謹賀新年 | 士は己を知る者の為に死す

士は己を知る者の為に死す

男は自分を理解してくれる人の為なら命を懸けて尽くす

主従関係は、征服支配よりも理解




あっという間に2010年も半月が過ぎてしまいました。


今更ですが、明けましておめでとう!


「明けましておめでとう」と言えば、子供の頃、年賀状に「新年 明けましておめでとう」と書いていた。
聞くところによれば、明けて新年だから、新年が明けると来年になるとか、ならないとか。


「年賀」とは、新年の挨拶。本来は、当人と会って交わす挨拶なのであるが、諸般の事情により困難な場合は、年賀状を用いて略儀にて失礼する。

旧来は、通常の官製葉書や私製葉書が使われていたが、年賀状特別取扱(年賀状は1月1日まで預かり配達する)が始まると、他の郵便葉書を簡単に区別できるように、年賀切手が発行され、更に年賀葉書が発行されるようになった。


本来、略儀にて失礼する年賀状が、近年は出すのが当たり前になり、会社の同僚にまで送る始末。会社が始まれば顔を合わせ、きちんと挨拶するのだから送る必要などないのだが。


おそらくは、子供の頃の体験の延長なんだろう。


今でこそ、気楽に送ることができる葉書だが、江戸時代の飛脚は、めちゃめちゃ料金が高く、気軽に利用できるものではなかった。明治に入り、郵便局が整備され、料金はぐっとお安くなったが、それでも子供が利用できる金額ではなかった。


戦後になって、更に料金が安くなると、子供が父親にお願いする。「お父さん、僕も年賀状を書きたい」もちろん、出す相手は同級生。


ここで、学のある父親なら、年賀について説明し、学友には、学校が始まったら年賀の挨拶をすればいい。遠くの親戚や、引っ越して会えない学友に出すなら許すと言って聞かせたことだろう。


が、現実には、年賀状は高価でも特別なものでもなくなり、同級生や教師に送るのが当たり前。それをそのまま会社にも持ち込んで、同僚や上司に年賀状を送る。

「年賀状を送るなんて当たり前よね~! 返事を出さないなんて、常識を疑いたくなるわ!」


さて、本来の常識を逸脱しているのは、どっちであろうか?

略儀で失礼するのを当たり前と言い放つ無知を恥とも思わぬ君に常識を語られるとは・・・



豊かになることは、馬鹿になることとイコールなのか?



因みに、私は遠くの親戚にも年賀状を出さない馬鹿者です。おあとが宜しいようで。





のっけから、ぼやきブログになってしまいました。本年も、どうぞよろしくお付き合いのほどをお願い申し上げます。