🟥「まだ元気なうちに新薬、どうぞ?」──“予防医療”の皮をかぶった静かな侵略

 

(これはフィクションです。が、どこかのニュースに似ていても、それは偶然です)

 

◾️【はじまりは、“予防”という美しい言葉から】

 

最近、とある国際的な製薬企業が「認知症を発症する前に投薬する」という新しい治験を始めたそうです。

 

対象は、「将来アルツハイマーになる可能性が高い」とされる、まだ症状のない人たち

 

いまや医療は「病気を治す」だけではなく、「病気になる前から、治療を始める」時代に入った──

そんな声もあります。

 

たしかに、予防は大切です。

でも、ちょっと待って。

それって、「まだ健康」な人に薬を投与するってことですよね?

 

◾️【“病気ではない人”に、薬が届く世界】

 

この治験の目的は「予防」。

でも、仕組みはこうです:

■ 血液検査で、認知症になりやすい体質(とされる)物質を検出
■ 脳にたまる“ある物質”の蓄積が確認されたら
■ 症状が出る前から、新薬を投与して発症を防ぐ

──つまり、

 

まだ何も困っていない人に、

「将来が不安でしょう?薬で予防しましょう」とアプローチする。

 

一見すると、まるで“保険”のような考え方です。

 

でも、実際にはその“保険”には副作用というリスクがあり、

その費用は年間数百万円規模ともなれば、

保険制度を支える社会全体に跳ね返ってくる。

 

◾️【過去にもありました、“似たような薬”】

 

こうした薬は実は、初めてではありません。

 

かつて、非常に高額で話題になった認知症の新薬がありました。

臨床試験では、効果に乏しいデータも出ていたにもかかわらず──

その後、一部の国では承認されず、

日本で保険適応が検討されたという経緯もあります。

 

今回の新薬も、その“改良版”。

 

そしてまた、日本に回ってくる可能性がある。

 

◾️【本当の“予防”って、なんだっけ?】

 

私たちはいつの間にか、

「予防」と聞けば、ワクチンや薬を思い浮かべるようになっていませんか?

 

でも、

本当の予防医療とは──

  • 睡眠を整えること

  • 栄養のバランスの取れた食事を摂ること

  • 運動を習慣にすること

  • 社会と関わりを持ち続けること

こういった“非薬物的介入”が、地味だけれど最も確かな“予防”だったはずです。

 

◾️【静かに広がる、“不安ビジネス”】

 

「発症リスクが高いと言われたら、怖い」

「何かできるなら、やっておきたい」

 

その気持ちにつけこむのが、“不安ビジネス”の真骨頂。

 

でも、

不安の総量だけが拡大して、健康な人まで“病人化”されていく社会に、

私たちは進んでいいのでしょうか?

 

◾️【“健康”とは、数値ではなく、生き方である】

 

最後に。

 

人間の健康って、

「ある数値が正常か」だけで語れるものでしょうか?

 

不安も、物忘れも、年齢も──

すべてひっくるめて、“今この瞬間を生きている”ことこそが、

何よりも尊いのではないでしょうか。

 

“未来のリスク”という言葉で、

“いまこの時の健やかさ”を曇らせる医療ならば。

 

それは、“健康”という名を借りた、

過剰医療のはじまりかもしれません。

 

[ぴよこのぼやき🐤]

「そらアカンで…!まだ症状も出てへんのに、新薬なんて。クスリちゃう、リスクやがな💢」

 

 

 

🟥 ゼンベク共和国、論文引用数13位に転落──“手書きと根性”で科学立国を夢見る国の悲喜劇

 

(これはフィクションです。が、どこかで既視感を覚えたなら──それはきっと風のせいです)

 

1|かつて“技術大国”と謳われた島国の、静かな転落

 

東アジアの小さな島国 ゼンベク共和国。

高度成長期には “ものづくりの神” とまで礼賛されたが、2025年──

世界の研究者から頼りにされる 論文引用数で13位。

イランにも韓国にも抜かれた。国民は眉をひそめつつ、こう呟く。

 

