(状態が悪いので暗い記事で書きたいようなこともあるけど、

言葉がまとまらないのでちょっとふざけたような少しは明るい???お遊び記事……)

 

 

 

 

 

エジプトではファラオがミイラをしています

 

 

 

 

 

 

 

「ネズミのねこたるくる・・・?」

 

5~6年前の写真……

自分の文章とかにいまだに違和感とか感じるし、

なんかやわらかいような感じの文章になってしまうけど

(攻撃的な部分とかもあるのに)

これはそのやわらかいような文章の感じに合ってると思います……(その時の気分で別人のような雰囲気になる…)

あと、自分の写真とか1年に1枚も撮らないこととか何度かどうかもあるぐらいに少ないです。

この頃も病のようなもので時々危険になってたけど、今と比べるとすべての点でエネルギーがあったなと振り返り…

 

 

 

 

 

 

 

「デスタルクル・・・・・・」

 

2年ぐらい前の…(ちょっと怖い感じの…)

コントラストだけ加工してるので目の辺りが真っ黒だけど、

しなくても以前よりも奥目になったので光の加減によっては真っ黒…

 

 

 

 

 

 

 

 

「永遠にネム」

 

100年後に撮った写真です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ブッタルクル」

 

 

 

 

56億7千万年後の自分です。 

 

 

 

 

 

 

 

 

では。

 

 

 

 

追記

あと、この記事は一時的ではなくて一応残しておこうかと思ったので(前回から1か月ぐらいだし)

少し意味あるメモ。

 

6年ぐらい前とか、それ以前も、

ずっと自分は『2001年宇宙の旅』のようなことを目指していたというか(そういう超越的なものを)……

 

でも、4年ぐらい前辺りから、そういう超越的な意識がなくなってきて(その理由はわかっている)、

 

それからは銀河鉄道の夜のような世界観の方がずっと響くようになったなと思います。

(言葉が入ってこなくなったのと、もう1つ理由があって映画版の方が自分には響くと思う)。

 

でも、ちょっとこの流れを変えた方がと少し迷っているので(弱くなってしまったし)

また、超越的な方向に無理にでも意識を変えたりしようかなとか思っている……。

といっても、今度は両方の世界観を合わせたものなので以前とは違う目指すものになるはず。

 

そういえば、どちらも「果て」を目指す旅でもあった……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

闇は光への待望を形にしたもの

 

 

 

 

 

 

 

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2022年の追記

(なんかこの記事が最後としても最初としても合ってるように思うので……去年に続き、ここで)

 

 

状態が良くないので(説明はしないけど)、

そして、それを改善させるためにはあまり無理しないことが効果があるので

(それすらこれまで何度も何度も、やぶっている……)

 

永眠しないように……今年は少しは冬眠しようと思います。

もうあまり自分が書いても響かないということもわかったし、ずっと停滞しているので

そろそろ、今度こそ、仏陀とか聖書とか、

重要な意味があると感じるものを少しでも取り込むときがきたのかもしれない。

 

でも、この空間が自分の心象風景みたいになってしまったので

時々はやはり書くと思います(なんか本当に書きたいことや奥底にある何かの10パーセントも書けていないけど、でも、それが出てくる前に消えてしまうのかどうかはわからない)。

 

自分のすべてはやはり自動的なんだと思います……。 

では。

 
 
 
運命はいつも時を翻弄し、逆さまの印を残していく
 
 
 

2022年

 

 

 

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もう、疲れたので死にたい楽器は二酸化炭素になっていきました

 

 

 

 

気体の気体のがどこかに飛んでいきました

 

 

 

 

 

 

 

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「こんなに不味いサラダができあがることなんてありえないから、
 
 
君の料理が下手なんじゃなくて野菜が腐りかけていたんだよ」、と君が気づいてくれたから
 
 
今日は、
 
 
『これからは気をつけよう記念日』
 
 
 
 
 

 

 

 

+++++++++++++++++++++++++++

 

 

夜の追記だけど、今日の空はなんか今までに見たことのないような不思議な空だった。

空というよりも雲がとても不思議な形状をしていた。

そういえば、ここ何年もまったくに近いほどに写真を撮らなくなったけど(病のようなもののせいで遠出で散策とかできなくなったのもあるけど)

