自分がブログを更新すると感覚が乱れたり、少し気になったりして、かなり具合が悪くなるし、推敲なしでほとんど書いてるのと(状態が悪いときに更新してしまうので、その勢いだけで書いてしまう)、自分はちょっと言葉に問題のようなものがあるので、本当は本心で思ってもいないことを言葉の流れのようなもので書いたりして、あとで後悔することがかなりあるので(最近はそれは少し減ったけど、でも見返すと、そういう部分がまだかなりある…)、それでブログはまだやめないけど(意味があるかはわからないけど…)これ以上、今の調子で続けていくと本当に2年以内で終わることになるので、ちょっとブログの更新の形式を変えるかもしれない。ちょっと思いついたのは、自分は一時的メモで、今年は20回ぐらいは更新して、あとで時間の移動で飛ばしたり、下書きとかで削除したりしてるけど(とんちも休み休み言え…とか、お遊びで気にならないのはそのまま残してるけど)、ちょっと思いついたけど、自分は削除しない長めの記事を更新の場合でも短めの記事を組み合わせるような感じで記事を作成して更新するので、同じ一時的メモ記事に何度も追加して更新したり下書きに戻したりでの点滅みたいな感じで時々更新するかもしれない(これなら疲れずに更新できそうな気がする)
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11月24日
どれだけの苦しみを抱えていようが、やはり他人には伝わらない。そして、その苦しみの種類が独自のものであればあるほど。
自分の苦しみはそれほどでもないかもしれないけど(苦しみ自体はそれほどでもないけど、でもそれは自力で見つけたというか気づいた方法で防いでいるだけで死よりもずっと恐ろしいものと対峙している)でも、この2年でかなり悪化してもう一応健康でもなくなってしまったと思う…。
でも、そんな自分も他人の苦しみはわからないし、そんなにわかろうともしない。
結局それが世界。
苦しみを抱えるようになって、同じく苦しみを抱えるような見えないような存在たちのことが以前よりもずっと見えるようになったけど、でも、自分の抱える苦しみというか領域のようなものは彼らには見えていない。(なんとなくでも気づく人は気づくのと、自分が気づいていないだけで、ほかにもなんとなく理解されてることもあるのかもしれないけど)
あまりに特殊な存在の感情のことばは、普通の感覚の者たちには記号にしか見えないのだろう。自分が言葉の概念を生まれつき超越しているために、ほとんどすべての人がある意味記号にとらわれた者たちのように見えるように。
でも、不思議とこの世のどこかには伝わることもあるのがこの世の不思議。
でも、それは、自分が特殊な何かを抱えているからであって、だからこそ理解はされないけど、だからこそ、なんとなくの意味を感じてもらうこともできる。 もし、自分に特殊な領域がなければ、その存在すらなかったもののようにされながら消えていくだろう。実際に、この世界にはそうして無念の中で消えていった人たちが大勢、存在する。なので、自分は理解されないことに完全に絶望すべきではないかもしれない…。 夜のメモ(あとで消します)
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11月25日
自分の余命が本当(本来なら)なら3日ぐらい(そこまでは試してないので確かではないけど1週間以内は確実)だということを本気で真剣には誰にも話してないけど(話せない理由もあるので)でも、この自分の空間で少し本音で書いてしまってるけど、それを本気で信じてくれる人は誰もいないだろう(何人かはわずかのメッセージでなんとなく伝わってるようだけど…)。しかし、それも当然。自分でも呆れるぐらいに平然とできてしまうのだから。この症状(といってもおかしくなったりとか目立つようなものではない)が出始めた最初の頃は一歩間違うと確実に終わるので、恐怖で震えていたぐらいだけど、それを数えられないほど繰り返しているうちに強くなりすぎたというか、悪い意味で慣れてしまったというか、本当に平然とできてしまう。そして、そのことが、自分が相当の苦痛を耐えているのに、他人や、そして、苦しみを抱えているような他の人にも時々しか、自分の抱えるものの凄まじさが伝わらないことの大きな原因となっている。(死ぬのなんか怖くないとか言う人はそれなりに存在するけど、そういう人でも自分の抱えてるものを体験することになれば、恐怖で震えるというか無理だと思うはず、それは自分の命を懸けてもいいぐらいに)
