なんとなく更新したい気分になったので

あとで消すかもしれないけど一応、さっと更新

(今みたいな思い付きではなくて、もう少し長めに書きたいように思うけど、

ずっと状態が悪いので……)

 

映画についてとかちょっと書きたいようなとか思ってたけど

まとまらないので手短に…

 

自分は邦画(アニメは除外、といってもアニメもほとんど観てなかった)は

今までで100本は観てないし

下手すると、40本すらも観てないかもしれない(映画の最初からきちんと終わりまでの鑑賞)

 

ここ10年ぐらいはあまり観れなくなったのもあるし

その前は何にも興味がなかったり、興味が偏っていた時期が長かったりで

本当に観たのは少ない(他の映画や漫画や本なども…いつか書くかも)

 

それで、自分が最初に観た日本の映画は、

うちになぜか録画して置いてあったビデオの

 

『丹波哲郎の大霊界 死んだらどうなる』

 

という映画です。……。

それで、この映画の全編が録画してあったのではなくて

映画の序盤は録画してなくて途中からで

事故のシーンやあの世の途中のようなシーンは録画されてなくて

いきなりあの世にいるシーンから始まる

 

子供のときになにも知らずに観ていたけど

なにか不思議な感じで観てた

途中からだから意味も分からないし

 

さらに映画は最後まで録画されてなくて

40分ぐらいだったか忘れたけど

そのぐらいで、桃源郷のような世界から

地獄のような雰囲気の場面に変わったところで

録画は途中で途切れて終わり

 

意味不明だけど、幼少期に観たのもあって

かなり印象的というか不思議な感覚になっていたのを覚えている

(10回以上はその頃観ていたような)

 

なんでこんなことを書きたい気分になったかというと

最初に観た邦画(他にもあったかもしれないけど記憶に残っているというかビデオに録画してあったのは洋画ばかりだった)

が、このあの世の桃源郷みたいな、この映画というのが

なにか自分らしいような……と思いました…。

 

あと今思うと、いきなり意味不明な世界に存在することになってしまっている、

というのは、ずっと自分が感じていることだったりする

(今はちょっとあの世が見えてきてしまっているし……)

 

あと、映画マニアでは全くないので(録画のビデオしかなかったし)

その頃置いてあった20本ぐらいのビデオは有名で無難なのがほとんどだけど

(あの映画がなぜか録画にあったけど宗教関連とかの本とかもまったくない。)

 

その中に『シャイニング』もあって、(2001年宇宙は、なかったのが今思うと残念…)

幼少期にこんなのをよく観るのはあまり良くないように思うけど

置いてあったので観ていて……、それで、この映画は自分には恐怖とかではなくて

懐かしい気分になるような映画です

あのホテルとか本当にあるならちょっと泊まってみたいような…とか思うし…。

 

 

 

 

 

 

 

(少しでも改善や回復させないと、……不可能になるのでブログはやめた方がいいけど

もう少し書きたいこともあるようにも思うので、ただの自分のメモとして書くかもしれません

もう、あまり読んだりとかはできない。本当は離れた方がいいけど)

 

 

 

追記

記事更新するとなんか疲れるのと、自分の調子が悪い時に更新してしまうので

それをやめようと何年か前から思って繰り返しているけど

それで前回の記事のあとに少しはブログは休息できたけど

(でも、自分の内面のような感じなので気になったりはする……)

今回、更新する気はなかったのに(本当に状態が改善するまでは)

いつもよりも状態の悪かった昨日、更新してしまった…。(それぐらいに悪いということです…)

内容自体はちょっと前に思い出してたことなのでこれでいいけど

でも、新年最初にしては暗いかもしれない

(自分の場合はこれは冗談ではないので…一応記事はふざけた感じで書いたつもりだけど)

 

 

 

 

あと、前回の記事の最後は追記が合わなかったので追記しなかったけど

ワールドカップの日本は誰も予想できない展開で面白かったです

(落ち込み傾向が続いていたのが一時的に吹き飛ぶくらいに)

(予想外のことが前回のときみたいに起きそうな予感はしていたけど、さらに予想外だった…)

 

日本の流れがあれで少し変わってくれたような気がする……かもしれない

 

(やはり追記の方が気を使わずにすらすらと書ける)

 

 

by 蟻と鼠の夢地獄

(ネームの括弧の部分をこれにしようかと今思ったけど、なんとなくやめた)

 

 

 

追記

あと、なにか映画で思い出したことというか、

集めた物だけは凄まじいことになってるので……

ちょっと片付けたりしているけど、それのことでも少し載せようかなとか

状態が悪くて言葉がまとまらないのもあるけど、

エッセイみたいな文章はそれと関係なく書くのがかなり苦手だし……

 

 

それにしても状態が悪いというかかなりつらい(平然とはしてるけど)

 

毎年正月だけはめでたい気分で過ごしていた記憶しかないけど

今年の正月は初めてといってもいいぐらいに

明るい気分にならなかった正月だった

 

運命の流れのようなものを変えないと

自分に再来年はないと思う(今の状態が続けば)

……やはり状態が悪いので暗いようなことしか言葉が出てこない

 

……

 

 

5月の追記

 

今まで生きてきた中でというか自分の病

(正確には病名のあるようなタイプの病ではない)

が、発症というか、症状(危険な)が出だしてから

最大の危機がいま現在というか…着実に進行中で

正直かなりつらい。

この場所でSOSを出しても意味ないだろうし、

以前から読んでる人は読み覚えがあるだろうけど

自分がそれを抑えるための決まりを守り続けていれば

ここまでの状態になることはなかった、

なので、結局自分の自業自得な部分もあるし

(自分が危険を恐れないようなことをしてしまうのも症状に関係しているわけだけど)、

自分の力でどうするしかない。

 

 

 



