俺は「国松」だった。 | 夢追い人

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夢を追う未熟者のブログ。どんな風に熟していけばいいのやら・・・。手探り人生の日記をつづります。2011年、僕の人生が大きく変化しました!詳しくはこちらの記事で→http://ameblo.jp/dream124/entry-10964323478.html





ずいぶん遅くなりましたが、4月の頭に出演した劇団グスタフの舞台について、振り返りたいと思います。


僕は、ピエロの筆のホームページで行っていた「週替わりリレーコラム」というコンテンツで、舞台を終えるたび、その舞台について振り返ってきました。

2014年2月を以てコラムは終了しましたので、今後はこのブログで舞台を振り返っていきたいと思います。


いつも書いている記事とは、テンションが少し違いますが、このブログにそもそも定まったテンションなどないので、この際気にしないでください(笑)


☆これまでのコラムは今でも掲載中ですので、興味がありましたらご覧ください。






俺は「奥沢」だった。


http://column.pieronofude.com/?eid=151


俺は「火炎」だった。


http://column.pieronofude.com/?eid=167


俺は「警護人」だった。


http://column.pieronofude.com/?eid=183


俺は「士官」だった。


http://column.pieronofude.com/?eid=193








さて、2014年4月10日~13日まで、劇団グスタフvol.105公演『ビバ!カルボナーラ ~京都おばんざい篇~』に出演させていただきました。




今回の僕の役は、創業100年の歴史をもつ老舗「柊亭」の一人息子「国松」という青年で、亡き父親の再婚相手と二人で暮らしています。

大学を義母に内緒で退学し、漫才師を目指しているという役で、脱サラして役者をやっている僕に少しかぶるところがあります。

そして今回、皮肉なことに・・・もとい、ありがたいことに、この人物は、脚本家の方が僕に合わせて当て書きしてくれたとのことで、性格も少しかぶる部分がありました。





そんなわけで、役に入り込むことにはそれほど苦労せず、自然にやることができました。

ここで強いて役としての苦労をあげるなら、京都弁という言葉の壁と、漫才のネタを実際に考えてそれをやったということでしょうか?





もちろんそれらを経て感じたことはなくはないのですが、今回僕が学んだことで一番大きかったのは、役者としての台本に対するアプローチの仕方についてです。








昨年末スウェーデン大使館で公演をした戯曲『夢の劇』でも、台本のアプローチについては多くを学んだのですが、それとはまた違ったかたちでの考え方。


戯曲であるとか、現代劇や時代劇であるとか、アングラやストレートプレーとか、そういう次元の話ではなく、根本的な役者としての台本の読み方です。

僕が昨年学んだ台本のアプローチは、あくまでも広義で言えば「歴史」における台本のアプローチでした。





そうではなくて、今回学んだのは、もっともっと根本の、役者が役を与えられた場合にする、下手をすれば役でなくても役者としてすべき「想像」や「創造」といったレベルでのアプローチです。





僕は、今回の舞台の台本をいただいた初見で、実を言うと、舞台の成功を全くイメージできませんでした。


今回の作品はいわゆるシリーズもので、前作が存在し、前作に登場する人物も数名登場します(僕の役「国松」は初登場)。

なぜ僕が成功をイメージできなかったのかというと、登場人物の人間関係や運命、前作から引き続き登場する人物の人物像など、多数の矛盾を感じてしまったからです。


その中の一つに、自分の演じる国松がラストシーン、物語のクライマックスで漫才師から一変し店を継ぐことを選択するシーンがありました。


僕にはその選択に至るテンポがどうしても受け入れられず、「本当にこんなラストでいいんだろうか」と不安を抱きました。


「もっと詰めるべきことがたくさんあるのではないか」、「設定が描き切れていないのではないだろうか」、「前作を知らないお客さんはついてこれないのではないか」・・・・。


頭の中で、不安がぐるぐる渦巻いていました。





顔合わせ・読み合わせと稽古は進み、僕の不安はどんどん膨れ上がりました。








「このまま立ち稽古なんて、とてもできない」








何度か脚本家の方とも個人的に話をしたりしたものの不安は拭えきれず、僕はついに自分で台本を書くという一番やってはいけないことをしてしまいました。





結果、脚本家の方には目を通していただき、「参考にします」とまで言っていただきました。


僕は、この行為が失礼な行為であることはわかっていたし、それを受け入れてくださった脚本家の方は本当に心の広い方だとも思いました。

でも、だからこそ、止められずに不安をそういう形でぶつけることができた気がします。





舞台への不安を感じながらも本番直前を迎えるまでは、稽古期間中も事務所のレッスンや役者仲間の舞台を観劇する時間を確保できていました。


その中で、共通して自分にガツンと響いてくる言葉がありました。





「役者は台本を見て、「これはできません」という言葉を言ってはいけない」。





普段なら、「そりゃそうだよね」なんて言ってわかっている風に聞き流してしまいそうな当たり前の言葉が、その時の僕には、まるで戒めのように聞こえてきたのです。


同時に、共演者で前作の出演者でもある南風ゆりさんに役について尋ねた時のことを思い出しました。

ゆりさんの演じた役は、「さやか」という前作にも登場する女性なのですが、今作と前作ではまるでキャラクターが違うのです。

それについて尋ねた時、ゆりさんは、「キャラが変わったことには、さやかなりに何か理由があり、それは自分で勝手に想像している」と。





僕は強く感じました。


「自分は間違っていた」と。


勝手に想像する。これが役者の仕事なのではないかと思ったのです。








自分の中で解釈が変わった時、ラストシーンのテンポがいっきに変わりました。

今まではただの「・・・」だった台詞に、自分なりの世界が生まれ、そこに納得させられました。

漫才師の道ではなく、店の跡継ぎとしての道を選択することに、すごく納得できるようになったのです。







役者は台本を見て、「これはできません」と言ってはいけない。

役者は、想像し、創造し、台本にたどり着かなくてはならないということに気づきました。


行動には必ず理由があって、台本に書かれていることにも理由があり、それを想像するのが役者なのだということに気づきました。














舞台は無事終演を迎え、お客様からはたくさんの好評をいただきました。

「物語がすごくよかった」と。

そのたびに、自分のしたことが愚かなことだったと、今でも反省しています。

しかし、同時に脚本家の方には、こんな経験をさせてくれたことを本当に感謝しています。


役者は台本にたどり着くために想像し、創造する。

すごく当たり前のことだけど、この経験は、また僕を成長へと導いてくれたと思います。

気づくことは成長すること。


本当に感謝です。







この経験を糧に、また新しいステージでも、役者宮崎肇として頑張りたいと思います!!