自分が長くは生きられないことは確実だけど、自分が「今までの自分の話しは全部嘘の作り話でした」とかある日言うと、「そうだったのか・・・」とか思われてもおかしくないほどに自分の抱えるものは目立たないし、そしてそれぐらいに自分は平然とできている(といってもそれは、それを防ぐための方法で耐えることができているからであって、ぎりぎりのところでは恐怖している)
・自分のネームはいくつもの意味の言葉遊びだけど(以前に説明したはず)あとほかに追加でネズミのモルモットという意味もある…。
実際にそういう対象にはなっていないけど、自分の抱えるものを専門に研究している人にはこれ以上ないほどの状態のはず。
自分の抱えるものは最初からあったようなものだけど、まだ死にはつながらなかった時期に一度検査していれば、今ごろ、救いになっていたかもしれない(それは少し後悔)。あと、自分の抱えるものは検査するまでもなく、説明すればある程度はわかるようなものだけど(あまりに前例がないので検査どころかそれについての話もできない)、前例のないほどありえないぐらいの状態だけど、検査で興味を持たれるような結果が出るのかどうかはわからない(だからこのように詩のような言葉などをここで書くことになった)。
あと、前回の(存在しない手紙)の記事であれ以上のものは書けるけど、書きたいテーマというか、自分がブログとか言葉を書いたりする理由は自分の抱える危険でそして、誰も抱えていないものをどうにかしたいというだけの理由なのでもうあれ以上に書きたいようなテーマはないと思う。でも、変化することもあるので、あれ以上のことが出てくることもあるかも。あと、追加。
これは2年ぐらい前に書いた詩のようなものだけど、これも結局自分の書きたくても書けないようなことを詩にしているだけだったんだなと思った。(自分の奥底だから自分には響くけど、他の人には響くかどうかはわからない)
「フィクション (物語の断片) 」
その存在は常に死の近くに存在していた
その存在は平然としていた
その存在は決して理解されることはなかった
その存在はこの世界のことも、自らのことも理解できていなかった
その存在はきちんと数えた訳ではないが、ざっと数えてみただけでも、5千回以上の死を自力で乗り越えて、生きて存在していた
その存在は信じられないような物語の中を生きていた
妄想や夢などではなく、その存在にははっきりとわかる原因と結果、その存在は生と死の中間に存在することになったのである
その存在は常に試されていた。神に、宇宙に、自らの呪われた運命に
しかし、その存在がこの世界で奇跡的に生きていたこと、そして死んでいくことをこの世界の誰も知ることはないだろう
何故なら、そのような存在などきっと本当は存在していなかったのだから
だから、その存在のことは自分の心の中にそっと閉まっておこう
でも、本当はここが、この空間が自分の心の中
だから、もう少し話すことにしよう
最初何もなかった空間に、自分の言葉といくつかの絵で自分の世界が出来た
なぜ、自分が何かに導かれるように理由もなく、この世界を作ったのか
それはやはり、自分の墓、終わりの場所を自ら創造するためだったと思う
そして、出来れば、超越のための道のりも
終わりまではまだかなりの時間があるはずだけど、終わりの時が来る前にもう少し、この世界に自分に響く言葉を遺しておきたい
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12月1日
ちょっと自分の限界が近づいてきたというか、とっくの昔に限界などは超えていて、どういう偶然の運命なのかわからないけど、本来なら生きていることなど不可能な状態を不思議な奇跡で乗り越えてしまったので、この世界で生きることができてるけど、でも長くは無理なことは確実なのと、1度確実に絶対に終わるはずだった状態を神仏なのかなんなのかはわからないけど(自分がこの抱えてるもので最初の絶体絶命になる前は仏陀にほとんど興味も執着も救いの祈りすらも捧げなかった)それに救われたけど、自分の特殊な性質の1つとして、ほとんどすべてのことがそんなに自分に刻み込まれない。だから、あの時の本当の絶体絶命とそれを救ってくれた神秘体験すらも今ではほとんど消えたように刻み込まれていない(深層には残ってると思うけど)
でも、それから、これまで生き延びて、死んでも忘れないというか、絶対に忘れたくないと思えること(このブログや自分の抱えるものとはまったく関係ないことで)があったので(夢にまで出てきて、目覚めた時に涙が出ていたほどに)なので、もう終わりでもいいというかそんなに後悔はない。
