日垣 隆
そして殺人者は野に放たれる (新潮文庫)

私が初めて読んだノンフィクションは、

吉岡忍の「M/世界の憂鬱な先端」であった。

精神鑑定というものの怪しさにはその時以来興味を持ち、

同時に、「理解できない犯罪者」をどう扱うかにも関心を抱いた。


そうして、宮崎勤自身が書いた、「夢のなか」「夢のなか今も」の他、

「宮崎勤精神鑑定書」「”宮崎勤”を探して」など、

彼について書かれてきた本を読んできた。


精神障害についてどう考えていけば良いのか。

そのヒントはやはり刑法39条の扱いにあると考え、

「自閉症裁判」「累犯障害者」「刑法三九条は削除せよ!是か非か」などを読み、

それなりの勉強を積んできたつもりであった。


本書、「そして殺人者は野に放たれる」は、

インターネット上でも高い評価を得ており、

この問題についての仕上げのつもりで、読み始めた。


いくつかの収穫は確かにあった。

心神喪失規定の一つである「準強姦」についてはこれまで知らなかった。

飲酒、覚せい剤服用による心身喪失規定の危うさも改めて学んだ。

だが、全体としてみれば、不満を感じた箇所も少なくない。


被害者への思い入れはある意味、当然である。

それが、こうした本を書く動機にもなる。

しかし、だからと言って、「被害者が望んでいるのだから重罰を」

というようなトーンの書き方には、違和感がある。

仮に、人を殺めるという点で結果が同じだったとしても、

私は、その状況によって、配慮すべきことがあると思っている。


尊属殺人重罰規定の撤廃を「暴走」としている点も、

全く根拠が示されており、承服しがたい。

全体的に、「私が、私が」という感じで、著者の存在が、

あまりに前面に出てくるところも、嫌悪感を持ってしまった。


そして何よりも、第9章の最後で、

「ニヤっと笑ったのである」との記述があるが、

これは著者が直接見たいものではない。

それをこうした書いてしまう神経は理解できないし、

印象操作と言わざるを得ない。


色々批判をしてみたものの、

先に書いたとおり、この本は現在非常に高い評価を得ている。

その背景には、厳罰化への世論の後押しが当然あるのだろう。


個人的には、飲酒・覚せい剤服用による減刑というのは、

原則的にはなされるべきことではないと考えている。

また、刑法39条があることで、事実を捻じ曲げたような弁護活動が

なされることには、言うまでもなく抵抗感がある。

ただ、同時に、しっかりとケアができるような場所を作ったうえで、

精神障害者でない人と、違う対処を行うことは大いに認められると考える。


行政もこの問題について動き出しているようだ。

メディアの姿勢も問われている。

事実が何なのか見極めるのは非常に難しいことだが、

伝えるべきことが何なのかは考え続けなければならない問題だ。

産経新聞大阪社会部
「死」の教科書―なぜ人を殺してはいけないか (扶桑社新書 20) (扶桑社新書 20)

こんな記事を書ける新聞記者になりたい。

本書、「死」の教科書は、期待以上にすばらしく、希望と勇気を与えてくれた。


もともと産経新聞記者である福富正大さんのブログhttp://fukutomim.iza.ne.jp/

読んでいたため、福富さんが執筆者の一人である本書に興味を持った。

恐らく福富さんが書かれたのは第5章だと思われるが、

それ以外の章も、非常に面白く、また勉強になった。


本書は取材対象との信頼関係がなければ、

確実に成り立たなかった本であるといえるだろう。

新聞社の取材について、人権、メディアスクラムという観点から批判がある。

しかし、その取材の意義もまた大きいのだと証明してくれた。


新聞記事とはNo conflict, no newsだと言われるが、

実際、それでいいというわけではない。

本書からは、「問題が起きた時だけ騒ぎ立てるのは違う。

その背景にある深いものにも考えを巡らせることが必要」

というようなメッセージを感じた。


これまで「死」について考える機会はあまりなかった。

しかし、今回、この本を読み、考えるべきことの多さを知った。

「命の大切さを教える教育」と事件が起きるとよく言われるが、

その具体策は多くの場合、語られてこなかった。

本書の中には、その具体策の可能性を感じさせるものがある。


他の方がレビューで書かれているような、

1章、最終章への批判は私も共有する。

しかし、1章は単純に、凶悪犯罪増加自体にポイントがあるというよりは、

命に対する教育というところに力点があると思うし、

最終章「戦争と平和」は産経らしいところもありながら、

単純な特攻美化とは異なり、読む価値はあると思う。


誰にでも自信を持って勧めたい一冊。

中国食品が危険だと思われるようになったのは、。何も餃子事件以降ではない

昨年は、ポジティブリストをめぐって、中国食品は危険だというイメージが広がった。

多くの新聞で1面トップ扱い。しかし、真相は以下の通りだった。


土曜解説:中国産輸入食品の危険性=生活報道センター・小島正美

 ◇「違反率」では米国より低い

 中国産輸入食品の基準違反が目立ち、中国産だけが問題のように言われているが、そうだろうか。輸入食品の違反事例を冷静に見ると、意外な側面が浮かび上がる。

 06年の「輸入食品違反発生状況」(厚生労働省発表)によると、違反件数のトップは中国(530件)。これに米国(239件)▽ベトナム(147件)▽タイ(120件)▽エクアドル(69件)▽ガーナ(62件)▽台湾(50件)と続いた。