「君のため」
なんて言いながら、



君のことを忘れていく午後の夜

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分がブログを更新すると感覚が乱れたり、少し気になったりして、かなり具合が悪くなるし、推敲なしでほとんど書いてるのと(状態が悪いときに更新してしまうので、その勢いだけで書いてしまう)、自分はちょっと言葉に問題のようなものがあるので、本当は本心で思ってもいないことを言葉の流れのようなもので書いたりして、あとで後悔することがかなりあるので(最近はそれは少し減ったけど、でも見返すと、そういう部分がまだかなりある…)、それでブログはまだやめないけど(意味があるかはわからないけど…)これ以上、今の調子で続けていくと本当に2年以内で終わることになるので、ちょっとブログの更新の形式を変えるかもしれない。ちょっと思いついたのは、自分は一時的メモで、今年は20回ぐらいは更新して、あとで時間の移動で飛ばしたり、下書きとかで削除したりしてるけど(とんちも休み休み言え…とか、お遊びで気にならないのはそのまま残してるけど)、ちょっと思いついたけど、自分は削除しない長めの記事を更新の場合でも短めの記事を組み合わせるような感じで記事を作成して更新するので、同じ一時的メモ記事に何度も追加して更新したり下書きに戻したりでの点滅みたいな感じで時々更新するかもしれない(これなら疲れずに更新できそうな気がする)

 

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11月24日

 

 

どれだけの苦しみを抱えていようが、やはり他人には伝わらない。そして、その苦しみの種類が独自のものであればあるほど。

 

自分の苦しみはそれほどでもないかもしれないけど(苦しみ自体はそれほどでもないけど、でもそれは自力で見つけたというか気づいた方法で防いでいるだけで死よりもずっと恐ろしいものと対峙している)でも、この2年でかなり悪化してもう一応健康でもなくなってしまったと思う…。

 

でも、そんな自分も他人の苦しみはわからないし、そんなにわかろうともしない。

結局それが世界。

苦しみを抱えるようになって、同じく苦しみを抱えるような見えないような存在たちのことが以前よりもずっと見えるようになったけど、でも、自分の抱える苦しみというか領域のようなものは彼らには見えていない。(なんとなくでも気づく人は気づくのと、自分が気づいていないだけで、ほかにもなんとなく理解されてることもあるのかもしれないけど)

 

あまりに特殊な存在の感情のことばは、普通の感覚の者たちには記号にしか見えないのだろう。自分が言葉の概念を生まれつき超越しているために、ほとんどすべての人がある意味記号にとらわれた者たちのように見えるように。

 

でも、不思議とこの世のどこかには伝わることもあるのがこの世の不思議。

でも、それは、自分が特殊な何かを抱えているからであって、だからこそ理解はされないけど、だからこそ、なんとなくの意味を感じてもらうこともできる。 もし、自分に特殊な領域がなければ、その存在すらなかったもののようにされながら消えていくだろう。実際に、この世界にはそうして無念の中で消えていった人たちが大勢、存在する。なので、自分は理解されないことに完全に絶望すべきではないかもしれない…。 夜のメモ(あとで消します)

 

 

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11月25日

 
 
自分の余命が本当(本来なら)なら3日ぐらい(そこまでは試してないので確かではないけど1週間以内は確実)だということを本気で真剣には誰にも話してないけど(話せない理由もあるので)でも、この自分の空間で少し本音で書いてしまってるけど、それを本気で信じてくれる人は誰もいないだろう(何人かはわずかのメッセージでなんとなく伝わってるようだけど…)。しかし、それも当然。自分でも呆れるぐらいに平然とできてしまうのだから。この症状(といってもおかしくなったりとか目立つようなものではない)が出始めた最初の頃は一歩間違うと確実に終わるので、恐怖で震えていたぐらいだけど、それを数えられないほど繰り返しているうちに強くなりすぎたというか、悪い意味で慣れてしまったというか、本当に平然とできてしまう。そして、そのことが、自分が相当の苦痛を耐えているのに、他人や、そして、苦しみを抱えているような他の人にも時々しか、自分の抱えるものの凄まじさが伝わらないことの大きな原因となっている。(死ぬのなんか怖くないとか言う人はそれなりに存在するけど、そういう人でも自分の抱えてるものを体験することになれば、恐怖で震えるというか無理だと思うはず、それは自分の命を懸けてもいいぐらいに)
 
 
自分が長くは生きられないことは確実だけど、自分が「今までの自分の話しは全部嘘の作り話でした」とかある日言うと、「そうだったのか・・・」とか思われてもおかしくないほどに自分の抱えるものは目立たないし、そしてそれぐらいに自分は平然とできている(といってもそれは、それを防ぐための方法で耐えることができているからであって、ぎりぎりのところでは恐怖している)
 

・自分のネームはいくつもの意味の言葉遊びだけど(以前に説明したはず)あとほかに追加でネズミのモルモットという意味もある…。

実際にそういう対象にはなっていないけど、自分の抱えるものを専門に研究している人にはこれ以上ないほどの状態のはず。

自分の抱えるものは最初からあったようなものだけど、まだ死にはつながらなかった時期に一度検査していれば、今ごろ、救いになっていたかもしれない(それは少し後悔)。あと、自分の抱えるものは検査するまでもなく、説明すればある程度はわかるようなものだけど(あまりに前例がないので検査どころかそれについての話もできない)、前例のないほどありえないぐらいの状態だけど、検査で興味を持たれるような結果が出るのかどうかはわからない(だからこのように詩のような言葉などをここで書くことになった)。

 

 

あと、前回の(存在しない手紙)の記事であれ以上のものは書けるけど、書きたいテーマというか、自分がブログとか言葉を書いたりする理由は自分の抱える危険でそして、誰も抱えていないものをどうにかしたいというだけの理由なのでもうあれ以上に書きたいようなテーマはないと思う。でも、変化することもあるので、あれ以上のことが出てくることもあるかも。あと、追加。

これは2年ぐらい前に書いた詩のようなものだけど、これも結局自分の書きたくても書けないようなことを詩にしているだけだったんだなと思った。(自分の奥底だから自分には響くけど、他の人には響くかどうかはわからない)

 

 

 

 

