j-freedomカフェの最終回は原寿雄さんのお話。

ほとんどメモの写しで流れを無視するが、ご理解いただきたい。


ぎょうざ事件について。

以前なら、何か問題を一般人が感じれば、マスコミに知らせていた。

民衆の駆け込み寺的役割をマスコミが失っているのではないか。


ジャーナリズムの自由を巡る現状について。

法規制上は日本メディアの自由はトップレベル。

しかし、それを行使していない。


法規制の動きもある。

例えば、裁判員法。裁判員への取材禁止。

新制度の功罪検証も出来ない。

その他にも個人情報保護法は既に取材に支障をきたしている。

人権擁護法案、青少年有害社会環境対策基本法案など、

今後の危険もある。


世論も変わってきた。

人権侵害など取材、報道への批判の高まりが原因。


求められるマスコミの変革について。


ニュース価値の転換。

政治報道が政局に力点を置きすぎている。

犯罪報道が多すぎるし、詳しすぎる。もっと、大事なニュースがないか。

Breaking the NewsのなかでNo Conflict, no newsという言葉が出てきた。

対立図式が出来る前でも、ニュースになることがあるはずだ。


国籍からの脱却。

BBCは戦争ガイドラインで、わが国という言葉を使わず、

イギリス軍という言葉を使うように定めている。

第三者の立場で報じることが必要。

国籍に捉われるジャーナリストは最後は国の戦争に従うしかない。


記者クラブの改革。

発表ジャーナリズムが多すぎる。

しかし、記者クラブがなくなると、ジャーナリズムは弱体化する可能性が高い。

残した上で、取った情報を主体的に。

アジェンダセッティングをメディアがすることが重要。

現在は時間に迫られ発表ジャーナリズムになりがちだが、

一日遅れでも良いと判断する社が現れると事態は変わる。


自主規制からの脱却。

現実主義ジャーナリズムとなってはだめ。

公共性マインドに構造転換し、受身にならないようにする。


ジャーナリストについて。

自由は自分が獲得、拡大するもの。与えられるものじゃない。

小さな部屋だと思っても、思い切り手足を伸ばし、ぶつかってみる。

今はぶつかってもないのに、自由がないと言っている記者が多い。