前回記事で、声優の種崎敦美さんの話をしましたが、彼女が演じたキャラクターで、ひとり重要な人物を忘れていました。
ジョジョ6部「ストーンオーシャン」に登場したエンポリオです。
少年です。
録画してあった最終話を観なおしてみたのですが、鑑賞中、「これはいかにも種崎ボイスだ」などと思うことは一瞬もなく、終いまでずっと「エンポリオの声」という認識でした。
「僕の名前はエンポリオです」のシーンは、もう泣きそう。
同じ少年役でも、「ダイの大冒険」のダイとは、また違う声ですよねえ。
種崎さんの声帯、本当にどうなってんの?
声優談義はここまでにして、以下は物語に関する論議。
「原作に忠実」とは、どういうことか? を、少しばかり考えます。
それを考えることは、「原作改変とは何か」を考えることと同義でもあります。
深掘りすると、膨大な思考量になってしまうので、ほんのちょっとだけ考えることにします。
アニメ「ストーンオーシャン」最終話で、エンポリオがプッチ神父(ボスキャラ)に放つ台詞――「みんな未来なんか知らなくても覚悟があった!」――は、原作にない、いわゆるアニオリなのですが、これは、他作品もふくめて、数あるアニオリの中で、最高のもののひとつではないかと、個人的には思っています。
この台詞のおかげで、少々実感しづらかった原作のテーマに、ぴったりピントがあった感じ。
素晴らしすぎる原作補完系アニオリです。
記事の冗長化を懸念しつつ、少し具体的に解説します。
プッチ神父の主張は、以下のごとし。
「未来の出来事をあらかじめ知っていることで、悪い出来事に対しても『覚悟』を持つことができる。『覚悟』があれば、どんな困難も乗り切ることができる。『覚悟』こそが『幸福』。自分は全人類を『幸福』に導くために行動しているのだ」
プッチ神父は、そのスタンド能力によって、宇宙規模の世界改変を実行し、全人類が「覚悟」を持てる世界を創造しようとします。
一見、善行のようですが、彼の主張の裏には、自己正当化が潜んでいます。
――人類の幸福のために働いている自分は絶対的な善である、だから自分のしていることは悪事ではないし、仮に悪事だったとしても赦される、善を為す過程で多少の犠牲者が出ても、それは必要なことなのだ。
そして、自分がこうすることは運命なのだ、とまで言います。
要約すると、「自分は悪くない」です。
彼がこういう自己正当化に取りつかれたのは、妹を死なせた罪悪感からの逃避である、という考察をネットで見たときには震えました。すごい納得感。
プッチ神父と対決したエンポリオ少年は、真っ向から反論します。
「正義の道を歩むことこそが運命なんだ」と、プッチ神父の運命論を否定します。
この反論、ちょっと意味がわかりづらいのですが、ニュアンスとしては、人の心には「正しい方向」へ向かおうとする意志が生来的に備わっている、といったところでしょうか。
これは原作にある台詞ですが、これだと、反論として、少々ピンボケな感じがするのですね。
正義のふりをしながら悪の道を行くプッチ神父と、正義の道を果敢につらぬく徐倫たちとを対比することで、プッチ神父の欺瞞と悪辣を炙り出そうとする点に、作者の意図があると思われますが、即座には伝わりにくい。
そこで先述の補完アニオリが降臨するわけです。
「みんな未来なんか知らなくても『覚悟』があった! 『覚悟』がなかったのはお前の方だ!」
「覚悟」の意味が、プッチ神父とエンポリオとでは違っていることに留意すべし。
プッチ神父の唱える覚悟は、困難に対する「事前の心構え」のことです。
エンポリオのいう覚悟とは、困難を乗り越える「今ここにある気構え」のことです。
その覚悟がなかったから、プッチ神父は「悪」の道に逃げ込んだのだ、と指弾しているのです。
「覚悟」をキーワードとしたことで、プッチ神父と徐倫たちとの対比が、よりわかりやすくなりました。
「みんな」というのは、エンポリオに未来を託して死んでいった仲間たちです。この時点で、主人公の徐倫をふくめて、主人公チームは全滅しています。
そして最後に、スタンド能力を持っていない、ちっぽけな子供にすぎないエンポリオが、覚悟ガンぎまりでプッチ神父に逆転勝利する胸アツ展開。
このアニオリ台詞の何が素晴らしいかって、原作のテーマを洗練深化させて、視聴者にわかりやすく伝えている点です。
原作のエッセンスを損っていない。
つまり、「原作に忠実」。
しかし、アニメ化に際して、「改変」を行ってはいる。
原作を改変しているにもかかわらず、原作以上に原作に忠実という、奇跡のアニオリです。
脚本を執筆したのは、小林靖子さん。
ドラマ「岸辺露伴は動かない」も担当しておられます。
ドラマ版は、原作を大胆にアレンジしているにもかかわらず、原作ファンから批判的な反応が出ないのは(少なくとも、私は聞いたことがありません)、原作のエッセンスをしっかり守っているからでしょう。
原作に忠実に脚本化することを「トレース」と呼ぶ脚本家は、一から出直して来いと私は言いたい。
(終わり)