「フィクション (物語の断片) 」
 



その存在は常に死の近くに存在していた

その存在は平然としていた

その存在は決して理解されることはなかった

その存在はこの世界のことも、自らのことも理解できていなかった

その存在はきちんと数えた訳ではないが、ざっと数えてみただけでも、5千回以上の死を自力で乗り越えて、生きて存在していた

その存在は信じられないような物語の中を生きていた

妄想や夢などではなく、その存在にははっきりとわかる原因と結果、その存在は生と死の中間に存在することになったのである

その存在は常に試されていた。神に、宇宙に、自らの呪われた運命に

しかし、その存在がこの世界で奇跡的に生きていたこと、そして死んでいくことをこの世界の誰も知ることはないだろう

何故なら、そのような存在などきっと本当は存在していなかったのだから

だから、その存在のことは自分の心の中にそっと閉まっておこう

 


でも、本当はここが、この空間が自分の心の中

だから、もう少し話すことにしよう

最初何もなかった空間に、自分の言葉といくつかの絵で自分の世界が出来た

なぜ、自分が何かに導かれるように理由もなく、この世界を作ったのか

それはやはり、自分の墓、終わりの場所を自ら創造するためだったと思う

そして、出来れば、超越のための道のりも

終わりまではまだかなりの時間があるはずだけど、終わりの時が来る前にもう少し、この世界に自分に響く言葉を遺しておきたい


 

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12月1日
 
ちょっと自分の限界が近づいてきたというか、とっくの昔に限界などは超えていて、どういう偶然の運命なのかわからないけど、本来なら生きていることなど不可能な状態を不思議な奇跡で乗り越えてしまったので、この世界で生きることができてるけど、でも長くは無理なことは確実なのと、1度確実に絶対に終わるはずだった状態を神仏なのかなんなのかはわからないけど(自分がこの抱えてるもので最初の絶体絶命になる前は仏陀にほとんど興味も執着も救いの祈りすらも捧げなかった)それに救われたけど、自分の特殊な性質の1つとして、ほとんどすべてのことがそんなに自分に刻み込まれない。だから、あの時の本当の絶体絶命とそれを救ってくれた神秘体験すらも今ではほとんど消えたように刻み込まれていない(深層には残ってると思うけど)
でも、それから、これまで生き延びて、死んでも忘れないというか、絶対に忘れたくないと思えること(このブログや自分の抱えるものとはまったく関係ないことで)があったので(夢にまで出てきて、目覚めた時に涙が出ていたほどに)なので、もう終わりでもいいというかそんなに後悔はない。
他人にそんなに興味はないし、偽善者でもないし、でも、限界はすでに超えているので(一応まだ健康で目立つような病とかがあるわけではないけど、でも致命的なことがある)自分のために生きる理由はほとんどないし(どうにか理由をつけて生きようとは思うけど、やはりそんなに執着はないと感じる)それで、他人のために生きるつもりもないけど、自分が大きな苦痛というか(苦しみ自体は自分よりずっと大きい人は大勢存在するはず)、前例のない苦しみを抱えることがほかの存在になにか意味でも与えることできていれば、無理にでも生きる意味になるかもしれないけど、現時点ではほとんど意味がないように感じるので、そう遠くないときに 省略
 
ちょっと今日は自業自得でかなり状態が悪いので、なんとなくの意味なし更新…(たいした意味はない)
 
ブログはやめはしないけど、今の自分の力では続けても意味がない(自分が自滅するようにエネルギーを消費するだけに近い)ので、でも、自分は無理にというか、この世の誰かに宛てて書いてるわけでもないけど、自分だけの日記とかはほとんど書いてもいないし、書く気がないというか、結局、存在の意味になるけど、静寂の状態が通常で苦痛と自分の感情とずれたような感覚で自分の言葉を感じるので、やはりブログは地味に続けると思います…。少し言い訳になるけど、このブログを書いてからもなんらかの表現者みたいなものを目指したりはしてなかったので(理由があって意識が軽く暴走していた時期は超越とか書いてたけど…。今もその意識はあるけど、エゴというか自我機能を落ち着かせたので、同じ超越の目標や言葉でも、意味合い自体が以前とはまったく違う感じになっている)、集めた様々なものたちを、もう少し触れるようになれば、感覚なども何十倍というか、数段、変化するはず。
 
それに少しは読んでほしいけど、話せないことまで微妙に書いたりしてるので読まれたくないので、今ぐらいのちょっと寂れたような空間(ピグとか以前からほとんど使ってないけど何か月か前に久々に見てみると、廃墟のようになっていてなんだこれは…と思った…。)で書くのが丁度よいかもしれない…(でも、なんとなく響いてくれるような人は、何年も前の初期と違って、これ以上はそんなに増えていくことはないと思う…。どことなくわずかに共感とは違うけど、そのような感じの人も、ブログとかを書くのに息苦しさのようなものを感じて段々と消えていくので……)  では…(あとで点滅すると思います…今日は滅茶苦茶、具合が良くないので…)
 
暗い日記なので最後にふざけた画像…(画像とかほとんど集めてないので素材サイトから、センスの良い、自分のセンスで使えそうなのとかもう少し増やそう…)
 
 
 
 
追記(12月2日の早朝)
 
この追記していく形式の点滅記事(自分が命名…)は点滅で夜の2時に消す予定だったけど、昨日はかなり状態が悪くて(というか今までよりも一段階さらに悪化したような感じで回復しない…睡眠時間を増やせば、まだなんとかなると思うけど)それで全体的にこの記事は自分が書きたいようなこと(吐き出すと、少し楽になるという点で)を命みたいなものを少しは削りながら書いたので、(どれだけ本気で書いても、あまり響かないと思うけど)この世のどこかには伝わるかもしれないのと、来年はブログをほとんど書かなくなるかもしれないので(今年のペースを変えなければ来年はさらに2倍ぐらい多く更新してしまう恐れもあるけど…)なんとなく、上手く書けてないわりには少しまとめ的でほんの少し良いような話も混ざってるのでしばらくはこの記事は残しておきます(でも、これにまたさらに追記してさらにどんどん記事を長くするかもしれない……)では。
 
 

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12月6日

 

 

自分が病気とかではなく自分の抱える領域で死んだ場合(じさつではなく)、そのときは、このブログになんとなくの意味を感じていた人たち(少数だけど、自分の抱える領域が本物なら精鋭たちに…………)は、喜んでほしい。

 