「どうして? うちには“職人魂”と“根性”があるのに――」

 

いやいや、問題は“魂”でも“根性”でもない。

「あなたの論文、世界が読みたくなる品質ですか?」 という話なのだ。

 

2|“数”は多いが“質”は薄い──ポスター至上主義の末路

 

ゼンベクの街を歩けば、今日もスローガンの雨あられ。

• 「世界で戦える博士号を◯万人!」

• 「学会発表数○○%アップ!」

 

ビラのインクは濃いが、中身は薄い。

学問を競技会と勘違いしているうちに、世界の研究潮流は遥か先へ。引用されない論文を量産する “ガラパゴス学術” が完成した。

 

3|“紙とハンコとFAX”が支える最先端科学⁉

 

ゼンベクの研究環境は、いまだ紙・ハンコ・FAX三種の神器が健在。

電子申請? 「ハッキングが怖いから却下」。

AI審査? 「人情味がない」と却下。

 

選挙ポスターやチラシには今も “証紙” というレトロなシールを手貼り。

その人件費だけで研究助成ひとつ分が溶けるが、誰も眉ひとつ動かさない。

 

デジタル化はコストではなく “酸素” なのに、ゼンベクではいまだ贅沢品扱い。

 

4|若き理系たちは海を渡る──抜け殻になる母国

 

ポスドクは年俸より先にメンタルが削られ、

助成金は“仲良しクラブ”経由で消える。

世界標準の実験機器は「高いからレンタルで我慢しろ」。

 

優秀な若者は悟る。

 

「ここじゃ“研究”じゃなく“我慢比べ”だ」

 

かくしてゼンベクは “人材供給地” と化し、

本体には人もアイデアも残らない。

 

5|おカネより“構造”──旧大全というラスボス

 

「研究費を増やせば解決する」と豪語する政策通もいる。

だが レトロ官僚機構 + 年功序列 + 忖度評価 の三重結界が続く限り、百万ドル注ぎ込もうと論文は読まれない。

 

要するに、国家としての“哲学の貧血” がすべての根だ。

 

6|ラスト・クエスチョン──ゼンベクよ、耳はまだ生きているか?

 

論文引用13位。

世界からのメッセージはこうだ。

 

「あなたのサイエンス、引用するにあたりません」

 

ゼンベクが選べる道は二つ。

 

1. 耳を澄まし、中枢の構造から作り替える。

2. 「外圧だ」と耳を塞ぎ、レトロというぬくぬくした毛布にくるまる。

 

実は時間は、ほとんど残っていない。

 

[あとがき]

 

「一輪の桜の蕾にだって、未来は宿る」

ならば私も、ささやかな希望を。

 

まずは”紙”を大幅削減する勇気――それが、ゼンベクを救う第一歩かもしれません。

 

🟥 医師vs弁護士 “稼げる職業”というラベル──それ、専門職の品格を壊していませんか?

 

1 わたくしの胸がざわついた瞬間

 

「医者と弁護士、結局どっちが稼げるんスか?」

そんなタイトルで再生回数を稼ぐ美容外科医の動画が、Yahoo!ニュースに取り上げられていた。

▶︎ 記事リンク♣️

 

正直、胸がざわついた。

お金の話がタブーだと言いたいわけではない。

だが “専門職=稼げるかどうかで値踏み” という文脈には、ひと匙の品格も感じられない。

 

2 専門職って、本来なんのためにある?

