僕達は新宿を離れて中央線の荻窪へ行った。
近くにある有名な焼き鳥屋へ入り、二人で砂肝、皮、ハツ、雛鳥を頬張り焼酎梅干し割で流し込んだ。
彼女は結構な酒飲みたが、自分の許容を超えそうになると自制心が働きアルコールを止める事ができる。
僕はというと、最近は滅法弱くなり、酒よりもジュースといった、これまた体に悪そうな物を選ぶ始末の悪い状態にあるけど、深酒するよりも、コーラでも飲んでいたほうが身体も軽快なので果糖ジュースでもあまり気にはしなくなった。
最近までは、豆乳にハマっていたけど、カルシウムのとりすぎも如何なものかと思い、自制している。
僕は、食に対する感覚が微妙におかしいところがあるけど、まあ、世間で言うところの完全菜食ではないし、それが出来るとも思えないのが現状である。
ビーガンを徹底すると、ある存在が見えるそうだ。
善からぬ事を言うと、この世の者ではない存在が見えるそうだ。僕は勿論、見たことがないし、見たいとも思わない。それと、全てのチャクラを開くと、それらが見えるとも言う。そんな話を彼女にしたら、
「ねぇ、あなた、そんなの見て何になるの? 幽霊や悪魔は私達の側にいるかもしれないけどね。いや、あのね。否定しないわよ。そういう世界の話って、ロマンチックというか、神秘的な世界観を持つのはいいことだと思うのよ。でもね、そう云う事を考える暇があるなら、そうね、もっとお金になることを考えたり、芸術的な事を思索したり、この世で楽しく生きて行く事を考えて行動したほうがいいんじゃないかしら? それこそが人間として生きる真っ当な在り方なんじゃないかしら。」
冷静沈着な回答であり、思考が明晰な感じを受けた。
男の教科書は女だ。
何処かの偉い人の台詞だが、まさにその通りの答えが帰ってきた。女というのは常に現実的であって、一見、空想的な事を言っている時があっても、裏では緻密に金の算段を立てているものである。(中にはできない人も居るが、、、)
この世で現実的というのは、「お金」のこと指しており、もはや結婚だとか離婚だとかの話ではなく、全てが、お金によって動かされている世界に居る我々は、逃げ出すことも出来ず、出来の悪い資本主義の泥船に乗っかっているという事である。
こんなことを言うと決まって理屈っぽく逆のことを言いたがる人が出てくるが、僕は基本的に聞く耳を持たない。
何故なら、聞いてもツマラナイ意見ばかりだし、暇もない。そして何よりも、くだらないからだ。
お金は生活資金が潤えば、先行の不安というのは減るだろう。しかし、無くなれば途端に不安は戻ってくる。そんなもんである。
人間が徹底的に心に刷り込まれたものは何か?
それは「お金」である。
守銭奴は、お金がなくなる恐怖から銭を過剰に求める。そして過去にお金に対して、苦い経験があったのだろうと推察できる。
金を持てない苦しみというのはよくわかる。
僕の家は、貧困で食べ物も少く、靴や服も買い与えてくれなかった。同じ学年の子どもたちからバカにされ、いじめられ、メソメソ泣いて帰ったことがあった。
唯一の救いは両親が先々のことなど考えない能天気な人だったので、いじめられた経験もあり多少根暗になったものの、切り替えも早くなる性格になった。
話がだいぶズレたけど、焼き鳥屋を出て、西荻にある彼女の住むマンションへ行った。
玄関内にて接吻をし、僕のアソコは半立ちしていたけど、何かヤル気が起きなかった。なので彼女の乳をネットリと中年らしい厭らしさで揉みほぐし、乳首を舐め回した。
一向にアソコは全開にならなかったので、僕は情けないことに行為を諦めてしまい、そのまま彼女のベッドへ入り、寝に入った。
その後、シャワーを終えた彼女は、僕の竿竹屋さんをフェラチオし始め、ものの2分で、人間の体内宇宙へ旅立つ中年在りきというザマがそこにあった。