第三話の冒頭――
冨岡義勇から鱗滝左近次へ宛てた手紙の文章と、
手紙を受け取る場面の絵とによって、
天狗面の人物が鱗滝であることが読者に示されます。
特筆すべきは、手紙文の確かさです。
ラノベなどで、小難しい単語を羅列して「文章力スゲー」と
読者に称賛される文を見かけますが、
このような文章は、少し語彙の持ち合わせが多い人なら書けるもので、
賛嘆には値しません。
真に文章を書く力があるかは、手紙文に表れます。
教養と、差出人と受取人との関係を正しく把握する力とを
備えていなければ、正しい手紙文は書けないからです。
創作の中に手紙を登場させるとなれば、
差出人・受取人ともに架空の人物ですから、
彼らの関係性を正しく把握した上で、
差出人のキャラと知性とに合わせて、
語彙・文体・内容を構築しなければなりません。
頭の悪い作者には不可能な芸当です。
上述のことを鑑みるに、吾峠先生は、小説をはじめ、
たくさんの本を読んでいる方に違いありません。
手紙文の確かさが、その裏に膨大な読書量があることを
窺わせます。
この推察が的を射ているならば、
『鬼滅の刃』 という作品が、漫画でありながら、
小説的であることにも頷けます。
どこがどう小説的であるかは、このブログの感想文の中で、
おいおい書くつもりです。
第三話の内容は――
鬼の弱点が日光であると判明。
炭治郎、鱗滝さんに弟子入りす。
妹が人を食ったら、妹を殺して腹を切れと
炭治郎に厳しいことを言う鱗滝さんだけれど、
その背後に深い愛情があることは、
柱合裁判(第6巻)で明らかになります。
これは泣かざるを得ない(てゆーか、泣いた)。