカ教会です。

とても目立っていました。

 

少し分かりづらいかもしれないけど、グアナファトはこの写真のようにトンネル状の地下道があります。

これは古くからあった地下水路や銀の坑道道路代わりに現在では利用しているそうです。

 

治安上、徒歩での通り抜けはやめておいた方がいいと思いますが。

 

テンガロンハットをかぶりギターを肩から掛けているお爺さん。

これから、どこかでギターを弾くのでしょうか。

 

薬局屋の前の子供用のおもちゃの乗り物もレトロで好きです。

 

この壁の色が剥げている感じも歴史を感じさせてくれて風情がありますね。

 

ラテンアメリカのコロニアと言われる場所は大体こんな感じでどこも似ているとは聞いた事ありますが

確かにそうかもしれないです。

しかし日本では見ることのできない風景ですし飽きません。

 

それにグアナファトにはこのピピラの丘から美しい町並みを眺める事もできます。

夜になるとカンテラの明かりが灯りまた違う美しい景色を堪能できるようです。

 

やはりバシリカ教会は目立ちますね。

 

山の斜面に家が建てられているのが分かります。

 

なんか汚れた白い野良犬がすごい顔して足で体を描いていたので写真を撮ったのだけど分かりづらいな。

可愛かったけど汚れまくってたし噛まれて狂犬病にでも感染したら困るので触りませんでした。

 

こちら独立戦争の英雄であるピピラの像です。

この方について詳しくはわからないのですが当時は炭鉱夫であり本名はフアン・ホセ・マルティネスさんと言うそうです。

 

ピピラの丘には徒歩でも行けますが私はケーブルカーを利用しました。

すごく短いので徒歩で行っても良かったなあと思いました。


 しかし暗い時間帯は治安上ケーブルカーを使用したほうが良いそうです。




つづくおすましペガサス

 

 

 

2011年2月22日~3月15日の期間にアメリカを経由してメキシコのグアナファト、カンクン、メキシコシティを旅行した時の思い出をつづります。

 

熊しっぽ熊からだ熊からだ熊からだ熊からだ熊からだ熊からだ熊からだ熊あたま

 

田口ランディの「オラ!メヒコ」という本を読んでからメキシコという国に興味を持った私。

 

特にオアハカにいるシャーマンなどとても興味深かったのだけど、オアハカには行くのは断念しました。

 

1人旅だったのでちょっと厳しいかなと感じたのです。

 

治安も悪いようですし。

 

本当はメキシコの後、自然豊かな国コスタリカにも行こうと予定していたのですが、お金と時間が無くてこれも断念。

 

2011/2/22 16:35成田空港発、 同日9:20ロサンゼルス空港着のアメリカン航空を利用しました。

 

翌朝は6:30ロサンゼルス空港発のダラス空港経由のアメリカン航空でメキシコのレオンへ行くので、時差ボケで疲れてるだろうし外には出かけずホテルでゆっくり過ごそうと考え、空港からシャトルバスの出ている近くのラキンタインホテルに宿泊しました。

 

このホテルの良いところは各部屋に電子レンジが付いていたので日本からレトルトのご飯などを初日の食事の為に持って行きました。

 

食費も浮いたし良かったです。

 

しかもこのホテルバスタブが付いているんです。現在は改装したのか付いていない部屋もあるそうですが。

 

バスタブがあるという条件は私にとってとても重要なので。日本から持って来ていた入浴剤も役に立ちました。

 

翌朝3時にホテルをチェックアウトした。

 

無料のシャトルバスもフロント予約していたし空港の近くのホテルなので何の心配もありませんでした。

 

乗客は私1人だけだった。 まだ朝の3時なので辺りは暗かった。運転手さんに飛行機の出発時刻を聞かれて6:30だと答えると、

 

もうちょっと遅く出ても間に合うよと言われた。

 

ホテルでもっとゆっくりしたかったけど、バタバタ慌てるよりはいい。

 

空港はほとんど人がいなかった。薄暗くて、チェックインを受け付けているカウンターなんてまだ無かった。

 

私以外に旅行客は見当たらず、空港の清掃員や警備員らしき人しかいない。

 

暇だった。

 

出発何時間前に到着したのかは覚えていないのだけど、薄暗い空港内でやることは何もなかった。

 

メキシコのレオンまでは直行便ではなく、ダラスで乗り換えをしなければならない。

 

LAXで撮影したものです。

写真はないのだけどダラス・フォートワース国際空港はとっても広かった。

 

飛行機の総発着数は世界三番目だそうです。

 

この窓からの風景はロサンゼルスからダラスへ移動してるときに撮ったもの

 

 

途中不思議なものを発見しました。この丸いヤツは一体何だろうと

ミステリーサークルみたいで不気味だったので調べてみたのですが、これらは畑でした。

 

