彼女の心を掴むことは出来ない。
最初の出会いでそう思った。
そもそも、心を利用して彼女をモノにしようとは思っていないし、また、メンタリストのような話術や仕掛けなんか持っていない。
普通に、ただ、普通に寄り添いたかった。
そんな僕はもう40後半の独身中年だ。
一人でいる寂しさは、とうの昔に通り越し、孤独は自我と同化し、例えて言うなら、心の痛覚神経など無い人格に成り果てた。
ある意味、無敵なのかもしれないけど、世間一般の人と変わらないし、プライドも高い。そして何より性欲がなくなりつつある。
神は何で僕をこの世に出したのだろう?
神学を学んだわけではないけど、昔から神という遠い存在が気になっていた。
いや、好奇心なのかもしれないが、僕には目に見えない世界を探求するというのが面白かった。
例えば、人の心も目に見えない。
そして、俗に言う、幽霊も目に見えないもんだ。
僕からしたら、人の心も、幽霊も、同じく目に見えない者同士なので、恐怖という概念はなかった。
一番怖いのは、人であり、その人の心こそが天使になったり、時には悪魔になったりするのだ。
女性は、悪魔に利用されやすいところがある。
言うなれば悪魔は女を利用するのだ。
今の彼女もひょっとすると、そのような悪魔に利用され、今迄の男性を地に落として来たのかもしれない。
彼女の肉体の虜になった男は、道端にある人に見えない歩道橋下で豊満なバストを揉み始め、彼女の光芒とした顔を眺めながら勃起している姿は、「ヨハネの黙示録」の、
『ここに知恵が必要である。賢い人は、獣の数字にどのような意味があるかを考えるがよい。数字は人間を指している。そして、数字は六百六十六である。』(13章18節)
それはまさに獣の姿であり、粛々と行う夜の営みからほど遠い行為を楽しむ、色欲が強くなった憐れな猿と成り果てた姿を想像した。
歌舞伎町を二人で歩き、僕は思った。
今の彼女には僕以外にも、数人の男性の影がある。
僕はそのことを知っており、彼女もそれを隠しているみたいだったけど、別にバレても良いし、どっちでもいいといった感じだった。
つまり、僕はどうでもいい枠組みの中にいる男の一人という事である。
若い女性の強みはここにある。
そして、男の強さは己の性欲をコントロール出来るかできないかで決まる。
さよなら。