「精神医学と当事者」を読みました | 女医の国際精神保健

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精神保健および公衆衛生を軸に、韓国、ロンドン、ジュネーブ、ニース、フィジー、赤道ギニア、東京、インド。
他にも、旅行、馬術、音楽、写真などについて記載しています。

一緒にシンポジウムを組む方が一部執筆されているらしいと、読みました。

 

 

 

シリーズで、他にも下記があるようです。

 

 

 

なるほどと勉強になることもあったり、ぼんやりしていてよく分からないなと思うこともありの本でしたが、「精神医学」と医療ガチガチの視点には「本人の日常の中の精神保健・医療」とか「社会全体の中の精神保健・医療」がもたらされると思うので、医師とか看護師とかにこそ読んでもらいたいかもしれません。

 

興味深かった点を下記に列挙してみます。

ー 戦後から今日までの精神医療は「精神衛生法」を中心に築かれ、その基本的考え方は「社会防衛」である。すなわち、伝染病対策と共通して、精神障害者は社会にとって有害と決めて排除する対象である。

ー 1961年に措置入院の入院費用の国家負担補助率が上がった際の理屈は、「精神障害者を入院させることで、社会不安を積極的に除去するから」。

ー David Cooperを中心に盛り上がった反精神医学は、精神障害者は抑圧的な精神医学を必要としている社会が作り出した被害者としている。反精神医学は家族を社会的抑圧のエージェントとみなした上で家族内の意思疎通の歪みと精神疾患の関連を論じている。(1972年エスターソン・レイン、ダブルバインド理論の2000年ベイトソン)

ー 病気は社会的相互作用の中で「病人役割」と切り離せない。ラベリング理論では、社会集団はこれを犯せば逸脱となるような規則を設け、それを特定の人に適用し、彼らにアウトサイダーのラベルを貼ることによって、逸脱を生み出す。

ー 全制的施設では、公私の区別なく、同一の場所で同一の権威の指示に従って、事前に意図的に設計された計画に基づいて、同じような生活をする多数の他人の前で、生活の全てを行うことを個人が強制される点にある。その中で個人は無力化される。

ー 社会規範として家族はケアの担い手として自明視され期待されている、制度上も患者にとっては家族以外にケアを求めることが難しい状況が作られている、家族と周囲の偏見により家族・本人が他者に助けを求めようとせず孤立する。

ー 当事者研究の紹介 http://toukennet.jp/?page_id=2

ー 下記の本の紹介もありました

 

 

 

緊急時にどのようなサービスがあるかという視点もそうですし、精神障害者とはどう決まるか?家族との関係は?病院という場所の特殊性は?といった視点は現在私が取り組んでいる「強制入院と意思決定支援」の研究にも大きな示唆がありました。