この地域はほとんど雨が降らない為、どこでも地下水をくみ上げてスプリンクラーが時計の針の様に丸い畑を一周するしくみとなっているそうです。

 

ダラスからメキシコのレオン(グアナファト)国際空港へ行くアメリカン航空機は今まで乗った国際線の飛行機の中で一番小さかった。

 

私の座った座席は隣に席がなかった。 ダラスからレオンまでの便は乗客が少ないのだろう。

 

そうじゃないと、今まで乗った国際線どころか国内線よりも小さな飛行機で運行はしないと思う。

 

飛行中に気圧の関係で機体がガタガタと揺れたのだけど、小型だからなのか体に響きやすくて怖かった。

 

レオン国際空港もとっても小さかった記憶がある。

 

トイレに行くと長い列ができていた。

 

ようやく私の番が回ってきたのだけど、ここで私が驚いたことは、便座の蓋はなくても良しとしますが、便器の座る部分が無いのです。

 

これはお尻を浮かせて用を足さなければならないのか、しかも荷物を置く場所もない。

 

地面は汚くて荷物を置く気には全くなれなかった。

 

大きくて重い荷物を持ったままお尻を浮かせるという、筋肉が付きそうな態勢。

 

フランスのパリの公共トイレもこんなんだったな。

 

他人のお尻を付けた場所に座るのは不潔という考えなのだと思いますが。

 

日本ではこんな事無いですよね、和式トイレはありますがちょっと違います。

 

だけどここは国際空港なのだからトイレの中にせめて荷物を置きくらいは親切に作ってもらいたいものだ。

 

空港からグアナファトの町まではタクシーで約30分くらいだった。

 

宿泊したホテルはポサダ・サンタ・フェというラウニオン広場に面している、歴史を感じさせる雰囲気のあるホテル。

今考えるとこのホテルとても良かったです。また泊まりたい。

 

ハウスキーピングなど必要ない時にドアにかける札。

日本語もありますよ「邪魔するな」と笑い泣き

 

ベッドに横たわった時の風景。

バスルームのドアや窓の横にあるテーブルとイスも、歴史のある雰囲気で素敵でした。

 

グアナファトはメキシコの数あるコロニアル群の中で一番美しい町と言われてるそうで、こちらのホテル以外にもコロニアルな雰囲気を味わえるホテルはあるようです。

 

私が今まで宿泊してきたホテルは10年以上たつと閉業していたりする事もあるのですがこのホテルは残っていてほしいです。

 

と思って調べてみたのですがまだありましたキラキラしかも口コミ評価も高かった。

 

良かったです。ホテルのフロントの女性も親切だったし。

 

部屋のテレビでゴジラだかゴリラだか忘れましたが少しだけ観ました。

部屋にはテレビがあるのですが、フロントでテレビを見たいですか?と質問されたのでYESと答えると、テレビのリモコンをくれた。

 

どうして最初っから部屋にリモコンを置いておかないのだろうか?

 

リモコンが紛失する事件でも多発しているのでしょうか?

 

 

つづくおすましペガサス

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

滞在しているホテルのあるモンパルナスの駅に着いた。

 

21:00過ぎくらいだったけど、こんな時間に公共の乗り物で1人で移動したのは海外では初めてだった。

 

駅も駅周辺も静かで人気がなかった。

 

ホテルへ向かっている途中、子供とお母さんとお祖母ちゃんらしき3人が体を寄せ合い立ち止まっていた。

 

母親らしき人が子供を背後から守るように抱いていた。

 

暗くて見づらかったのだけど、背の高い黒人男性が不審な動きをし、何か大声で叫んでいた。

 

彼女たちはその男の側をを怖くて通れなかったのか、誰かを待っていたようだ。

 

だけど、この黒人が怖いのどうのより私は明日の飛行機がボイコットされるかどうかのほうが不安で、早く情報を知りたくて、一瞬も止まらずの、その黒人の側ををテクテク歩いてと通り過ぎた。

 

私が通り過ぎると同時に彼女達も急いでその場から移動した。

 

すると黒人は私の後ろを付け始めた。

 

だろうなと、それは予測していた事でした。

 

一人でいるアジア人の女についてくるよな。

 

私のホテルは角を曲がってすぐだし、とにかく明日の飛行機の事が気になっていたので、つけられてても、あっそう、って感じで恐怖を感じなかった。

 

もし翌日に緒に、デモがあるって聞いてなかったら黒人が怖いという意識が強くて、こんな簡単に彼の横を素通りできなかったかもしれない。

 

ホテルのフロントのスタッフにデモの事を聞くと、空港バスも飛行機も通常運行されると言った。

 

あの変な男もさすがにホテルの中までは追ってこなかった。

 

