バイト先の後輩から聞いた、そいつが小学校5年生のときの話。
その頃はまだいいとこの坊っちゃんで、いわゆるお受験を目指して
有名塾に通ってたんだと。週2回は夜で、母親が送り迎えする。
ただし土曜日のいわゆる土曜特訓ってやつは、
日中だし大丈夫だろうってことで、母親が趣味サークルなんかに
出かけて都合が悪いときには、電車で塾通いをしてたという。
家から駅まで10分、電車は乗り換えなしの三駅で、
降りたら駅前すぐに有名塾がある。携帯も普及してたし、
まあ男の子なら特に心配もなさそうではある。こっからはそいつの話。
「塾の帰り、午後の4時ころですね。一人で電車に乗ってたんです。
土曜日だし、そんな時間帯だから電車はガラガラに近くて、
座って塾の宿題を出してみてたんです。またこんなにあるのかって。
そしたら、次の駅で女の人が乗ってきまして。それが、季節はまだ
夏の終わりごろなのに、厚手のコートを着てマスクをしてるんです。
今だったらインフルエンザやら何やらでマスクしてる人もよく見かけるけど、
そんときは珍しく思いましたね。もちろん最初から注目してた
わけじゃないです。だけど席はほとんど空いてるのに、
両手でつり革をつたわるようにして俺の真ん前に立ったんすよ。髪が
ストレートで長くて腰のあたりまであるし、不気味な人だなーと思いました。
いやいや、口裂け女とは思いませんでした。それって俺が生まれる前の話でしょ。
当時の小学生の間ではそんな話題は流行ってなかったです。そんときもまだ、
たまたま俺の前にきたんだろうくらいにしか思ってなかったんですが、
・・・それが下を向いてたら、上でモグモグした声がするんです。その女の人が
しゃべってるんです。それもこっち見ないで、車窓のほうに向かって。
「ぼうや、ぼうや、口裂け女って知ってる」こう繰り返してるんです。
ぎょっとして女の人のほうを見ました。口裂け女のことは、
知識として知ってました。図書館の妖怪図鑑にも載ってましたし。
んでも、俺に話しかけてるとは思わなかったんですよ。
女の人は相変わらず外を見たまま、「ガキ、お前に話してるんだよ。
人の話ちゃんと聞けよ。口裂け女って知ってるか?」こう強い口調で言いました。
マスクごしだし、他の乗客に聞こえるような声じゃないんです。
「お前だよガキ、あたしは口裂け女なんだからね」
これで怖くなって、また下を向いたんです。
そしたら「ガキ、下見るんじゃない。こっち見ろ。見ないと殺すぞ」そう言って、
俺の髪のてっぺんをひとつまみ片手で握って、ぐんと持ち上げたんです。
・・・こんときに大声を出せばよかったんでしょうが、
そのときはできなかったんです。それに電車の中には、
離れたとこにじいさんとか数人がいるくらいで。
女の人は「目つぶるなよガキ、ちゃんと見ろよ」俺の髪を引っぱりあげたまま、
横顔が俺のほうに向くように、顔をかしげたんです。
んで、つり革からもう片方の手を離して両足を踏んばって立ち、
マスクの片方のヒモを外し、ガーゼを手で押さえたまま、
少しずつめくり上げていったんです。
するとガーゼの内側が真っ赤で、その見えるほうの頬に
大きな穴が開いてて口とつながってたんです。
穴はぶさぶさに赤黒い肉が垂れてて、穴から上下の歯が歯茎まで見えました。
そのときにはもう半泣き状態ですよ。
「ガキ、どうだ怖いかガキ、目つぶったら殺すからな」
こう言われても怖くて目をつぶってしまいました。
すると額になにかネチャッとしたものを貼られました。「ギャハハハハ、
口裂け女なんていると思うのかバカガキ、臆病なとこは親そっくりだな」
女の人は電車中に聞こえるような声で笑って、「いいかクソガキ、
このことを親に言ったらお前を殺すぞ、お前の親もみんな殺す」
こう捨て台詞を残して「ギャハハハ」と笑いながら離れていったんです。
ちょうど駅に着いたところで、そのまま降りていったんだと思います。
俺はもう足もガクガクに震えてて、泣きながら額につけられたものを
剥がしてみたんです。そしたらスライムみたいなのでできた
ジョークおもちゃかなんかで、精巧に作られた上下の歯もついてました。
アメリカでハロウインのゾンビメイクに使うやつかもしれない、
これはだいぶ後で思い当たりました。気持ち悪かったんで
座席の下に丸めて捨てましたよ。・・・親に言うかどうかは、
子どもながらに迷ったんですが、けっきょく言いませんでした。
殺しにこられたら大変だと思って。そしたら、だれにも言わなかったのに
殺しにきたんです。1ヶ月くらい後の深夜に。
家の玄関に軽自動車でつっこんで壊し、包丁を持って入ってきたんです。
大変でした。母親は片腕と胸に全治1ヶ月以上の切り傷を受けたし、
父親も危ないとこでしたが、音に気づいた近所の人が通報してくれて、
女は踏み込んできた警官にとり押さえられたんです。
このときは俺も起き出していて、女の顔も見ました。厚化粧してましたが、
傷なんてなかったすよ。・・・親父の浮気相手でした。
狂ってたんですね。刑務所にはいかずそのまま病院送りになりました。
その後は一家離散です。両親は離婚して、母親がノイローゼになったんで、
一人っ子の俺は父親のほうに引き取られました。
父親は会社にいられなくなって、もちろんお受験なんてとんでもない話で、
父親の実家のある地方の公立の中学から工業高校を卒業して、
そのまま逃げるようにこっちに出てきたんです。妖怪の口裂け女も
怖いですが、現実はそんなもんじゃないんだと思わせられました。
心が裂けた人間のほうがずっと怖ろしいです」