他人にそんなに興味はないし、偽善者でもないし、でも、限界はすでに超えているので(一応まだ健康で目立つような病とかがあるわけではないけど、でも致命的なことがある)自分のために生きる理由はほとんどないし(どうにか理由をつけて生きようとは思うけど、やはりそんなに執着はないと感じる)それで、他人のために生きるつもりもないけど、自分が大きな苦痛というか(苦しみ自体は自分よりずっと大きい人は大勢存在するはず)、前例のない苦しみを抱えることがほかの存在になにか意味でも与えることできていれば、無理にでも生きる意味になるかもしれないけど、現時点ではほとんど意味がないように感じるので、そう遠くないときに 省略
ちょっと今日は自業自得でかなり状態が悪いので、なんとなくの意味なし更新…(たいした意味はない)
ブログはやめはしないけど、今の自分の力では続けても意味がない(自分が自滅するようにエネルギーを消費するだけに近い)ので、でも、自分は無理にというか、この世の誰かに宛てて書いてるわけでもないけど、自分だけの日記とかはほとんど書いてもいないし、書く気がないというか、結局、存在の意味になるけど、静寂の状態が通常で苦痛と自分の感情とずれたような感覚で自分の言葉を感じるので、やはりブログは地味に続けると思います…。少し言い訳になるけど、このブログを書いてからもなんらかの表現者みたいなものを目指したりはしてなかったので(理由があって意識が軽く暴走していた時期は超越とか書いてたけど…。今もその意識はあるけど、エゴというか自我機能を落ち着かせたので、同じ超越の目標や言葉でも、意味合い自体が以前とはまったく違う感じになっている)、集めた様々なものたちを、もう少し触れるようになれば、感覚なども何十倍というか、数段、変化するはず。
それに少しは読んでほしいけど、話せないことまで微妙に書いたりしてるので読まれたくないので、今ぐらいのちょっと寂れたような空間(ピグとか以前からほとんど使ってないけど何か月か前に久々に見てみると、廃墟のようになっていてなんだこれは…と思った…。)で書くのが丁度よいかもしれない…(でも、なんとなく響いてくれるような人は、何年も前の初期と違って、これ以上はそんなに増えていくことはないと思う…。どことなくわずかに共感とは違うけど、そのような感じの人も、ブログとかを書くのに息苦しさのようなものを感じて段々と消えていくので……) では…(あとで点滅すると思います…今日は滅茶苦茶、具合が良くないので…)
暗い日記なので最後にふざけた画像…(画像とかほとんど集めてないので素材サイトから、センスの良い、自分のセンスで使えそうなのとかもう少し増やそう…)
追記(12月2日の早朝)
この追記していく形式の点滅記事(自分が命名…)は点滅で夜の2時に消す予定だったけど、昨日はかなり状態が悪くて(というか今までよりも一段階さらに悪化したような感じで回復しない…睡眠時間を増やせば、まだなんとかなると思うけど)それで全体的にこの記事は自分が書きたいようなこと(吐き出すと、少し楽になるという点で)を命みたいなものを少しは削りながら書いたので、(どれだけ本気で書いても、あまり響かないと思うけど)この世のどこかには伝わるかもしれないのと、来年はブログをほとんど書かなくなるかもしれないので(今年のペースを変えなければ来年はさらに2倍ぐらい多く更新してしまう恐れもあるけど…)なんとなく、上手く書けてないわりには少しまとめ的でほんの少し良いような話も混ざってるのでしばらくはこの記事は残しておきます(でも、これにまたさらに追記してさらにどんどん記事を長くするかもしれない……)では。
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12月6日
自分が病気とかではなく自分の抱える領域で死んだ場合(じさつではなく)、そのときは、このブログになんとなくの意味を感じていた人たち(少数だけど、自分の抱える領域が本物なら精鋭たちに…………)は、喜んでほしい。
「俺や僕や自分や私が」なんとなく感じていたことは本当だったんだと。
でそれに気づかないほとんどの人の感覚が鈍いということで、あなたたちの感覚の鋭さを喜んでほしい。
でも、自分の経験というか体験から、自分の気づかれないような特殊で、前例がなく、そして、そのことに意味があるのかすらわからないようなものにわざわざ意味を感じてくれるような人は大抵、優しいというか繊細な感覚を持っていたり、独特の感性を持っている場合が多いので、喜んではくれないはず。悲しみもしないと思う(なんか変わってると思うので…)
本心で言うと、悲しんではいらなくて、自分が消えた時に「なんか、たいした関係もない人だったけど、消えてみると、なんとなくなにかを失ったような感覚がする」みたいに思ってもらえればベストかも。これは自分がこの世界という構造に対して思っていることでもある。
でも、自分がこの世界から消えた場合を想像すると(ブログを完全消去とか…)多分、世界は何事もなかったように、普通に影響もなく…?続いていくことだろう…。
