俺は「弓弦」だった。 | 夢追い人

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夢を追う未熟者のブログ。どんな風に熟していけばいいのやら・・・。手探り人生の日記をつづります。2011年、僕の人生が大きく変化しました!詳しくはこちらの記事で→http://ameblo.jp/dream124/entry-10964323478.html

こんばんは!

舞台『海賊と山賊』が終わりまして、恒例の役を振り返る俺は「○○」だった。シリーズの第13弾です!

 

以前の記事は下記をご覧ください。
★これまでの記事は下記から↓
俺は「奥沢」だった。

http://column.pieronofude.com/?eid=151 
俺は「火炎」だった。
http://column.pieronofude.com/?eid=167 
俺は「警護人」だった。
http://column.pieronofude.com/?eid=183 
俺は「士官」だった。
http://column.pieronofude.com/?eid=193 
俺は「国松」だった。
http://ameblo.jp/dream124/entry-11843471542.html 
俺は「丸尾」だった。
http://ameblo.jp/dream124/entry-11914719844.html 
俺は「村重」と「利光」だった。
http://ameblo.jp/dream124/entry-11952269459.html 
俺は「権六」と「後白河法皇」だった。
http://ameblo.jp/dream124/entry-11995830977.html 
俺は「本多忠勝」だった。
http://ameblo.jp/dream124/entry-12025577257.html 
俺は「井上」だった。(前編)
http://ameblo.jp/dream124/entry-12067689164.html 
俺は「井上」だった。(後編)
http://ameblo.jp/dream124/entry-12067689425.html 
俺は「杉村」だった。
http://ameblo.jp/dream124/entry-12164663323.html

俺は「良造」だった。

http://ameblo.jp/dream124/entry-12175269982.html

 

 

俺は「弓弦」だった。

 

2017年1月13日から15日まで東プロダクション初プロデュース公演『海賊と山賊』に出演させていただきました。
今回僕が演じたのは弓弦<ゆづる>という若い青年山賊。
鷹月という山賊を長に持つ山賊団の一員でした。

平和を愛する心優しい鷹月の意志を継ぎ、作品の中でも、常に人々の争いに苦悩している人物でした。

今回、役に対しての理解を深めるにあたって、まず、作品の世界がどういうものなのかを理解することから始めました。
弓弦は、台本の中でも全体的に台詞がそんなに多い役ではなかったので、そうして世界への理解を深めることは、物語の中で弓弦自身が背負うべき役割が何かを理解することにもつながりました。
また、物語の最後には、弓弦という人間がどんな成長をしているのか、それを知ることも大事なことでした。

作品への理解を深める方法として、台本の1ページ1ページにどんな役割があるのかをしっかりと明確にしていくという方法をとりました。


この方法が想像以上に作品に対する理解を深めるのに役立ち、結果、登場人物の個性や役割をはっきりとさせることができました。
もちろん弓弦自身が、この世界でどんな人間であるかもどんどん明確になっていきました。
(この方法は他の作品にも有効な気がするので、今後もやっていきたいと感じています。


<弓弦と世界>
さて、弓弦はどんな人間で、作品においてどんな役割だったのか。
まず、弓弦は、物語の中で山賊でありながら、中立の人間でいなくてはならなかったと思っています。
それは山賊という小さなコミュニティの中に限らず(鷹月チームにも鷹月派・大和派というのがあった)、山賊と海賊という対立したコミュニティの中においても、そして果ては政府や世界の象徴ともいえるお嬢様たちとの関係においても。
一見、どっちつかずな人間が完成してしまいそうですが、そこには、ぶれない弓弦の想いがありました。
その存在こそが「鷹月」という存在でした。
弓弦の両親は、弓弦が幼い頃に、生活の苦しみに耐えきれず弓弦を置いてこの世を去ります。
弓弦には親から受けていた確かな愛情の記憶だけが残り、憎しみという偏った感情を抱く前に、鷹月という男に拾われます。
そこからの人生、弓弦は鷹月にすべてを捧げ生きていくことになります。


平和を愛する鷹月の思想は、弓弦の願いそのものになりました。

舞台のラストで、海賊と山賊が大乱闘をする大立ち回りがありましたが、そこでも、弓弦という人間がいかに平和を望んでいたかが描かれています。
というより、演出家である安ヶ平聡子さんが、傷ついたババ(森の守り神)を弓弦が救うシーンを入れたいと言ってくださいました。
もともとないシーンだったので、ほとんど決まった立ち回りシーンにこれを組み込むのはなかなか難しかったし、弓弦でない人がそれをするチャンスも実際にはありました。
それでも、「弓弦に」とこだわり抜いてくださったこと、今では本当に感謝しています。
あのシーンがあることで、どれほど弓弦が心優しい人間であると表現できたか。本当にありがとうございました。

 

<弓弦の分岐>
鷹月にすべてを捧げ、平和を愛した弓弦は、舞台『海賊と山賊』の世界で、世界の象徴ともいえるお嬢様たちに出会います。
家族を失い、行き場を失くしたお嬢様たちは、山で生きていくために盗賊になっていくこととなります。
そんな彼女たちを見守る任を、鷹月から命ぜられます。

「女を守るのが男の役目だ」

この瞬間が、弓弦という人間の人生のターニングポイント。
これまで鷹月(親)のために人生を捧げて生きてきた一人の青年が、自分のために生きていくきっかけとなった台詞だと思っています。
この作品において弓弦がした成長とは、自分の人生を見つけるというものでした。
そして、その結末に向かって、生きることは作中の弓弦を形作る材料の1ピースとなったのです。

全ては鷹月のために・平和を愛すこと・女を守るという男の役目

この3つを明確にすることは、弓弦を演じるにあたってとても必要なことでした。

物語のその後、弓弦は鷹月のもとを去り、お嬢様と生きていく決意をします。
誰かと恋に落ちてその人のために生きるのか、はたまた誰とも恋をせず、ただひたすらに女を守る使命を全うしたのか、それはわかりませんがそれはまた別の話。


<役者と演出家>
今回の舞台では、初プロデュースということもあり、本当にいろいろなことがありました。
衝突、不満、不備。団体芸である以上、上げたらキリがないのは当然のこと。
その中で、自分ができること、すべきことは何かをしっかりと腹の底に突き立てていないといけないと感じました。
愚痴がこぼれたこともあるし、本当に嫌になることもありましたが、自分が今いる場所は、自分で選んだ居場所であるということ、そして、役者として信ずるべきは演出家であることを立ち止まって再確認する事こそ本当に本当に大切なことなのだと感じました。
同時に、役者が許された自由の部分には、常に「挑戦」という二文字を突き付けなくてはいけないということ。

まだまだ役者としては未熟すぎるくらい未熟だと感じる現場でした。
そう感じさせてくださった共演者の方々に心から感謝致します。


年明けから、こんなにも立派な劇場で、素敵な共演者に恵まれ、本当に運命に感謝しています。
この後も、個人的には一つの大きなイベントを控えております。
報告はまだ先になりますが、このブログにも書いていきたいと思っています。

兎にも角にも、舞台『海賊と山賊』!
無事終演致しました!!

この公演に関わって下さったすべての方々に熱く御礼申し上げます!!

ありがとうございました!!