怖い話します(選集) -13ページ目

怖い話します(選集)

ここはまとめサイトではなく、話はすべて自分が書いたものです。
場所は都内某所にある怪談ルーム、そこに来た人たちが語った内容 す。

※ このブログでコメント等にはお返事できません。
お手間ですが、「怖い話します(本館)」のほうへおいでください。

あ、どうも、よろしくお願いします。俺、武藤といって、エクセル計算の
専門学校に通ってます。この間から、奇妙な出来事が続いてて、
なんか嫌なことが身に迫ってる気がするんです。
それで友だちに片っ端から相談したら、一人のやつに霊能者を紹介され、
その人に会って話したら、ここに行くように言われたんです。
そういう不可解な事件を専門に研究してる人が集まってるって。
さっそく話を始めます。3週間前の火曜のことです。
俺、アパートから学校まで電車で通ってるんです。その日もいつもの
駅で電車待ってました。授業は2コマ目、11時半からだったんで、
通勤ラッシュの時間帯を外れて、駅にはパラパラとしか人は
いませんでした。電車が入るってアナウンスがあって、

そのときに俺の前のほうにいた女の人、たぶん会社員だと思います。
その人がふらふらした足取りで線路に近づいてって、「あ、危ねえ」
って思ったとき、急にふり返って、俺と目が合いました。
若い人でした。たぶん20代の後半から30代くらい。
で、その人、電車が走り込んでくるとまた前を見て、
思いっきりジャンプしてホームから飛んだんです。
「うわ、自殺だ」って思いました。それまでも何度か、自殺のために
電車が遅れたのには遭遇してるんですが、実際に現場を見たのは
初めてでした。いや、大きく跳ね飛ばされたとかじゃなく
姿は見えなかったんで、すぐに電車の下に巻き込まれたんだと思います。
電車は急ブレーキをかけて、いつもの停車位置のだいぶ前で停まったんで、

俺、前のほうに見に行ったんですよ。いやあ、今考えれば悪趣味だった
って自分でも思いますけど、俺だけじゃなかったんですよ。
電車を待ってた客のかなりの人数が俺と一緒に移動してたし。
でね、電車の前に来たら、運転席のガラス窓の下のほうにヒビが
入ってたんです。電車の車輪のとこも見ましたけど、
人の姿はなかったです。で、俺、持ってたスマホで、その割れた窓の
写真を撮ったんです。・・・弁解するわけじゃないけど、
俺だけじゃなかったんですよ。わざわざその場所まで移動してきて、
写真撮ってたのは俺の他に何人もいました。だから、
どうして俺だけがこんな目に合うのかわからないんです。
で、遅れて学校に行って、授業の合間に会ったやつにその画像見せました。

けど、なんまりウケなかったんです。まあそうですよね、
死体が見えるとか血がついてるわけじゃなく、ただ割れた窓が
写ってるだけだし。だから、学校が終わってバイトに行く前に
その画像は削除したんです。これ、間違いなく消したはずなのに・・・
次の日の朝です。俺、スマホを目覚ましがわりに使ってるんです。
アラーム機能で音楽鳴るようにして。で、寝たままつかんで見て
ギョッとしました。前日の電車の写真が縦長になって
待ち受け画面になってたんです。ありえないですよね。
自分で設定しなきゃそうなるはずがないし、その画像消したんだから。
でね、縦長になってるって言ったでしょ。
けど、比率がおかしくなってるわけじゃなくて、画面の下のほうに

ブドウの房みたいに黒い丸いものがいくつも重なって写ってて。
もとの写真にはそんなのなかったし、起き上がってよく見てみたら、
人の頭なんじゃないかと思いました。何人もの頭が逆光で黒くなって
重なって写ってる。けど、俺はあのときホームの先端まで出てて、
前に人が立つスペースなんてなかった。気味悪いじゃないですか。
だからね、それもすぐ消したんです。その後、特に何も起きず1週間が
過ぎました。俺ね、夜にチェーンの居酒屋でバイトしてるんです。
その日は遅番で、片づけまで終わって店を出たのが夜中の2時半くらい
でした。原付で通ってたんです。車通りがなくなって黄信号の点滅だけに
なった道路を走ってたら、後から大音響の音楽が聞こえてきて、
400ccの大型スクーターがすごいスピードで追い越してったんです。