これは半分はユーモア的な冗談で半分は本気だけど…
でも、せっかく書くなら、こんな感じの誰も思いついていないような発想で書いていきたい…。では 夜のメモ
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12月13日
この2年ぐらいずっと絶不調で段々と悪化してたけど、自分の意識をさらに切り替える(今の自分も何度も切り替えたりしてやっと自分に響きやすい自分だけど、さらに大きく変化させる…)ことでこの悪い流れが少し変わりそうな予感がした(やはり自分は本当に死ぬ手前ぐらいにならないと少しも本気にはなれないということがこの2年で思い知った…)。本当に危険な綱渡りに近いので、来年は本当に流れを自分で変えていく。でも、本当に無理としか思えないほどなので(誰でもそう思うほどというか想像もできないほどのものを抱えているので…)、結局、最後には奇跡というものを信じるしかないというか、自分の力で、もう一度……。
「未知への羽ばたき」
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12月14日
なんか今日、調子の良いような悪いような違和感。
睡眠時間はそれなり。体調も悪くないし、最近心機一転してからは気分は晴れやかで
絶望的だけど少し希望が見えてような気がした。少し寒くなってきたけど
それで夕方ぐらいに頭痛。自分の頭痛は毎回軽いので頭痛薬2粒のところを1粒でも充分効果を発揮する。
でも、今日はなんとなく危険な予感がしたので2粒を飲んだけど、これなら効くだろうと思っていると、それでもほとんど効果なし、
それから居眠りして目覚めると、指が全部痺れていて違和感のようなむず痒いような、おかしな痺れ。
頭痛に指のしびれは良くないことの兆候らしいです…。ここ数か月、自分はおかしな頭痛が本当に多い.……。
もしかすると、そろそろなのかも。
今年は自業自得なので…(来年は変える)
自分にしては、なんのオチもないような記事でした…
オチを付け加えるとするなら、先ほどは余命1日ぐらいの領域に入ったけど(対策すれば問題はなく抑え込める)
そして結局、抑え込んだあとは平然と生き延びてるので(死のような発作さえ通り過ぎれば苦痛はあるけど、異常はない)
で、オチは「生存報告」でした。…
(あとで今年に一時的メモで没にしたのとかを1つの記事にしてまとめて更新するかも、自分は記事を3百ぐらい書いてるけど、その中で量産してたのは初期だけだし、響くのは合計50記事あるかないかぐらいだと思うので、できるなら、響くのをもう少し割合を増やしたいので) では
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(2022年9月)
3年ぶりの追記…………
この記事(タイトルや序文の部分も)は2019年11月頃のもので
(下書きにしたり、追記して公開したり点滅……させていたはず)
それで、なぜまたここ(2022年)に移動したかというと…前回の記事があまり気に入ってないのと、ちょっと前にこの記事を見てみると、今の心境のようなものを今年よりもずっと文章化できてるなと感じたので(状態が悪すぎて、今は言葉が上手くまとまらなくなった)
あと、状態が悪いので(絶不調)なにか吐き出したくなったので(上で書いてるようにこれならそんなに疲れない……)
(でも上のは乱れた感情を書いていたので…修正とかした方がいいようにも思うけど、書いたときの気分を残しておきたいのでそのままの状態で…)
あと、、、上で自分の苦しみはそれほどでもないと書いてるけど、1度本当の絶体絶命になったことがあるし、その後も対策をしないと死にかけるじゃなくて、しんでたので(実際にそうなるかを試すことすらできないほどに)やはり苦しみは大きいけど、でも、そこまで苦しんでいないのは、自分にあまり人のような感情がないからなのだと思います。
このブログで何度も載せている無面目という漫画のキャラの神みたいな感覚に奥底の内面は近いのですが(無理にその奥底から離れようと長い間努力していたけど)(表面的には普通っぽいと思う…)でも、今年になってから、ダメージが限界になってきたことなどで(2019年は今からすればまだ楽だった)、省略
あれは所詮漫画のキャラだけど、あの漫画の少し不自然に感じる、神が人の言葉をすらすらと話しているという部分にも自分は共感したのだと思いました。今は大分使い慣れたけど、いまだに自分と自分の言葉は分離しているように感じているので。
でも、あの物語のようになると、最後は終わるので……
まだ何か続きを書きたいような感じもあるけど疲れたのと思いつかないのでこの辺で…
