君が代斉唱時、起立しなかったことで処分された教員たちがいる。
その模様を描いたドキュメンタリー、「君が代不起立」を観た。
問題自体については、以前シンポジウムで聞いていたので、
新たな発見というのは、そこまで多かったわけではない。
ただ、「なぜ立たないのか」「なぜ戦うのか」、改めて考えさせられた。
君が代斉唱時、起立することを強制し、
従わなければ処分するというやり方は、
かえって反感を招いているため、都教委のやり方は賢くないと感じる。
国旗、国歌自体に反対する人もいるが、
私個人としては、国旗、国歌はあった方が良いし、
それで結びつく関係は、戦意高揚のためでなければ悪くないと思う。
現状の国旗、国歌とされる、日の丸、君が代については、
確かにその成り立ちを考えれば、疑問は持たざるを得ない。
とはいえ、それぞれが国旗・国歌として、
ある程度の支持を既に受けていることも事実である。
私も、疑問はあるが、立って、歌おうと思う。
しかし、作られるものである以上、
これらについて「文化だ」という観点のみから、
変更へ反対する立場は受け入れられない。
これが、私の国旗・国家への考え方である。
では、教員はどう行動するべきか。
教員も公務員であるとはいえ、思想信条の自由は認められるべきだ。
そういった意味で、強制と言うのはやり方として稚拙だと考える。
ただ、一方で、教員のイデオロギーをむき出した行動には疑問を持つ。
君が代がなんであるか、子どもに説明することは構わないだろう。
しかし、一面的なところだけ教えることが適切とは思えない。
権力側からの声は嫌でも届いているから、
その逆の考えを主張することは問題ないと考えるのかもしれない。
だが、それでも、考えるべき材料は出来る限り提供すべきだ。
そういった点で、本作品中の、
君が代強制問題の週刊誌コピーを保護者に配布した教員の行動は、
私は断じて、支持することは出来ない。
(もっとも、それで処分していいかは検討中)
良い教員として、子どもに考えさせ、自主的にやらせ、
伸ばすというやり方も当然あるだろうし、理想的に感じる。
ただ、一方で、強制的に教え込ませるというやり方も、
時に必要であり、そうしたことを全否定することはどうかと思う。
この観点が、今回の問題と直接結びついていると断言することは出来ないが、
君が代不起立問題について、
「国旗・国歌のあり方」「日の丸・君が代のあり方」「学校現場でのあり方」
「理想実現のための手法」「教員はどうあるべきか」という様々な論点が、
ごちゃまぜに議論されているために、
本来考えられるべき論点まで、「サヨクの戯言」と見られているのが残念だ。
今回は、教員に否定的な書き方もしたが、
私の考えとしては必ずしもそれだけではない。
前回の記事と一緒に御覧いただければと思う。
http://ameblo.jp/dreamer120but/entry-10074758326.html