そのときは、ちらっとしか見えなかったけど、2人乗りで後は女。
2人ともノーヘルだと思いました。で、そのスクーター、
前の交差点をほとんど速度を落とさず左折して、俺が交差点まで
近づいたときに、曲がってったほうの道からドガッシャンって
派手な音がしたんです。「ああ、やりやがった」って思いました。
俺は本来そっちには行かないんだけど、さすがにほっておけないじゃ
ないですか。横道に入ると、30mほど先でスクーターが道の脇の
ガードレールに突っ込んで倒れてました。近寄ってくと、
女のほうが目を開けたまま仰向けに倒れて痙攣してたんです。
頭の下に血が広がって、もうすでに水たまりみたくなってました。
運転してた男のほうは、ガードレールの上に体が乗っかってて、

顔は街路樹の下の植え込みに突っ込んで表情とかわからなかったけど、
ピクリとも動きませんでした。スマホを出して警察に通報しました。
そしたら、申し訳ないが話を聞きたいからその場にいてくれって言われて。
そこはビル街だったから、かなり大きな音がしたけど、
野次馬とかは出てこなかったです。警察を待ってる間、救護とかは
しませんでした。後続車が来る様子はなかったし、下手に素人が動かすのは
よくないと思ったんで。ただ、もしかして俺が疑われるんじゃないか
とは考えました。それで、少し離れたとこから現場の写真を撮ったんです。
警察と救急車は5分くらいで来て、救急隊員は2人に呼びかけたり
してましたが答えず、テキパキと救急車に乗せて搬送していきました。
俺は警察に事情を聞かれて、起きたことをそのまま答えたんです。

2人乗りのスクーターが曲がってってすごい音がしたんで、
見たら事故ってたって。スピードを出してた話もしました。そんときに
警官が俺の原付も見てたんで、ああやっぱ疑われてるんだと思ったけど、
別に傷とかついてないし。それで、写真撮ったって話もしたら、
見せてくれって言われました。それから、この画像は消さないで、後日
もっと詳しい話を聞くときに持ってきてくれって言われ、免許証を確認されて
放免されたんです。俺としては人助けしたつもりだったけど、
やっぱこうなるんだなあって思いました。翌日、警察から連絡があって
わざわざ警察署まで行って話をしました。事故の目撃者っていうていねいな
あつかいでしたよ。まあ、向こうもプロだから、事故車が勝手に転んだんだって
わかったんでしょう。このとき、スクーターの2人はどっちも亡くなったって

知らされたんです。それと、俺が撮った現場の画像をコピーさせてくれ
って言われました。そんときはその画像もなんともなかったんですが・・・
部屋に戻ってきて、嫌な画像だから削除しようとしたら、
何か変なんですよ。現場には誰もいなかったのに、倒れてる女の前に
たくさん黒い影がある。前の電車のときと同じです。ただ、電車のは頭だけ
だったのが、立ってる人の全身が写ってて10人近くいました。
それと、その中に黒くない人が一人だけいたんです。女でした。
黒い人の集団から頭だけ出てて俺のほうを見てたんですが、
その顔・・・あの電車に飛び込んだ人だと思ったんです。そりゃあ
あのとき見たのは一瞬だけだったから、違うかもしれないけど・・・
「何だよこれ」完全にブルっちゃってすぐ削除したんです。

また次の朝です。スマホのアラームが鳴って・・・もうわかりますよね。
待ち受け画面がその画像になってたんですよ。
黒い人がいるのは同じで、電車に飛び込んだ女がいるのも同じなんだけど、
その他に、顔がわかる人が2人増えてたんです。若い男女で、
俺はちゃんと見てなかったけど、スクーターの2人じゃないかと
思いました。3人とも真っ白い顔の無表情で、ただ黒い人垣の中から
頭を出して俺を見つめてる。当然すぐ削除したんですけど、翌朝になったら
また待ち受け画面に出てるんです。これ、どうすればいいんですか。
俺、呪われたかなんかしたんですかね。え、スマホはここに預けていけって、
で、俺はお祓いを受けろって・・・やっぱそうなんですね。
わかりました、何とかよろしくお願いします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私自身の話ではないんですが、それでもいいでしょうか。
今、大学1年で小説のサークルに入ってるんです。内容は純文学に近いもので、
大学でもかなり歴史のある由緒正しいサークルなんだそうです。
先輩方も文学青年ぽい人が多くて、真面目に活動してるサークルなんです。
それで、2週間ばかり前に合評会があったんです。
メンバーそれぞれが作品を持ち寄って、お互いに批評し合うんです。
・・・今だったらプリンターで印刷が簡単にできるので、人数分原稿を用意して
回し読みすれば時間の節約になるのに、と最初は思ったんですが、
私たちのサークルの伝統で、一人一人が自分の作品を朗読するんです。

