教科書の話 | dragonzoのブログ

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今まで体験してきた不思議な現象を書こうかと。


水原一平問題で教科書差し替えが話題になっている。これって経費誰が負担するのかなあ?

文部科学省?

出版元は差し替え分の諸経費もらえるのかなあ?

英語の教科書ですよね。それだったらサイドリーダーの小冊子作って、授業中に直に教科書に墨入れ新たな例文を日本語で提示して、生徒に作文作らせると言うのがいいんじゃないのかな?

そして、こういう悪いことしたら、それなりに歴史に残るんですよと教えたほうが社会勉強にもなるのでは。

経費削減にもなるし。

私が通っていた中学は結構名門校の進学率が高く、1年生初日の授業前から休憩時間も座って自習している生徒だらけだった。

頭の良さそうな子が最前列を占めている。

英語の教師はアメリカ帰りで教科書を一切使わない。だから、塾通いの優等生には教科書通りの授業をしてくれといつも文句を言われていた。

そんな時、先生は、君は海外でトイレに入っていてノックされたらなんて答えるって優等生に質問する。すると優等生は一生懸命英文を考えて答える。

先生は笑ってノックされたら、ノック返せばいいんだよ。それがコミュニケーションだろうと笑っていた。

英語の授業中は、無視して、自習していても、OKだが、指名されたら英語で答えなきゃいけないと言うルールがあった。

私はいつも文庫本を読んでいた。読んでいる本をいつもチェックされる。ちょっと難しそうな本を読んでるとお前すごいなぁと褒められる。また褒められたくてわかりもしないのに結構背伸びして、「ゲマインシャフトとゲゼルシャフト:純粋社会学の基本概念」なんて本も中一で読んでいた。

美術の先生も変わっていて、芸術に点数をつけられるわけがないだろう。これからお前らの絵を壇上から飛ばすから1番飛んだ奴が1番良い点だ。とか言うから画用紙の裏側の角に10円玉貼り付けて提出していたりしていた。

高校の社会科の先生なんかこんなペラペラな教科書じゃ歴史なんか学べない。もっと絞り込んで歴史を掘り下げた方が面白いのだ。とか何とか、岩波新書の「戦艦ポチョムキン」を1年かけて講義した。

そして、試験の時は、論文が1問、戦艦ポチョムキンについて書け。その後の空白部分は、世界地図を描け。となっていて、地図さえ下手でも書いておけば、論文書けなくても、赤点は免れる仕組みになっていた。

私が小学校に入学する時、父親に辞書を買ってくれと言ったら、いきなり広辞苑を買ってきた。ランドセルに辞書を入れると、教科書が入らない。父親に言うと、そんなペラペラの教科書は1日で読め。この辞書は一生ものだと頑として聞かない。案の定、それで学校行ったら、担任が手紙を書き、子供用の辞書買ってくださいと。

まぁ、その広辞苑はいまだに使っている。

今時、あんなでたらめな授業はないだろうが、クレーム来るから、当たり障りなくやってる授業なんて閉塞感の塊だろう。

イカれた教師がちょっとはいる位が反面教師になっていいと思うのだが近頃はすぐ世間が糾弾するから、教師も大変だよね!

今日は、この辺で。