 ところが、どれだけの食品数を調べて違反になったかという違反率でみると、順位は大きく変動する。トップはガーナ(違反率8・79%)で、以下パラグアイ(3・98%)▽エクアドル(3・91%)▽ベネズエラ(1・05%)▽ベトナム(0・35%)▽インド(0・29%)などで、中国は上位10カ国にも出てこない。

 中国産の違反率は意外にも0・09%と低く、05年(0・07%)と比べても大きな変動はない。米国産(0・12%)の方が違反率は高い。

 中国産の違反が目立つのは違反内容のひどさもあるが、輸入件数が圧倒的に多く、検査対象となる件数が多いのが大きな要因だ。06年に、中国産は約9万1200件の食品が検査された。ガーナ、エクアドル、パラグアイは60~340件程度しか調べていないが、違反がカカオ豆に集中し、違反率が高くなった。

 今年に入ってからの違反率はまだ集計されていないが、「傾向は昨年と同様だろう」(同省監視安全課)という。

 違反が多いとすぐに危ないというイメージが持たれるが、誤解だ。7月に、横浜市の学校給食に出た中国産キクラゲが問題になった。残留基準の0・01ppmをわずかに超える0・02ppmのフェンプロパトリン(ピレスロイド系殺虫剤)が検出され、中国産の使用は中止になった。

 フェンプロパトリンは日本国内でも多くの野菜に使われ、例えばトマトやナスの残留基準値はキクラゲの200倍も緩い2ppmとなっている。国内産のナスなら、中国産キクラゲで検出された90倍の農薬がたとえ検出されても、そのまま流通し食卓に届く。

 こうした例が起きるのは、国内では農薬の使用実態に合わせて残留基準値が緩く設定される傾向があるためだ。国は基準値に違反した食品しか公表しないが、違反だけに注目するのではなく、どの作物で農薬の残留量がどれだけ高いかを知ることが重要だ。

毎日新聞 2007年8月25日 東京朝刊


今回の餃子のケースでは中国側の問題である可能性が高いようだが、

少しメディアも消費者も冷静になる必要があるだろう。

イメージだけでは語っては仕方がない。

j-freedomカフェの最終回は原寿雄さんのお話。

ほとんどメモの写しで流れを無視するが、ご理解いただきたい。


ぎょうざ事件について。

以前なら、何か問題を一般人が感じれば、マスコミに知らせていた。

民衆の駆け込み寺的役割をマスコミが失っているのではないか。


ジャーナリズムの自由を巡る現状について。

法規制上は日本メディアの自由はトップレベル。

しかし、それを行使していない。


法規制の動きもある。

例えば、裁判員法。裁判員への取材禁止。

新制度の功罪検証も出来ない。

その他にも個人情報保護法は既に取材に支障をきたしている。

人権擁護法案、青少年有害社会環境対策基本法案など、

今後の危険もある。


世論も変わってきた。

人権侵害など取材、報道への批判の高まりが原因。


求められるマスコミの変革について。


ニュース価値の転換。

政治報道が政局に力点を置きすぎている。

犯罪報道が多すぎるし、詳しすぎる。もっと、大事なニュースがないか。

Breaking the NewsのなかでNo Conflict, no newsという言葉が出てきた。

対立図式が出来る前でも、ニュースになることがあるはずだ。


国籍からの脱却。

BBCは戦争ガイドラインで、わが国という言葉を使わず、

イギリス軍という言葉を使うように定めている。

第三者の立場で報じることが必要。

国籍に捉われるジャーナリストは最後は国の戦争に従うしかない。


記者クラブの改革。

発表ジャーナリズムが多すぎる。

しかし、記者クラブがなくなると、ジャーナリズムは弱体化する可能性が高い。

残した上で、取った情報を主体的に。

アジェンダセッティングをメディアがすることが重要。

現在は時間に迫られ発表ジャーナリズムになりがちだが、

一日遅れでも良いと判断する社が現れると事態は変わる。


自主規制からの脱却。

現実主義ジャーナリズムとなってはだめ。

公共性マインドに構造転換し、受身にならないようにする。


ジャーナリストについて。

自由は自分が獲得、拡大するもの。与えられるものじゃない。

小さな部屋だと思っても、思い切り手足を伸ばし、ぶつかってみる。

今はぶつかってもないのに、自由がないと言っている記者が多い。

◆事務局からの報告

 事務局から以下の件について報告し、委員会はその扱いを協議した。

①「奈良・放火殺人事件をめぐる調書漏洩事件」報道・・・読売テレビ報告書。

②『報道ステーション』マクドナルド元従業員制服証言報道・・・テレビ朝日報告書

③香川・坂出市事件の犯人視報道(祖母と二人の孫が殺された事件)

④光市事件裁判報道

http://www.bpo.gr.jp/kensyo/giji/giji-8.html


しかし、光市事件裁判報道が問題だというトーンで取り上げたテレビ番組を

これまで見た事がない。

②などはよく報道されているが・・・


このままでいいわけがない。