それは、ある大切な出来事があってから、なんというか、写真とかで、なんらかの上書きのようなものをしたくなくなったような感じでだなと、どのくらいか前に思った。

(消す予定の意味なしメモだけど残しておいてもいいかも、なんかこのブログをどういうふうに使えばいいか、迷いが、ブログ形式が合わなくはないけど、自由に、気軽に、は書きづらいので…)では。

 

 

 

 

追加

(この記事は意味なしメモみたいなものであまり自分に意味がないようなメモだけど、一応残しておこうかと思ったので、自分に意味ある自分の言葉も下に追加しておきます……下の言葉は自分には凄く響くというか自分だけのためのような言葉だけど、でも、これは自分以外に響く人はこの世界にほとんど存在しないような気がする…)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

真っ白な息を吐きながら世界はその存在を消したいかのように微笑む。苦しい心は濁った血液のように青白い目をしていた。黄泉の花は鳥を食べる。前世での復讐のため。心にもないことを言葉に載せて気球のような泡たちはいずれ消滅する運命にある。意図があるなら、それで気球をこちらに。言葉の海に溺れて言葉を綴る真似事。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2021年5月20日の一時的メモを再掲載

(ここから下の説明で少し書き直したり追加した方がいいとその時の自分が言ってるけど…案の定、限界とまではいかないけど、ずっと以前から危惧していたことが悪化してきていて状態が悪いので、自分を疲れさせるほどの余裕がなくなってきてるので、2021年5月20日の一時的メモをほとんどそのままの状態で再掲載。これなら自分と少し切り離して記事更新できるので自分への影響、最小限。でも少し前に説明したような気がするけど、今年2021年よりも2018年の中間辺りから2020年辺りの時期の方が今よりも自分の心境や感覚を言葉に出来ていたような気がするので、そんなに手直ししないでもこれでいいかもしれない。あと、自分のブログは最初は2010年だけど、その時は本当に自分自体が意味不明な混沌状態だったので、あとでその原因はわかったけど、それでその後、ほとんどずっと休止で実質的には2018年ぐらいから書き始めたようなものだけど、その頃と比べると、読んだり、読んだりしてくれてた個人ブログ系のとかほとんど停止休止状態になってるのが多くて、なんかちょっと虚しいような寂しいような気分になってくるな……と。では、長い前書きでした……)

 

 

 

 

 

 

 

 

2021年5月20日

 

こんなのあったのを見つけたので、2021年で少し手直しして掲載

(前回の記事で心境を書ききったのと、ハードルを上げすぎて、次にどういう記事を書けばいいのかちょっと迷いが…疲れも酷いし……、これは残しておくか微妙、もう少し書き足したりしてから公開した方がいいようにも思うし…)

 

 

 

 

『2018年12月のメモ』 

 

ちょっと忘れてたけど、昔「アルジャーノンに花束を」という小説を読んだことがあった。

(ドラマとかでちょっとブームになったらしいけどそれよりも少し前のこと)

 

共感とかはしなかったけど、最後の言葉の場面では自分から涙が出てきた。…自分はほとんどのことに共感できないけど(共感する感じのものは普通は共感しないだろうというものばかり…)でも、なぜか、動物と人との話には弱いような気がする。(追記で自分が物語やほかのことでも涙を流したことは本当に数えるほどしかない。それでそのほとんどが動物や異質な存在の話が多いです)

 

それで、「アルジャーノンに花束を」を読んだときに共感はしなかったけど主人公のチャーリイ・ゴードンが天才にまでなったあとに、過去を振り返ったときに、自らがそうなる前にどういう扱いを受けていたのかを知って落ち込んでいたはずだけど、

 

自分が過去を振り返ったときはあれだけひどい状態でありながら、不思議な尊重のされ方をしていたなと、つらかったこともやはりあったけど感謝の感情もかなりある。特に言語機能の発達に問題があったと思うけど(その頃はその自覚すらない)最初は全くそれは目立たないほどだったけど(目立たないどころか、なぜかかなり良いと思われていた…ほとんどの人に)、段々と周りよりも遅れがひどくなっていった。学習能力はやる気なくても普通だったし、ごくわずかの興味のあること以外の記憶能力がほとんどないので、ただのまぐれだけど、少し本気を出しただけで、上位だったりしたときもあったので(初歩的な段階のだけど…)、省略……

 

 

 

