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今日は都市伝説に関するお話です。今はネット、そして携帯電話が

ありますので、興味をそそる話が生まれれば、またたく間に全国に

広がっていきます。例えば、巨大掲示板である2ちゃんねる

に投稿された「くねくね」 「八尺様」などは、怪談好きなら

知らない人はいないでしょう。

では、ネットどころかテレビもない時代において、このように
全国的に展開した物語はなかったかというと、そうではありません。
その最初となるのは、昭和初期に流布された「赤マント」ではないかと

思います。話自体は単純です。赤いマントをつけた怪人が子どもを

 

誘拐し殺す。女の子だけを拐っていく、などのバリエーションはありますが、
基本はこれだけです。時期は昭和10年代の初めで、東京を起点にして
東海道をへて大阪まで広まり、さらにじわじわと、
九州など他の地域にも伝えられていったようです。

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これ、内容は単純でも、当時の子どもにしてみれば怖い話ですよね。
町中で赤いマントを着た人物を見かければ、さぞやぎょっとしたことでしょう。
では、この「赤マント」の話はどのようにして発生したのか?


自分が調べたところではルーツは3つくらいあるようです。そのうちの

一つは、明治39年に福井県で実際に起こったとされる「青ゲットの男事件」 

青ゲットとは青い毛布のことですが、これを被った男が


雪の中に一家3人を呼び出して惨殺したという、なんとも不気味な事件です。
ここで詳しく解説するスペースはありませんので、興味を持たれた方は、
よくまとまっているオカルトクロニクルさんの記事を参照されてください。

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2つめのルーツは、当時流行していた紙芝居に出てくる赤マント。ただし

これは怖い話ではなく、赤マントを着た魔法使いの紳士に靴磨きの少年が
弟子入りするといったような物語です。ここまではWikiに書いてありますが、
自分は、戦前の修身(道徳)の教科書に載っていた「赤マント」も
関係あるんじゃないかと思ってます。これはどういう話かというと、

ある食人族の村で、村長がなんとかして皆に食人をやめさせたいと
考えていた。そこで村長は、「では明日、村の道を赤いマントを着た人が
通るから、そいつを食ってもよい。そのかわりこれで最後にしろ」と

村人を説得する。翌日、通ってきた赤マントの人物を皆で殺したが、
マントをはいでみると、それは村長自身であった・・・というような内容。

この「赤マント」の話は形を変え、「トイレの赤マント・青マント」
「トイレの赤い紙・青い紙」となって現在でも生き続けています。
次の流行は「カシマさん」でしょうか。こんなお話です。
「終戦直後の米兵が行き来する時代に、女性が米兵に強姦されたあげくに
両手足を撃たれ、そこを医者が通りかかって一命を取りとめたが

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両手足を失い、女性は自分の美しさにプライドを持っていたので、
そのショックで列車に投身自殺をした」
・・・広まっていったのは昭和30年代ごろのようです。
「カシマさん」のルーツははっきりしませんが、終戦直後の混乱期なら
ありえるかもと思わせるシチュエーションですよね。

この話が怖いのは、連鎖的な呪いの構造を持っていることで、
話を初めて聞いてしまった人のもとに、何日か以内の夜に「カシマさん」が
やってくるんです。そして謎をかける。謎は「手いるか? 脚いるか?」
「この話を誰に聞いた?」とされることが多く、「手をよこせ」と言われたら

「今、使ってます」、「脚をよこせ」と言われたら「今、必要です」
「その話を誰から聞いた」と聞かれたら「カシマさん、カは仮面のカ、
シは死のシ、マは魔のマ、レイは霊のレイ、コは事故のコ」このように
正しい答えをしないと、カシマさんに手足を引きちぎられて死んでしまいます。

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ですから当時の子どもは、話を聞くと同時にカシマさんが来た場合の
対処法も教えられ、必死になって暗記したということです。
次は有名な「口裂け女」でしょう。1979年の春から夏にかけて、
あっという間に日本中に広まり、社会問題化しました。

まあ、みなさんご存知でしょうが、いちおう説明しますと、
「マスクをした若い女性が、学校帰りの子供に「私、きれい?」と

訊ねてくる。「きれい」と答えると、「これでも?」と言いながら

マスクを外す。するとその口は耳元まで大きく裂けている。

また「きれいじゃない」と答えると包丁や鋏で斬り殺されてしまう
この「口裂け女」が最初に発生したのは岐阜県で間違いないようです。
1979年1月26日の「岐阜日日新聞」に話が載り、次いで「週刊朝日」
1979年6月29日号に記事が掲載されています。実際にパトカーが
出動したり、子どもたちが集団下校になった地域もあるほどです。

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この話のルーツとしては、いろんな説があるんですが、最もよく

言われているのが「岐阜では当時、小学校でも比較的裕福な家庭の
子どものみが学習塾へ通っていたため、あまり財力のない家庭が子どもに
塾通いをあきらめさせるために「夜道を歩いていると口裂け女に襲われる」

 

と、夜の外出を怖がらせていた」というような内容で、これが本当なら、
なんだかしょうもないとこから始まったなあと思いますね。
さてさて、最後に、口裂け女に襲われた際の対処法としては、
「ポマード」と「べっこう飴」が有名で、「ポマードと3回続けて唱えると

女がひるむのでその隙に逃げられる」 「べっこう飴は女の好物なので、
それを投げ与えて逃げる」など、なんかギャグみたいな内容ですが、
当時は大真面目に信じていた子どももいたようです。
この「口裂け女」に関しては、自分も一つ話を書いていますので、
もしよろしければ御一読ください。