合評会は土曜の9時からでした。
人数は十数人いるんですが、その日、作品を出す人は8人で、
たぶん午前中いっぱいかかるだろうと思っていました。4人終わったら合評し、
休憩を入れてまた4人という予定で、私は最初のほうで朗読をしました。
実家のある四国の港町のスケッチみたいなものでしたが、
かなり厳しい批判をいただきました・・・すみません、よけいなことですね。
それで後半の朗読の最初です。武田さんという2年生の男の先輩でした。
いつも藤沢周平風の時代物を書いてくる人なので、
今回もそういう感じのだろうと思ってたんです。

題名は『髑髏』でした。武田さんが題名を重々しい口調で言ったとき、
「ウッ」と息を飲む音が聞こえ、そちらを見ると3年生でサークル長の
伊野さんで、なんだか恐い目をしていました。
武田さんはそれに気がつかなかったようで、そのまま朗読を続けました。
田舎に住む一家のおじいさんが亡くなって遺品整理をしていたら、
茶箪笥の中から子どものような小さな髑髏が見つかって・・・という出だしで、
どうやら現代が舞台のホラー作品という感じでした。
でも、どんな話か最後まで聞くことはできなかったんです。
1分も朗読しないうちに、「ちょっと武田、ストップ」と叫んで、
伊野さんの朗読を止めさせたからです。

武田さんがきょとんとした様子で「どうしたんですか」と聞きましたら、
伊野さんは「お前・・・その話どっかで読んだか」と言ったんですが、
まるで詰問するような調子でした。「いやだなあ、盗作とかじゃないですよ。
 完全なオリジナルです」と武田さんは笑いながら抗弁しましたが、
そのとき伊野さんが真顔なのに気づいたようでした。
「ああ、すまん盗作と疑ってるわけじゃないんだ。ただその・・・
 確かめたかっただけだ」伊野さんがやや うろたえたように言いました。
「変だなあ、気になりますね。どっかで似たような話を読んだことがあるんですか」
武田さんがそう言うと、伊野さんは少し考えて立ち上がり、サークル室の
ロッカーの奥を探って、かなり古めかしい文書綴りを引っぱりだしました。

「何ですかそれ?」他の2年生が聞くと、伊野さんは、「これは歴代の
 サークル長に受け継がれてるもんで、これまでの合評会の記録とか、
 サークル誌を編集した記録が載ってるやつなんだが、最初のが
 昭和31年になってる。こんな分厚い記録だから俺も全部読んじゃいないが、
 サークル長に決まったときに、前の先輩からじきじきに言われたことが
 あるんだ。・・・といっても信じられないような話なんだが」
「それが武田さんの作品と関係があるんですか?」私が聞くと、
「そうだ」伊野さんは答えました。
「いいか、その引き継ぎと関係があるとこをちょっと読んでみる」
分厚い綴りを手元で開いて読み始めました。

「警告、これは冗談ではなく本サークル員の命に関わることである。
 われわれは自分が作品を書いていると考えていて、それはおおかたは正しいが、
 そうではない場合もある。つまり話のほうに命があって、われわれに
 それを書かせる場合だ。信じられないだろうが、そういうことはある。
 このサークルには『髑髏』という話がとり憑いている。
 自分もこのことを初めて聞いたときは信じられなかった。
 しかし合評会でこの話を耳にし、その後4人の命を失ってやっとわかった。
 最後までこの話をさせても、聞いてもいけなかった。それを後悔している。
 『髑髏』を封印することはできない。いずれまた現れるだろう。
 それを絶対に広めてはならない。最後まで聞かなければ大丈夫のようだ。
 どんなことをしてでも抹消せよ。◯月◯日 第11代サークル長 鈴木◯彦」

「マジですかあ」1年生の一人が声をあげた。
「・・・マジなんだと思う。俺もちょっと調べたんだが、
 これを書いたのは昭和40年台のサークル長で、
 そのとき確かに短期間で5人のメンバーが亡くなってる。全部事故死で、
 頭をやられているんだ」 「えーでも、そんなことありえないですよ」
「どうして『髑髏』っていう題だけで、それと同じ話ってわかるんです?」
「・・・いい、質問だな」伊野さんはそう言って下を向きました。
「この鈴木さんが、簡単なあらすじを書いて残してくれてるんだ。
 祖父の遺品の中から子どもの髑髏を見つけて・・・
 その後、戦死したじいさんの兄と貂の毛皮が出てくるんだろ」
伊野さんは武田さんのほうを見てそう言いました。

