『研ぎ師伊之助深川噺ができるまで 162』 | オーディオキネマ 研ぎ師伊之助深川噺

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~ライターのつぶやき~
「現代と江戸」



昨日は、

すべての仕事を終えたあと、

どうも頭がボンヤリとしてしまい、

まるで二日酔いのような気分に襲われましたね



二組のワークショップ参加者には、

大切な節目の回でもありましたので、

私自身とても慎重にワークショップを進めていました




どうやら、

思っていた以上に、

脳みそを働かせていたようですね

さて、

本日もしっかり働かねばなりませんね



今日のブログは、

昨日書きたかった内容を記事にしたいと思います

それは、

現代と江戸の比較です。



皆さんが、

映画やドラマで観る江戸の街とは、

町人達が活気をもって行き交い、

それらの表情には笑顔がある風景でしょう。

私も、

今までは、

そんな景色を思い浮かべて、

シナリオを執筆していました



しかし、

色々と調べていくうちに、

そんな人情の街〈江戸〉も、

現代の都市部と変わらない実情が見えてきたのです

といっても、

江戸幕府が、町の開発をはじめてから、

明治を迎えるまでの260年あまりには、

様々な事情もありますので、

一環したことは言えませんが、

人々の心というものは、

今も昔も変わらないようなんです。




そんな思いになったキッカケは、

松尾芭蕉の句を知った時でした

それは、

芭蕉が大阪の旅先で亡くなる、

10日前に作った句です。

「秋深き隣は何をする人ぞ」




その句には、

様々な解釈があるようです。

例えば、

隣人への関心があるけれども、

自分は孤独になっていたい、というもの。

芭蕉は、作家としての目的のために、

他人との関係の断絶を望んでいたというのです。

俳句とは、心に芽生えた風景、心情を巧みに文字に落としこむ芸術です。

己の感性に集中するために雑音をシャットアウトしたかったのかもしれませんね。

なんとなく理解が出来るようです




私は、

この句についての解釈を読んでいる時に、

江戸とは、

このような句が詠まれるくらい、

個的存在を求めることが出来た土地なんだろうか

と疑問を持ってしまいました




もちろん、

仲の良い人々もいれば、

孤独を愛した人もいたでしょう。

しかし、その実態は、どのような雰囲気だったのでしょうか。

時代劇ドラマでみるような、

うるさいばかりの喧噪、人情の渦巻く江戸だったのでしょうか。

その辺りを調べてみることにしました




そんな、

答えを見つけるまでに、

さほど時間はかかりませんでした。

いくつかの書籍を読むに、

どうやら、江戸の街では、

町人や、一部の武士には、

数代にわたって同じ土地に根付き、

隣近所と親睦を深めるようなことは難しかったようです。




原因の一つには、

幕府による町人街の強制転居がありました。

徳川家は、開府以来、

大名統制を行うために、度々法度を公布して、

厳しい政策を打ち出していました。

そのために、その後一世紀に渡る江戸初期に、

断絶した大名は、194家にのぼりました

そんな中、

新たに取り立てられた者は、

家光の代までで、実に172名もありました

この現象は、

江戸城下の大名の拝領地の区画割りへと影響を及ぼします。

武家地を作るために町人は退去させられ、

新たな土地に住むことを命じられたのです




大名の上・中・下屋敷の配置と言うのは、

譜代が外様大名を監視するように置かれていましたので、

その都度、変動があったようです。

(松尾芭蕉が生きた元禄頃には、それも落ち着いてきたようですが)



これでは、

現代の一軒家の住宅街のような、

数代にわたって交流のあるご近所というのは、

なかなか成立しなかったのではないでしょうか

その間にも、

地方からやって来る商人、職人、大工などが、

どんどん江戸へ流入したでしょうから、

貧乏長屋などでは、

むしろ、新顔のご近所の方が珍しくなかったかも知れませんね




他の理由では、

火事がありました

「火事と喧嘩は江戸の華」

なんて言われたように、

江戸の町は、とにかく火には弱かったんですね

日本橋から神田あたりの下町では、

明暦の大火(1657年)から天保の大火(1841年)までの185年間に、

30回以上も全焼していました

これは5-6年に1回の割合で住まいが焼けてしまう計算です

享保年間には、消防設備も整い、大きな火事は激減したようですが、

元禄・宝暦・天明期のような火事が頻発した時代には、

2年に一度とか、3年に一度というほど、

しばしば全焼の憂き目にあったようです。

被害にあった町人などは、

てんでバラバラに新しい住まいへ引っ越したでしょうから、

現代の私達が思い描く、

昔なじみの人情づきあいなどは、

珍しい光景だったかもしれません




私のシナリオの主人公〈伊之助〉のような独身の職人などは、

夜な夜な一人で徳利を傾ける男も多く、

火の用心を疎かにするものがいたようですね。

町人長屋では、

かなり嫌われた存在だったこともあったようですよ。

些細な火の不始末が、

木造づくりの江戸では、

致命的な災害に発展しましたからね




なんだか、

マンションやアパートで、

おとなりの顔も名前も知らないという現代の状況。

中高年の近所同士が、騒音問題でいがみ合うニュース。

そんなものと似たような生活を感じずにはいられませんね




以上のようなことを、

くどくどと書きましたが、

人の繋がりなんてもっと単純で、

絆などはいつでも生まれていますよね

学生時代に新しいクラスで、

意気投合した仲間と親友になることなどは、

全く普通のことですから、

昔も強い結びつきのご近所サンというのは、

もちろん江戸にも存在したでしょう

助け合わなきゃ生きては行けぬ貧乏生活でもあったでしょうしね




しかし、

時代劇ドラマを商売にする、

ライター、演出家、制作スタッフ、役者は、

このような当時の現状もしっかりと把握しておく必要はありますよね

幸せばかり、

人情ばかりの江戸の下町では無かったという事実です

江戸時代なんて、

たかだか160年くらい前の話ですからね。

本当の姿をイメージしておきたいですね




できるだけ、

ご先祖の生活を理解した上で、

作品作りができたら素晴らしいですから




ホント、

まだまだ、

勉強が足りませんね。

精進します。







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