彼女の仕事が終わるまで、僕は彼女が務めている仕事先の新宿をぶらついていた。
午後の4時あたりに彼女からメールが来ていた。
「もうすぐ終わるから、もうちょっとだけ待っててね。」 との一報が入っていた。
僕は待つのには慣れている。
というよりも、待つのが好きと言っても過言ではない。 ちょっと前に付き合っていた彼女は平気で2時間遅刻は当たり前の人で、その間に書店等を散策しながら暇を潰していたりしていたが、こういうときこそ、様々な物を鑑賞したり、眺めたりするのは案外良い勉強にもなった。
「待つというのは、人を成長させるのかもしれない。」
そんなことを思いながら、ルノアールに入りブラックコーヒーを飲みながら、GREGORY製のバックパックから文庫本取りだした。本は『ガルシア・マルケス中期短編集』。
「大佐に手紙は来ない」を途中から読みながらコーヒーを啜り、彼女の仕事が終わるのを待つ姿は、傍から見たら、ただの平凡な40すぎの中年男であり、見た目は普通のオッサンにしか見えないだろう。
思えば20代の頃にも、こんなことをして暇を潰していた。30代にも同じ事をやっていた。
人間というのは、同じことの繰り返しで生きているのだろうと最近になって微かに理解できるようになった。
言い方によっては、反省せず過ちを繰り返すともいえるのだろう。
話は変わるが、人が肉体を脱ぎ捨て、エーテル領界へ突入すると、強烈な恐怖が襲ってくるそうだ。その後、あの世へ行き、神の御聖断を待ち、そして新しい肉体を授かり、転生していく。
人は生まれ変わる。
しかし、それもどうだろう?
現代の知性を用いて"あの世"の事を考えると、非現実的であって、頭がおかしいと思われるのは必須だし、下手をしたら精神病扱いになること受け合いである。だがしかし、あの世があるかどうか分からないけど、あの世があるという証明をすることもできなければ、あの世が無いという証明も出来ないのだ。
この手の話は、証明をするしないの判断で論議しては駄目で、共感できる相手とはなし、そして理解することの重要性が試されるのだ。
彼女が過去に何をやってきたかなんてのはどうでもいい事であって、大事なことは、理解する態度で向き合う事がより大切になってくるのだ。
街の灯りが付き始めてきた。
新宿の歌舞伎町は賑わっており、人が体内に酒を入れる時間帯になってきた。
秋の風は街の人々の距離を縮めさせ、人と人を温めさせる効果がある。
彼女からメールが来た。
そして、僕のところへやってきた。
相変わらずエロい女だなと思った。
男心をくすぐる、タイトな服装で胸が強調されており、男共が横目でチラホラと彼女の巨乳をのぞいている姿に、男の偏執的な厭らしさを感じる。
男というのは全く持って情けないものである。
さよなら。