「・・・そうです」武田さんは愕然とした様子でうなずきました。「でも、その鈴木
 という人は話を全部聞いたか、読んだかしたんでしょう」誰かが聞きました。
「もちろんそうだ・・・で、鈴木さんはこれを書いた翌日に亡くなってるんだよ」
全員が言葉も出ず、顔を見合わせました。
「大学の図書館のコンクリの階段があるだろ・・・あそこから仰向けに落ちたようだ。
 頭蓋骨骨折と新聞の縮刷版にはあった」
「あんなゆるいとこから・・・」 「武田・・・お前この話、どうやって思いついた?」
伊野さんがやや口調を変えて聞きました。「いや、夢で見たんです。
 夢の中に頭の大きい福助みたいな着物を着た子どもが出てきて、
 『話をさずけようぞ』と言ってしたのがこの話なんですよ」
武田さんの声は泣きそうになっていました。

「ふだんから小説の筋はあれこれ考えているんですが、夢の内容なんて
 ほとんど覚えていないし、覚えてたとしても、起きてから考えれば
 到底使いものにならないようなのばっかりで・・・でもこのときは違ってたんです。
 一字一句まで覚えてたし、すごい筋だなって興奮しました。
 だからめったに書かない現代ものの、それもホラーを・・・」
武田さんの声は震えて、最後まで続きませんでした。「とにかくだ、
 お前の原稿、それ俺によこせ。ぜったい誰も読めないようにして始末するから。
 それと、これパソコンで打ったんだよな。他に誰かに見せたか?」
と伊野さんが聞き、武田さんはただふるふると首を振りました。

「そのデータは何かのソフトを使って完全に消去しろ。いや、
 パソコン自体処分したほうがいいのかもしれない。・・・海に沈めるとかして。
 サークル費で新しいのを買ってやるよ。それからお前は、
 今後しばらく俺と行動しろ。 ・・・高いとこに登ったり、乗り物に乗ったりするな。
 どうやら前回『髑髏』が出てきたときに、
 話を最後まで聞いたのは亡くなった5人の他にも数人いたようだが、
 その人たちが少なくとも大学時代に死亡したという記録はなかった。
 ある程度の期間が過ぎれば生き残れるのかもしれない」
会はそのままお開きになり、伊野さんはパソコンの始末をしに、
武田さんとともにアパートに出かけていきました。

残されたサークル員は口々に今の出来事を話していましたが、
信じていないメンバーがほとんどでした。伊野さんが武田さんと組んで、
みなをからかうためにやった大きな冗談じゃないかって。
でも残された綴りを見ると、さっき伊野さんが読んだ黄ばんだ
罫紙が綴じ込まれていて、内容もそのとおりでした。
私は・・・話自体はとても考えられないことだと思いましたが、
また一方で、伊野さんがそんな冗談をする人だとも思えなかったんです。
昼食をとるのも忘れて侃々諤々言い合っているうちに、あの知らせが
入ったんです。3年の先輩の携帯が鳴り、伊野さんからでした。

ビル工事の現場の横を通ったとき、さして大きくもないガラス片が
十数階の高さから、防護シートを切り裂いて落ちてきて、
武田さんの頭を斜めに削いだということでした。救急車は呼んだものの、
脳がこぼれて、応急処置もできないほどの惨状だったそうです。
・・・あの合評会から、何をするにも気をつけて生活しています。
話は全部聞いてないから大丈夫だと自分に言い聞かせながら・・・です。
あの場にいたサークルのメンバーで頭痛がするという人が何人かいます。
私も、夜になると後頭部がズキズキ痛むことが何回かありました。
それよりも怖ろしいのは、夢の中に頭が大きい子どもが出てきて、
『髑髏』の話を始めないかってことなんです・・・
でも、寝ないというわけにもいきませんし・・・








 

8年くらい前の体験を書いてみるよ。
中古車屋で店長をやってるダチがいるんだけど、
そいつから中古のナビを安く買ったんだ。
ちゃんと名の知れたメーカーの後付けでダッシュボードに乗せるやつ。
何でも軽自動車を若い店員が買い取ったけど、
あとでダチが中を見たら、外はきれいに直してるけど、
中はフレームまでいってる事故車でちょっと売り物になりそうもない。