「俺や僕や自分や私が」なんとなく感じていたことは本当だったんだと。

でそれに気づかないほとんどの人の感覚が鈍いということで、あなたたちの感覚の鋭さを喜んでほしい。

 

でも、自分の経験というか体験から、自分の気づかれないような特殊で、前例がなく、そして、そのことに意味があるのかすらわからないようなものにわざわざ意味を感じてくれるような人は大抵、優しいというか繊細な感覚を持っていたり、独特の感性を持っている場合が多いので、喜んではくれないはず。悲しみもしないと思う(なんか変わってると思うので…)

 

本心で言うと、悲しんではいらなくて、自分が消えた時に「なんか、たいした関係もない人だったけど、消えてみると、なんとなくなにかを失ったような感覚がする」みたいに思ってもらえればベストかも。これは自分がこの世界という構造に対して思っていることでもある。

 

でも、自分がこの世界から消えた場合を想像すると(ブログを完全消去とか…)多分、世界は何事もなかったように、普通に影響もなく…?続いていくことだろう…。

 

 

これは半分はユーモア的な冗談で半分は本気だけど…

でも、せっかく書くなら、こんな感じの誰も思いついていないような発想で書いていきたい…。では  夜のメモ

 

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12月13日
この2年ぐらいずっと絶不調で段々と悪化してたけど、自分の意識をさらに切り替える(今の自分も何度も切り替えたりしてやっと自分に響きやすい自分だけど、さらに大きく変化させる…)ことでこの悪い流れが少し変わりそうな予感がした(やはり自分は本当に死ぬ手前ぐらいにならないと少しも本気にはなれないということがこの2年で思い知った…)。本当に危険な綱渡りに近いので、来年は本当に流れを自分で変えていく。でも、本当に無理としか思えないほどなので(誰でもそう思うほどというか想像もできないほどのものを抱えているので…)、結局、最後には奇跡というものを信じるしかないというか、自分の力で、もう一度……。
 
 
 
「未知への羽ばたき」
 
 
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12月14日
 

 

なんか今日、調子の良いような悪いような違和感。

 

睡眠時間はそれなり。体調も悪くないし、最近心機一転してからは気分は晴れやかで

絶望的だけど少し希望が見えてような気がした。少し寒くなってきたけど

 

それで夕方ぐらいに頭痛。自分の頭痛は毎回軽いので頭痛薬2粒のところを1粒でも充分効果を発揮する。

でも、今日はなんとなく危険な予感がしたので2粒を飲んだけど、これなら効くだろうと思っていると、それでもほとんど効果なし、

 

それから居眠りして目覚めると、指が全部痺れていて違和感のようなむず痒いような、おかしな痺れ。

頭痛に指のしびれは良くないことの兆候らしいです…。ここ数か月、自分はおかしな頭痛が本当に多い.……。

もしかすると、そろそろなのかも。

 

今年は自業自得なので…(来年は変える)

 

 

自分にしては、なんのオチもないような記事でした…

 

 

 

オチを付け加えるとするなら、先ほどは余命1日ぐらいの領域に入ったけど(対策すれば問題はなく抑え込める)

そして結局、抑え込んだあとは平然と生き延びてるので(死のような発作さえ通り過ぎれば苦痛はあるけど、異常はない)

 

で、オチは「生存報告」でした。… 

 

 

(あとで今年に一時的メモで没にしたのとかを1つの記事にしてまとめて更新するかも、自分は記事を3百ぐらい書いてるけど、その中で量産してたのは初期だけだし、響くのは合計50記事あるかないかぐらいだと思うので、できるなら、響くのをもう少し割合を増やしたいので) では

 

 
 
 
 
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
(2022年9月)
3年ぶりの追記…………
 
この記事(タイトルや序文の部分も)は2019年11月頃のもので
(下書きにしたり、追記して公開したり点滅……させていたはず)
それで、なぜまたここ(2022年)に移動したかというと…前回の記事があまり気に入ってないのと、ちょっと前にこの記事を見てみると、今の心境のようなものを今年よりもずっと文章化できてるなと感じたので(状態が悪すぎて、今は言葉が上手くまとまらなくなった)
あと、状態が悪いので(絶不調)なにか吐き出したくなったので(上で書いてるようにこれならそんなに疲れない……)
 
(でも上のは乱れた感情を書いていたので…修正とかした方がいいようにも思うけど、書いたときの気分を残しておきたいのでそのままの状態で…)
 
 
 
あと、、、上で自分の苦しみはそれほどでもないと書いてるけど、1度本当の絶体絶命になったことがあるし、その後も対策をしないと死にかけるじゃなくて、しんでたので(実際にそうなるかを試すことすらできないほどに)やはり苦しみは大きいけど、でも、そこまで苦しんでいないのは、自分にあまり人のような感情がないからなのだと思います。
 
 
このブログで何度も載せている無面目という漫画のキャラの神みたいな感覚に奥底の内面は近いのですが(無理にその奥底から離れようと長い間努力していたけど)(表面的には普通っぽいと思う…)でも、今年になってから、ダメージが限界になってきたことなどで(2019年は今からすればまだ楽だった)、省略
 
 
あれは所詮漫画のキャラだけど、あの漫画の少し不自然に感じる、神が人の言葉をすらすらと話しているという部分にも自分は共感したのだと思いました。今は大分使い慣れたけど、いまだに自分と自分の言葉は分離しているように感じているので。
 
でも、あの物語のようになると、最後は終わるので……
 
 
 
まだ何か続きを書きたいような感じもあるけど疲れたのと思いつかないのでこの辺で…
ここは当分休止だけど、書きたい気分のときにこの記事にさらに点滅なしで追記するかも
(でも長すぎると文字数制限とかあったような…) では。
 
