前回の記事から約一ヶ月が経ってしまいました(笑)
そして、大変いまさらですが今回は役を振り返るシリーズの第12弾で、俺は「良造」だった。をお送りします!
いったいいつの話をしてんだこいつはって感じですが・・・構わずいっちゃいましょう(笑)
以前の記事は下記をご覧ください。
★これまでの記事は下記から↓
俺は「奥沢」だった。
http://column.pieronofude.com/?eid=151
俺は「火炎」だった。
http://column.pieronofude.com/?eid=167
俺は「警護人」だった。
http://column.pieronofude.com/?eid=183
俺は「士官」だった。
http://column.pieronofude.com/?eid=193
俺は「国松」だった。
http://ameblo.jp/dream124/entry-11843471542.html
俺は「丸尾」だった。
http://ameblo.jp/dream124/entry-11914719844.html
俺は「村重」と「利光」だった。
http://ameblo.jp/dream124/entry-11952269459.html
俺は「権六」と「後白河法皇」だった。
http://ameblo.jp/dream124/entry-11995830977.html
俺は「本多忠勝」だった。
http://ameblo.jp/dream124/entry-12025577257.html
俺は「井上」だった。(前編)
http://ameblo.jp/dream124/entry-12067689164.html
俺は「井上」だった。(後編)
http://ameblo.jp/dream124/entry-12067689425.html
俺は「杉村」だった。
http://ameblo.jp/dream124/entry-12164663323.html
2016年5月18日~22日まで、演劇集団アトリエッジの舞台『ぞめきの消えた夏 ~グアム玉砕戦乱舞踏~』に出演させていただきました。
これで戦争ものの舞台は2回目となります。
今回は2チームあるうちの空チームに出演をさせていただき、僕は関本良造という、現代人の役を演じさせていただきました。
<家族>
関本良造は、5人家族の大黒柱で、なんと45歳の役でした。この設定は台本には登場しませんし、諸々の情報を考慮し、チームごとに決定したものでした。
45歳。これまで、極端な老人の役意外、自分の年齢を大きく超えた役をやったことがなかったし、45歳という中年期の人の役というのは、しぐさも声の出し方も何とも微妙な時期で、どう表現するかは課題の一つでした。
そして、経験の部分でいえば、家庭をもっているということ。現実に家庭をもっていない僕に、奥さんがいるどころか子どもが3人もいるというのが、まず未知で、自分がどういう立場で板の上に立つべきかというのは難しいところでした。
以前演じた井上整備少尉とは、また違った種類の威厳や愛情を表現しなければなりませんでした。
それでも僕の中にある親から受けた愛情や、自分が見てきた父親の背中を辿れる限り辿って、そしてもし自分が親になったらというイメージをできる限り膨らませながら演じました。
今回は前の舞台の時期が重なって、稽古の参加も遅れ、家族役の共演者の方々には特に迷惑をかけました。
大黒柱の不在をいかにして取り戻すか・・・これも前半の課題でしたが、ドラマとかでよくある仕事でなかなか家に帰れず家庭で肩身が狭くなる父親の感じが、なんとなく理解できたような気がしました(笑)
まぁ現実はもっといろいろなジレンマがあるのでしょうが・・・(笑)
それはさておき、だいぶ遅れをとっての参加で、家族間のコミュニケーションはなかなか取れておらず、やはり最初のうちは「家族」になることが空チームの課題でした。
子ども役の中には初舞台の人もいて、家族感の表現はもちろん作品の中での役割をしっかりと果たすことは到底難しい様子でした。
しかし、芝居の稽古をすればするほど、何か頭でっかちになっていくような感覚があり、その感覚の正体が何なのかわからずにいました。
最初は、役のことをお互いに掘り下げて、家族としての記憶を共有していくことがいいのだと思っていました。