ここでは自分の表現のようなものだけで出来るだけ構成しようと思い(時々、自分が抱えるものを口走ってしまうけど…)

でも、結局いまだに未熟であり、なんらかの才能があるわけでもなく、ただ、自分の大きくずれた構造のようなものをただ出しているだけという感じだから、ただの自己満足。

でも、そもそも、自分が何かを表現しようと思うのは、それを残したいからというわけでもなく(残れば少しは嬉しい程度)、

自己という存在の確認と他者との軽いコミュニケーションとしての手段のようなもの。そのどちらも、自分は言葉や映像や音を自然に思い浮かべることが出来ないという原因と関係する。

 

ここで創作しようと思わなければ、ここにある言葉と絵はこの世界に存在していない。

以前によく人に自分は不思議とかわからないとか言われるような感じのことが多かったけど、それもそのはず、自分でも自分のことが全くわからない。

俗にいうエゴとやらは自覚しながらあるし、性格的にも普通な感じだし、でも内面の観察は続けてるけど、自分の自我は狂ってるような気がする…。でも狂気というわけではなくて、おかしいのは世界そのもの。

冷静に気づけば、我々が存在していることそのものがバグのようなもの(何かの小説のセリフで少し印象的だったような)。

 

自分の抱えるもの(この世界の誰も抱えたことのない領域とまでしか言えない)は理解されないけど、でも、ある意味では理解されることの方が多かったと思う。それは自分に対して不思議というかなにか他とは違う存在という、いい意味での扱いだったから、理解されてないと感じる時も少しはあったけど、それはその人の価値観(人の趣味は否定はしないけど、視野のようなものは狭い)で勝手に分かった気になってるなと感じた。それプラス、自分自身がどうにか自分をパターン化させるのに無理に努力していた面も大きい。

 

自分のこともあまり書きたくないけど、自分は発達障がいのようなものだったけど(その認定のようなものはされてなかったし、今もされてないけど)、明らかにというか、誰が見ても完全にそうだったと思うけど(それについての書きたくないようなエピソードもいくつもある)、共感能力の高さなどで無意識に弱点を見えにくくしていた。(追記で、それについてのほかの原因も大体わかったけど、書ければ違う記事で)

 

今のこの人格は昔は存在していなかったし、なんというか、自我というか自己の機能がおかしいのだと思う。あと言語が苦手というか言語の概念がほとんど存在しない(概念ではなく、そのものだけがある感じで、だから霊感などもほとんどない)。夢の中ですらいまだに言葉が出てくることがないし、夢で映像が出てくることもほとんどない。自分は言葉や映像ではない「感触」で夢を見ているような気がする。

 

自分は言葉や映像ではない「感触」でこの世界を見ているような気がする。

 

 

一言で言うと、不思議の感触だけでこの世界に存在している。

 

 

 

 

大天才(過去絵)

 

 

 

 

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2021年の今日10月、1つだけ今回の記事に追記だけど

 

 

『一言で言うと、不思議の感触だけでこの世界に存在している。』

 

 

これは実際にその通りで以前に自動書記的に意図なく書いた小説もどきみたいな文章で(自分の自動的な言葉は一見、自分でも意味がないように思えるけどあとでその意味を知らさせることが多い)

 

『唯一、私がかすかに感じていたのはこの世界に存在しているという意識の不思議さ、
それだけがわたしをこの世界にとどまらせた。それがなければ私はすぐにでも完全にこの世界から消えていただろう。』

 

 

この上の小説の台詞のような自分の言葉と全く同じ奇妙な体験をしたことがある(書けるときに書くかもしれないけど)。

 

自分の『不思議』という『不思議な感覚』がなければ、自分はこのように言葉を書いたりもできないどころか自分がなんなのかすらわからないような存在だったと思う。

 

 

 

 

(夏が特に好きなのですがこんなに印象の薄く、なかったような夏は今までなかったような夏でした、)

 

 

では

 

 

 

 

 

 

 

 

(6月5日の一時的メモ)

 

 

昔というか、子供の頃というか、その後も、

自由な課題で文章を書かされるのが苦手というか、ほとんど全く出来なくて

(今思えば、発達障がい的状態だった)

でも、自分のおかしな所は、それで、「書けない、書くことが思いつかない」ということ(なぜ自分は書けないのだろうみたいなこと)を用紙1枚半ぐらいに延々と書いて、

結局それは提出しなかったけど、あれを提出していたら、

 

