将門記を読む (吉川弘文館) | 物語の面白さを考えるブログ

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『将門記を読む』を読みました。

 

裏表紙に書かれている内容紹介:

平将門の夢と挫折を描く『将門記』。終わらない報復合戦、藤原純友との共謀説、使用された武器、内海に囲まれた坂東と民衆にとっての乱の意味など、多彩な視点から解明。また全国の将門伝説から、現代の将門像に迫る。

 

編者の川尻秋生氏をふくむ、八名の執筆者からなる一般向けの論文集。

上掲のごとき多彩な視点における最新(2008年時点)の将門研究を通覧できます。

 

平将門の生きた10世紀前半は、その前後の時代にくらべて極端に史料が少なくなる時代で、解明が進んでいません。

将門の乱の経緯を知ることができるのは『将門記』のおかげですが、それすら成立年代・作者ともに不詳であり、史料としての信憑性を検討するところから始めなければいけないありさま。おまけに、『将門記』は完全な形で残っておらず、巻首が失われているので、将門の生年や、平氏一族の内輪もめの原因すらはっきりしていないのが実情です。――将門が敵に待ち伏せされて合戦におよぶところから始まるので、この人たち、なぜ戦っているのだろう? となります。

 

本書で取り上げた論点すべてに触れるだけの余裕がないので、二点だけ取り上げます。

 

興味深かったのが、『将門記』という書物の性格についての考察。

軍記ものの先駆と称される『将門記』ですが、『平家物語』や『太平記』などの後代の軍記ものとは、まるで異質な特徴を備えています。

軍事的な記述が、実に淡白なのです。

かわりに、戦争によって庶民が被る惨禍について詳細に記述しています。庶民にスポットを当てて戦場を描写するのは、他に類例を見ない『将門記』の特色です。

軍記ものというと、誰と誰が戦い、どういう軍略で勝敗が決したとか、どちらが「正義」でどちらが「悪」かといった色分けが書かれていたりするものですが、『将門記』の作者は、戦争遂行者は動機の如何にかかわらず「悪」と見做し、批判的に記述しています。反対に、戦争を回避しようとする思惟や行動には称賛を送っています。

このような庶民的視点を有していることと、文章が書けて執筆に必要な資料に触れることができる立場にあることから、作者は在地の官人ではないかという説が提出されています。

仏教的修飾を多用していることから僧だとする説もありますが、個人的には官人説に一票です。

『将門記』は、怨みに駆られて報復戦の応酬をした結果、坂東全体を巻き込む争乱に発展したことを嘆いており、してみると、戦争の愚かさと悲惨さとを警告するために書かれたのではないかという気がしてきます。

 

『将門記』の記述のみから10世紀を解明するのは限界があるので、別の視点を導入して研究を進める必要があります。

環境史と地域史の視点から『将門記』の内容を検討するくだりが興味深かったです。

10世紀当時、霞ヶ浦は現在よりも内陸に広がっており、現在の北浦や手賀沼・印旛沼ともつながり、内海と呼べるような一大湖沼を形成していました。

8~12世紀は、長期的に見ても稀有なほどに温暖な気候だったらしく、仮に海面上昇をともなっていたとすれば、霞ヶ浦が内海化していたこともうなずけます。

内海には鬼怒川や小貝川が流入しており、物資の流通に水路を利用するのは古代から行われていたことですから、そこには当然、水上交通路が発達していたはずです。

このような地域的特徴の上に、将門と伯父たちとが争った戦場を重ねると、水上交通路の支配権をめぐる争いではなかったか、という推察が可能となります。物資の流通ルートを扼することは地域支配に直結しますから。

戦の場面では騎馬戦が主体となっているので、『将門記』を一瞥したかぎりでは陸路ばかりであるような印象をおぼえますが、坂東平野に豊富な水系が走っていたことを念頭に置いて読み直せば、新たな発見があるかもしれません。

 

編者の川尻氏があとがきで嘆いておられましたが、10世紀の歴史を解明することは困難を極めます。

9世紀まで編纂されていた正史が途絶え、文献史料が激減したばかりでなく、考古学的資料も乏しくなるからです。

古代から中世への過渡期にあたりながら、その変遷がほとんど不明なのです。

将門がどのような武具を使用していたかもわかりません。

将門の小説を何冊が読みましたが、鎧の描写などは、後の鎌倉武士あたりのイメージに引きずられている感があります。

肯定する根拠も否定する根拠もない歴史的空白を、作家が想像力で補って埋めるのは全然かまわないと思う一方、イメージだけが先走っている様相にはすっきりしないものをおぼえます。

どこからか新しい史料が発見されて、研究が進展することを願わずにはいられません。