稲荷神の話 | 怖い話します(選集)

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今回はこういうお題でいきますが・・・日本神道の神って
ほんとうにわからないんですよね。以前も八幡神について
記事を書きましたが、煮え切らない内容で終わっています。
今回もそうなるんじゃないかという気がします。

さて、稲荷神は「稲」という字がつくとおり、稲作に
関係した穀物神と考えられています。もともと日本の古代、
狩猟採集生活をしていた頃は、万物が神であるとする素朴な
アニミズムであったと考えられることが多いですね。

それが、大陸から水稲耕作が伝わり、その中でも特に
稲作の神、穀物神が重視されるようになった。ここまでは
そう言いっていいんじゃないかと思います。古代の稲作は
日照りや冷害などの天候に左右され、また、農薬など
なかったため、病害虫にも悩まされました。

あc

ですから、その年が豊作か凶作かで集落の運命が分かれる
ようなこともあったと思います。史学者の武光誠氏は、
穀物霊と祖先霊が結びついているという論を唱えられて
いますね。その集落の祖先の霊が、穀物の霊に働きかけて
豊作にしてくれるといった内容です。

さて、稲荷神ですが、もともとは山城国(京都府南部)
にいた渡来系の豪族、秦氏が信奉する神だったと考えられて
います。伏見稲荷大社の記録によれば、現在の伏見稲荷は、
711年に創建されたとなっています。

山城(奈良山の後ろという意味)は水はけが悪く、耕作に
向かない地でしたが、渡来人であった秦氏の土木技術に
よって開墾が進み、その礼として、一族の氏神である
穀物神を祀ったことが稲荷社の始まりとされます。

キャプチャ

『山城国風土記』には、秦伊呂具(はたのいろぐ)という
人物が祭事で餅を的にして矢を射ったところ、餅は
白い鳥と化して飛び立ち、その鳥が留まった地で
よく稲が実ったところから、稲生(いなり)という
社名がつけられたと書かれています。

さて、では、現在の稲荷社の御祭神は何かというと、   
これがさまざまで、「宇迦之御魂神、豊宇気毘売命、
保食神、大宣都比売神、若宇迦売神、御饌津神」など
ですが、共通点はどれも日本神話における
穀物神、食物神であることです。

弘法大師空海


もともと稲荷神が先にあり、記紀が書かれて以後、
それらの神々が稲荷社に結びつけられた・・・
でも、その当時はまだまだ稲荷社は多くありませんでした。
一氏族の神だったのでこれは当然ですね。

稲荷社の数が急速に増えたのは、仏教と神道が習合した
本地垂迹説が広まってからです。日本に密教・真言宗を
もたらした弘法大師空海により、東寺の守護神として
稲荷社が祀られ、密教の重要な仏であるインド由来の
荼枳尼天(だきにてん)と同一視されます。

荼枳尼天


荼枳尼天は人の寿命を予知するなど、強い力を持つと
され、密教は現世利益を重視する面を持っており、
荼枳尼天に祈ると願いがかなうと考えられて畿内から
全国に信仰が広まっていった。また荼枳尼天の画像は、
一般に、白狐に乗った姿で表されます。

こういう言葉がありますね。「江戸に多いもの、伊勢屋、
稲荷に犬の糞」 これは「い」という言葉で韻を踏んでるんですが、
たしかに江戸の町にはたくさんの稲荷社がありました。
稲荷社が火事の予防になると考えられたからです。

屋敷稲荷


江戸の町では何度も大火が起きており、火事はたいへんに
怖いものでした。そこで、町内ごと、あるいは武家屋敷などで
あれば敷地内に屋敷稲荷を祀って、火の用心としてたんですね。
怪談でも、屋敷稲荷を壊したり移動させたら祟りが起きた
というのは定番です。

さて、そろそろ字数が少なくなってきました。稲荷社の特徴  
として、赤い鳥居に白い狐の像がありますが、稲荷社と
狐はどうして結びついたのか。上記した伏見稲荷大社では、
狐は神のお使いとされています。

狐火


これにはいろいろな説がありますが、まず穀物神である
稲荷社の稲を食い荒らすネズミを狐が捕らえること。
それと、狐のピンと立てたしっぽが稲穂に似ているからなど
とも言われます。あとは狐に乗った荼枳尼天の姿から。
では、なぜ狐が火事除けになるのか。

さてさて、このあたりはよくわからないんですが、「狐火」
という言葉がありますよね。これは陰火で、さわっても
熱くなく、他の物に移らないとされています。おそらく
静電気の類なんだろうと思いますが、そこから狐は火事を
予知する、防ぐということが出てきたんではないでしょうか。