京都市考古資料館が、古代に消えた幻の寺院(廃寺)の存在を伝えるべく、「廃寺印」の発行を始めた(500部限定)との報をうけ、早速訪れました。
(京都新聞,2024.6.5)
第1弾は京都盆地最古の寺院を取り上げ、「北野廃寺」として御朱印風デザインを施したとのこと(ここでは、敢えてモザイクでぼかし、最後のお楽しみとしました)。
この考古資料館のパンフの左下にある北野廃寺の説明書(小さくて判りませんが・・・?)で、廃寺跡の写真(1980年当時)をクローズアップしました(下図)。
ここは寺域の南で、発掘された北野廃寺瓦窯跡を西から撮った、とあります。
赤枠で囲った所が北野白梅町の交差点と思われます。左端の青丸を注目してください。
これが現在の北野白梅町交差点ですが、左端のほぼ同じ位置(青丸)に同じマークがあり、その右の建物の様子も似ていることが判ります。
ここが今出川通りと西大路通りが交差する地点であり、確かに北野白梅町交差点なのです。
ちなみに、向いの建物は京都信用金庫の北野支店ですが、赤枠の所に行ってみました。
右の奥の方に、石碑が見えたので、近づいてみました。
確かに、正面には「北野廃寺跡」とありました。
サイドを確認してみると、調査は財団法人の京都埋蔵文化財研究所が行い、京都信用金庫北野支店の新装記念に設置したことが判りました。
いずれも昭和52年(1977年)とあるので、冒頭の廃寺跡の写真(1980年)より、ほぼ3年前に既に設置されていたことになります。
これが全国初の廃寺印で、中央に大きく「北野廃寺」とあって、3つの丸い朱印が押されていました。
この朱印が何かということですが、冒頭のパンフの説明書に下の写真が載ってます。
北野廃寺の瓦窯跡から発掘された丸瓦で、この拓本でデザインしたとのこと。蓮華の文様が変わりゆく様を示したとか。
北野廃寺の寺名については、
・葛野蜂岡寺(日本書紀に記載)
・広隆寺を蜂岡寺とし、北野廃寺が葛野秦寺
などの説があるようです。
ちなみに葛野(かどの)とは、明治時代の行政区画である葛野郡に由来しており、現在の右京区の大部分で北区の北野も含まれていたようです。
京都市内には他にも、北白川廃寺(左京区) や大宅廃寺(山科区) など幻の廃寺は多いそうで、反応が良ければ第2弾も用意したいとのこと。
いずれにしても、廃寺印をきっかけに幻の寺院に思いをはせ
て、古代のロマンに浸るのもありではないでしょうか。
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