どうせ数万で買ったもんだから部品をとれるだけとって廃車に
するってことで、その車についてたナビをゆずってもらった。


当時の俺の車は買って7年目になる国産のSUVで、
それまでナビは使ったことがなかったんでけっこううれしかった。
最初のうちは特に機能面での不具合もなかった。
ちょっと案内の音声が乱れることはあったけどな。

例えば「三百メートル先、交差点を左です」という女の人の声の
最後のところが、「でにゅぅ」という感じで低くなる。

でも、それくらい何でもないと思って気にしなかった。

それで、自分の家の住所を入力して仕事であちこち出かけるたびに、
帰宅モードで案内をさせてみた。別にナビがなくとも帰れるんだけど、
まあ遊んでたんだな。ところがしばらくして、このナビは、
俺んちの南側にある大学の横の交差点を絶対指示しないことに気がついた。
その交差点の道路はどっちも何十年前からあるんで、
データが古くて認識できないとかじゃないと思う。だけど、

なぜかその交差点に入る前に、左折や右折を指示して
遠回りになってしまうんだ。


で、2・3回はナビのいうとおりに走ったけど、
バカらしいから無視してその交差点を通ったんだ。
そうしたらその交差点に入る十メートルくらい前になって、
違う道を指示していたナビの液晶がブラックアウトした。
うんともすんとも言わなくなって、故障かと思ってたら、

交差点を過ぎてまた十メートルくらいしたら、液晶が少しずつ
赤黒く明るくなっていって、元に戻ってまた道の指示を始めた。

何かその交差点を機械が嫌がってるような感じでちょっと不気味だった。

それから何度かその交差点を通ったんだけど、ナビの症状は同じだった。
で、ある日会社から県外に出てかなり遅くなって帰ってきた。

夜の2時過ぎで小雨が降ってたな。疲れてて早く
家に帰りたかったんでその交差点の道を通ることにした。

車通りはあまりないところで信号は黄色の点滅になってた。

ナビはいつもどおりブラックアウトしたけど、
徐行して走り抜けようとした。


すると人影なんかなかったはずなのに、
気づいたら目の前に自転車の女の人がいる。
とっさにハンドルを右に切ったんで、
車は対向車線を越えて右の歩道に乗りあげた。
あまり慌てたんで、自転車を轢いたかどうかも覚えてない。
で、車外に出て確認したんだけど何にもない。
ただ濡れて街灯に照らされた路面があるだけ。
キツネにつままれた感じで、釈然としないまま車に乗り込んだら、
消えていたナビがぱっとついて、液晶に、
モザイクがかかったように崩れた女の人らしい顔が現れ、
ナビの音声で「・・・私はここで死んだんでにゅぅぅぅぅぅぅ」
 

俺はエンジンだけ切って、車をそこに置いたまま家まで
逃げて帰ったよ。次の朝早くダチに連絡して、
その場所に来てもらってナビを外してもらった。

迷惑がると思ったけどそうでもなかった。ダチは、
「このナビつけてた軽、そうとう大きな事故起こしてたみたいだね。
 廃車にするまで店の前に置いてたけど、
 雨の日に車の横を通りかかったら、
 かすかに血の臭いがするんだよ。
 俺たちにはわかるんだ。このナビもなんかあったんだろ。
 いや、言わなくていいよ知りたくないから」と言った。

その後は特に何もないけど、その交差点は通らないようにしてる。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ztn (2)

今回はこういう大それたお題でいきます。これについては、自分も
よくわかってるわけではないので、おそらく、中国哲学をガチで
研究してる方から見れば、噴飯ものの内容じゃないかと思います。
ですから、この記事はスルーされるか、読まれるにしても
眉に唾をつけてお願いしたいところです。

さて、「道」は、道家の思想の中心をなす概念です。道家は、
老子と莊子の思想を信奉する人々の集まりで、
魏晋南北朝時代に隆盛しました。また、このころにできた
教団道教も、その中心に老莊の思想を置いています。

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では、思想の大もとになった老子とはどういう人物なのか、
これについては中国でも歴史的に大きな議論があります。
生没年や詳しい生涯はまったく不明で、現在の中国社会科学院でも、
実在説と非実在説の両論が唱えられているんです。

