2月14日、朝日新聞の読者投稿欄「声」に載ったものだ。

未成年者を対象とした有害サイト閲覧制限を

携帯電話各社が強化している。

そこでライフスタイル(同性愛)が規制対象となっているという。


当然、同性愛の中でも、内容によっては、

有害サイト閲覧制限にあたるべきものもあるだろう。

全て制限すべきではないというのは言いすぎだ。


ただし、孤立しがちな少数派の人々の集まりまで、

破壊するようなことがあってよいのだろうか。

純粋に悩みを語り合ったり、そういった場所については、

有害であるとは認められず、制限の対象であるべきではない。


同性愛が有害だなどという考えも一部にあるようだが、

そういった考えには決して与しない。

現実を全く知らないままの排他的論議は危険すぎる。

今回の問題はもっとしっかりと議論されるべきテーマだ。

君が代斉唱時、起立しなかったことで処分された教員たちがいる。

その模様を描いたドキュメンタリー、「君が代不起立」を観た。


問題自体については、以前シンポジウムで聞いていたので、

新たな発見というのは、そこまで多かったわけではない。

ただ、「なぜ立たないのか」「なぜ戦うのか」、改めて考えさせられた。


君が代斉唱時、起立することを強制し、

従わなければ処分するというやり方は、

かえって反感を招いているため、都教委のやり方は賢くないと感じる。


国旗、国歌自体に反対する人もいるが、

私個人としては、国旗、国歌はあった方が良いし、

それで結びつく関係は、戦意高揚のためでなければ悪くないと思う。


現状の国旗、国歌とされる、日の丸、君が代については、

確かにその成り立ちを考えれば、疑問は持たざるを得ない。

とはいえ、それぞれが国旗・国歌として、

ある程度の支持を既に受けていることも事実である。

私も、疑問はあるが、立って、歌おうと思う。


しかし、作られるものである以上、

これらについて「文化だ」という観点のみから、

変更へ反対する立場は受け入れられない。


これが、私の国旗・国家への考え方である。

では、教員はどう行動するべきか。


教員も公務員であるとはいえ、思想信条の自由は認められるべきだ。

そういった意味で、強制と言うのはやり方として稚拙だと考える。


ただ、一方で、教員のイデオロギーをむき出した行動には疑問を持つ。

君が代がなんであるか、子どもに説明することは構わないだろう。

しかし、一面的なところだけ教えることが適切とは思えない。


権力側からの声は嫌でも届いているから、

その逆の考えを主張することは問題ないと考えるのかもしれない。

だが、それでも、考えるべき材料は出来る限り提供すべきだ。

そういった点で、本作品中の、

君が代強制問題の週刊誌コピーを保護者に配布した教員の行動は、

私は断じて、支持することは出来ない。

(もっとも、それで処分していいかは検討中)