 

医師も弁護士も、本来は

「社会的弱者の味方」として、市民の尊厳を守る存在

のはずだった。

 

ところが「医者は保険点数に限界があるから大金持ちになれない」「弁護士も M&A で稼がなきゃ」…‐ まるで IPO を語る投資家の講演会。

こうして今日も、夜勤明けの白衣や深夜の法律相談室で汗をかく “名もなきヒーローたち” の矜持は、派手な発信の轟音に毀損される。

 

3 日本の医師は“世界でもっとも割安な尊敬”かもしれない

 

OECD 統計をのぞけば、日本の勤務医の給与水準は驚くほど低い。

責任の重さ、過労死ラインの残業、訴訟リスク──その重圧を背負いながらも、外来に立ち、当直に走り、往診に向かう。

それなのに「楽して稼げる商売」と誤解されるのは、“お金と成功”の物語だけが切り抜かれて拡散されるからだ。

 

4 “直美医師”と“医の魂”

 

研修医を終えたばかりの若手が、臨床をほぼ経験しないまま

自由診療の美容整形外科へ一直線──通称 「直美医師」

私は断固反対する。10年、いや20年早い。

美容外科は“外科”だ。

血管・神経・筋膜… 人体という宇宙を知らずにメスを握れば、トラブルと訴訟は避けられない。

美容医療を否定しない。だがそこに 解剖学・倫理観・患者の弱さに寄り添う哲学 が欠けているなら、それは医療ではなく 承認欲求ビジネス だ。

 

5 弁護士だって、投資家じゃない

 

記事は弁護士にも無礼だ。

困窮者の“最後の砦”として闘う法律家を、「儲からない職業」と一蹴するその視線。

法廷で汗をにじませるプロフェッショナリズム まで値札で測れるのだろうか。

 

6 “誰が稼げるか”より、“誰が社会を支えているか”

 

日本では静かに、

「お金を生まない仕事=価値がない」
という思想が蔓延している。

だが本当に価値あるものは、帳簿のセルには載らない。

夜中に高熱の子どもを診る小児科医。

DV から救う法律相談。

在宅で看取る老親を支える往診医。

 

“陰のインフラ”こそ社会を支えていること、忘れないでほしい。

 

7 医の美学と、人としての矜持

 

医療とは本来、美しい営みだ。

それは「命と向き合うことに、お金では測れない価値がある」という揺るがぬ信念。

 

「結局どっちが稼げるの?」と問われたら、私はこう答えよう。

「人の命と向き合うことに、値段はつけられません」

それが──多くの“名もなき医師・弁護士”たちの、静かな誇りである。

 

 

(了)

 

🟦 ナッツは“奇跡の食材”?──地中海食・ビタミンE・ナッツアレルギーをめぐる光と影

 

WHO が推奨する「地中海食」を根拠に

アーモンド = 認知症予防に良い!

と語られる記事をよく見かけます。

もちろん“盲信するな” という注意喚起の記事も増えてきましたが、皮膚科医として私が真っ先に思い浮かべたのは、次の事実です。

 

👶日本でいま、ナッツアレルギーの子どもが急増中

  • ナッツ類(ピーナッツ・カシューナッツ・アーモンドなど)は 小児アナフィラキシーの主要原因

  • 「ナッツが入っているとは思わなかった」パンやクッキーで重篤な症状── 給食事故や園のおやつ でも報告が相次ぎます。

  • 消費者庁・厚労省・小児アレルギー学会の統計でも、過去 10 年で件数が明確に増加。

  • 家庭での欧米風食文化の浸透が大きな背景に。

💊ビタミン E 過剰摂取の “警鐘” はサプリの話

 

件の記事では「ビタミン E を摂りすぎると死亡率が上がるかも」というデータも紹介されますが、これは サプリメント の高用量摂取によるリスクが中心。普通の食事で過剰になることはほぼありません。

 

👉 逆に言えば、「サプリで大量に摂れば健康に良い」という短絡的な発想こそが危険。

 

🌏ビッグデータにも “お国柄バイアス”

 

地中海沿岸のライフスタイルで得られたビッグデータをそのまま日本の食環境・遺伝背景にあてはめても同じ結果になるとは限りません。

「誰が、どこで、どんな生活習慣の上で得たデータか」 を忘れずに。

 

🗣️結論:キーワードは “誰にとって、どれだけ?”