また、老子が生きた時代もはっきりしません。大ざっぱに言って、
儒家の始祖である孔子よりも前の時代の人物、同時代の人物、
孔子以後の人物と3つの説があるかと思います。なぜこれほどわからない
かというと、老子について、ある程度まとまった記述が出てくるのは、
前1世紀ころに書かれた司馬遷の『史記』ですが、

分量が少ない上に、内容に矛盾が見られるためです。『史記』によると、
老子の姓は「李」で、周王朝の小役人を務めていたが、
周に衰退のきざしが見られると、職を持して故郷へ帰ろうとした。
そのとき、関所の役人に『老子道徳経』という上下2巻の自著を
与えて去っていったとあります。

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『老子道徳経』は実在する書物で、中国の戦国時代の墳墓から、
これが書かれた竹簡が出土していますので、少なくとも前漢以前に
さかのぼる古いものであることは間違いありません。
前述した『史記』には、「孔子が老子を訪ね、礼について教えを乞うた」
という記述があり、孔子と同時代人とも考えられます。

後世、儒教は中国の歴代の国で国教化されていましたので、
儒家はこれを屈辱的として、老子と孔子は同時代人ではないなど、
いろいろな形で否定しようとしました。ということで、老子について
論じようとしても資料が少なく、わからない、わからないの
連続になってしまうんです。

「竹林の七賢人」
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さて、主題にもどって「道 タオ」とは何か? これは幅広い概念で、
老子自身は、「名づけることはできないのだが、仮に道としておく」
と述べています。現代では、宇宙自然の普遍的法則や根元的実在など、
やはり広い意味で解釈されることが多いですね。老荘思想は
近代になって西欧社会に広まり、多くの西洋人を惹きつけました。

「道」を実践するための方法が「無為自然」です。自然の法則に
逆らわず、自分から積極的に行動しない、高みをめざさないことが
よいされました。それをよく表しているのが、「上善は水のごとし」
という言葉で、水はけっして高いところには流れない。低い場所へと
地形にしたがって進んでいき、途中に障害物があってもよけて通る。

これは人間で言えば、社会の中で成功をめざさないと考えることが
できるかもしれません。地位や名誉、財産は、いくらあっても、
もっとほしいという欲が出てきりがない。ならば、最初からそれとは
かかわらない生き方をしようということです。世を捨て、山中や
竹林に入って庵を結び、簡素な生活を送るのが理想とされました。

老子と牛はセットになっています
ztn (3)

道家は一つには、儒家のアンチテーゼとなっています。儒家の思想は
「徳治主義」。つまり、天命を受けた皇帝や王は、徳をもって
人民を治めなくてはならない、帝王の徳が高ければ、
それが人民にも伝わって理想的な国家になるというような論理です。

これに対し、『老子道徳経』に描写される理想の国は、権力のない、
ほとんど村規模の牧歌的な小国です。隣の国とは犬の吠える声が聞こえる
ほどの近さで、船や車、武器や甲冑も必要ない。食料、衣服、住居は
すべて自給自足で、何か物事を伝達するには縄の結び目程度があればよく、
文字さえも必要ない・・・こんな感じなんです。

中央が太上老君(老子)
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さて、老子の思想と道教はどう違うのか。3世紀ころ、中国に古くからある
神仙思想をもとに成立した道教では、老子は「太上老君」という最高神の
一人になっており、崑崙山に住み、『抱朴子』などによれば、
口がカラスのクチバシ、耳の長さは7寸(18cmほど)、額に縦じわが
3本あり、牛に乗った姿で表されることが多いですね。

道教では、内丹術、外丹術を修めて最終的には不老不死の仙人に
なることが究極の目的であり、道であるとされましたが、老子が
そういうことを言ったり、書物に書いているわけではありません。
道教の権威づけに、老子の思想が利用された面があると思います。

仙人のイメージ
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さてさて、ここまで老子の思想、「道」についてみてきましたが、
何も言ってないようなもんですね。やっぱり書かないほうがよかったのかも
しれません。現代の中国は、文化革命以後、宗教をふくむ古来の価値観が
否定され、精神世界が空洞のまま、他人を蹴落としてのし上がろう、
何をやってでも儲けようとする拝金主義の世の中になっています。

しかし、いくら高みをめざしても、万人がすべて成功するわけはなく、
必ず多くの挫折があります。そういうときに、ふとふり返ると老荘思想が
あるんですね。必ずしも社会的成功だけが幸福な人生ではないと。
これは現代の日本にもつうじる面があるのかもしれません。
では、今回はこのへんで。