ほっとして部屋に入り明日の準備をしながら、今頃ファンクとリリアンはセックスをしているのだろうかと余計な事を考えた。

 

翌朝8時にホテルをチェックアウトしシャルルドゴール空港行のリムジンバスに乗った。

 

座席に座って出発まで外の風景を眺めていた。

 

疲れていたのだろうか、道路を走る車が巻き戻しの様に逆に走っているように見えた。

 

不確かな幻覚というのでしょうか。

 

デジャブもそうだけど、なんだか不思議な気持ちになると、そこから色んな想像をしてしまう。

 

実は私、過去から現在に戻って来ているけど、過去の記憶がなくて再び現在を生きているのではないかとか。

 

真顔

 

ロンドンで財布を盗まれたから贅沢はできないけど、空港で美味しそうなタルトを買った。

 

美味しかった。

 

この味とか食感とかまだ覚えてます。

 

ロンドンで財布を盗まれなければ、もっと美味しいもの沢山食べれたのにな!

 

パリからベトナムのホーチミン経由の成田行きの飛行機で帰りました。

 

ホーチミンでは12時間くらい乗り換え待ちの時間があったので、一旦空港から出て予約していたスパ、SENSPAへタクシーで行きました。

 

ここは既に支払い済みだったので財布を盗まれた私は安心だった。

 

180分コースHEAVENを予約していたのですがマッサージとかは印象が薄かったのか覚えていないのだけど悪いイメージはなく、また来たいと思った場所です。

 

お花が浮いているアロマジャグジーはなんとなく記憶にあるのですが。

 

料金が日本円で10,000円位でした。

 

日本ではこの料金でこんな贅沢できない!と帰国して友達にもお勧めしました。

 

日本人スタッフもいたし、帰りは規定範囲以内だとタクシーの無料送迎がありました。

 

私は確か戦争博物館みたいなところに行きたくて、そこで降ろしてもらいました。

 

空港に戻る前に夜ご飯を食べに行き、バインセオ(ベトナムのオムレツ)を食べてみたかったので注文した。

 

 

これは何だったのかなあ

写真で見ると、美味しそうなのですが。

 

チマキか?

 

また本場のベトナム料理食べたいなあお願い

 

このお店にいるベトナム人の女の子グループが私の事をジロジロ見ていたのを思い出した。

 

ベトナムではよくジロジロと見られた。タイでは無かったけど東南アジアではカンボジアでも同じ事があった。

 

ラテンアメリカはアジア人が少ないからジロジロ見られるのは分かるのだけど、同じアジア人なのに、やっぱり何か違うのだろうか。

 

食事を終えてタクシーで国際線へ向かったのですが、この時に乗ったタクシーも良くわからない理由でボッタくってきた。

 

ベトナムのタクシーは良い思い出ないな。

 

これは10年くらい前の事だし、現在はどうなのだろうか。

 

Uberのようなサービスが普及していたら、ボッタくりなんてできないですよね。

 

という事で、ヨーロッパの旅行記はこれで終わりです。

 

またねおすましペガサス

 

 

 

 

古着屋で出会った中国人、ファンクの友達は小さな服屋で働いていて私たちが到着した時、お店の前でタバコを吸っていた。

 

お店を閉めるからちょっと待っててねと彼女は言った。

 

彼女の名前は英語名でリリアン。

 

リリアンはファンクと同じ中国の広州出身だ。

 

2人はインターネットで知り合ったそう。 確かFacebookで共通の友達がいたと言っていた気がする。

 

ファンクは、ネットの出会いなんてろくな事なさそうで避けていたけど、そんなこと無いなって思ったと言ってた。

 

確かに私も日本では普及していなかったけど世界で大人気だったMyspaceで知り合った海外の友達数人と実際に会ったことあるけれど皆良い人ばかりだ。

 

Myspaceは音楽が軸となったSNSで、ページのカスタマイズも可能だったし、その人のページを見ると、どういう人なのか分かりやすくて、いい人か悪い人の分別が付きやすかったと思います。

 

食事をする場所は既に決まっているらしく私は彼らについて行った。

 

ファンクが彼女は昨日財布を盗まれたんだよとリリアンに言ってくれたのもあって、レストランに着いたとき

 

表にあるメニューを見せてこれでも大丈夫かと聞いてくれた。

 

そのレストランはこじんまりとしたアットホームな雰囲気で、私達は三人で丸いテーブルを囲み、それぞれが注文した料理(コース)を食べた。

 

最初の料理がテーブルに来た時、ファンクがオランダでは食事する前に今日がどんな日だったかを一言話すんだと言って、今日あった出来事などを話し始めた。

 

なのでその友達も私も話した。

 

彼らは中国人なのだけど私の前で決して中国語で会話をしなかった。

 

私に対しての気遣いなのだと思う。

 

