気温44度で暮らしました | 女医の国際精神保健

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精神保健および公衆衛生を軸に、韓国、ロンドン、ジュネーブ、ニース、フィジー、赤道ギニア、東京、インド。
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2018年1月〜5月はインドのアーメダバードで研究をしていました。

その際、気温はかなり生活に影響いたしましたので、記載いたします。

 

グジラート州はインドの中でも特に気温が上がる州として知られており、その州都アーメダバードもしくは砂漠の入り口ジャイサルメールはインド人も「あそこは最大にきつい!」という気温です。

 

到着した1月は、最低気温12度・最高気温28度とかで、羽織りものやスカーフで調整して快適でした。友人たちにも「一緒に探検しよう〜」なんてお誘いを出したりして。

2月もそれほど色々考えずに、むしろ排気ガスとかを吸うときついなあって感じで。

3月は最低気温19度・最高気温35度へとなり、日光はジリジリしていて、リキシャでの移動がクーラーのきくUber(タクシー)での移動へと移行し、昼間は外を歩きたくない感じになって行きました。「もう旅行の計画は立てない方がいいよ」とインド外の友人に連絡したのですが、その暑さはあまり理解されずみたいな感じ。

3月後半は、寝苦しくて夜起きたり。扇風機はずっと回しっぱなしで、好きじゃないクーラーも一日に数時間は使わないと体力が持たない感じ。

4月頭のイースター頃はバンガロールへ行きましたが、事前の相談でしきりと友人は「歩いて楽しい地区」の話をしていて、私は「え?外歩けるの??」というギャップ。この頃のアーメダバードは40度でバンガロールは31度とかで雨が降ったりするとぐっと気温が落ちたりって具合。

アーメダバードの人々は「夏はまだ始まったばかり」って言うけれど、連日の40度越えは辛く、夜はよく眠れないし、昼間もクーラーかけても床は暖かいし、窓際は暑いしって感じで、部屋の真ん中の椅子で過ごす感じ。昼間ちょっと外に出ようものなら、日焼けを通り越して、火傷の気分。

企業とかショッピングモールとか景気良さを醸し出すような場所は、冷房がガンガン入っていて、ゆとりのある人は涼みに入っていました。でも、設定が15度とかで、私はスカーフ持参。で、そこから40度へ戻ることの辛いこと。。。

4月中旬は42度の気温を示し、1ヶ月以上の暑い生活に私の体力も辛くなってきて、研究データも目処が立ってきたところで、6月末までの滞在予定を5月に繰り上げる決心をしました。

研究滞在は大学の許可や助成金で行なっていたので、審査を受ける必要がありましたが、「許可がおりようがおりまいが限界」と言った心持ちでした。

5月は44度を連日示し、「48度あるよ」って言っていた地元っ子たちの言葉が現実に近寄ってきました。

そんな中、ムンバイへ移動し、「35度って涼しい!少なくとも呼吸できるし、まあ歩ける範囲!」とかって感激をして、25度くらいの日本へ帰りしました。その時は異様に日本が暑かったタイミングだったのかな?その後、ちょっと下がりました。44度から18度への直の移動でなくてよかったのかも。

 

Heat Health Actionなんてのもグジラート州では組まれていて、暑さによる健康被害を最小限にする努力がされています。

路上生活者、老人、乳幼児、屋外労働者を中心に被害は大きく、一日300人が亡くなることもあるそうです。

気温と健康の知識、気温予報の正確さ、涼しい環境・家づくり、電力・水などの安定した供給、健康被害時の医療機関の対応の向上などが取り組まれているようです。

 

「5月は一番暑い季節で、6月になるとモンスーンで気温が下がる」だそうです。

モンスーンも町中水浸しで生活しにくそう&健康被害がありそうです。

 

そんな訳で、研究を目的にした滞在でしたが、44度で生活することも経験し、私の世界への理解が深まり、さらに日本の猛暑日への恐れが減りました。