  • ナッツは万能食材ではない。 乳幼児期(特に 1〜3 歳)の導入は専門家と相談を。

  • 加工食品に「微量混入」するケースが多く、無意識に口にして発症する事故が増加。

  • ビタミン E を “神格化” して「毎日ナッツで認知症予防!」と煽る広告には要注意。

  • 食も医療も パーソナライズドな時代

    子どもにとっての「健康食品」が、時に「命のリスク」になる現実を忘れないでください。

自然な食品=安全 ではありません。
「適量」と「個別性」を置き去りにした健康情報は、
かえって健康を脅かすこともあるのです。

 

参考データ・文献

  • 厚生労働省/消費者庁「学校・保育施設における食物アレルギー事故報告」(2020)

  • 日本小児アレルギー学会「食物アレルギー診療ガイドライン 2021」

  • Miller ER et al. High-dosage vitamin E supplementation and all-cause mortality. Ann Intern Med. 2005.

(※皮膚からの感作リスク〈経皮感作〉については、また別稿で取り上げます)

 

🟥【「陰謀論」と「科学信奉」の狭間で──真の“思考停止”とは何か】

 

「誰が言ってるか」でしか判断できない人は、陰謀論にハマりやすい──

そんな発言が話題になりました。

これは、実業家のひろゆき氏がX(旧Twitter)で語った見解です。

 

たしかに、一理ある。

けれど同時に、私はこう思わずにはいられません。

 

「“科学的”という言葉だけを信じる人こそ、また別の形で思考停止しているのではないか?」

 

🔶 科学と論文──その「見えない前提」

 

論文を読み、統計を理解し、再現性を確かめる。

──これは、理系の訓練において確かに重要な作業です。

 

でも、その前提にあるのは、

何が検証され、何が検証されていないか」という“見えない地図”。

 

しかも注意すべきは、統計学というもの自体が、かなり“数字のマジック”に満ちているという点。

都合の良いグラフの切り取り方、恣意的な母集団の選定、因果と相関のすり替え……

トリックとトラップの宝庫といっても過言ではありません。

 

だからこそ「エビデンス」と言われても、その構造や背景を読み解く目が必要なのです。

 

たとえば、今回のmRNAワクチン──

「有効性95%」という数字が一人歩きしましたが、

実際には絶対リスク減少(ARR)は1%未満という現実もありました。

 

しかも日本では、副反応を長期追跡できる統一電子カルテすら整っていない

この段階で「科学的に安全」と言える根拠は、そもそも成立していなかったのです。

 

・長期的データがないまま「安全性」を断定した

・接種後の死亡や副作用に対して、統一カルテでの追跡もされていない

・国内外で超過死亡の増加がみられても、「因果関係不明」で片付けられる

 

──この状況を、疑問視する人たちに「反ワク」や「陰謀論」のレッテルを貼ったのは、

むしろ“科学信奉”の側だったのではないでしょうか。

 

🔶 医学とは「わからなさ」と共にある学問

 

ここで忘れてはならないのは、

そもそも“医学”とは、分からないことだらけの学問だということです。

 

薬がなぜ効くのか──

正直に言えば、分からないものはたくさんある

 

効いてしまった。でも、理由はよく分からない。

そういうことが日常的にあるのが、臨床という現場です。

 

それでも医師たちは懸命に探る。

なぜなら、患者さんの症状が軽くなり、笑顔が戻ること──それが一番うれしいからです。

 

理由がはっきりしなくとも、

実証され、改善が見られたという事実は、何よりの喜びなのです。

 

それは、「理屈が分からないから信じない」ではなく、

「今は分からないけれど、現象として目の前にある」ことを、

謙虚に受けとめる姿勢でもあります。

 

🔶 「科学的」であることと、「人間的」であること

 

ひろゆき氏の言葉は、

「科学的に思考せよ」という警鐘としては、的を射ています。

 

でも一方で、

「科学的」=「正しい」=「異論は認めない」

というロジックがはびこったとき、それは“科学の顔をした権威主義”になってしまいます。

 

