今回はこういうお題でいきます。「本所七不思議」は有名ですが、麻生(港区周辺)

にも七不思議があったんです。『続・麻生の名所今昔』という本には、
七不思議の候補が27もあげられています。この中から論者は
好きなものを7つ選んでいたんですね。

麻生はお寺が多く寂しい場所でしたが、旗本屋敷も多かった。そして
長屋が少ないと物売りなども来ない。そういったところから、いろいろな
怪異が言われていたのだと思います。

ここにも『狸囃子』『送り提灯』などがありますが、面白いのは『がま池の
大蝦蟇』です。こ麻生には山崎家という旗本屋敷がありました。ところが
一帯が火事になり、山崎家にも火が迫った。

 



当主の山崎主税介も、もう駄目だと諦めていたところ、なんと池から巨大な

蝦蟇が現れ、口からどんどん水を吐いて火を消してしまった。そのため、

あたり一面は焼け野原になったのに、この旗本屋敷だけが
ぽつんと焼け残っていたそうです。

この話は江戸市中で大評判となり、近くの住民の強い要望により、神社から
山崎家に守り札が授与されました。山崎家ではそれをもとに火難除けの
守り札をつくって売り出したところ、売れに売れたという話が残っています。

まあ、これが実際にあったことではないと思いますが、山崎家だけが焼け残った
ことから、そういった話が出たのだと思います。当時の旗本は困窮して
いましたので、いい副収入になったかもしれません。

 



他には「羽衣の一本松」という話があり、平安時代、平将門を討伐した
一人であった源経基が、その帰り、ある一軒の農家に泊まったら、
主は栗飯を柏の葉に盛ってもてなした。

その御礼に、経基は装束を脱いで、それを一本の末の木にかけて去った。
ここから『羽衣の一本松』という話ができ、麻生七不思議の
一つに数えられているのだそうです。

「柳の井戸」という話もあります。港区元麻布の善福寺に現存しています。
弘法大師空海が水脈を穿ち、水が湧いたとされます。その後、水が枯れてしまい
浄土真宗の親鸞が柳の枝でふたたび水脈を開いた。

 



また、空海が鹿島神宮の武甕槌大神に祈願をし、手に持った錫杖を地面に
突き立てたところ、水が湧き井戸となったとも伝えられています。この伝承では、
鹿島神宮にあった七つの井戸のひとつは、柳の井戸に水を与えたために、
水が枯れてしまったとされます。

まあ、有名な人物が掘った井戸というのは全国各地にあり、一つの功徳の
パターンのようです。「永坂の脚気石」港区麻布永坂町の永坂にあって、
かなめ石とも呼ばれていました。

直径約30cmの石で往来の邪魔であった為、道路整備の際に取り除こうとしたが、
いくら掘っても根が現れることがなく、そのまま放置されていました。ご存知の
ように、江戸では脚気が多かったんですが、いつの頃からか、塩を供えて
お祈りすると、足の病に効能があると言われるようになりました。

 



「狸坂(まみさか)の赤ん坊」麻生は坂が多く、この狸坂もその一つでしたが、
夜にここを歩くと、どこからともなく赤ん坊の鳴き声が聞こえてくる。
道の傍らに赤ん坊を見つけ、抱いて帰ろうとすると、

だんだんに赤ん坊は重くなり、ついに赤ん坊は石地蔵に変わってしまう。
これは妖怪子泣きじじいの話に似ていますね。よくあるパターンなのでしょう。

狸のしわざとされました。

この他にも、妖怪小豆はかりの出る家があったり、一つ目小僧の出る家があった
ことが話に残っています。江戸時代には、妖怪は本所か麻生と言われていた
ようです。では、今回はこのへんで。