古代豪族 (講談社学術文庫) | 物語の面白さを考えるブログ

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『古代豪族』を読みました。

著者は、歴史学者の青木和夫氏。

 

平将門の乱は、将門と常陸国司との対立が直接のきっかけとなって始まりました。

その少し前には、将門は、武蔵国司と郡司との諍いに介入し、調停しています。

将門の生涯を追っていると、国司との関係にばかり目がいきがちですが、郡司の存在も見過ごしにはできません。

しかし、『将門記』に郡司の記述は少ない。

本書『古代豪族』は、郡司に焦点を当てて書かれており、『将門記』の世界を理解するのに、大いなる助けとなりました。

 

大化の改新以後、日本が律令国家となり、中央集権化がすすむ過程で、地方の豪族であった国造は、下級役人である郡司へと変わり、律令制の中に組み込まれました。

中央政府(朝廷)からは、国司が国のトップとして派遣されましたが、現地の実務を取り仕切る郡司の協力なしでは、徴税などの職務を遂行することは困難でした。

地方を実効支配してきた国造の家系である郡司の影響力は、律令国家となっても強力であり、国司といえども、彼らを無視して事を運ぶことはできなかったのです。

そこで朝廷は、郡司の現地支配力を利用しつつ、その権限を弱体化させるという、二律背反的な政策を用いました。

郡司は郡司で、旧来の支配力をできるだけ長く維持すべく、朝廷の威光を利用するという、これまた二律背反的な態度を採用しました。

喩えるなら、現場監督と、実力のある職人みたいな関係です。

このように見ると、上述の、武蔵国司と郡司との対立も、理解しやすくなると思われます。

 

古代史を学んで思うことは、政治における精神的力動は、いつの時代も変わらないものだという、諦念にも似た慨嘆です。

墾田永年私財法は、開墾した土地の私有を認めた法律です。

一見、庶民の権利拡大を推進する良法のようですが、実際に開墾するには、灌漑施設を建設しなければならず、それができるのは、相応の資本を有し、労働力を駆使できる有力者――貴族や寺社、王臣家に、実質的に限定されました。

これが何を意味するかというと――。

律令制国家の法理念上、すべての国土は天皇に帰属することになっていますが、土地所有の欲を捨てきれない有力者は、自分たちに有利な法律を作って法理念の裏をかき、土地所有を正当化した、ということです。

立法の立場にある者は、決して自分たちが不利となる法律は制定しない――。

現在の政治資金規正法をめぐるゴタゴタを眺めるに、現代人も古代人も、政治家の心理において差はないことが実感できます。

人が進歩するという考えは幻想かもしれません。

 

私有地――荘園が拡大するにつれ、税収は減り、国家財政は逼迫の道をたどることとなります。

そこで朝廷は国司の権限を強化し、国ごとに定められた額の税を国庫に納めれば、超過分は国司が自由に配分できることにしました。

これで国司は、土地の生産力および収税率の向上に邁進するはず――。

しかし、朝廷の目論見は、外れることとなります。

国司は、国庫を満たすことより私腹を肥やす方を優先し、不正を働くようになったのです。

定額を国庫に納めた上で、という条件を無視し、徴収した税を自分のふところへ入れるようになりました。帳簿の改竄は当然のこと、あまつさえ究極の証拠隠滅――穀物倉に放火し、実際の収穫量を後追い調査不能とする手口まで使用する始末。

このようなことは、いかに強権を持っているとはいえ、国司単独でできるはずもなく、郡司との結託もあったわけです。

もう、メチャクチャ。

将門の生きた時代は、このような時世でした。

 

本書では、「古代豪族の最後」と題した最終章で、平将門の乱を取り上げています。

将門は、上総国司として赴任した平高望の孫であり、正確には古代豪族ではありません。

しかし、祖父の代より土着し、無位無官ながら私営田領主として下総国に根を張った生き方は、郡司的――古代豪族的と言えるかもしれません。

私営田領主とは、浮浪民や逃亡農民などを雇い入れ、自分の土地で働かせる者のことです。

彼らの納税分を肩代わりするかわりに、農事に従事することを約束させ、使役します。一種の雇用契約です。

不正が横行する時世ですから、土地を守るための実力――武力は必須です。

この点で、将門は天賦の才を持っていました。

将門自身は無位無官で、朝廷の権力体系に組み込まれていませんでしたが、彼の父・良持は鎮守府将軍を務めていましたから、中央政府とのパイプは保持していたと思われます。

利用できる「中央の力」は利用し、実力で守るべきものは守る、そのような在り方は、まさに地方豪族的と言えましょう。

 

将門が反乱に到った経緯は、『将門記』で知ることができるものの、彼の真意までは『将門記』は明かしてくれません。

ましてや、「新皇」――新たな天皇を僭称した理由ついては、なおさらです(新皇宣言がフィクションでないとした場合、ですが)。

これらの点については、本書も踏み入った考察はしていません。

以下は、私の、少々ロマンチシズムのこもった妄想ですが――。

律令制によって力を奪われてきた「古代豪族的な観念・情緒」が、律令制の破綻とともに息を吹き返し、新興勢力である私営田領主・平将門という実体を得て逆襲に転じた。

彼には、ある怒りがあった。

それは、律令制の法理念を踏み倒しながらも、その頂点に立つ天皇の威光を利用して私腹を肥やす、国司の厚顔無恥な振る舞いへの怒りであった。

また、それに協力する郡司――古代豪族の誇りを失った者――への怒りでもあった。豪族とは、土地の秩序を守護する存在でなくてはならぬ。

将門に宿った「古代豪族的なもの」は、古来の誇りを取り戻し、乱れた在地(坂東)の秩序を回復すべく、武力を以て事を起こした。

腐敗した国司どもを坂東の地より追放しただけでは足りぬ。

確固たる秩序を打ち立てるには、何者にも決して利用されない、真なる威光を放つ「新たな天皇」が必要である。

腐った権力者を再び生まぬために――。

そう、考えた。いや、直観した。

「新皇宣言」をすることで、彼自身も利用してきた「中央とのパイプ」と訣別し、自らが新秩序の威光となろうとしたのかもしれない。

――なんてね。

 

源頼朝が、旧秩序を打倒し、武士による新秩序を打ち立てるのは、平将門の乱より250年後のことである。