そしてそのときこそ、

私たちは本当の“陰謀論”と“分断”を生み出すのです。

 

🔶 結語──“疑う力”は、誰にでもある

 

陰謀論に陥らないために大事なのは、

「疑う力」と「問い続ける力」

それは、学歴でも文理でもなく、「態度」や「哲学」の問題です。

 

「これはまだ分かっていないかもしれない」

「今見えているデータだけでは判断できないかもしれない」

──そう思える謙虚さを、私たちはどこまで保てるでしょうか。

 

信じるのも人。疑うのも人。

そして、勇気を持って「分からない」と言えるのも、

また人間だけなのです。

 

 

🟦【分かつ力と、結ぶ力──唯識論に学ぶ、組織と社会の意識構造】

 

「正しさ」が必ずしも「美しさ」へつながらず、

「強さ」と「優しさ」が必ずしも離反しないとしたら──

私たちはいま、どんな世界観を選び取れるだろうか。

 

私たちの社会は、しばしば“正義”と“強さ”という外へ向かう力(男性性)を旗印に、組織を動かし、教育し、そして分断してきました。

 

けれども、その先に、果たして本当の「調和」や「幸せ」はあるのでしょうか。

 

1|夏の大気──“強い光”が落とす影

 

蝉の声も街の喧騒も溶ける真昼。

白い日差しがアスファルトを叩き、空気がわずかに揺らめく。

 

こうした日差しの強さは、ときに私たちを二分化へと誘う。

「影」と「光」、

「味方」と「敵」、

「正義」と「悪」。

 

これは、古典的な男性性の強調──

分け、切り分け、定義づける力

 

けれど、影があるからこそ光は際立ち、

敵と見えた他者のなかにこそ、未知なる学びが眠っているかもしれない。

 

そしてそこには、もう一つの力──

やわらかく包み、育む女性性の知が待っている。

 

2|唯識論と意識の構造──「分けること」の効能と限界

 

仏教心理学の中核にある「唯識論」では、

心の働きを“八つの意識”として分けています。

 

表層にあるのが、

私たちが日常的に使う感覚(五識)や思考(第六識)。

 

そして深層に潜むのが、

“自我”を生み出す第七識(末那識)と、

無意識的な記憶と行動パターンの源泉となる第八識(阿頼耶識)。

 

このうち、末那識は「私」という境界線を強く引く意識。

「私が正しい」「私たちこそ正統」という想念が、

組織を守り、同一性を支える一方で、他者への排除や恐れも生み出します。

 

国家、政党、教育、医療──

あらゆる構造にこの“末那識的な力学”が染み込んでいます。

それは、男性性の持つ制御と秩序の美学でもあるのです。

 

3|阿頼耶識──“つながり”と“内なる海”

 

では、さらに深層の阿頼耶識とは何か。

 

それは、境界がほどけ、すべてが流動する場

言葉以前の衝動、記憶、経験が織りなす“無限の海”です。

 

「私とあなたは別々ではない」

「自然とも、歴史とも、未来の命とも私はつながっている」

 

この感覚は、まさに古典的女性性が持つ「抱擁と共鳴」の力

 

命令ではなく、競争でもなく、

“内なる共感”によって自律的に動くネットワークこそが、

生命的な社会システムの萌芽となりうるのです。

 

カオスから生命が生まれ、

曖昧さのなかから真実が芽吹く。

このダイナミズムには、女性的直観知の受容性と育みが潜んでいます。

 

4|「正しさ」から「共鳴」へ──私たちはいま、どこで止まるのか?

 

西洋の経営思想でも、似た潮流があります。

フレデリック・ラルーの提唱した「進化型組織(ティール組織)」──

それは、もはや“命令と制御”による組織から脱し、

一人ひとりが“魂の目的”を軸に結び合う共鳴型の組織です。

 

これは唯識でいえば、

末那識(=自我による支配)で止まるのか

それとも、阿頼耶識(=全体との共鳴)へと至るのか──

その分岐点にいるということです。

 

今、政治や医療、教育、そしてメディアまでが問い直されています。

何を“正しさ”とするのか。

誰を仲間とし、誰を遠ざけるのか。

どこまで共に生きると決めるのか。

 

それを決めるのは、情報やルールではなく、私たちの意識の成熟度なのかもしれません。

 

5|結語──あなたの中の「阿頼耶識」は、いま、何を感じていますか?

