古着屋で出会った中国人、ファンクの友達は小さな服屋で働いていて私たちが到着した時、お店の前でタバコを吸っていた。
お店を閉めるからちょっと待っててねと彼女は言った。
彼女の名前は英語名でリリアン。
リリアンはファンクと同じ中国の広州出身だ。
2人はインターネットで知り合ったそう。 確かFacebookで共通の友達がいたと言っていた気がする。
ファンクは、ネットの出会いなんてろくな事なさそうで避けていたけど、そんなこと無いなって思ったと言ってた。
確かに私も日本では普及していなかったけど世界で大人気だったMyspaceで知り合った海外の友達数人と実際に会ったことあるけれど皆良い人ばかりだ。
Myspaceは音楽が軸となったSNSで、ページのカスタマイズも可能だったし、その人のページを見ると、どういう人なのか分かりやすくて、いい人か悪い人の分別が付きやすかったと思います。
食事をする場所は既に決まっているらしく私は彼らについて行った。
ファンクが彼女は昨日財布を盗まれたんだよとリリアンに言ってくれたのもあって、レストランに着いたとき
表にあるメニューを見せてこれでも大丈夫かと聞いてくれた。
そのレストランはこじんまりとしたアットホームな雰囲気で、私達は三人で丸いテーブルを囲み、それぞれが注文した料理(コース)を食べた。
最初の料理がテーブルに来た時、ファンクがオランダでは食事する前に今日がどんな日だったかを一言話すんだと言って、今日あった出来事などを話し始めた。
なのでその友達も私も話した。
彼らは中国人なのだけど私の前で決して中国語で会話をしなかった。
私に対しての気遣いなのだと思う。
もし彼らが中国語で会話をしていたら、何を言っているのかと不安になっただろうし、疎外感も感じただろう。
だから私も外国人の友達の前では、英語が話せる日本人の友達とは、私達が何を話しているかわかるように英語で話すようにしている。
食事中にギターを持った男性が各テーブルを回り歌を歌っていた。
どうやら客の顔を見て何人かを当ててその国の歌を歌うというパフォーマンスをしていて、私達のテーブルに来た時はファンクの顔を見て中国の曲を歌い始めた。
私の事が日本人だというのも大当たりで松任谷由美のリフレインが叫んでる(確かこの曲だった)を歌い始めた。
ファンクが「チップは払わなくてもいいからね。」と私に言った。 私が昨日財布を盗まれた事を気遣ってくれたのだろうか?
リリアンが私はタイ人なのよと嘘を言ったけどその男性は中国語の曲を歌った。
その中国人の子は、え?って顔をしていた。 私は笑いたくても笑えなかった、なんだかそんな雰囲気だった。
コースのデザートは三種類の中から選べる仕組みになっていたのだけど、私達が注文したコースにはクリームブリュレが選択肢になくて、
リリアンがフランス語で、「クリームブリュレが食べたいのだけどダメですか?」と聞いていた。
そしたらそのウエイトレスがファンクがイケメンだからいいわよとOKしてくれた。
私だったら図々しいと思われるかもしれないと遠慮してそんな注文できないだろう。
しかもそのウエイトレスが追加料金なしにOKしてくれた理由も(多分ジョークかもしれないけれど)面白い。
海外へ行った時、日本って応用がきかない事が多いなとつくづく思う。
全て形式の中でルールの中でキッチリやってしまおうとする風習がある気がする。
もっと気楽にカジュアルに我慢ばかりしない生活を心がけると、もっと人生が豊かになるのではと思ってしまう。
この日ファンクに会う前に50代くらいのフランス人の男の人が一緒に写真を撮らない?と言ってきた。
今だったら絶対断るだろうけど、その時は断ることができず私のカメラで一緒に写真を撮った。
するとその人が予め紙に書いて用意していた連絡先のメールにこの写真を送ってくれと言って私に渡した。
私は連絡するつもりもないそのメールアドレスの書いてある紙をもらい、その場を離れた。
私はその出来事を話すと、ファンクがその写真見せてよと言うので見せた。
すると何だこのオジサン!と言ってげらげら3人で笑った。
リリアンはちゃんとカッコいい人を選んで友達にならないと、と私に言った。
言いたい事はわかる。だけど断れなかったんだよ。別に友達になったわけではないし。
日本人も含めアジア人の女性は欧米では絶対にモテない不細工な白人とデートしてるのをよく見かけますしね。
そして、パリの女性はいつも強いんだという態度をしている、と私に言った。
それもわかる。
アジア人は雰囲気的に大人しそうで断れない感じがある。
特に日本人はすぐにヘラヘラと笑って、お人好しな感じがする。
当時の私もそんな感じだった。
それに引き換えパリにいる女性はなんだか男性が軽々しく簡単に話しかけられるような雰囲気はない。
ファンクがそのメールを書いた紙を見せてよと言ったので見せると、またげらげらと笑った。
私もおかしくて、なんであのキモイオヤジの連絡先をまだ持っているのかと思った。
ファンクが、もうこれはいらないから破ろうと言って破った。
帰り際に、リリアンがその破かれた連絡先の書いてあるメモ紙をつなげて、ファンクの座っていたテーブルの上に置いた。
あのウェイトレスがファンクの連絡先だと思って喜ぶかもしれないとみんなでゲラゲラ笑った。
10年経った今考えると、若かったなあって思うけど。このいたずら心は年を重ねても忘れたくないです。
寒い空の下、リリアンが広場にある噴水を指さして、ファンク、プールがあるよ泳ぎなよと言って、またみんなで笑った。
私達は初めて会ったのだけど、まるで昔からの友達のようだった。
ずっと苦手だった中国人なのだけど、今まで海外を旅行しててこんなに助けられたことは無い。
パリでの一番の思い出は彼らと一緒に過ごした時間だ。
前日に財布を盗まれて曇り空のような心をファンクが私に話しかけてくれたおかげで一転し、ヨーロッパの最終日は楽しい思い出となった。
人生何が起こるか予測がつかないものですね。
真っ暗な嵐の後の空があんなにきれいなのは、苦しい事の後には美しい世界が待っているという事を教えてくれているのでしょうか。
時刻は21:00近くになっていた。
私は1人で海外へ行った時は夜8時以降は出歩かないときめていたのに、こんな時間に電車に乗ってホテルまで戻らなければならなかった。
ファンクは心配をしてくれて、ホテルまで送ろうかと言ってくれたのだけど、私は1人で大丈夫だと言った。
リリアンは早くファンクと2人きりになりたいのか、彼の腕を、早く行くよという感じで引っ張ていた。
あの二人は付き合ってるわけでは無いみたいなのだけど、多分だけどリリアンがファンクに思いを寄せている感じがした。
乗った電車の車両には2人の乗客がいた。
気を付けなければと用心していたのだけど、一人の女性は居眠りをしているし思ったよりも平和だった。
とはいえ夜の乗車は油断すべきではないと思いますが。
リリアンが明日デモがあるから、帰りの飛行機の事を調べておいた方がいいよと教えてくれた。
ボイコットで空港バスや飛行機が動かなかったら困ると思い、2人と別れたあと途端に不安になった。
つづく