もし彼らが中国語で会話をしていたら、何を言っているのかと不安になっただろうし、疎外感も感じただろう。

 

だから私も外国人の友達の前では、英語が話せる日本人の友達とは、私達が何を話しているかわかるように英語で話すようにしている。

 

食事中にギターを持った男性が各テーブルを回り歌を歌っていた。

 

どうやら客の顔を見て何人かを当ててその国の歌を歌うというパフォーマンスをしていて、私達のテーブルに来た時はファンクの顔を見て中国の曲を歌い始めた。

 

私の事が日本人だというのも大当たりで松任谷由美のリフレインが叫んでる(確かこの曲だった)を歌い始めた。

 

ファンクが「チップは払わなくてもいいからね。」と私に言った。 私が昨日財布を盗まれた事を気遣ってくれたのだろうか?

 

リリアンが私はタイ人なのよと嘘を言ったけどその男性は中国語の曲を歌った。

 

その中国人の子は、え?って顔をしていた。 私は笑いたくても笑えなかった、なんだかそんな雰囲気だった。滝汗

 

コースのデザートは三種類の中から選べる仕組みになっていたのだけど、私達が注文したコースにはクリームブリュレが選択肢になくて、

 

リリアンがフランス語で、「クリームブリュレが食べたいのだけどダメですか?」と聞いていた。

 

そしたらそのウエイトレスがファンクがイケメンだからいいわよとOKしてくれた。

 

私だったら図々しいと思われるかもしれないと遠慮してそんな注文できないだろう。

 

しかもそのウエイトレスが追加料金なしにOKしてくれた理由も(多分ジョークかもしれないけれど)面白い。

 

海外へ行った時、日本って応用がきかない事が多いなとつくづく思う。

 

全て形式の中でルールの中でキッチリやってしまおうとする風習がある気がする。

 

もっと気楽にカジュアルに我慢ばかりしない生活を心がけると、もっと人生が豊かになるのではと思ってしまう。

 

この日ファンクに会う前に50代くらいのフランス人の男の人が一緒に写真を撮らない?と言ってきた。

 

今だったら絶対断るだろうけど、その時は断ることができず私のカメラで一緒に写真を撮った。ゲロー

 

するとその人が予め紙に書いて用意していた連絡先のメールにこの写真を送ってくれと言って私に渡した。

 

私は連絡するつもりもないそのメールアドレスの書いてある紙をもらい、その場を離れた。

 

私はその出来事を話すと、ファンクがその写真見せてよと言うので見せた。

 

すると何だこのオジサン!と言ってげらげら3人で笑った。笑い泣き

 

リリアンはちゃんとカッコいい人を選んで友達にならないと、と私に言った。

 

言いたい事はわかる。だけど断れなかったんだよ。別に友達になったわけではないし。

 

日本人も含めアジア人の女性は欧米では絶対にモテない不細工な白人とデートしてるのをよく見かけますしね。

 

そして、パリの女性はいつも強いんだという態度をしている、と私に言った。

 

それもわかる。

 

アジア人は雰囲気的に大人しそうで断れない感じがある。

 

特に日本人はすぐにヘラヘラと笑って、お人好しな感じがする。

 

当時の私もそんな感じだった。

 

それに引き換えパリにいる女性はなんだか男性が軽々しく簡単に話しかけられるような雰囲気はない。

 

ファンクがそのメールを書いた紙を見せてよと言ったので見せると、またげらげらと笑った。笑い泣き

 

私もおかしくて、なんであのキモイオヤジの連絡先をまだ持っているのかと思った。

 

ファンクが、もうこれはいらないから破ろうと言って破った。

 

帰り際に、リリアンがその破かれた連絡先の書いてあるメモ紙をつなげて、ファンクの座っていたテーブルの上に置いた。

 

あのウェイトレスがファンクの連絡先だと思って喜ぶかもしれないとみんなでゲラゲラ笑った。笑い泣き

 

10年経った今考えると、若かったなあって思うけど。このいたずら心は年を重ねても忘れたくないです。

 

寒い空の下、リリアンが広場にある噴水を指さして、ファンク、プールがあるよ泳ぎなよと言って、またみんなで笑った。キラキラ

 

私達は初めて会ったのだけど、まるで昔からの友達のようだった。

 

ずっと苦手だった中国人なのだけど、今まで海外を旅行しててこんなに助けられたことは無い。

 

パリでの一番の思い出は彼らと一緒に過ごした時間だ。

 

前日に財布を盗まれて曇り空のような心をファンクが私に話しかけてくれたおかげで一転し、ヨーロッパの最終日は楽しい思い出となった。

 

人生何が起こるか予測がつかないものですね。

 

真っ暗な嵐の後の空があんなにきれいなのは、苦しい事の後には美しい世界が待っているという事を教えてくれているのでしょうか。

 