 

混迷の時代に、誰もが確実性安定を求めています。

でも、それが他者の排除や均一化でしか成立しないとしたら──

それは末那識が張り巡らせた“安全装置”にすぎません。

 

そして、その安全装置は、しばしば男性的な思考法に支えられています。

 

いま、私たちに問われているのは:

  • 分けるか、結ぶか。

  • 拒むか、受け入れるか。

  • 競うか、響き合うか。

     

    あなたの奥底に眠る“深い識”は、

    今、どんな小さな震えを感じ取っているでしょうか?

 

◇あとがき──「分かつ知」と「結ぶ知」の統合へ

 

唯識論が教えてくれるのは、

「区別できること」と「つながれること」の両立可能性

 

私たちが必要としているのは、

男性性と女性性のどちらかではなく、両者の統合による智慧です。

  • 強く、しかし優しく

  • 明晰でありつつ、曖昧さを抱けること

  • 自分の足で立ち、同時に誰かと手をつなげること

そんな意識の統合こそが、

未来の組織や社会を支える“新しいバランス”の鍵となるでしょう。

 

🪷ぴよこと日本語考3:「“かわいい”と“美しい”のあいだ──日本語がつくる、美の座標」

 

ある日の午後。

カフェの隣のテーブルから「かわいい〜!」という歓声があがった。

見れば、スイーツでも、赤ちゃんでもない。スマホの自撮りを見つめながらの一言。

──はいはい、もう慣れましたけども。

 

しかしここでふと哲学的な問いが浮かぶ。

「ねぇ、“かわいい”って、“美しい”とは違うの?」

というのも、日本語の“かわいい”は、どうにも使い勝手が良すぎる。

赤ちゃんも、猫も、スイーツも、果ては虫まで“かわいい”。なんなら、きもめの虫までも。

🐤ぴよこが“かわいい”と言われるのは当然😤として。

 

でも、フランスではどうかというと、話は少々違う。

 

🇫🇷「mignonne」は子ども扱い?

 

フランス語で「かわいい」は “joli(e)” や “mignon(ne)” と訳されることが多い。だがここには、「ちいさくて、可憐で、未完成」というニュアンスが含まれている。

 

つまり──

フランス語における“かわいい”とは、「Belle(美しい)」の手前、未熟のカテゴリーに置かれる。

 

試しにパリの街角で、紳士が貴婦人に「Tu es mignonne(キミ、かわいいね)」などと言ってごらんなさい。

その一言で“子ども扱い”と解釈され、次の瞬間には赤ワインを顔面で浴びるかもしれません(←盛ってます)。

 

“Belle”──この言葉には、どっしりとした重厚な美、成熟の気品、堂々たる佇まいがある。

つまり、「美しい」は“完成されたもの”に宿る美学。

 

🇯🇵「かわいい」はすべてを超越する

 

ところが日本語の「かわいい」ときたら、もう無双状態。

 

・推しがかわいい

・自分もかわいい(自撮り)

・80歳のおばあちゃんもかわいい

・果ては面妖な深海魚まで「かわいい〜」と叫ぶ人がいる

 

これはもう、世界七不思議に登録してもいいのでは?

 

日本語の「かわいい」は、フランス語で言えば “mignonne” と “belle” をゴチャ混ぜにした上に、“respect(尊敬)”と“愛着”まで乗っけてくる。

つまり、「かわいい=小ささ+人間性+親しみ+瞬間性+神聖」という、まさにハイブリッドな褒め言葉。

 

🎎「かわいい」は“旬”を愛でる文化の象徴?