 
少し追記
 
何度か説明したような気がするけど、自分は表現みたいなことをするのが好きではないというか苦痛で(言葉自体が)それで、ここ何年も新しく書いたりほとんどしてないけど、でもやはり、何らかの意味を自分が感じるためには少しはそういうことも必要だったかと思ったりしている。でも、今はそういうような気力がないので。(あとここ何年も読書とか出来なくなったから書いても以前とあまり変化なしな気がする……)
でも、自分が書いたりするのは苦痛だけど、なぜか自分から出てきて、自分に響くようなものは気に入っていたりするので、それで同じのを何度も載せたりしている…。あと、最近の日本は良くない流れというか重苦しいような空気に包まれているので、そういうことに自分はあまり影響されない方だけど、なにも信じることができないような世の中にいつの間にかなっていて、なんか知れば知るほど暗いような気分になるなと……(なので明るいようなものがあった方がいいと思うけど自分はそれはほとんど書けないので…)そういう点では流れてくる情報で最近本当に良いと思えるのは大谷選手ぐらいかもしれない。
 
 
 
 
 
 
(過去の言葉)
 
 
・死に近い存在が自分だけは死なないと思っている不思議
 
・存在しているという意識と、消滅したいという感情。それが私という存在だった
 
・存在しているという意識と、一体なんだ…この世界というものは?それが私という存在だった
 
・不思議な風船を割っても音はしない。理由はそういうものだから。
 
 
 
有の世界にあることにより、無には違う意味もできる
「永遠に意味を供えた花束」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
追記(10月の後半)
 
ここでというか、この記事で追記していこうかと思ってこの記事を手前に移動させたけど結局1か月以上追記していなかった。状態が悪いのもあるし、この状態が続けば終わるしかないような状態になるので、もうなにかなにを書いていけばいいのか思いつかなくなった。
 
あとやはり自分のブログは『音のない心象風景』だと思う。結局自分に響くような自分の言葉はほとんどないし、この記事のように長めに乱れたようなつらいような感情を書いても、他の人がどう思うかはあまりわからないけど、自分が見ると、乱れていても静かだなというような感触がする。
 
この記事みたいな暗いような内容の記事を読みたいような人はほとんどいないような気がするけど……自分としてはこういう記事の方にこそ意味を感じてもらえると嬉しいかもしれない(誰がそうとかはほとんどわからないのですが、自分のこの意味なしのようなブログになんらかの意味を感じてくれた人がいるならありがとうございました。些細なことでも苦痛が少しはやわらぐので)
 
しかし、まだ大丈夫だけど、本当に今回はかなり危険な予感というか終わりの予感がする……。(結局それすらも乗り越えた場合は何年か前に書いた狼と羊飼いの自分バージョンにまたなってしまうわけだけど…)でもそこまで深刻にとらえているわけではないし(自分の問題の1つとして危険などをあまり自分のことのように認識できていない)平然としてるのもあるけど、これも何年か前に書いたことがあるけど、試練のようなものを楽しんでいるような感じもある(苦痛の大きくなってしまった、今ですら)あと、あの映画まだ観てないけど映画『ジョーカー』とちょっと似たところがあって、あれはよく知らないけど、あれの逆のような感じでつらいときに楽しそうな表情をするではなくて、自分の場合はつらいときでも平然としたような感じで、でも内面ではつらい感情があるにはあるけど、つらいときにでも内面ではなぜか逆に楽しいようなとも違うけど、そのような感じに近いような状態にあるように思うことが多い(これは謎…)。
それにしても自分が言葉を書こうとすると長くなってしまう…上手く短く簡潔にまとめることが苦手なだけなことのような気がするけど…。
 
 
 
 
 
(この記事に合うような過去の言葉)
 
 
 
 
 
 
 

 

そこが静かだったから
埋め立てておきたかった
儚い夢の陶酔の時間の邪魔をする者を

ここに永遠に閉じ込めておきたかった
自分はここで終わらない絵と文字を紡ぐ
時間に閉じ込められた自分の言葉と絵は無数の過ちをおかします
決して悔い改めることのない自分の言葉と絵は無数の傷を

自らの世界につけることでしょう


絵の具のように溶けた私の心象は

きっとこの世界の虚無に色をつけるために生きているのだと思います
でも、それは決してかなわぬ夢
私の虚無に色をつけることができる絵の具など

この世界に存在しない
私の心はいずれ、

この宇宙すべてを覆い尽くすことになるでしょう

 

悲しみや不思議もやがてはすべて

私のものとなる

 

 

その時まで続く終わりのない夢、

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 

更新する気はないというか(前回ので終わりで合ってるように思う……自分的に)、

 

というよりも、最近は本当に長くないどころか(以前は自分は「長くない」だった。)自分はもう短いになってきている

 

それで今まで生きてきた中で最大の危機が今回の事態だと思う

自分で終わらせるよりも危険な状態を無理やりに超越するように10年以上かけて試行錯誤しながら乗り越えてきた(臨死体験と同じかそれ以上に難易度の高いものです)それで、これだけ乗り越えると自分はなんらかに導かれているように死なずに、なんらかの奇跡的な超越をしてしまうように導かれているのでは思うというか、不思議な偶然が起きてそれがこれまで何度も自分の助けになったので、どこかで自分は大丈夫なんだろうと思って少しこの危険な状態というか状況を楽しんでいる部分があった(かなりつらいけど、目立つものではないので)けど、さすがに身体的というか(身体には実は全く問題ない、まだかなり元気だと思う)、脳の障がいとも少し違うのですが、脳のアクシデントのようなものが自分の最初期にあって、そのことは検査すらせずに問題なしということだったのですが、実はそれが自分にとても大きな悪い影響があってすべてに悪い影響を与えている。

 

自分は普通の(というような言い方は変かもしれないけど)病や障がいというのとは、

ちょっとどころかかなり違って、

発達障がいとかとも違って(その傾向はずっとあったけどそれが本質ではない)

 

次あるかわからないけど(ここで書いても意味あるのかと、書くと疲れるので。)、

こういう文章書くの苦手だし、なんか今は、ぼけーとする薬と頭痛薬を飲んで、落ち着いてハイテンションで書いている

 

自分は不眠症ということにしてるけど、常に眠たさもあるのですが、そのことに気づいていた人はいましたか……

自分はたいした不眠症ではないのですが、「睡眠」については、自分の症状と関係して試行錯誤しているうちに、

世界で誰も試していないような睡眠状態を長年続けていたけど、それで、自分が以前に何度も自分をコントロールするのが難しいみたいなことを書いたりしていたけど(自分で危険にしてしまうとか)それもその原因の1つがこれです。