ここは当分休止だけど、書きたい気分のときにこの記事にさらに点滅なしで追記するかも
(でも長すぎると文字数制限とかあったような…) では。
少し追記
何度か説明したような気がするけど、自分は表現みたいなことをするのが好きではないというか苦痛で(言葉自体が)それで、ここ何年も新しく書いたりほとんどしてないけど、でもやはり、何らかの意味を自分が感じるためには少しはそういうことも必要だったかと思ったりしている。でも、今はそういうような気力がないので。(あとここ何年も読書とか出来なくなったから書いても以前とあまり変化なしな気がする……)
でも、自分が書いたりするのは苦痛だけど、なぜか自分から出てきて、自分に響くようなものは気に入っていたりするので、それで同じのを何度も載せたりしている…。あと、最近の日本は良くない流れというか重苦しいような空気に包まれているので、そういうことに自分はあまり影響されない方だけど、なにも信じることができないような世の中にいつの間にかなっていて、なんか知れば知るほど暗いような気分になるなと……(なので明るいようなものがあった方がいいと思うけど自分はそれはほとんど書けないので…)そういう点では流れてくる情報で最近本当に良いと思えるのは大谷選手ぐらいかもしれない。
(過去の言葉)
・死に近い存在が自分だけは死なないと思っている不思議
・存在しているという意識と、消滅したいという感情。それが私という存在だった
・存在しているという意識と、一体なんだ…この世界というものは?それが私という存在だった
・不思議な風船を割っても音はしない。理由はそういうものだから。
有の世界にあることにより、無には違う意味もできる
「永遠に意味を供えた花束」
追記(10月の後半)
ここでというか、この記事で追記していこうかと思ってこの記事を手前に移動させたけど結局1か月以上追記していなかった。状態が悪いのもあるし、この状態が続けば終わるしかないような状態になるので、もうなにかなにを書いていけばいいのか思いつかなくなった。
あとやはり自分のブログは『音のない心象風景』だと思う。結局自分に響くような自分の言葉はほとんどないし、この記事のように長めに乱れたようなつらいような感情を書いても、他の人がどう思うかはあまりわからないけど、自分が見ると、乱れていても静かだなというような感触がする。
この記事みたいな暗いような内容の記事を読みたいような人はほとんどいないような気がするけど……自分としてはこういう記事の方にこそ意味を感じてもらえると嬉しいかもしれない(誰がそうとかはほとんどわからないのですが、自分のこの意味なしのようなブログになんらかの意味を感じてくれた人がいるならありがとうございました。些細なことでも苦痛が少しはやわらぐので)
しかし、まだ大丈夫だけど、本当に今回はかなり危険な予感というか終わりの予感がする……。(結局それすらも乗り越えた場合は何年か前に書いた狼と羊飼いの自分バージョンにまたなってしまうわけだけど…)でもそこまで深刻にとらえているわけではないし(自分の問題の1つとして危険などをあまり自分のことのように認識できていない)平然としてるのもあるけど、これも何年か前に書いたことがあるけど、試練のようなものを楽しんでいるような感じもある(苦痛の大きくなってしまった、今ですら)あと、あの映画まだ観てないけど映画『ジョーカー』とちょっと似たところがあって、あれはよく知らないけど、あれの逆のような感じでつらいときに楽しそうな表情をするではなくて、自分の場合はつらいときでも平然としたような感じで、でも内面ではつらい感情があるにはあるけど、つらいときにでも内面ではなぜか逆に楽しいようなとも違うけど、そのような感じに近いような状態にあるように思うことが多い(これは謎…)。
それにしても自分が言葉を書こうとすると長くなってしまう…上手く短く簡潔にまとめることが苦手なだけなことのような気がするけど…。
(この記事に合うような過去の言葉)
そこが静かだったから
埋め立てておきたかった
儚い夢の陶酔の時間の邪魔をする者を
ここに永遠に閉じ込めておきたかった
自分はここで終わらない絵と文字を紡ぐ
時間に閉じ込められた自分の言葉と絵は無数の過ちをおかします
決して悔い改めることのない自分の言葉と絵は無数の傷を
自らの世界につけることでしょう
絵の具のように溶けた私の心象は
きっとこの世界の虚無に色をつけるために生きているのだと思います
でも、それは決してかなわぬ夢
私の虚無に色をつけることができる絵の具など
この世界に存在しない
私の心はいずれ、
この宇宙すべてを覆い尽くすことになるでしょう
悲しみや不思議もやがてはすべて
私のものとなる
その時まで続く終わりのない夢、