「原作に忠実」とはどういうことか? という話をしたいのだけど、最初は方向違いの話をしていると思われるかもしれない。
そんな記事です。
劇場版『Gのレコンギスタ』は、五部構成。
監督はもちろん、富野由悠季氏。
第三部と第四部の主題歌は、ドリームズ・カム・トゥルーの『G』。
主題歌担当がドリカムだという情報に接したときの第一印象は、「なぜにドリカム?」でした。
彼らの音楽的実力は疑うべくもないけれど、そういうこっちゃなしに、ガンダムには合わんのじゃないかな、と思いました。
ところが、蓋を開けてみたら、びっくり。
何だ、このガンダム世界を的確に表現した歌詞は!?
なぜこんな歌詞が書けるんだ!?
まずは聴いてみて。
歌い出しで、いきなり「モビルスーツ」って言っちゃってるよね。
〝モビルスーツは進化するのに 僕はどうだ 伝えたい言葉を
選ぶのさえうまくいかない 何がしたいんだ〟
モビルスーツは、ガンダム世界の人型ロボットの総称で、それを出すことでガンダムソングだと一発で理解させる仕掛けだけれど、他にも解釈のしようがあります。
ありきたりですが、テクノロジーと置き換えることは可能でしょう。
テクノロジーの発達で人間の行動は拡張され、また、SNSなどで世界中の人たちとコミュニケーションがとれるようになり、自我は拡張されたかもしれない。
しかし、それで、伝えたい言葉をうまく選べるようになっただろうか?
人間はいまだにディスコミュニケーションの問題を解決できていやしないじゃないか!
―― テクノロジーに対する猜疑は、富野監督の思想の中に読み取ることができるテーマです。
歌詞の一行目から、がっつりテーマを捉えています。
まさにテーマソング――主題歌ですね。
【サビの英語の歌詞】
〝 even Shakespeare musta tasted fear or shed a tear
on this rolling sphere / there's no way to make everything clear
so I want you to be near / to hear you cheer
it's been my gear / the greatest gear 〟
【和訳】(ライナーノーツの解説を参照し、一部に儂の意訳をふくむ)
〝 シェイクスピアでさえ恐れを味わい、あるいは一粒の涙をこぼしたに違いない
この回転する球体の上で / すべてをクリアにする術はない
だから私はあなたにそばにいてほしい / 勇気づけるあなたの声を聞くために
それはずっと私のギア(装備)/ 最高のギア(装備)〟
下手に解説すると恥をかくだけなのでしませんが、「富野ガンダムの世界だなあ」と唸ることしかできない内容になっています。
しかも英語で韻を踏みまくる芸術性の高さよ。
作詞担当は吉田美和さん。
ガンダムという作品に対する理解度が半端ない。
もしかして、もとからガンダムオタクだったとか?
あるいは、歌詞を書くために、ド根性で全作品を鑑賞したとか?
どちらも不正解。
プロとして作詞をする以上、当然、ガンダムについてリサーチはしました。
その手法を知って、私は目からウロコが落ちましたとも。
富野監督のインタビュー記事や談話が載っている雑誌などを取り寄せて、読破されたとか。
個々のガンダム作品から監督の言わんとしていることを汲み取ろうとするのではなく、監督の発言から彼の思想を抽出しにいったわけだ。
「富野成分」を抽出するには、こっちの方が早いし、純度も高そうです。
そうして取り出した思想を、アーティスト吉田美和のフィルターを通して、歌詞に落とし込んだわけだ。
だから、ちゃんとドリカムの個性は出ているし、ガンダムの本質をとらえた主題歌として成立している。
お見事としか言いようがありません。
さてさて――。
ある創作物があって、それを原作として、他メディア化する場合。
原作尊重主義者である私が期待することは、原作のエッセンスを、他メディアの表現に上手に落とし込むこと、です。
表現媒体が異なれば、表現手法が異なるのは当たり前。
だから、原作をまったく変えるな、とは言いません。
表現媒体の特色に合わせて、変えるべきところは変えてくれてかまいません。
むしろ、変えてほしいくらい。
なぜって、見たいのは、原作のエッセンスが、それぞれの表現媒体において、どのように最適に具象化されるか、だからです。
富野監督はドリカムに対し、主題歌の制作を依頼しました。
これは、「ガンダムを原作にして、歌を作ってください」と言っているようなものです。
その意味するところは、「ガンダムのエッセンスを歌で表現して」です。
オファーを受けたドリカムは、正真正銘のプロでした。
見事にエッセンスを歌として表現しました。昇華したと言えるレベルの高品質で。
最近では、作品内容に寄り添ったアニソンも増えましたが、その大半は、作中に登場したキーワードを歌詞にちりばめたり、キャラクターの心情を述べたりといった、「作品の表に見える部分」を歌ったものである印象です。
監督の思想を歌化したアーティストは、稀有なのではないでしょうか。
出来上がった楽曲『G』を聴いた富野監督は、仰天したそうです。
「ガンダムソングの歌詞に、シェイクスピアなんて単語が出てくるとは思わなかった」と。
表現者として、刺激を受けたようです。
表現者の気位からすれば、「ガンダムのエッセンスを歌で表現して」というオファーは、挑戦状に等しい。
あなた、私の作品のエッセンスを的確に汲み取れますか?
そして、それをあなたの専門分野で扱えますか?
と言っているのと同じですから。
ドリカムは挑戦状を受理し、突きつけられた難題をクリアしました。
監督の発言から思想を読み取るという手法で高純度のエッセンスを抽出し、監督の度肝をぬくシェイクスピアという単語を用いて、それを表現してのけたのです。
表現者が別の表現者を刺激し、そこで生まれた新たな表現が、さらに表現者を刺激する――。
原作の他メディア化は、このように、表現者同士の高め合いであってほしいと願います。