 

ちょっと疲れた。ブログは少しでも共感みたいな感じのがありそうなのは消えたり、停止したりであまり居心地はよくないですが(ネット自体、自分はあまり熱心ではなかったけど、15年ぐらい前とかの方が活気があるだけでなくアングラな感じというかリアルとは違う独特の空間がネットの中にあったので、)

 

 

 

 

 

共感できない爽やかさ

 

頭痛がタイヤを履いている

 

 

 

 

では(ここは自分のブログではなくて、自分の心象風景のような感じで世界を構築してしまったので、ぶっ飛んだような部分はほとんどすべて出さないで抑えているので、そんなに当たり障りのないことが多いけど、それで、もうあまり自分に意味ないかなとか思っても、・・・思いつかない省略)

 

 

省略

 

 

 

省略

 

 

 

省略

 

 

 

 

 

音もなく黙っているのが自分に合っている……(自分にとって言葉は演技である)

 

自分にとってこの世のすべては不思議である(今回の記事はただ意味なく言葉使ったけど、最後は少しまとまったような)

 

それにしても本当にきつくなってきた。

 

大丈夫かどうかはわからないけど、能天気(イラつきもあるけど)でケロッとしてしまうのは、これはもう自分の本性なので変わることはない。なんなんだろうな、この脳のアクシデントからできた、ただの生きものという自分という存在は。消えるために存在していたみたいですね。そもそも最初から存在していないに近い状態だったように思います。

自分がこのように自己の内面に世界を構築しなければ、自分でも自分のことがわからなかったのだから、

 

 

 

 

追加で今思ったけど、今年暑いのとは関係ないけど、

 

どこかの広い草原とか、どこかの山の大きな木の下みたいな空間でその草の上で仰向けで寝て(眠りはしない…)ずっと何時間も空を見てみたいなというような気分になった。ずっと昔はそういうことをしたことがある。

 

 

 

追記(8月7日)

 

この記事を書いたときは状態がかなり悪くて、錯乱のようなそうでないような状態(自分の悪い所の1つにあまりに平然として錯乱とか逆にあまりできない…所がある)で、更新する気は当分かずっとどうかは決めてなかったけど、もう更新しても意味ないなと感じていたので(自分が状態が悪化するのは当然として、少し本音を書いても、もう響くようなことや、予想外のことはこの空間で起きないと感じていたので)、……というよりも状態が良くないではなくて、かなり悪いので(しかしそこまで目立つほどではないので、自分が限界になりかけているということは気づかれないというか、まったく、そのことに関しては弱音は出したことはない…)、

 

状態が悪いので、こういう文章苦手なのと関係なくなんか文章がまとまらない

(なんとなくふらふらとしたような感触がする)

 

それで、前回の記事で当分(来年は色んな意味でハテナだけど)休止の予定だったけど、この記事を更新してしまって、そして一応落ち着いて書いてはいたのでそんなにおかしなことも書いてないし(書いても問題ない範囲の事実みたいなことと少しの感情)

でもなんかこの記事は気に入ってないので(最後にこれが来ると)

当分残してこの記事は削除するか、それか、調子の良い時はないので……(悪化の流れをどうにかするまで)、

気が向いたときか、なにか書きたいようなことが降ってきたときに、新しく更新するかもしれない。

 

(結局最後まで、自分の言葉と自分が一致することはなかったような気がする…)

 

 

意味不明メモ(下のは過去の言葉)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



今晩は。デスタルクル

こちらはいつものようにどこかの宇宙の果てのようです。ユメタルクル
この前、死ぬところでした。
日記に書いたけど、いつだったか、数日以上前ぐらい。キエタルクル
睡眠薬を飲まずに
徹夜でうつらうつらとしているうちに
いつのまにか、

そう、いつのまにかのことです。

人の世など、
夢が瞬きするまでもなく、
終わるもの。
デジタルクル


ありがとう。




眠りは草原との約束を果たすため。

枯葉が自分に感情というものを教えてくれた。

枯葉が手紙となって草原の中に消える。


自分は草原との約束を果たすためにいつかどこかで眠るだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

10日ぐらい前だったか、夕方辺りに軽く睡眠薬を飲んで熟睡ではなくて、うつらうつら。

 

夜に薄暗い部屋でいつのまにか横になって寝ていて(ベッド兼ソファ)

 

そこでうつらうつらと寝ぼけた感じの自分

 

時々、風の音が聞こえてくる

 

暗い部屋で風の音に、そのとき自分の精神状態の方も悪くて、落ち着いてはいるけど錯乱した感じだった。

 

でも、しばらくこの状態でいて、なにかこの感じは懐かしいというか

 

ずっと昔に心象風景のように見たような感触がしたと思った

 

 

そしてすぐに思い出した、

 

これはこの感触は自分の心象風景的な作品の『わたしは真悟』だと。

 

 

暗い部屋(世界)に錯乱というか夢と現実の境界が崩れたような状態の自分の感覚

 

 

そこに風の吹く音だけが聞こえる

 

 

 

そして、ロシア兵が攻めてくるかもしれない(漫画ではソ連兵がになってるけど)という終盤の妄想的な展開(現実でもありえると最近の事態で感じてはいる)

 

 

それで本当にこの作品の世界と自分が同調したようになったので不思議な感覚になった。

 

 

 

 

 

 

以上、自分にだけ意味あるメモでした。

 

 

 

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状態が悪いのでブログは今後どうするかわからないです
(今はまだ平気だけど、一歩間違うと完全に終わることもありえる)。
 
 
あまりに限界的なものが見えてくると、書くことも読むことも出来なくなる
(読むのにエネルギーを使うのは以前からだけど、闘病系や深い闇を抱えていたり、存在そのものへの違和感を抱えているような言葉以外は自分へのダメージのように感じる、あとなんとなく心の広い感じのもそんなに疲れずに読めます…あまり自分が気を使わずに……)
(でも、そういうブログが段々なくなっていくので……読める感じのが今はもうあまりないようにも思っている…)
 