時刻は21:00近くになっていた。

 

私は1人で海外へ行った時は夜8時以降は出歩かないときめていたのに、こんな時間に電車に乗ってホテルまで戻らなければならなかった。

 

ファンクは心配をしてくれて、ホテルまで送ろうかと言ってくれたのだけど、私は1人で大丈夫だと言った。

 

リリアンは早くファンクと2人きりになりたいのか、彼の腕を、早く行くよという感じで引っ張ていた。

 

あの二人は付き合ってるわけでは無いみたいなのだけど、多分だけどリリアンがファンクに思いを寄せている感じがした。

 

乗った電車の車両には2人の乗客がいた。

 

気を付けなければと用心していたのだけど、一人の女性は居眠りをしているし思ったよりも平和だった。

 

とはいえ夜の乗車は油断すべきではないと思いますが。

 

リリアンが明日デモがあるから、帰りの飛行機の事を調べておいた方がいいよと教えてくれた。

 

ボイコットで空港バスや飛行機が動かなかったら困ると思い、2人と別れたあと途端に不安になった。

 

 

つづくおすましペガサス

 

 

 

 

前日、財布を盗まれたショックであまり眠れなかった。

 

朝8時頃にホテルをチェックアウトしてユーロスターでパリへと向かった。

 

満員電車に大きなスーツケースを持って乗り込むのは気まずかったけど、日本みたいに舌打ちしたりため息をついたり睨んだりする人はいなかった。

 

メトロの窓ガラスに映る欧米人の中に紛れたアジア人の私の顔。

 

ああ、私はアジア人で外国人なんだなって気づかされた。

 

ニューヨークかどこかでも同じような事を思った。

 

ニューヨークもロンドンも多民族国家だから道を歩いていても珍しそうにジロジロと見られないけれど、

 

こんな風に窓に映る自分と白人の人達を見ると、私はアジア人なんだなって実感する。

 

この日はパリのモンパルナスにある『Hotel New Parnasse』に泊まった。

 

このホテルのレセプションの黒人の女性がとても親切でフレンドリーだったのが印象的で今でも覚えている。

 

アメリカに行った時もこのパリやコスタリカでもそうなのだけど黒人の女性はとても親切だ。(空港以外)

 

それとは反対に黒人の男性は差別的な事を言って来たり、しつこく声をかけて来たりと嫌な思いをする事が多い。

 

ホテルのエレベーターは私と大きなスーツケースだけで、細めの人があと1名乗れるくらいに狭かった。

 

あんな狭いエレベーターは初めてだったなあ。

 

だけどこのホテル、ネットで調べてみると現在は閉業したのかホテル名を変えたのか『オテル・ド・ガイテ』となってました。

 

内装も私が宿泊した時とは違うようです。

 

モンパルナスにはクレープ屋がたくさんあって、地球の歩き方に載っていた人気のお店『クレープリー・ド・ジョスラン』へ行きたかったのだけど道に迷ってしまって疲れたのでなんとなく雰囲気のよさそうなオープンテラスのあるカフェに入った。

 

 

ここで確かカフェオレか何かとケーキを注文した。

 

この日はパリのお洒落なセレクトショップ『COLLETTE』(2017に閉店)と人気の古着屋さん『KILIWATCH』に行くと決めていた。

 

ロンドンで現金ユーロもクレジットカードも盗まれてしまったのでそんなに買い物はできませんでしたが、

 

前日の出来事がトラウマでだったので古着屋に入るのは怖くて不安だった。

 

常に周りを見渡しながら荷物は絶対に前に持つようにしていた。

 

店内に1人のアジア人の男の子がいた。

 

しばらくして彼の横をすれ違った時、両手に持ったスカーフをこのスカーフを見せてどっちがいいと思う?と私に話しかけてきた。

 

彼は顔を赤くして、スカーフを持つその手は緊張しているのか少し震えていた。

 

私は、適当にうーん、こっちかなと言った。

 

彼は私が日本人なのか尋ねてきたので、そうだと答えると、日本が大好きだそうで、のだめカンタービレの話などをしてきた。

 

私はこのドラマの事よく知らないのだけどパリに撮影場所があるのでしょうか?そこで写真を撮ってきたと見せてくれた。

 

インターシップでオランダのホテルで働いていていて、この日はパリに住んでいる女の子の友達に会いに来たそうだ。

 

今夜は友達と一緒に食事をするのだけど一緒に来ない?と誘われた。

 

海外で初めて会った、良く知らない人と食事をするなんて今までに経験無いし、少し不安だったけど彼が恥ずかしいのか緊張した様子で話しかけてきた感じとか、私が財布を盗まれた話をした時の反応とか見てると、決して悪い人ではないと思ったので一緒に食事をする事にした。

 

