スウェーデンの小学校とイギリスの大学院とインドのディプロマへ通って思うこと | 女医の国際精神保健

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こんな  こんな  こんな  感じで、スウェーデンの小学校に二年間通っていました。
そして、こんな  こんな  感じで、イギリスの大学院に一年間通っていました。
さらには、こんな  こんな  感じで、インドのディプロマにも通いました。
それ以外の教育は、保育園・幼稚園~大学まで日本です。

そんな経験を通じて、「教育とは何か?」「教育環境」「教育方法」を考えることがあります。
1 生徒と先生の割合の違い
2 生徒の国籍や言語の多様性の違い
3 集団行動を重んじるか個人の意見を重んじるかの違い
4 学校の位置づけの違い
が思い当たるかな?
日本は生徒の人数が多く、各自は集団を重んじるように教育を受け、学業だけでなく集団生活(掃除など)を学ぶように設定されているように思います。
スウェーデンは個人の意志や能力を最大限引き出すことに重きが置かれていたように思います。

イギリスとインドでは、それぞれ専門性の高いコースを選んだため、「イギリス」や「インド」の典型的な学校というよりは、その分野での最高のものが実現していて、それを求めて世界から学生が集まっているという感じでしたので、イギリスとインドの学校を一般化して語るには偏った経験だったと思います。
それでも、入学希望書類を記載している際の「障害のある人」の項目などをみると、皆に平等に機会が行き渡るように非常に強い努力をしていることは伝わってきました。

教育には初等教育(小学校ー高校)と高等教育(大学ー大学院)があると思います。
初頭教育では、掃除当番があったりするような日本の学校の位置づけは賛成します。
それによって、社会参加を学ぶと思いますし、どの仕事も社会において重要であることを学ぶと思います。
しかし、「集団」が「個人」より強調される場面は多く、個人の意見を我慢したり曲げたりすることもあり、また個人の意見を説明したり聞いたりする練習は極端に少ないです。そのため、自分を自分や他人に説明することが下手となり、自尊心低下や交渉力低下がおきるのではないかと思います。また、英語力の低さが問題にあがることは多いですが、それも説明力や相手の話を聞いて分析する力が低いからなのではないかと思います。
これらの点は高等教育にもつながることであり、大学院で小論文を書く機会、討論の機会がたくさんあり、その際に欧米の学生との力の差を感じました。
「自分を大切にする」ことも日本の学校では学ばないことだなあと思います。
また、「宗教」ももう少し日本の学校で学んでも良いものではないかと思います。

いろいろ思いを巡らせると、初等教育の段階で少し他国の教育環境に行くというのは「自分の当たり前は世界の当たり前ではない」ことを学び、「皆がそうしているからといって、自分にそれが合っているとは限らない」ことを学び、「大抵のことは乗り越えられる」ことを学ぶ機会になったなと思います。
そして、高等教育はその分野の最前線の人が集まるところで受けるのが「グローバルスタンダードを踏まえる」ことであり、「自分の力に限界をもうける必要はない」ことを身につける方法だったと思います。また、イギリスで教育は一方通行ではないことを学んだのも良かったと思います。先生から生徒に教えるという構図だけでなく、生徒から生徒に教えたり、生徒から先生に教える構図をダイナミックに感じられたのは非常に有意義でした。

日本の多くの方が、他流試合をたくさんできることを願っています。