良い教員として、子どもに考えさせ、自主的にやらせ、

伸ばすというやり方も当然あるだろうし、理想的に感じる。

ただ、一方で、強制的に教え込ませるというやり方も、

時に必要であり、そうしたことを全否定することはどうかと思う。


この観点が、今回の問題と直接結びついていると断言することは出来ないが、

君が代不起立問題について、

「国旗・国歌のあり方」「日の丸・君が代のあり方」「学校現場でのあり方」

「理想実現のための手法」「教員はどうあるべきか」という様々な論点が、

ごちゃまぜに議論されているために、

本来考えられるべき論点まで、「サヨクの戯言」と見られているのが残念だ。


今回は、教員に否定的な書き方もしたが、

私の考えとしては必ずしもそれだけではない。

前回の記事と一緒に御覧いただければと思う。

http://ameblo.jp/dreamer120but/entry-10074758326.html

「根津公子さんの抵抗が問いかける文部行政の時代錯誤」

というテーマで行われた。

「君が代不起立」や「トレーナー処分」を巡る話。

以下は、だいたいメモ。根津さんの部分のみ。


35年中学家庭科を教えてきたが、本年度から養護学校へ。

君が代斉唱時に、立たなかったことで、

停職6ヶ月の処分が出され、その後復帰した後。


2003年以降、ほとんど1年で転校させられた。

担任を持たず、授業もサブでの手伝いなどのこともあった。


あるトレーナーを巡って、再び処分となった。

前面に戦争放棄、後面にObjection Kimigayo, Hinomaruと書かれたトレーナーだ。

8年ほど前から着ていたものである。

自分を発信したいという理由からだ。


それが、新天地で、脱げとの指示を受ける。

「学習指導要領に反対を唱えることは許されない」という理由。

職務命令違反、職務専念義務違反、で都教委から事情聴取を受ける。


停職6ヶ月を既に受けているので、

更なる処分となれば、免職に向かうという流れ。

自分の方から「クビにするな」というメッセージを先に出した。


積極的に子どもに訴えていきたい。

権力者の意向ばかり耳に入る中、

そうでない意見があるということを知って欲しい。


2004年には、起立しないことを子どもに1時間話したところ、

それに対し、PTAからも感謝の声が挙がったが、

現在の状況からはそのようなことはとても考えられない。


君が代不起立で処分することに賛成である教員はほとんどいない。

しかし、声を挙げる人は非常に少ない。

学力テスト不正問題でも、指摘は保護者などからで、教員からは無かった。


現学習指導要領では、~について深入りしない、などの記述がある。

それで、楽しい授業が本当に出来るだろうか。


質疑応答。

闘争資金の問題で、教員が戦えないのではないかとの質問があった。

それに対し、否定的な見解を述べた。

一因かもしれないが、他の理由がある。

業務評価の問題であったり、少数派に入ることの怖さの問題であったり。


体育教師の話。

その人は10.23通達の前から立っていた。

その後、根津さん以外の教員が、起立するのを見て、

「俺たちは強制されて立っていたわけではない」と話した。

それに対する共感が根津さんにはあった。


メモ、終わり。

自分は君が代不起立に対し、

強制することやその上で処分することに疑問を持っていた。

しかし、教員がそうしたイデオロギー的な行動を取ることにも否定的だった。


今、肯定的になったわけではないが、前よりは意味が分かった。

話を聞くまで、根津さんは君が代に反対だから立たないと思っていた。

もちろん、そういう面もあるのだろう。

しかし、子供たちに、従うだけではない、自分の意志というものを

教えたいという気持ちも強いのだということが分かった。

そのことが自分としては大きな収穫だった。

増田 明利
今日、ホームレスになった―13のサラリーマン転落人生

ホームレスの問題は、以前から興味は持っていたのだが、

こうして一冊本を読んだのは初めてだった。


ホームレスという存在に誤解があるという話はたびたび聞いてきた。

「ホームレス」という言葉で一括りにするのも間違いなのだろう。

しかし、それでも何らかの対策があるべきで、

現在あるホームレス自立支援法が欠陥法との声もある以上、

何をすべきか考えたいと思っていた。


そこまでの答えが出るにはいたらなかったが、

高齢であること、家庭が崩壊してしまったこと、病気・事故にあったこと、

などの要因があると、リストラを境に、簡単にホームレスになってしまうことが分かった。

借金を境に、転落していってしまう。


行政措置はあるが、現実的に難しいものであったり、

そもそも制度自体の周知が十分になされていないということがある。

ただ単に、建物の中に押し込めば問題が解決するというわけではなく、

では解決とは何なのか考えさせられる。

佐藤正久、と言われてピンと来ない人でも、

ひげの隊長、と言われれば、あーあの人か、と分かる人が多いのではないか。

佐藤正久現自民党参議院議員、元イラク先遣隊長のことである。

彼に対する危機感を表明するシンポジウムが、2月17日(日)に行われた。


昨年8月TBSの番組内で、

「(自衛隊を擁護していたオランダ軍が攻撃を受ければ)

情報収集の名目で現場に駆けつけ、あえて巻き込まれる」との発言を行った。

文民統制を無視した発言だとして問題となった。


ところが、マスメディアでは東京新聞などが取り上げたものの、

多くはその発言をあまり問題視して伝えなかった。

弁護士らは公開質問状を送ったが、

それに対する正式な回答は半年以上経った今でもまだ来ていない。

情報公開はほぼなされていないに等しい。


自衛官から国会議員となった例はこれまでもあるが、

通常、自衛官退官後ライムラグがあり、落選している場合も多い。

今回は、選挙違反も疑われるような、組織による選挙応援がなされた。

佐藤正久を支える会には、日本の軍事化、国家主義を進める人たちの影がある。


幹部自衛官には文民統制、現行民主主義への苛立ちがある。

特に、年代が若い人たちにその傾向が強い。

現場だから分からないところもあるが、けじめが必要。


・・・本当は、他にもたくさん論点や大事なところがあったのだが、

これは確かに重要な問題だと感じたので、

シンポジウムのメモ程度の内容だが、とりあえず、アップしておこうと思う。