セラピストの私が、今でも自分のセラピーを大事にしているわけ
以前あるレクチャーの中で、「カウンセラーになっても、カウンセリングを続けるべきなんだ」という話をしたら、とても驚かれて、いつまで続けるんですか!?と聞かれたことがあった。プロになって10年目くらいについた、私のスーパーバイザーは、自分のセラピーは300時間くらいしてるわよね?と平気で聞いてきた。ガーン。そこまでしてない•••!とびっくりしたこともある。そりゃあ、スーパービジョンとかワークショップとか、いろいろ計算したら、それくらいは軽くいくだろうけれど、個人のセラピーは、多分今の私でも、200時間も行ってないはず。ということで、私の中では、セラピーをずっと続けることは当然のこと。もしかしたら、「先生」という立場になり始めているからこそ、続けなくちゃいけないとも思っている。だからこの質問に対しての答えは、できる限りずっと、なんだと思う。でも何にしても私は、スピリチュアルな学びが大好きなの。だから趣味みたいになってるのかも。15歳の時に、ニューヨークに魔女の学校があると知り、そこに行ってみたいと思い出して、タロットを始めたこともあった。演劇に興味を持ち、演劇学部へ進学したけれど、それも、演劇の持つ神秘的な部分に惹かれていたから。ただ、私の人生にとって、スピリチュアリティは、重要な要素なんだけど、でも、すごい!!と思うものばかりではなく、なんとなく「スピ系」でくくられているものには、身構えていることもあるし、中には「けっ」と思ってしまうこともある。2021年になる前に、「風の時代」という言葉をやたらと目にしていた。読者さんから、拙著で私が書いている「女性性の時代」と似ていますね。とメールをいただき、それで、なんとなく内容が理解できた。(ありがとうございました)でも自分で、風の時代だね!なんて、いうには、恥ずかしすぎて、なんか違う気がして、そんなことは言ったりはしないけれど、よくよく考えてみたら、そんなのこの時代の流れで言ったら当然だろ、としか思えない内容だよね。もちろん、大きな流れとして、地から風のエレメントへと移行していることは、否めない事実なのだろうけれど。以前こんなブログも書いたけれど、私は、全ての人がスピリチュアルな存在であり、全ての人に、そのスピリチュアルな力があると信じている。そして霊感が強いことがそのまま、その人の精神性が高いことを示すわけでもないし、霊感が強くても、その人の個人的な問題が投影されているのであれば、見えるものが、純粋なものであるわけでもないということも、経験上よく知っている。『スピリチュアルな力と精神性の高さは比例しない』こんにちは。ドラマセラピストの中野左知子です。ブログにお越し頂き、ありがとうございます。「不思議な、見えない力」について「そういう人のほうが、精神的に高いの…ameblo.jpだから、私は、自信たっぷりに「霊感がある、見える」と言ってくる人をとても警戒してしまう。霊感があって、見えないものが見えると言っても、その人が自分のことをちゃんと学んでいなかったら、大抵の場合、あてにはならない、とはっきり思っている。だからこそ、スピリチュアルなことに興味を持っているのなら、キラキラしたものとか、前世とかオーラとか、そういうものばかりを語るのではなく、今この瞬間、自分の心の状態を見つめる練習が必要だと思っている。ヒーリングコードを実践するようになり、エネルギー的に人とつながることを学ぶようになったからか、奇跡のコースで、神の子である自分や相手を見る練習を始めるようになったからなのか、それはわからないけれど、私は、以前よりも「相手の光」や「癒すべき傷」が見えるようになっているなあと最近ふと感じたことがある。(光と言っても、文字通り光が見えるのではなく、その人の持つ素晴らしい要素という意味で)でもそれは、霊的なものというよりも、もっともっと、「ここにあるからわかること」のような感じがする。時々、初めてのヒーリングコードのセッションで、心を上手に開いてくれる方だと、自然にわかってしまうことがある。(もちろん、それはヒーリングコードのトレーニングで学んだ方法でもあるけれど)そうすると、「霊感があるんですか?」とびっくりして聞いてくださることもある。「違うんですよ。霊感じゃないんです」と答える。何かがわかったのは、あなたが、私に心を開いてくれているから。連続セッションを受けてくださっている方なんて、かなりエネルギーでつながっているからだと思うけれど、ご本人が思うよりも、私の方がはっきりと、その方の素晴らしさを見ていることが多い。もちろん、ご本人は、自信のなさや過去の心の傷などから自分のことを、こんなにも肯定的に、光の存在と見ることができないからこそ、セッションを受けてくださっているわけだけど。何にしても、私がそのかたをちゃんと見るためには、私の中に、余計な偏見とか、余計な不安とか、相手を斜めから見るような曲がった思い込みなど、そういうものがあってはならないのだ。目の前にいる人を、本当に光の存在としてみたい、と願うことは、その人が光の存在であることを、思い出させてもくれる。だから、私は何かというたびに、自分の心を見つめる努力をする。個人的生活の中では、家族に対してなど、結構できていないことにも気づく。ああ、だからこういうことが起きるわけね、とやっぱり見つめてみる。で、そういう自分については、というと、自分のことは全然見えない。わからない。それももう一つの大きな理由で、私は自分のワークを続けていく。自分を見つめるということは、簡単なことではありません。いわゆる「スピ系」でくくられる世界は、なんかふわふわキラキラしているみたいけれど、本当は、修行の世界だと思う。以前、ワークショップに参加してくださった方が、さちさんは「職人みたい」と感想を寄せてくださったことがある。(その感想は、リンクのページをスクロールダウンした一番下に載ってます)心を見つめることは、本当は地味で地道な作業なのですよね。で、ここまで書いて思うことは。「スピ系」という分野については、私はこんなにも斜めから見ているんだな、と気づきました。まだまだ、自分の修行は足りてません・・・もっと愛を持って、この世界を見つめられますように。今日もお読みくださりありがとうございました。女性性について書いている本はこちらドラマセラピーで40代から人生のヒロインになる-あなたの中の美人が目覚める-アマゾンジャパン合同会社1〜2,860円演劇の神秘について書いているのはこちら魂を癒す演劇: 古代の私に出会う場所Amazon(アマゾン)1,000円