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これはもう50年以上も前のことです。私の故郷は、ほんとうに小さな
山あいの村でね。当時で、人口1000人もいたのかなあ。
今は近隣の市と合併して、なくなっちゃいましたけどね。
その村はいくつかの集落に分かれてたんです。平地はかぎられてたので、
それを中心にして、5つか6つくらいに。それぞれの集落からは、
最低1人は村会議員が出てました。あと、お寺も、氏神様の神社も、
集落ごとに一つずつあったんですよ。いや、昔はどうだかわかりませんが、
当時は特に対立してたとか、そんなことはなかったように思いますね。
ああ、集落にある小学校同士の野球大会のときには、
試合の判定を巡って父兄がもめたことがありましたっけ。
まあでも、せいぜいそれくらいで、のどかで平和ないい村だったんですよ。

それが、私が小学6年生のときでしたが、ある事件が起こりまして。
始まりは、オナギ様の夏祭りのときでしたね。
オナギ様というのは、うちの集落の氏神さんのことです。
正式な名前はわからないです。例えば八幡様とか、全国的に名のしれた神社の
系列ではなく、その地域に昔からある神さんだったんでしょう。
集落の裏手にある山の裾に、小さな鳥居がたてられてあって、
それをくぐって石段を上っていくと、オナギ様のお社に出ます。
小さな社殿でしたが、そこは拝殿なんです。はい、本殿、つまり御神体が
収められてある建物はなくて、背後の山そのものが御神体だったんです。
そんな高い山じゃなかったですね。せいぜい800mくらいかなあ。地図には
別の名前で載ってたみたいですが、地元の者は「オナギ様の山」って呼んでました。

その山は、いわゆる禁足地だったんです。「入らずの山」とも言います。
登山道はありましたが、登り口に注連縄がかけられていて、誰も入れないように
なってました。とはいえ、山というのは世話をしないと荒れますから、
集落の若い衆が年に数回山へ入って、下草刈りや枝打ちなんかをやってました。
それで、夏祭りですが、毎年7月下旬にやることになってました。
祭りと言っても派手派手しいことは何もなく、
地域の小学生の子どもらが、お神輿を担いでオナギ様から下りてきて、

集落の中を練り歩き、また社殿に戻る。それだけでした。夜店なんかも、
出たことはなかったですね。で、もちろん私もお神輿を担ぎました。

6年生だから先頭のほうで。で、その年はなんかいろいろとおかしかったんです。
まず、お神輿がくり出す前に神主が祝詞を唱えますよね。

この神主は、つねに神社にいるわけではなく、
山の近くにある家の当主が、昔から代々務めていたんですが、
その祝詞を唱えてる途中に、急に声がかすれて倒れたんです。みな驚いて、
抱き起こしたら、たいしたことはなくて、本人は「ちょっとめまいがした」と
言っていたそうです。そして、お神輿が山を下り、鳥居をくぐった途端に、
それまで晴れてたのが、ぽつぽつと雨が降り出したんです。
中止することはできないので、2時間弱かけて集落を回ったんですが、
その間に、だんだんに降りが激しくなってきて、最後は土砂降りになりました。
まあでもね、晴れてたとは言っても曇り空でしたから、これは偶然なのかもしれません。
真夏ですから、雨にぬれても寒いとかはなかったです。子どもだったので、
私はかえって面白く思ってました。でね、神社に帰り着いて、
 

鳥居をくぐり、石段を駆け上って真ん中らへんまで来たとき、私は先頭だったから
わかるんですが、何か見えない壁のようなものに突き当たったんです。

え、妖怪の塗り壁? いや、それはわかりませんが、空気が岩のように固くなってて、
それに担ぎ棒があたって、お神輿が石段を転げ落ちちゃったんです。
はい、子どもらもろとも。幸い、骨折などの大ケガはなかったんですが、
どこか擦りむいて血が出たり、低学年の子らはみな泣いてました。
その後ね、まわりにいた大人がお神輿をたて直し、社殿まで行くことができたんです。
ここでね、子どもはともかく、祭りに参加してる大人たちは、
何かおかしいと感じてたはずです。はい、最初から最後まで、神様が怒ってるとしか
思えない出来事が続きましたから。で、お祭りが終わって1週間後くらいです。
雷がオナギ様の鳥居に落ちて全焼しちゃったんです。