 
あと、たいした闇の本心でもないけど(このぐらいでは)前回の記事で少し自分の心を自分に騙した感じがしたのですが
こういう争いはどうとかこうとか……
 
本心では、あの辺り時期(今年の最初ぐらいからずっと)の自分は絶不調というか(今も継続中でさらに…少しずつ……)
それで、ほかの絶望的なものと対峙している人もこういう感情はそれなりに思ったことがあるだろうけど、
 
 
 
「この世界など消滅してしまえばいい」と心のどこかで思っていたので
 
 
 
ロシアのウクライナ侵攻のニュースを最初に聞いたときはなんでかな……とは思ったけど、それでその次に、プーチンが他の国が邪魔するなら、「使う」というような脅しの発言をしたときに、恐怖というよりも、自分の心がすぅーとしたような感じがした。世界の終わりの予感が見えそうだったから。
 
 
でも、それも、やはり本心でもなくて(苦痛があまりに大きいと自然とこういう感情が出てきてしまう)本心では、ワールドカップとかで世界は平和な争いで楽しんで(最初の目的はそうではなかったらしいけど、今の時代ではサッカーは国籍や人種の壁をなくすのにかなり貢献している)、遠い未来は宇宙とかが当然の時代にまでなればいいと思っている(出来ればそういう時代に自分は存在したかった)まだ、人類の物語の先を読み続けたい。(どういう結末が待っているのかを…)
 
 
今日も調子は良くないけど、本当に久々に普通の文章を書いたような気がする(自分のメモとかもほとんど書いてないし、)
もう少し、長く書けそうだけど、あまり言葉もまとまってないし、書きたいことの断片もそんなに浮かんでないのでこのぐらいで。
(この記事は残してもいいけど、残して自分の状態が疲れるような感じがしたら、前回の記事に移動してあっちに埋め込みます……)
 
 
では
 
 
 
朝の追記(4月17日)
 
新規記事で更新すると一気に疲れるかと思ったけど
久々に少しの本音と文章を書いたので、(なんとなく気分で更新してしまったという感じだったけど)
少し楽になった感じもしたのでこれは一応そのままで……
 
 
あと、この記事でも自分の本音はまだ全部は書けてないです(まだ上手く書けないと言った方がいいかもしれない)
(言語化できてないからもあるけど、本音を出しすぎるとダメージもあるし、滅茶苦茶な感じになると思う…)
 
上で書いたのとは違う、少し変わった自分の本心……(過去の、かもしれない)
 
 
『自分の意識をこの世界や宇宙やそれ以上のものと完全に同調させる。そして、自分が死んで自分が完全に消滅すると、すべての存在も同時に消滅するようにする』
 
 
8年ぐらい前に自分が超越願望が強かった時期の言葉というか意識でこういうことをブログとかにも書いたり思ったりしていた。
これは、世界を消滅させたいというのとは逆のようなもので、自分が世界を消滅させるぐらいにまで超越したいというような前向きな願望です……。(もしそうなっても消滅させるようなことはないはずです…)
 
 
 
 
 
(この記事はその時の感情だけで書いたので少し誤解されるかもしれないので下に少しの追加…)
 
(状態が悪いときに言葉を使うと感情に流されて本心からずれることが多いので黙っていた方がいいけど)
 
(意味なしメモ)
 
 
自分は昔は優しくないというかほとんどのことに興味関心とかもないし、自分に対しても冷酷な感じだったように思うけど
(今も、そんなに変わってないかもしれないけど)
でも、自分が長年かなりのダメージを受けながら生きていると、
やはりたいした優しくはないけど、目立たずに苦しんでいる存在たちのことは視界に自然に入るようになったなと思います。
そして「愛」とか「光」とかそういうことを強調して目立っている人とかこの世には多いけど、
その大半は恐竜みたいなもので…苦しんでる蟻みたいな存在たちのことなど、本当はお構いなしに踏みつぶしているようにも見えます……。
(蟻とかチリのようになった自分の体験からも…)、続きは思いつかないので省略…
 
 
あと、『失われていく宇宙』という題名にしているけど、
それの横につけている記号は無限(∞)だけど、一時期、マイナス(-)に変えようかと思ったけど、
やはり無限にしているのが響くのは、本当に完全に消滅することはないという意味だと思います。
∞のマークはループみたいにも見えるし。やはりどこまでも続いてほしい
 
 
 
 
 
『宇宙の宇宙』過去絵

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

宇宙でも、雨は降ります。

 

でも、

 

宇宙には、今日はないのでした。

 

悲しいときには、涙を流します。

 

まるで雨粒のように。

 

でも、どんなことも、

 

宇宙の前では、

 

小さなこと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

少し前に再放送していて以前から興味があった作品なので、今年見たアニメ(食事中に観るのに色々とぴったりなのでここ何年かはアニメばかり見てる…)。

懐かしいような温かい感じで良かったです(あとやはり動物に弱い…)。

時代が少しこの作品の世界に追いついてきたので意味がまだわかりやすかったけど

放送当時に見てたら、意味わからなかったと思う。

 

あと、これを見てると、魔法と科学は同じようなものになってきたなと。

 

 

 

 

 

生存報告…(それぐらいに状態が悪いです、一応健康には見えるけど…)の一時的メモでした。

あと、ピングドラムという作品と

初代ガンダム(ガンダムシリーズはどれもほとんど見たことなかった、ゲームとかでは昔、触れてたけど)

を途中まで観てる。

 

それにしても、とんでもないような時代になってきた。(というよりもあったものが表面化してきただけなのかどうか)

それについて思うこととか気づいたようなことなどもあるけど、それについては今回は、なしで(次回は自分にあるのかわからないけど…)

 

 

アルゴリズムの手先にならないでください

 

 

 

 

 

では。

 

 

次の日の追記(3月7日)

 

今年、まだ1度も新規では記事を書いてないし(一時的メモ記事や下書きですらも)

少しでも状態を良くするために4月過ぎまでぐらいまでか、

もしかするとそれ以上にブログから離れるようにしようと思っていたけど、

最近、具合が良くないので、昨日、なんとなく記事を更新してしまった(しかもあとで意図なき意味が出てこないだろうと思われるような記事)。

 