 

どうやら日本人は、「美しさ=完成」ではなく、「美しさ=いま、この瞬間」と捉える傾向があるようだ。

 

・桜の散る刹那

・朝の光を浴びた金魚

・夏祭りの浴衣姿の女性

 

そう、日本の美意識は“儚さ”と“シズル感”に宿る。

それゆえ「成熟」はあまり評価されず、「いまが旬」こそが最大の美徳になる。

 

そして、この価値観が「かわいい」ブームを生み出してきたのではないか。

成熟ではない。“今”が愛おしいのだ。

 

🍶「かわいい」は“日本酒”、美しいは“ワイン”

 

たとえて言えば、こうだ。

「Belle(美しい)」が熟成されたヴィンテージワインなら、

「かわいい」はしぼりたての日本酒。

 

・ワイン──芳醇、深み、重厚感、時間が育てる美

・日本酒──清らか、淡麗、旬、シズル感

 

“kawaii”は、重厚さとは無縁の軽やかさで飛び立つ。

少女マンガの吹き出しのように、ぽわんと浮かぶその一言に、

日本人は心をときめかせてきたのだ。

 

🌸そしてぴよこは、永遠に「かわいい」

 

そう、ぴよこは“Belle”ではない。ぴよこは“mignon”。

でもその“mignon”が、日本では最上級なのだ。

 

「かわいいは、正義」

これは冗談のようで、案外、日本文化の美意識のコアかもしれない。

 

「完成」よりも「いまこのとき」

「重さ」よりも「軽さ」

「威厳」よりも「親しみ」

 

美の座標軸が、ここまで違うなんて──

日本語って、なんてかわいくて、ややこしい。

 

 

🟪 管理社会と福祉のあいだで・後編──それでも私は、テクノロジーに希望を託したい

 

🔷 「技術が人を支配するのではなく、人を守る手段になってほしい」

これは、私が医師として、そしてひとりの人間として、心から願っていることです。

 

確かに、映画で描かれるような“監視社会”の輪郭は、いま現実のすぐそばにあります。

でも私は、だからこそ、その技術を“誰のために、どう使うか”を問い続けたいと思うのです。

 

🩺 テクノロジーが命を守る、という現実

 

• 自宅にいる高齢者の転倒を即座に感知する見守りセンサー

• 認知症の微細な兆候を、日々の生活データから察知

• 通院が難しい人が、自宅でオンライン診療を受けられる安心感

• 犯罪のリスクを検知して即時通報する パーソナル防犯システム

 

それは、まさに「命をつなぐテクノロジー」です。

 

特に、身近に家族のいない高齢者や、地域医療が届きにくい場所にいる方にとっては、

“データによる見守り”は、孤立からの救いにもなるのです。

 

🔑 解決のカギは「主導権」と「公益化」

 

問題なのは、“誰がそのデータを持っているか”ということ。

情報を国家や企業が囲い込めば、それは「管理」。

でも、自分のデータを自分で管理し、必要に応じて“信頼できる人”とだけ共有できる仕組みがあれば──

 

それは「福祉」へと変わります。

 

🔶 公益にするためのヒント

 

• ブロックチェーン技術:

 改ざんできず、履歴が残り、透明性がある。医療データの管理にも応用が進んでいます。

• スマホや専用端末での自己管理アプリ:

 自分の検査データ、診察履歴、服薬情報を、自分が選んだ“範囲と人”にだけ見せる。

 たとえば、家族、かかりつけ医、あるいは自分が信頼する介護支援者に。

• 国家の役割は“囲い込み”ではなく、“守る”こと:

 プラットフォームをつくり、ルールをつくる。でも、主導権は市民にあるべきなのです。

 

🌱 「優しさ」を条件にしたテクノロジー設計を

 

これからの技術は、性能だけでなく、

 

“人を孤独にしないか?”

“その技術は、ヒューマニズムを貫いているか?”