これも不思議なことで、ふつう雷ってのは、高いところに落ちるはずでしょ。

それが、鳥居は山の登り口にあるわけで、周囲には鳥居よりもっと高い木が
何本も立ってる絶対に何かあるということになって、神主をはじめ、
集落の主だった者が、オナギ様の山に登ったんですよ。そしたら案の定、
荒らされてたんです。誰かが山にしのび込んで、ワナ猟をした形跡が残ってました。

ほら、オナギ様の山は入らずの山だから、獣類がたくさんいるんです。
それをねらって、誰かがトラバサミを仕掛けた。地面にワナの跡が残ってましたし、
近くの木の下に、かすかにですが血の跡も見つかった。
何者かが、獲物を木に吊るして血抜きをし、毛皮を剥いだってことです。
神域の山ですからね、トンデモない罰当たりです。
で、どうしたらいいか相談するために、集落の主だった者が集まりました。

私の父親もその中に参加していまして。父は、集落の郵便局長だったんです。
といっても、簡易郵便局でしたけども。ですから、この話のほとんどは、
後になってから父から聞いたものです。できることは二つでした。
まず一つは、とにかく祭礼を執り行って、オナギ様に謝ること。
これはすぐに、大々的にやったんですが・・・ もう一つは、もちろん、
山に入った不心得者を探し出すこと。え、探し出してどうするかって?
それは、警察に突き出すなんてことはしません。そうじゃなく、
首根っこをつかまえて、オナギ様に謝らせるつもりだったそうです。

あと、もしかしたら、家族がしばらくの間、村八分のような状態に
なったかもしれません。でも、誰がやったかは、ずっとわからなかったんです。

自分で名乗り出るわけはないし、目撃者もいない。

獣の毛皮は、遠く離れた町で売ってしまえばそれまでですし。
ですから集落の者は、いくら祭礼を行ったとしても、犯人がわかるまで、
オナギ様のお怒りはとけないんじゃないかと思ってたんですね。
それから一ヶ月ほどは、何事もなく過ぎました。秋になり、9月に入って、
そろそろ稲刈りを始めようかというときに、不思議なことが起きたんです。
はい、当時はどこの家でも田んぼにはカカシを立ててたんですが、

それが一夜のうちにみな消えてしまったんです。朝、田んぼに出てみると、
前日まであったはずのカカシがなくなってる。しかも、自分の家のだけじゃない。
集落全体のカカシが一本残らず消えたんです。みな、困惑しました。
また集まって話し合いが持たれましたが、おそらく夏に山を穢した
出来事と関係があるんだろう、くらいしかわかりませんでした。


それから、夜のうちにカカシを見たという者がぽつぽつ出てきたんです。
暗くなったので雨戸を閉めようとしたときに、庭先にカカシが立ってて、

驚いたものの、近づいてみたらいなくなっていたとか、夜に酔っ払って道を
歩いてた者が、一本足のカカシが田んぼの畦をぴょんぴょんはね跳んで
いくのを見たとか。じつはこれ、私も見たんです。はい、私の家は古いつくりで、
便所が母屋から離れてたんです。そのため、ちょっとの間ですが外を通ります。
それである晩、10時頃でしたか、寝る前に便所に行こうとして外に出たら、
ひょいと軒から、ボロボロの着物が垂れ下がってきて、その後、破れ笠をかぶった
カカシが顔を出して。腰を抜かして座り込み、大声で叫んで親を呼びました。母親が
来たんでわけを話し、父親が屋根を見たんですが何もなかったんです。
でも、私はたしかにカカシの顔を見ましたし、一連の出来事がありましたから、

 

親も私の話を信じてくれました。で、この田んぼからいなくなったカカシが、
夜にうろついてるって話は1ヶ月ほど続き、唐突に終わったんです。集落のある一家の、
父親、母親、婆様、子ども3人、全員が自分の家の田んぼの泥の中に膝までつかって
立ってるのが、朝に見つかったんです。みな、顔に墨でへのへのもへじが描かれ、
正気をなくしてうわ言を言ってました。はい、若い衆が田んぼから運んで、
村の集会所に寝かせてたら、昼頃には正気に戻りました。そこのあるじは、
だいぶ前に他の集落から移ってきた者で、オナギ様の山でワナ猟をやったのは
自分だって白状しましたよ。で、その一家に謝らせるための祭事を開いたんです。
まあ、こんな話です。カカシは冬前に、オナギ様の社殿の前に山と積まれているのが
見つかりました。それで怒りをお収められたか、おかしなことはなくなり、雷で焼けた
鳥居を再建しました。あと、私の集落ではこれ以降、カカシは使わなくなったんです。