バブルへGO!! | 男の滑走路

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日々の出来事を徒然に・・。

2月10日からバブルへGO!!
が公開される。


懐かしのホイチョイプロの映画だ。





オフィシャルサイトのプロダクションノーツの画面左側に懐かしい看板が並んでいる「BIO」、「GIZA」・・・



これは、スクエアビルのディスコだな。他にも「NEPENTA」「JAVA-JIVA」「BINGO BANGO BONGO」なんかがあった。




んで、斜め前のビル(今、和民やKing&Queenが入ってるプラザビル)には「Za MAKEUP」やなんかも入っていたな。



僕がディスコに通っていた頃にはパチンコの日拓グループがやってた「AREA」「CIPANGO」、NOVA21グループの「MAHARAJA」、三倶グループの「J trip bar」が全盛期で、スクエアビルのディスコは、イマイチイケてなくて服装のチェックもなかったから気軽に行けた。

この映画のテーマソングは加藤ミリヤの「Eye on you」。ちょっとだけユーロビートっぽくて、成田勝が歌っていた「イントゥ ザ ナイト」を彷彿させる曲調だ。




バブルの解説を見ると、バブルってのは1987年からだったらしい。自分は浪人時代だったけど現役で大学に行った友人達が派手に遊んでいたのを思い出す。

年表がまた懐かしい。
1987年には、ゴッホの「ひまわり」を安田火災が落札し、「私をスキーに連れてって」が大ヒットして、1988年1月にはに六本木のディスコ「トゥーリア」で照明が落下した。確かこの時は入学前だな。

んで「パラダイス銀河」発売、マガジンハウスの「hanako」が創刊。J-WAVE開局。

1988年秋に天皇陛下が倒れられて、井上陽水の「お元気ですか?」で有名な日産セフィーロの宣伝が自粛されたり、青山祭のパレードも自粛された。

明けて1989年1月に昭和天皇が崩御され、故・小渕官房長官が元号「平成」を宣言した時には妙高高原でスキーをしてた。あの頃はスキーブームで関越が100km渋滞なんてこともあった。

1989年2月にはイカ天放映開始。その年の春には今は亡き厚木キャンパスで小雨の降る中、バンドコンテストをやった。

1989年9月 ベイブリッジ開通。この頃かなぁ、マイカル本牧ができて、よく横浜にみんなでドライブに行った。

1989年12月 芝浦の巨大クラブ「GOLD」オープン。この年を境にユーロビートも下火になってボビーブラウンなんかが流行るんだよなぁ。

この年、東京証券取引所・平均株価38915円。今じゃ考えられない。

1991年になると「東京ラブストーリ」「101回目のプロポーズ」放送。この頃からバブルが弾けちゃう。自分は大学四年。バブル最後の世代。泡が弾けて社会人になったんだよなぁ。

バブルでGO!! ノスタルジーに浸りに観に行ってみようかな。

みなさんはバブルっていうと何を思い出しますか?