「え…なんだこれは……?」と思わせてしまったような気がする…。

 

 

そしてそれは今も実はそんなに変わっていない……

 

 

 

 

(このブログ自体がそれの延長のようなもの)

 

 

 

 

 

 

(調子悪いどころじゃないので、ただの自分のメモ的なものです、休息)

 

 

 

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(6月20日の一時的メモ)

 

 

 

『好きなかるた性格診断』

 

 

 

 

子どものときのかるた取りの勝負で、勝つことも意識していたけど、

 

それよりも自分がひそかに意識していたのは

 

自分の好きな言葉のかるたを取るということだった。

 

それらの場所に目をつけておいて、特にそれらを意識して。

 

ちょっと、調べてみて思い出した特に好きだったものとその理由

 

 

 

・犬も歩けば棒にあたる

 

これは他にも好きな人多数なはず(自分は猫派だけど)

 

 

・ 三べん廻って煙草にせう

 

煙草はまったく吸わないけど、子どものときは少し憧れが、なんか美味しそうだなと…

 

 

・ 瑠璃もはりも照らせば光る

 

そのかるたの絵柄に水晶みたいな綺麗な絵が描かれていたので、なんか宝物を手に入れる感覚で…

 

 

・知らぬが仏

 

なんかよくわからないけど、自分は昔から仏様関連に惹かれるものがあったのでこれも…

 

 

 

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わりと無難な感じだけど、少しは自分らしさも出ている…

前に少し調べた時に見つからなかったけど、

このすきなかるた性格診断サービスとかお題的アンケートみたいのは本当にあると、

それなりに使えるような気がする。

 

 

 

追記で

これと逆に品のない感じの3つぐらい…のはあまり取りたくないなとか思ってた……

 

 

 

では

 

 

 

 

 

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少年は壊れた時計を集めていた。

 

 

少年は壊れた時計の中に住んでいた。

 

 

少年は世界中の時計が壊れていれば時間というものを本当に感じることができるのだと思っていた。

 

 

時間の意味を理解した少年は時に囚われてしまった。

 

 

それが少年が壊れた時計の中に住んでいる理由だった。
 

 

少年の時は止まったままだった。

 

 

そこで時間の意味を本当に理解した少年は時間と1つになっていた。

 

 

少年は壊れた時計の中に住んでいた。

 

 

少年の時はずっと止まったままだった。

 

 

ある時、少年はこの世界の壊れた時計をすべて破壊することにした。

 

 

時間の意味をこの世界から

 

 

すべてなくしてしまうために。

 

 

 

 

壊れた時計の世界

 

 

 

 

そこには、もう、

 

 

 

 

時間というものはなく、

 

 

 

 

今という永遠だけが

 

 

 

 

 

音もなく静かに鳴り響いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「宇宙の夢を見る子供たち」 (過去絵)

 

 

 

 

 

 

 

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これは最近、かなり過去のメモを見てみるとあったの発見した没の詩のようなもの

(まだ未完成な感じがするけど一応今の感覚で推敲)、でもこういう形式で書くのは苦手なので…

 

 

 

 

 

『すべてがすべてではないけど、深い苦しみを抱えて生きている人は美しい。

苦しみの表現とかあるけど。自分の苦痛は相当なものだけど、感受性がないというか、狂ってるというか…苦しみの表現はできないな…。

してるというかしようとしてるのは死の苦しみすら恐れない、感じない、表現。』

 

 

↑ 追加でまだあった過去のメモ……(自分はメモしないと残らないからもう少し過去に残しておけばよかった)

 

 

 

 

 

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状態がかなり悪いので新しく書く気力がないというか、言葉がまとまらないので(それは以前からだけど…)、

過去記事(一時的メモ)とかでも吐き出すと少し楽になるので、時々再掲載するかもしれません。 

では。

 

 

 

 

 

 

 

 

なにか書くことを失った小鳥のように静かな声でせせらぎを聴く

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

漂流教室の現代版というかオマージュというか、ほとんど関係ないようにも思えるけど…、なんかシュールな感じで(とくに第1話)、2話はそこまででもないけど、なんとなく自分の好みそうな感じなので一応見続ける予定のアニメ

 

 

 

 

