鬼滅の刃 絆の奇跡、そして柱稽古へ | 物語の面白さを考えるブログ

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近ごろ「鬼滅」の過去記事へのアクセス数が増加しているのは、柱稽古編の放送が近づいているからだろうなぁと思っている今日このごろ、久々に「鬼滅」記事を書こうかなという気になったので、書きました。

「絆の奇跡、そして柱稽古へ」の感想です。2月の時点で鑑賞していましたが、今まで放置していました。

原作は好きですけど、アニメに関しては、批判的ないし懐疑的になっており、そういう立場で感想を述べますので、不快感をもよおす予感のする方はスルーしてください。

 

まずは、「柱稽古編」第1話の方から。

冒頭のアニオリふくめて、特に大きな不満はありませんでした。

「柱稽古編」には、アニオリを挿める隙間がけっこうありそうなので、少しアクションを増やすくらいなら、やってもらっていいのじゃないでしょうか。

風柱 VS.水柱とか、見栄えのする殺陣に仕上げてくれるなら、いいかもしれません(長すぎると退屈が生じるので、ほどほどに)。

冒頭のアニオリも、まあ、やりたい気持ちは理解できます。

最終盤になるまで、蛇柱の活躍シーンがないので、ここいらへんで、出番と見せ場をあたえておきたいところ。

ただ、無限城はあまりチラ見せしない方がいいのかな、とは思いました。後の驚きが薄れるような気がするので。

あの状況なら、風柱と蛇柱を内部に引きこんでいれば、憎い鬼狩りの柱を二人同時に始末できたよね、無惨さま。

――と、ツッコみたいところですが、鬼側の失策は、「アタマ無惨だから」でフォローできてしまうのが、何とも手強い。フォローになっているか知らんけれども。

 

こっちの横長の構図の方が好きかな。義勇さんの「参加してない」感w

 

で、気になってしまったのが、「刀鍛冶の里編」の、アニオリで追加されたエピローグ。

やっぱり、「柱稽古編」の序盤にうまく接続していない印象を持ちました。

上弦の肆・伍との戦いの直後って、炭治郎も鋼鐵塚さんも大怪我しているわけじゃん。

それが「柱稽古編」の序盤まで尾を引いて、炭治郎は一週間寝込んだし、鋼鐵塚さんは痛みでいつもの横暴ぶりを発揮できない状態。の、はずなのに――。

エピローグだと、二人とも、わりと元気そうに見えてしまうのですよねえ。

「刀鍛冶」最終話と「柱稽古」第1話を連続で観たものですから、よけいにそう感じました。

そもそも、紙吹雪までこしらえて、のんきに炭治郎を見送っている場合じゃないでしょうに。

里は、鬼の再襲撃に備えて、急ピッチで移転しなければならない状況。

かなりシビアで、シリアスな状況です。

炭治郎の活躍によって里が救われたと、お祭り騒ぎみたいに喜んでいましたけれども、犠牲者が出たのも事実。

その事実を無視するようでは、「鬼滅」世界を十分に表現したとは言えません。

 

 

第128話「御教示願う」の扉絵。

この絵、かなり好きな一枚。

大急ぎで「空里」に引っ越ししなければならないため、犠牲者のお墓を作っている余裕はないわけです。

遺体を埋めて、石を置いただけの、簡素な墓。

墓碑銘もない墓に供えられているのは、一振りの刀のみ――。

刀鍛冶らしい哀悼と矜持の示し方が見事に表現されていて、痺れました。

吾峠先生の絵の魅力って、こういう着眼点とセンスにあるんですよ。絵にちゃんと「伝える力」が備わっています。絵が下手とか言っているヤツは○ね。

この一枚絵を、アニメのカラー絵でも見たいと、私は願望しておりましたとも。

なぁーんでこれをカットして変なエピローグにしてしまうのか。「柱稽古」第1話の方にもなかったし。

コミックスのおまけページやファンブックに載っている小ネタや裏設定を拾ってファンサービスぶっていないで、原作の渋いところもちゃんとアニメ化しておくれやす。

ufotable のアニメ化の方針って、原作にある「ハイドラマ的なもの」を排除して、「ロードラマ的なもの」に書き換えることにあるのじゃないかしら。

ufotable は原作に忠実だと、世間では評価しているみたいだけれども、私は疑っていますからね! こっそり別物にしようとしているのじゃないかと。

 

批判ついでに、もうひとつ別の観点から、このアニオリ・エピローグに批判を加えますけれども。

「無限列車編」は、煉獄さんが死んで炭治郎が泣いているシーンで終わりました。

「遊郭編」のラストは、炭治郎が善逸・伊之助と抱き合って、「生きててよかった」と嬉し泣きしているシーン。

これを観て、もしや、と思いました。

もしや、「刀鍛冶の里編」のラストは、蜜璃ちゃんと炭治郎たちが抱き合って、禰豆子の「よかったねえ」で締めるのかと。

これなら、各編のラストに、統一感が出ます。美しい構成です。

ここまで考えていて、「無限列車編」は、ああいうシーンで終わらせたのか?

もしそうなら、「無限列車編」に対する評価を改めねば。

――と、思っていたのに。

何じゃい、あのエピローグは! 台無しじゃないか。

ufotable の脚本家には、ストーリー構成に対する美意識がないのか?

過去記事でも書きましたけれども、「無限列車編」の冒頭でお館様に「受け継がれる意志がテーマです」と語らせておいて、炭治郎が受け継ぐところまでを描かずに途中で終わらせるし。冒頭と結末が対応していないことに、違和を感じないのだろうか、脚本家として。

疑っているぞ、疑っているぞ、ufotable の脚本能力を、儂は疑っているぞ。

 

「柱稽古編」は、どうなりますやら。