『平将門』『海と風と虹と』 | 物語の面白さを考えるブログ

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海音寺潮五郎・著『平将門』と『海と風と虹と』を読みました。

どちらも承平天慶の乱を題材とした小説です。

前者では坂東を舞台とした平将門の乱を、後者では瀬戸内海を舞台とした藤原純友の乱を描いています。

この二作は姉妹編の関係にあり、細部の設定や筋立ては異なるものの、主要な人物像や世界観は共通しています。

執筆の順番は、『平将門』、『海と風と虹と』の順です。この間に史伝「平将門」と「藤原純友」が入ります。史伝の方は『悪人列伝 古代篇』に所収。以前に海音寺潮五郎の「将門」を読んだ記憶があったけれど、史伝の方でした。小説を読んだのは今回が初。

NHK大河ドラマ『風と雲と虹と』は、この二作を原作として制作されました。

 

未視聴なのですけれども。ツタヤに行ったら普通にレンタルしていたので、後で借りて観ようと思います。

 

小説の方は、作者が劇中にヒョコヒョコ顔を出すタイプの小説。「この小説の時代には~であった」といったメタ的な説明がなされたり、作者の現地取材のエピソードなどが当たり前に語られたりします。小説における「視点」がなっていないという理由で「鬼滅」のノベライズを酷評するほど「視点」にうるさい私ですが、このレベルになると「視点」云々の理論は通用しなくなるので、あとはもう潮五郎さんの〝語り〟に耳を傾けるような気持ちで読み進めるだけになります。

 

それで感心することしきりだったのが、潮五郎さんの歴史に対する洞察。

ひとつの王朝が倒れて新たな王朝が興るとき、前の王朝を倒した者は次の王朝の王になれない、という指摘には胸を衝かれました。

前の王朝を倒した者は「賊」と認定され、この「賊」を倒した者こそが次の「王」となる。歴史を紐解くと決まってそうなっている――。

言われてみれば、確かにそんな気がします。

将門の叛乱は朝廷を倒すには到りませんでしたが、「賊」となった将門を討った藤原秀郷と平貞盛は、その後、武士としての地位を飛躍的に向上させました。もし朝廷が倒れていたら、どちらかが次代の「王」となっていたかもしれません。

「武士」の形成に秀郷と貞盛の功績が大きな役割を果たしたことは本を読んで知識として知っていましたが、「賊」を討伐した者こそが「王」の資格を得るという洞察に達していなかった以上、それはやはり浅薄な「知識」どまりの認識でしかなかったわけです。

 

大化の改新で天皇制が形になってから、将門・純友の乱まで、まだたったの三百年弱。徳川幕府の存続期間より、ほんの少し長いくらい。

この時期、朝廷も人民も、天皇制が不倒不変のものであるという確信は持っていなかった、という指摘にも唸らされました。

王朝は交替し得るものであるという予感めいた実感を、天皇も貴族も人民も十分に持ち得ていた。だから、坂東で将門が「新皇」を称し、瀬戸内から純友の船団が京へ攻め上ったとき、人々は本当に世の中が変わるのではないかと思い、おののいた――。

朝廷は機能不全に陥っていたものの、運よく将門が頓死したことにより、事態は朝廷にとって好転し始めました。

神頼みの怨敵調伏の祈祷くらいしか手立てのなかった朝廷が幸運だけを頼りに命脈を保った――承平天慶の乱を乗り切ったことで、朝廷は神に守護されているとの自信と信仰が生まれ、今日に到っているのである、と潮五郎さんは言う。

そうかもしれない。

今日の私たちには、天皇制が倒れる事態が想像できなくなっているのですから。

 

将門が新皇を称するようになったのは、巫女に菅原道真の霊が憑依して、八幡神の名において天皇の位を授けると託宣したからです。

『将門記』に記されているこの記事を、小説に仕立てるに際し、潮五郎さんはどう処理したか?

私が興味を持ったポイントのひとつは、それでした。

吉川英治の小説では、側近の興世王と藤原玄明が将門を神輿として担ぐため、巫女にヤラセを仕込んだという筋書きだったと記憶していますが、さて、潮五郎さんの解釈はいかに。

……ふつうに超自然現象の扱いでした。

「お、おう」と少し戸惑いました。

これでは新皇宣言に到った経緯や、将門の心理がわかりませんからね。

なぜ将門は「新皇」という大それた称号を用いるようになったのか?

この謎の答えは、自分で探すしかないようです。

 

将門は、一族内の私闘に明け暮れているうちに、なし崩し的に国衙と対立し、叛乱に到ったような印象がつきまといますが、純友の方はちがいます。

腐敗しきった貴族政治にもはや処方箋なしと見限った彼は、政治を根本的に刷新するため、朝廷転覆の志と計画を立てます。彼の叛乱には世直しという確固たる目的があったのです。

瀬戸内の海賊を糾合して麾下の戦力とした彼は、坂東に将門の乱がおこり朝廷の武力が東西に分断されるや、頃合と見て京に攻め上ります。

そのとき、行く手に、虹がかかりました。

清麗なる虹。

しかし、虹とは、決して手に掴むことができず、儚く消えていくものである……。

純友の志もまた、虹のようなものでした。

将門討ち死にの急報に接した彼は、動揺し、吹けば倒れるような状態の朝廷を目前にして、船団を引き返させるのでした。

戦力を西海に集中させることが可能となった朝廷軍により、次第に追いつめられる純友。

高い志を持った彼が、単なる海の「賊」として討ち取られる結末は、何とも言えずやるせないものでした。