だから、例えば、子どもが小さい頃は家族でどこに出かけたのかとか、今やっている仕事は何かとか、関本家の父母の出会いから結婚に至る経緯とか・・・とにかく想像できる限りの設定を共有し、時にはエチュードもしました。
でも、実際のところなかなか大きな効果にはならず、どうにも困っていた時、ふと共演者に「言いたいことを言える仲になれば、もう少し家族の感じがでるのでは?」と言われました。
・・・考えてみたら、確かに一理あるのだけど、言いたいことを言う言わない以前に、僕たちは、まず役を演じている人、その人自身について何も知らないということに気づきました。
だから、一見芝居とは関係ないようだけど、しっかりお互いのことをゆっくりじっくり自己紹介することにしました。
相手の生い立ちや人格の形成がどのようになされていったのか、趣味はあるのかないのか、何が好きで何が嫌いか、どんな価値観をもっているのか・・・
それらがわかっていくうちに、それぞれの役がどんな一面をもっているのかわかってきました。
この時改めて「芝居は人生」だなぁと感じました。
僕は、「役」というのは自分の中に必ずあるはずの経験を生かしてつくっていくものであって、0からまるっきり自分と違う人間を表現することはできないと思っていました。だから、今回も自分は経験の中にある「父像」を表現しようとしていたし、子ども役の子達にも、必ず自分自身の中に役の人格に寄せるヒントとなる経験があるはずだと言ってきました。
この時、それぞれのことを話しいくうちに、無理矢理つくろうとしていた役の人格が、演者と結びついてリアルになっていきました。
そして、お互いを知った上でコミュニケーションをとることで、どんどん遠慮しなくなり距離が縮み、家族の形に近づいて行きました。
相手を知る前にしていたコミュニケーションが無駄だったとは言わないけれど、こうして、相手を知りながらコミュニケーションしていくことは、本当に重要なことだと実感しました。
<現在と過去>
今回の作品は、現在と過去の時代のシーンが変わるがわる展開して物語が進んでいきます。
戦争の真っ最中である過去の時代と、戦争をまったく知らない現在の時代。
僕たち現代チームが担う役割はその戦争を知らない、平和な現代〈いま〉を生きる人たちの象徴となることだったように思います。
とにかく明るくどこか不謹慎であること。もちろんそうでいることが罪であるとか、そういうことではなく、僕たち現代人が知らないことがまだまだたくさんあるということ、それ自体を知るきっかけになる役割があったのだと思います。
今回演出である田中寅雄さんからは、「現代人役の人たちは何も勉強しないでほしい」と言われていました。
なかなか難しい注文だなぁと思いながら、稽古期間中は戦争について何も勉強しなかったし、稽古中はできる限り軍人役の人たちの感情や勢いに持っていかれないようにしました。
父親としての立場や、戦死した軍人が自分の血筋にいるという設定上の事実を越えて、過去とのテンションに差をつけるのは本当に難しかったです。
これについては、残念ながら最後までうまくいったのかどうかわかりません。
さて、『ぞめきの消えた夏』で僕は12本の舞台を経験したことになります。役者として12本というのはそんなに大した数ではないと思いますが、これまでに出演した作品は、本当に素晴らしく、関わった座組では本当にいろいろな出会いがありました。
演者としてだけでなく舞台を支える裏側からも携わらせていただいた舞台もあります。それらを通してお芝居の面白さ、エンターテインメントの面白さを演じる側としても作る側としても知ることができました。
そして、そうした経験と出会いを経て、ここでしばらく舞台の活動はお休みしようと思っています。
芝居との新しい関わり方を見つけて、それを形にするために準備期間に入ろうと思っています。
今まで芝居を通してお世話になった人にはもちろん、僕の人生に関わってくれた多くの人たちに、そしてそのご縁に感謝して、その出会いが僕に与えてくれたものを、新しい夢を形にすることで恩返しとして還元していきたいと思っています。
まだ具体的なことは発表しませんが、また挑戦の日々が始まります。
その話はまた追い追い。
そんなわけで、『ぞめきの消えた夏』終演です。
ご来場くださったすべてのお客様、そして関わって下さった全ての皆様に感謝致します。
ありがとうございました。