私はこの後COLETTEに行く予定だと言ったら、地図とメモを出して(まだスマホが普及していない時代でしたからね)そこは僕もこれから行こうとしていたところだから一緒に行こうと言った。

 

この男の子は英語名でファンクという中国の広州出身だそう。

 

COLETTEで友達にお土産を買いたかったのだけど財布を盗まれて貧乏になった私はここでは何も買えないえーん

 

KILIWATCHで買い物したし我慢するしかありませんでした。

 

友達はこのお店で香水を買うと言っていて、それぞれの土地をイメージをした香水があったのですが、

 

ファンクはアムステルダムはありますか?と聞いた後上海は?と聞いていた。

 

店員さんと楽しそうに会話していた。 この後もフラフラと夕飯の時間までパリの街をあるいていたのだけど、

 

ファンクは私と違って現地の人達と積極的に人とコミュニケーションをとろうとするのです。

 

そんな彼の行動を尊敬の眼差しで見ていた。

 

私は1人で海外へ行っても大人しくしていて、なるべく人とは話さないようにしている。

 

ファンクは道に迷った時も赤信号で止まっているタクシーのドライバーに行き方を聞いたり、

 

パリの道端に栗が沢山落ちていたので、拾って日本に持って帰りたいなと話していたら、

 

多分私の英語が変で通じなかったのだろうけど、雑貨屋の店員さんにマロンはありますか?

 

などと聞いていた。だから道端に落ちていたって言ったんだけどねえあせる

 

※後で調べてみると、この「マロン」って英語は栗ではなくアメリカ英語ではザリガニを意味するそうです。英語では「chesutnut」が正解です。

 

古着屋で買ったセーターの防犯ブザーが付きっぱなしで他のお店でなった時も、ファンクがそのお店の店員さんに言って外してもらった。

 

彼と一緒にいるとパリの人達はみんな親切だなあと思った。

 

パリって人が冷たいって聞いたけど皆親切だねと言ったら、そうなんだよ!と目を丸くして言った。

 

以前来た時も皆親切だったよと言ってた。

 

ファンクは少しだけ日本語を話すことができて中国人の団体旅行客を見ると、彼らをからかうように私に「中国人です。」と言った。

 

オープンテラスのカフェの席で大声でしゃべる中国人を見て、「中国人です。ヤクザです。」と言っていた。

 

明日帰国するからエッフェル塔の置物を買おうと選んでいたのだけど、これでいいよって一番小さくて安いエッフェル塔を私の手に持たせた。

 

私はもっと大きめのエッフェル塔を買いたかったのだけど、私が財布を盗まれたから気を使ってくれてるのか、大きなのを買っても邪魔になるだけって事なのかわからないけど実際小さいエッフェル塔を購入して良かった。

 

約10年経った今でもお部屋に飾っている。

 

陽が沈み始めて空がオレンジ色だった。

 

ちいさなエッフェル搭を買ったあとファンクの友達が働いているお店へと2人で歩いて行った。

 

 

つづくおすましペガサス

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ロンドンの最終日。

 

この日にとんでもない事件が私に起こるとは思ってもいませんでした。

 

この日は古着屋巡りをしようと思いカムデンへ行った。

 

 

カムデンマーケットへ行ったのだけど、ゴチャゴチャしてるし人も多いしとても疲れた。

 

欲しいなと思う物も特になかった。

 

疲れていると感も鈍るし集中力も劣るしネガティブ思考になってしまうから、いい物があっても自分自身が気づかなかっただけかもしれない。

 

とにかくお腹が空いたのでフードコートみたいな所で揚げ豆腐丼のようなランチボックスを注文した。

 

屋外だからしょうがないのかもしれないが、イスやテーブルの上にハトのフンうんちが散乱してるし、清潔な感じはしなかった。

 

そして、この揚げ豆腐は本当にまずかった。

 

鳩がバタバタと飛んできて物欲しげな顔をしながら私の周りをウロウロするし、不味い食事がより不味くなってきたのでその場から離れた。

 

 

ロボットレストランのような入り口のお店がありました。中には入らなかったけど。

 

ロンドンは歩いててなんか疲れる。  

 

生理前でもないのに体が重い。

 

旅行し始めて13日目だったから、ホテル生活&移動の疲れが出てきてたのかもしれない。

 

不味い揚げ豆腐弁当のようなランチを食べ歩きしながらカムデンの街を歩いていると

 

1人の日本人の男の子が私に話しかけてきた。

 

彼はファッションブログを書いているらしく写真を撮ってもいいかと聞かれた。

 

私は写真を撮られるのが好きじゃなくて、しかもインターネット上で公開されるのはもっと嫌なのでお断りしました。

 

その男の子は東京の有名私立大学を卒業して、フォトグラファーを夢見てロンドンに住み始めたそうだ。

 

