沖縄の話 | dragonzoのブログ

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今まで体験してきた不思議な現象を書こうかと。



「占領下の日本1」と言う過去ログで私の父が戦後はじめての日本人従業員として米軍基地で働いた話は書いたので、興味がある人はそれを読んで欲しい。

私も何の因果か、米軍基地で働いたことがある。

ジャパンタイムスの求人広告を見ていて、新聞社の倉庫で働く求人が出ていた。

応募すると、西麻布にある在日米軍の基地だった。極東地域の米軍や軍属関係者に新聞を配布する基地だった。私はその基地で備品を修理するセクションに入った。

アメリカ人は機嫌が悪いとゴミ缶を蹴飛ばす。そのべコンベコンになったゴミ缶を元に戻し、ペイントするのが私の仕事だった。

これも日本の思いやり予算から出ていると思うと、なんだかなぁって感じだったね。

雇用は、米軍から直接雇用される場合と、日本の防衛施設庁から出向と言う形で派遣される雇用と2タイプに分かれていた。

私は防衛施設庁からの出向と言う形で雇用された。

米軍基地ということで、有事が起きた際は、その場で雇用解除となる契約だ。そのため、その時点で退職金が100%出るシステムになっていた。

防衛施設庁から米軍直接雇用になることも可能だった。その際はそのたびに退職金が出る。そこで4年おきに雇用体制を行ったり来たりしている従業員もいた。

新聞を発行している基地だったので、それをサポートするセクションも多数あった。

フィリピンに新聞を送っているセクションのやつに聞いたら、発送した自転車がすぐなくなる。そこでまた自転車を送る羽目になったとぼやいていた。盗難が多いそうだ。

だけど、この前棚卸しに行ったら戦車が1台なくなっていたと言う。

私も沖縄に出張になった。

横田基地から嘉手納基地へ軍用機に乗り沖縄まで行った。 

搭乗手続きの際、機内食は食べるかと質問された。私の後ろに並んでいた黒人の兵士がまずいから、やめとけと声をかけた。

搭乗すると、折りたたみのコットンで横並びの椅子。パラシュート降下できるような飛行機だった。内装は全くない。搭乗する時、マッチ箱のような箱を渡された。見ると耳栓が入っていた。内装がないから、音がすごいのだ。

エアーポケットに入ったらしく、10メートル位の乱高下に巻き込まれた。

隣にいた日系人の夫婦が、私がコンタクトレンズを落としたことに気がついた。

「おい、こいつがコンタクトレンズを落としたぞ」と叫ぶので、周りにいた兵士が寄ってきて、膝をついて私のコンタクトレンズを探してくれた。乱高下の中で。

給油のために、山口の飛行場に降りた。

そしてまた沖縄に旅立った。

沖縄に着くと、7日間の出張の予定が2時間で終わってしまった。

ゆっくりしていけばいいんじゃないのと現地の日本人スタッフに言われて観光の案内をされた。

真っ先に連れていかれたのは、ひめゆりの塔。

これは、内地の人には絶対見てもらわなければいけないと熱く言われた。

私の父も沖縄が本土復帰を果たした際に、とても観光で行く場所ではない。沖縄の人には大変申し訳ないことをしたといつも言っていた。

そして、この1週間どう過ごそうかと思っていたら、初日にMPの兵士と知り合った。

そいつがご機嫌なレゲエバーがあるからと言うので、そこへ行った。

ドアに今日はパーティーなので、ウチナンチュ以外はお断りですと書かれていたが、MPの顔パスで入れた。

オーナーは東京生まれの元美容師。沖縄が好きでこの店を開いたと言う。DJはジャマイカ系のアメリカ人で米兵だった。

この店に毎日通った。

沖縄と言うところは変わっていて、道の路地に老人が立っていて、その先は行っちゃいかんとかって言われたりした。

霊が出るのだとか。

帰りの飛行機はジェット機だった。

期待の後方から乗り込んで折りたたみ式のシートに座る。その後からコンテナを搬入する。

後方向きに座っているから、離陸すると倒れそうになる。

飛行が安定すると、スチュワードとおぼしき人物がコンテナによじ登り、救命胴衣の説明をする。救命胴衣が膨らむと大歓声が上がる。

映画「アニマルハウス」状態だ。

ちょうど円高の時期だったので、日本人相手に売春する兵隊とか、ロケットランチャー買わないかと言う兵隊とかいかれた連中がいた。

ロケットランチャーぐらい買っとけばよかったなと今では後悔している。

今日は、この辺で。