私は、身体上の理由で
20代の多くの日々を「稼げない」で暮らして来た。
あるいは、資質上の理由で、
と言った方が正確かも知れない。
一方で、自分にしては稼いでた時期もあった。
当時は、
文章を書いてそれを納め、
収益を得る会社に勤めていた。
文章は創作的だった。
それを顧客は欲してた。
これ以上書くと、
会社の機密情報に抵触するので
伏せておくけど。
売上ノルマを超えた日は、
皆で食事に行った。
厳しい上司達が
その時は、飲み仲間。
同僚達のことも好きだったので
楽しかった。
日頃の上司の厳しさには、
肝が冷えた。
でもクドくはない。
一時耐えれば良い。
言うとおりに修正すれば、
それで終わり。
それが毎日続くと
なかなか辛いものはあるが、
それよりも
お金を得ることが大切だと、
当たり前のように思った。
学生時代には、作文を書けば
最低でも佳作には選ばれた。
しかし、書くことがお金になることを
大人になって、全身で経験して、
初めて、
学生時代の作文をきちんとやり遂げたことに
具体的な意味を感じた。
欲しいものはひととおり買えた。
やりたいこともひととおり出来た。
しかし、それ以上、
大きな夢を見ることは出来なかった。
そのひとつが、愛についての夢だ。
当時、私が好きだった人は、
私の仕事に対し、そこまで理解が無かった。
反対はされなかったが、
いつかは辞めたほうが良いという意見だった。
好きな人にそう言われるくらい、
その仕事には、厳しい一面もあった。
また、好きな人とは
一緒に遊ぼうと約束をしていたが、
私が長時間拘束されているため、
簡単に会えなかった。
そのため、相手からのメッセージが
癒しだった。
癒されなければやっていけなかった。
例えオフィスの椅子に座りっぱなしの仕事でも、
体力や精神力は消耗していく。
そして、そのことを理由に、
ある日、私はその仕事を降りた。
降りてみて、分かった。
楽しい同僚達と時を過ごせた。
顧客の人生に踏み込んで、話を聞いた。
仕事のボリュームも大きかったし、
私は時間を捧げた。
ただの犠牲ではなく、
私は"自分の能力が活きる"実感を
毎日味わっていた。
すごい時を過ごしたな、と。
でも、それは、
"戻れない過去"ではない。
私は
今でも書きたいと思っているし、
こうして書くことがあるから。
これは、Hと出会う数年前の話。
Hの話はこちら※過去記事