何を食べてるの?と私の不味い揚げ豆腐弁当をチラリと見た。

 

私は不味そうな弁当を見られて恥ずかしかったのか、これなんだか不味くって

 

と言ってゴミ箱にポイと捨てた。

 

私だけだろうか。

 

疲れていて余裕が無かったり、機嫌が悪かったりしている時に、こんなに不味いの食べれないわって謎のプライドの高い女を演じてしまうのは。

 

その男の子はとてもお腹が空いているようだったから、食べる?とか冗談でも言えるくらいの心の余裕もないくらい疲れていた私なのでした。

 

今夜、友達とパーティーをするから来ない?と誘ってくれたのだけど、私は明日の朝パリに戻らなければならなかったので参加する事はできなかった。

 

次の日もロンドンにいたのなら、きっと退屈だから参加したかもな。

 

そしたらロンドンでも楽しい思い出ができたのかもしれない。

 

その後、適当に古着屋さんに入ったのだけど、この直後に残念な出来事が起こった。

 

その古着屋さんで可愛いカーディガンを見つけたので肩にかけている荷物を後ろに回し鏡を見ながら合わせていた。

 

なんか違うかな~なんて思いながら、そのカーディガンをもとの場所に戻したのだけど、そこがすごく狭い通路で、目の前で女の子が服を選んでいて通れないし全然よけてくれないので、Excuse meと言った。

 

ロンドンではそんなこと言わなくても人が通るとわかったらすぐによけてくれるのに、この女の子はバーゲンセールの会場にいるかのように必至で服を選んでいて全く動く気配もなかった。

 

Excuse me と言うと、私のすぐ後ろにいる誰かとアイコンタクトをして、Sorryと言ってひきつった笑顔をしてよけてくれた。

 

なんだろう。

 

女の子四人組だったのだけど、その後すぐに店を出て行った。

 

変だなと思いながら試着室に入った時に気づいた。

 

私のバックのチャックが全開になっている。

 

血の気が引き、まさかと思って財布を探してみると、無い。

 

無いとわかっているのにもう一度探した。

 

生まれて初めて財布を盗まれた。

 

そもそも私は海外へ1人で旅行するときは、肩から掛ける事ができるバッグを常に前にしてチャックを開ける部分をいつも握っておくという徹底した女なのに。

 

お店の中で盗まれるなんて。

 

ロンドンはワーキングホリデーで日本人も沢山いるし、アルゼンチンやベトナムよりは安全だろと甘く考えてしまい

 

海外では持ち歩かない財布をバッグの中に入れていた。

 

普段は財布は持たず現金とクレジットカードだけをブラの下などに隠して持っているのだけど。

 

しかもこの日の朝、こんなに使わないだろうと思ったのに、手持ちのユーロを全部財布に入れていた。

 

現金25,000円くらいなのだけど、貧乏旅行の私にとっては痛かった。

 

免許証やクレジットカード類などすべ財布に入れていた。

 

今まで海外に行ってあんなに気を付けてたのに、油断と疲れと悪運が合わさったのか、ロンドンの最終日に財布を盗まれてしまい

ガッカリだった。

 

店員が私に試着はどうだった?と聞いてきたけど、私はそれどころじゃなかったので彼女に

 

「お店にカメラは設置してありますか?財布を盗まれました。」と言った。

 

その店員はさっきまでの笑顔は無くなり、この人何を言ってるの?関わらないでほしい、と言った感じの顔つきをした。

 

日本の店員さんだったら、大丈夫ですか?とか何かしらの対応をしてくれると思うのだけど、人によるのかもしれませんが。

 

そもそも防犯カメラなんて設置してない感じのお店だったし。

 

私はその女の店員さんの笑顔が冷たい表情に変わった事よりも、彼女の口髭の濃さに驚いた。

 

男性のように生えてるわけではないのだけど、口の上に長めの産毛がふさふさと生えていてとても目立っていた。

 

女性であんな口髭の人は見た事がない。

 

男性だったのだろうか?いや、絶対違うと思う。

 

直ぐにお店を出たのだけどあの女の子達の姿はどこにも無かった。

 

当たり前だろう。スリの常習犯なのだろうから、盗んだらすぐにその場を離れるに決まってる。

 

さっき会った日本人の男の子がいないかとウロウロと歩いたけどどこにも見当たらなかった。

 

盗みに遭うのなんて初めてだったので、どうしたらいいのかわからず、彼と連絡先を交換しておけば良かったなと後悔した。

 

幸いな事に携帯は盗まれていないし地図もあった。地下鉄のパスも財布に入れてたし、一文無しの私はこの場所からホテルまで歩いて帰らなければならなかった。

 

まずは警察署に行こうと思い、ちょうど通りに警官がいたので、最寄りの警察署を聞いたのだけど、早くて何を言っているのかわからず、聞き返すと怒った顔をして、苛立った口調で答えた。

 

心が折れてる時にこの対応はきつかった。

 

日本の警察官もこんな対応するだろうか? 