以前から何度も説明してるように自分は状態が悪い時にブログを更新したくなるので、

状態が悪いので休むといいながら更新が増えたりしてたけど、今回も相当状態が悪いです……。

(やはり平然とはしてるけど)

 

でも自分のこういうような意味のない記事でもなにか少しでもこの世のどこかで少しは楽になるような存在が存在するかもしれないので一応この意味なし記事は残しておくかもしれない(前回の記事ですべて終わらすのがぴったりだったような気がしないでもないけど……では)

 

 

あと、さらに追加で(少し記事題名に合わせて)…全く詳しくないどころかそんなに調べてないので余計な意見は避けた方がいいような気がするけど、

なんとなく感じたのはデジタル時代ではない人たちが古い価値観で起こしている争いのようにも思える。

物事は複雑に絡まっているので、そんなに単純な話ではないけど、

これからの人たちは(完全にデジタル時代の)、もうこういう意味のない争いはしなくなっていくように感じる。

(でも、混沌した宇宙なので、わからない…)

 

 

 

あとで読み返してみて、ちょっと説明不足(この記事自体、疲れてなんとなく更新したもので意味は込めてないけど)かと思った点を少し訂正

(3月が少し終わりに近づくころ)。

デジタル時代というか、「ネットの時代」の方が合っているかも。

今の時代ですら、それぞれの国と国の心の国境みたいなものはなくなりかけてるし、

支配者側の洗脳みたいなものもそんなに機能しなくなったし

(理解不能な情報も大量にあるけど…)

 

 

省略
 
 
以前に人類共通の敵がいれば(宇宙人襲来とか……)人類は1つに協力していくはずと書いたことがあったけど
「コロナ」がそれに該当するようなものだったけど、結局、そうはならなかったなと最近思った。
 

 

 

 

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(意味なし更新だったのでさらに少し追加)

 

 

本当にかなり状態が悪いので(通常の病とは違うもので説明するのが難しいけど、何年も前からなんとなく読んでた人には、なんとなくでも伝わってるはず)それで、一応、まだ大丈夫というか一見すると健康なようにも見えるけど、今回は限界が来るような予感というか、2020年辺りからの状態が悪いのが続いていて(かなり危険な)それの延長がそれからずっと続いているので、今回は乗り越えることができるのかどうかわからない。明らかにこれまでの集大成的なものだと思うけど、でも、それでもあまりに能天気というか……平然とはしているじゃなくて、平然としてしまう……(これが自分なのでこれは変わらないと思う)、でも、苦痛がかなりあってやはりつらい…(それがあるから、超越のためになりそうな読書も今は上手く出来ない…)でも、まだ効果のある方法がいくつかあるので、結局乗り越えるかもしれない(これまでこれ以上のことも不思議と乗り越えてきたので、運命に任せるというか、なんらかの不思議ななにかを信じようと思います)

 

 

あと、世界の危機…………についても本音ではなにか自分も感じることもあるけど、ちょっと攻撃的な感情になりそうなので(人間そのものに対して)黙って書かない方がいいかなと……今は。(では。)

 

 

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追加

 

この記事は意味なく更新してしまって気に入ってないので(これが最後の記事だと…)

なにかもう少し書きたいけど、思い浮かばない。

書けばなにか出てくるようにも思うけど、疲れたので書けない。

本当はこの自分の内面のような空間から離れた方がいいと思うけど

(悪化させすぎた原因の大きな1つなので)

でも、まだ続くかもしれない。

 

ただの偶然だけど、2~3年前から、自分の精神状態や体調の不調(というか限界的な)と世界全体の空気がリンクしているようだと感じたりしてしまう。

でも、自分だけでなく、世の中の人たちも、わりと平然としているというか、いまだに平和な感じというか……

 

 

 

 

 

 

 

……いつまで続くのだろう

 

 

 

 

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追加(3月30日)

 

 

状態が悪いので(生きるのが不可能になる恐れがかなりあるほどに……)

しかし、特殊な病のようなものなので、一応大丈夫に見えるほどになんともなくは見えるけど、

それが逆に厄介で、ずっとそのことで苦労していた

 

それで、状態が悪いので、ブログは4月も休止だと思います

(というか、読みたいと思ってくれるような人もそんなにいないと思うけど……)

 

あと、ブログ書くと色々と疲れるので書かない方がいいけど、今のこの追加のように新規で更新したりもしないで、誰にもそんなに気を使わずに書くのは疲れないので、違う場所で書こうかとも思っていたけど(その方が昔のように自由に書ける)、でも、この空間は量は少ないけど期間は長いのでまだ離れたくはないので、時々、ここで追加していくかもしれない。

 

 

プラスなんとなく、以前に載せたコトバの再掲載(新しくは今年はまったく書いていない、降ってくることもまだないし…)

 

 

 

 

 

 

電車の中で生き物を食べたので後ろから半分だけのお地蔵さまが追いかけてきました

 

 

目玉はサンタクロースだったので、不思議と苦しくはなかったのですが、

 

 

トナという生き物のことを考えると少しかわいそうな気がしてきます。

 

 

昨日は四角だったので今日は丸にすることにしました。

 

 

雨が降り続ける夜は心が晴れやかです。

 

 

世界がしーんと静まりかえる冬の日の天気は雨です。夏なら天気は蛙です。

 

 

蛙のことを思い出すと、蛙のことを思い出して懐かしいです。

 

 

生きものに触るのがなんともなかったころ。

 

 

さすがにミミズや蜘蛛やムカデは無理だけど、

 

 

蛙やトンボなどは普通に触って遊んでいた。

 

 

 

 

 

トンボを見かけることはなくなったが

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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8月の追記

 

この記事の題名のアニメは面白かったけど、そこまで好きでもないのになぜか記事の題名にまで使ったけど(特に意味なく)あとで今回の事態の感じを見ると、戦争は戦争でも、過去の戦争とは違い、なんかの情報戦のようになったりしているし、現地のスマホからの映像とかまであってもリアリティがないし(世界もいまだに危機感がない)、本当に大勢の人の命が大変なことになっているように感じられない、電脳コイルのような感じかもしれない…