……本当はこんなの見てる場合でないほどに状態が悪い。

今度こそほんとにあの世かと思えるほどに(ここまで乗り越えたことこそが不思議な異常状態だっただけで)、

しかし、やはり相変わらず平然とはなんとか出来ているというか、

無理してるわけではないけど、ある意味最初から完全に壊れてるので……そこまで深刻にとらえることができない。

 

 

 

 

 

去年の時点で本当に終わりかけたけど、結局そのこと(その苦しみ、恐怖)は自分ではない存在には伝わらないというのも思い知ったので自力でどうにかするしかない。

でも、伝わらないというのも前例がない病のようなものと、死を前にしても、あっという間に平然としてしまう自分に理由があるようにも思える。

ブログはもう書いたり読んだりする気力があまり残ってないけど、吐き出さないと、ある意味爆発的な感情にまでなってしまいそうなので(ずっと長い間、覚めたというか平然とした感じだけど、昔は爆発的な感情はありました)、ただの自分のメモブログに変えて書くかもしれないし、書かないかもしれない。

自分でもこのブログをなぜ書き始めたのかよくわかっていない。

そして、そのことに意味があったのかどうかも……

 

 

 

 

追記

記事を書かなくても、なんか落ち着かないし、このように書いてもやはり疲れる(あまり意味あることも書けないし)

 

 

あと、最初に載せたアニメ作品は第1話は良さそうな感触だったけど、続きはそこまで好みの作風でもないかもしれない

(わたしは真悟は意味が分からないけどなぜか好きだけど漂流教室の方はそこまで好きではないし)

 

自分が共感しそうなのは、「なんだこの世界は…」とか「なんで存在しているのか…」というような感触があって、さらに意味自体がわからないようなものが

 

 

 

 

 

ハテナ 意味不明 果て (過去絵)

 

 

 

 

 

追記(8月の中間辺り)

 

 

自分の言葉がいつからだったか、気づくと、ずっと昔から苦痛のようというか違和感というか、自分の感情のようなものと合っていないように感じられるけど、このブログで変化とかあって、自分の言葉が響くようになってきたと感じたりもしたけど(ここ何年かで)でも、やはりというか結局、いまだにそんなに自分の言葉は自分に響いていない。

 

でも、全体を通しての混沌としたような意味の分からないような感じは自分らしくなったようにも思える……

 

ずっと以前から思っていたというか、分かっていたことは、

自分は言葉を使わずにただ黙っているのが合っているというか、

それが自分に響く言葉なんだと思ったりする。

 

 

 

あと、もう1つは……

 

このように自らの言葉に対する苦痛や違和感のようなものを書いている時が

 

 

自分らしい言葉なのかもしれない……

 

 

(なんかずっとこれを繰り返しているような気がする)

 

 

 

……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

追記

 

結局、自分はいまだに奥底の本音を書いていないのもあるし、言葉にもできていない……

 

意味が分からないのと、わけがわからないのと

 

 

 

そして、その最初の原因は自分ではわかっているので、

 

なぜこのような存在が存在してしまったのか…というのが少しの本音

 

結局、自分だけでなく、すべてが不思議(もう少し色んなことを書きたかったけど、ちょっと限界が……今の所、)

 

 

 

 

追記

自分の言葉が苦痛というか、

上手く感情のようなもの(普通の感情自体そんなにないように思えるけど)を表現できていないのであまり自分の過去の言葉とかをみかえすこととかないけど、ちょっと見てみたけど、2年ぐらい前に自分の抱えるものについての悩みのようなことなどをほんの少し書いたりしてたけど(そのときは今と比べるとまだ耐えれるぐらいではあった)、そのときの方が今よりもずっと自分の感情に近いことを書けてるなと思った。

 

それ以外のことも2年ぐらい前から1年ぐらい前辺りの方がなんとなくそれなりに良く書けてたように思う。

今年はほとんど書いてないけど(記事だけなくて文章自体を書いてない)、たいしたことも書けてないし、

全体的になんかすべてがパワーダウンしてしまったように思える……。

 

 

 

 

 

 

追記(8月の終わり)

 

 

 

奇跡は 誰にでも

 

一度おきる

 

だが

 

おきたことには

 

誰も気がつかない

 

 

 

 

 

 

 

 

(この作品の重要な言葉でとても印象に残っているけど、自分はすでに1度目の奇跡があのときにおきてしまったような…ということは、、)