排泄こそが最重要課題
このところずっと、母の隣の部屋に寝ています。同じ部屋で寝ることも考えたけど、お互い寝心地が悪い気がして、それはパス。母はともかく、私が熟睡できない(笑)でも隣の部屋でも、なんとなくの気配で目が覚めるものなんですね。哀れな声で呼ばれて、起きることもあります。一晩で2回か3回は、熟睡中を起こされてトイレ介助。私は自分のために山に登ったり、毎日たくさん歩いたりしていたけど、実は母の介護に備えて体力づくりをしていたのかも。そんな気がするくらいです(笑)おかげで体力バッチリなので、腰の負担も感じていない。もともと腰痛とは無縁だったし、今のところは楽勝です(笑)私がいるときは一人で起きられない母が、なんとなくの気配で目覚めて、寒いな~と思いつつ行ってみると、ちゃんと自分で起きてベッドに腰かけたりしてます。トイレに行く、行ける、と言うけれど、立たせてみると、歩けない。とてものことにトイレまで行くのは無理。本人はトイレまで行きたいのだけれど、自分でも無理だと分かっている。だからベッド脇の便器に座らせる。「痛い、痛い、足の向きが違う」大騒ぎしつつ、なんとか用を足す。しみじみと思います。とにかく最大の課題は排泄。排泄こそが「最重要課題」。1週間や2週間は食べなくてもなんとかなるけど、排泄はそうはいかない。食べることより排泄の方がはるかに重大!!排泄は生きることと密接に結びついているんですよね~今まで排泄のこと、意識せずに暮らしていたけど、ここに来て完全に意見が変わりました。だからと言ってどうすればいいのかは不明。せめて足の筋肉だけでも鍛えておかなければ。スクワットだな(笑)母にはパンツ型のおむつをはいてもらっているけど、やはりそこにするにはためらいがあるらしい。痛い痛いと言いながらも、便器に座って排泄することを望む。まだ始まったばかりの介護生活。回復が望める状態ではないし、母も私も回復を望んではいない。できるかぎり滑らかに、ストレスの少ない状態で最終地点に送り届けること。目標はそれです。ハッキリしてるんです。点滴など、血管がもろくなってる可能性大だし、苦痛なことはさけたい。数日か数か月か、いずれにしても生きる時間を長引かせることに意味はない。病院に行くかと聞いたら、「病院に行くくらいなら首吊って死ぬ」それが母の答えです。痛みをとるためにお医者さんに来てもらおうかと提案したら、「こんなん老衰やのに、医者にはどうもできん」と即答。そうかも。。と私も思う。洗濯機の音や扉を開け閉めする音。廊下を歩く足音など、聞きなれた音を聞きつつ、長い年月を暮らした自分の場所に居て、最後を迎える。それが一番穏やかな気がするんです。だから母と私の共同戦線で最後にむかって歩く。母はある意味元気だし、かなり先が長そうですが。