建仁寺塔頭の秋の特別公開で、まず正伝永源院を前稿で紹介しましたが、本稿では引き続いて訪れた「霊源院」を拝観した様子をお届けします。

 

 

 

入口を上がると直ぐに、天井画「墨龍図」が見え、寝転んで見てください(写真もOKと)と言われました。

 

中国の現代アーティスト陳漫(チェンマン)さんの作で、一昨年奉納されたとのことです。

 

この屏風絵は「愛因斬坦双獅屏風」で唐獅子を描いており、これも陳漫さんの作とか。

 

正面奥に進むと、枯山水庭園「鶴鳴九皐」が広がっていました。達磨大師が禅を伝来した経緯との関わりで作庭されたそうです。

 

最も左手に在るのがインド庭で、達磨大師(赤丸)は元々インドの僧でした。

 

右に続いているのが中国庭で、達磨大師はやがて中国に渡って厳しい修行し、禅宗の開祖となりました。

 

さらに右奥は日本庭になっており、達磨大師は日本で最期を遂げたという説があるようです。

 

  

奥の部屋には掛軸で「達磨図」(明時代:細川家伝来)も掲げられていました。

 

ここ霊験院は、大徳寺の一休宗純(とんちの一休さんとしてお馴染み)が幼い頃に修行した所でもあり、因みの御朱印を頂きました。

右の文言は達筆すぎてほとんど読めないと思いますが、一休さんが「この先どうしようもなくなって大変困ったときにこの手紙を開けなさい」と残した遺言(下図)とのこと。

   

   (横浜・陽光院のブログより引用)

 

心配ごとの尽きない現世ですが、何かホッとするお言葉だと有り難く感じた次第です。

 

最後までご覧頂きまして、ありがとうございます。