 

真っすぐ言って右と言っているのはわかったのだけど後半が何言ってるのかまた分からなくて、だけどあんなしかめっ面をされたので再び聞く気にはなれなかった。

 

暫く歩いて女性に聞いてみるとゆっくり丁寧に教えてくれたのですぐ理解できた。

 

彼女は、大丈夫?と言ってくれたのだけど、俯き加減でイエスとしか言えなかった。

 

イエスなわけないのだけれど。

 

警察署に着いて窓口にいる警官に財布を盗まれたことを伝えると

 

「どうして盗まれたと思うの?」と聞かれた。

 

いや、盗まれたものは盗まれたんだよと思い、どういう状況だったかを全て説明した。

 

日本でも盗まれたらこんな感じなのだろうか?

 

ヨーロッパは安全で平和ボケした日本とは違うの盗まれるのが悪いという考えらしいですが。本当?

 

警官が用紙を持って来て、住所、氏名、どんな財布か、ブランドかなどを記入した。

 

クレジットカード会社にも電話をしてカード止めてもらった。

 

ホテルのカードキーも財布の中に入れていたので、この部屋には誰も入れさせないようにしてくださいと連絡した。

 

ここからホテルまでは最短で6.2キロくらいあり徒歩で1時間半くらいの距離なのだけど、迷いながら歩いたのでホテルに到着するまで3時間以上もかかった。

 

喉が渇いたけれど一文無しだったので買う事も出来ず、貧乏旅行のうえ財布を盗まれたのでタクシーに乗る気にはならなかった。

 

私の財布はきっとキャッシュだけ抜き取られて、テムズ川にでも放り投げられたのだろうな。

 

ホテルに帰る途中で撮ったロンドンアイ

数日前に見た時よりも綺麗だったので写真を撮りたくなった。

 

皮肉な事に、私の体も心も疲れているのに、曇り空が多いと言われるロンドンの空は、今日も綺麗だった。

 

ホテルに着く頃にはもう真っ暗だった。

 

ホテルのレセプションで、財布を盗まれ、ルームキーを財布の中に入れていて、この事はすでに電話で伝えてると言うと、その従業員の女の子は

 何やってるんだよってイラついた顔をした。

 

クタクタになって帰ってきた時にこれはまた疲れた。

 

その女の子が上司らしき女性を呼んで戻ってきた。

 

するとその上司らしき女性は笑顔で大丈夫でしたか?と新しくカードキーをくれた。

 

私はカードキーを紛失したから弁償しなければならないと思っていたのだけど、その必要はないよと言ってくれた。

 

とても親切だった。

 

最初に対応してくれた愛想のない女の子は上司が笑顔で親切に対応しているからなのか、さっきとは全く違って笑顔だった。

 

イギリス人って結構陰湿なんだなあと思った。

 

ホテルの部屋に戻り、カギをかけたスーツケースの中に入れていた日本円を持って両替屋へ行った。

 

窓口の陽気な黒人男性がコンニチハと笑顔で言った。 

私は疲れ切っていたので笑顔を作るのが大変だった。

 

両替したお金で水と食料を買った。

 

ホテルに戻り、日本の保険会社に電話した。

 

旅行の短期保険に加入していたので調べてみると盗難も保険の対象だった。

 

現在はわからないですが当時の損保ジャパンはすごく良い対応をしてくれた。

 

どこで、どのように盗まれたかを説明し、どこの警察署に行ったのかを聞かれました。

 

担当の方は同情してくれてる感じで、私は安心した。

 

帰国した際に書類が送られてきて、盗まれた時の詳しい状況や財布のブランド、財布の中身などを記入した。

 

すると後日、お財布代の半額分くらいが口座に振り込まれました。

 

これはもし、私が警察署で盗まれた事を書類に書かなかったら、証拠不十分で保険金は貰えなかったのだろうか?

 

そして、これは心の無いズルい人間であれば詐欺をしようと考えるのでは?と思った。

 

盗まれてなくても盗まれたと海外の警察署に行って、保険会社に盗難に遭ったと伝え、高額なブランド物の財布の嘘の値段を書類に記入し申請してお金をだまし取るって事もできるなあと思った。

 

だけど汚い手を使って金を手に入れてた人は、その倍以上に大切な物を失うと私は思います。

 

その日の夜は全然寝付けなかった。

 

体はとっても疲れているのに、許せないとか、不安だとか、ネガティブな思考がグルグルと頭の中を周り続けた。

 

翌日は朝からパリへ戻る予定だったのだけどスリに遭ったせいで、一人でいるのが急に怖くなった。

 

 

つづくおすましペガサス