【ドラゴン☆マリアについて】今日は母の誕生日 | 宇宙で読み解くあなたの運命☆ドラゴンマリア

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ポラリス占星術(紫微斗数)・トートタロット・水晶玉占い・体癖など
最近はコスプレも少々含みます

今日は珍しく、ワタクシ自身のことを
ちょっと書いてみようかと思います。

シリアスで、重い話になるので
そういうのが苦手の方は
華麗にスルーしてくださいね。


さて。

今日は、ワタクシの母のお誕生日なのです。
昭和23年、戊子年生まれだから
今年が年女の、72歳です。

実はお母さんの生年を覚えていなくて
干支で計算したのですよ。
干支って便利よね・・・(笑)。

それで、72歳の誕生日って
改めて確認して、
えっっ・・・72歳になっていたの!?って
愕然としてしまいました。

ワタクシの中のお母さん像って
65歳くらいで止まっているから。


母と妹と一緒に
京都旅行をした時の写真ですが、

その頃から、
ワタクシの中での「お母さん」の時が
止まってしまっているような感じ。

image

2013年の旅行だから、
ちょうど7年前ということになるでしょうか。


ワタクシの母は、
精神病棟にず~っと入院をしています。

一度、退院することができたのだけど
その後、症状が悪化して
再び、入院病棟に戻ることに。

ワタクシと母の関係は
特に軋轢があるわけでもなく、
姉妹のように仲が良かったし
母と妹と三人で、
よく旅行にも行っていました。

ところが6年くらい前、
母が帯状疱疹をわずらい、
それが悪化して、
鬱病のような状態になってから
いろいろな事が変化をしました。

ワタクシは高校卒業後、
実家を離れて大学に行き、
そのまま都内近郊で働き、
結婚してから山梨県に住んでいるので

実家の家族と暮らした時間って
案外短いのだな~と感じています。

阪神淡路大震災が起きた
1995年1月17日
父が、余命2週間の
末期がん宣告を受けました。

母が、47歳の時のことです。

ワタクシが、今年46歳になるので
それを考えると、
本当にぞっとするのです。

我が家は、ワタクシ、妹、弟の
3きょうだいで
長女のワタクシは
まだ大学に入ったばかり。

20歳から21歳になる年でした。

妹は高校生、弟は中学生。

大震災と同じ日に
我が家に大激震が走り
父はその後1ヶ月ほどで他界しました。

経済的な問題は
幸いにして祖父母の援助があり
なんとか3人とも大学に行けたし
生活水準もまあ変わらず・・・でしたが。

ワタクシも今になってようやく
母のつらさや、悲しみの深さが
身をもって実感できるようになりました。

当時は父が亡くなったショックが
あまりにも大きくて

母のことを支えていたつもりでしたが、
分かってあげられない部分は
かなり多かったかもしれません。

妻として、夫を失う気持ち
母として、
子供たちの父を失う気持ち

子供の視点からしか
お母さんのことを
見てあげられなかったので

ワタクシの言葉が
傷つけたことも沢山あると思う。

その後、数年してから、
妹が『統合失調症』という
病気になりました。

ワタクシは仕事をしていたので
当時の妹のことを見ておらず
母の電話でしか事情を知らなかった。

泣きながら電話をしてきた
母の報告で
急遽仕事を休んで、
実家に戻りました。

そこからの時間は
母も、ワタクシも
妹と、妹の病気のことで
ず~っと悩み通しだった。

一緒に暮らしていた母にとっては
本当に、本当に辛いことで。

振り返ってみると、
ワタクシが神社通いをし始めたのも
占いの勉強をし始めたのも

妹の病気がきっかけだった気がします。

妹のことは、記事を改めて
ちゃんと書きたいと思っていますが・・・。


帯状疱疹からの鬱病?で
6年前に母は精神病棟に入院となりました。

ワタクシは山梨に住んでいるから
実家の妹が、ひとりで家事をしたり
母のお見舞いに行ったりしていました。

自立支援を受けていたし
家事などは普通にできる子だったので
(↑むしろ、姉よりも上手なくらいで)
不安はありましたが、
妹にいろいろお願いしていました。

ただ、このままではいけないと
東京で仕事をしていた弟が
なんやかんやの末に
実家に戻ることに。

妹も、弟が帰ってきて安心だろうし
母も弟の顔が見られたら喜ぶだろうし

ついでにワタクシも妊娠をして
2016年の1月20日に
息子を出産いたしました。

孫の顔が見られたら、
母もちょっとは元気になるかな~

妹も、叔母ちゃんになるんだ!?
・・・といいつつ、喜んでくれたので

ワタクシとしては
万事上手くいって、
これで、やっと一安心。

父が亡くなってからの
実家の波瀾万丈な年月も
これでやっと安泰に。

なんて、思っていたのです。


・・・だけど。
映画のような大団円にはならなくて

2016年の9月
妹が、突然亡くなりました。

自殺でした。

もう生きるのに疲れたから
お父さんのところに行きたいって。

自分の私物を、全て綺麗に整頓した後で。

弟が実家に帰ってきたことで
自分が頑張らなくてもいいと
ある意味安心したのでしょう。


母は、精神病棟にいましたが、
その頃はだいぶ病状も改善され
外出して、
家族とご飯を食べるとかも
できるようになっていたんです。

そんな母に、
妹が自殺してしまったことを
伝えなければならなかった。

母にどうやって伝えるか・・・が
ワタクシの中で
最大級の難問でした。

本当は、亡くなった妹のそばに
母をいさせてあげたかった。

お葬式にも出席させてあげなきゃ
いけないのかもしれない。

だけど、妹の遺体をみれば
ただの病死ではないということが
すぐにバレれしまうでしょう。

弟と相談をして
妹がなくなったことを
1ヶ月間は隠すことにしました。

ワタクシ自身、
動揺があまりにも激しかったので
落ち着いて、
母に伝えられるとは思えなかったし。

お葬式の後で、
母に面会しに行った時も
妹は家にいるって、
嘘をついて。

親戚の伯母にも一緒に来てもらい
1ヶ月後、母に伝えました。

悲しくて、かわいそうで、つらくて
見ていられなかった。

どうして、すぐに教えてくれなかったの?

そう問われても、
「ごめんなさい」って
謝るしかなくて。

最期に、一目、
妹に会わせてあげたかったけど

母が真実を知れば
きっと、また自分のことを責めるから。

でも、時が経つにつれて、
会わせてあげた方が
母のために良かったのだろうか?

・・・と、考えるようにもなりました。

もし、ワタクシが母の立場で、
ワタクシの息子が
同じような死に方をしたら
どう感じるのだろう?と。

どんな姿になっていても
抱きしめたかった・・・

そう思うのかもしれない。

ワタクシは、

母が、妹を抱きしめる最後の機会を
良かれと思って
奪ってしまったのかもしれない。

そう感じたりもします。

天国でまた会えるなんて言っても
世界に肉体が存在しているからこそ
実感というものがあるわけで。

願わくば、

これ以上、母の人生が辛いものにならず
ほんの少しでも
幸せだと感じられる何かが訪れることを
ただ祈るばかりです。

お母さん、
72歳のお誕生日おめでとう。

あなたの娘を、
この世に生み出してくれて

そして、
わたしの息子に会わせてくれて

ありがとうございます。

大好きだよ。

だから、元気でいてください。
~☆~~☆~~☆~~☆~~☆~
 
星相師・体癖研究家
ドラゴン ☆ マリア
 

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