 

この2つを条件にして開発されるべきだと思っています。

それが「やさしいテクノロジー」の第一歩。

 

🕊️ そして私は、こう願っています

 

• 未来が「服従の便利さ」ではなく、「共に支え合う知恵」にあふれていてほしい

• 誰もが、自分の命のあり方を選び取れる社会であってほしい

• テクノロジーが、人間を選別するためではなく、人間の尊厳を支える力であってほしい

 

技術は冷たい道具か。温かい橋か。
その分かれ道は、私たちの“意志”にこそあるのですから。

 

🟥 前編|管理社会と福祉のあいだで──ディストピア映画に見る“予兆”

 

🐤 あれ?この感じ、デ・ジャ・ヴ…?

 

ジョージ・オーウェルの小説『1984年』。

映画『ガタカ』『マイノリティ・リポート』『リベリオン』──

 

どれも“管理社会”の怖さを描いた名作たちです。

 

若い頃は、それらをSFとして楽しんでいました。

どこか遠い未来の話。

そう、フィクションとして。

 

でも、気づいてしまったのです。

 

🟢 現実が、映画を追い越しはじめている──

  • ウェアラブル端末が心拍や睡眠を記録し

  • スマートスピーカーが生活習慣を分析し

  • AIが「ストレス指数が上昇しています」と語りかけてくる…

今や私たちは、「健康のため」「安全のため」という名のもとに、24時間、自分自身の“ログ”を取り続ける世界に生きています。

 

そして、これって──

あの映画たちが描いていた社会そのものじゃない?

 

🎬 映画が描いた“管理社会のかたち”

作品タイトル

管理されるもの

奪われるもの

『1984年』

思考と言語

自由と異議申立て

『ガタカ』

遺伝子情報

努力という物語

『マイノリティ・リポート』

未来の行動

無実の可能性

『リベリオン』

感情(薬物で制御)

共感・芸術・涙

それぞれ違うアプローチですが、共通しているのは──

「人間らしさ」が静かに、見えないうちに、削ぎ落とされていく構造

 

🟡 いま現実に起きていること

  • 健康保険証とマイナンバーの統合

  • メキシコでは生体認証デジタルIDの全国民義務化へ(2026年までに)

  • 「健康スコア」によって保険料や就職の条件が変わる

  • そして──ロバート・F・ケネディ・ジュニア氏による「全米ウェアラブル端末推進計画」

これらはすべて、「健康管理」や「予防医療の推進」という名目で進んでいます。

たしかに、それ自体は素晴らしい目的かもしれません。

私自身、医師として「統一電子カルテ」の利点は痛感しています。救急現場で、薬の履歴やアレルギーが即時にわかるのは、まさに命綱。

 

でも──

 

その“便利さの先”に、もしも“優生思想”や“選別社会”が待っているとしたら?

 

私たちは、何を差し出し、何を得ようとしているのか?

  • プライバシー?

  • 選択の自由?

  • それとも「未完成で不確実な自分自身」という人間の本質?

ディストピア作品は、決して“空想”ではありません。

むしろ今の私たちに、そっとこう語りかけているのです。

 

「その技術、本当に“人を幸せにする”形で使われてる?」と──

 

🟪 後編予告|それでも私は、テクノロジーに希望を託したい

 

見守りセンサーが、認知症の兆しを早期に察知する。

孤独死を防ぎ、家族の安心につながる。

通院できない方に、オンラインで医師の声が届く。

 

それもまた、“テクノロジーが命を救う”形の一つ。

 

次回は、そんな「やさしい使い方」への道──

“人間らしさ”を守るための医療とテクノロジーのあり方を、綴ってみたいと思います。

 

 

🪷【「いただきます」と“Bon appétit”──食卓に込められた祈りと文化】

 

私たち日本人にとって当たり前の言葉──「いただきます」。

この挨拶、実はとても深い意味を持っている。

 

それは単なる「食べます」の合図ではなく、

「命をいただく」ことへの覚悟と感謝の宣言

 

魚にも、野菜にも、そしてお米一粒にも命が宿っている。

それらを奪って、自分の命をつなぐ。

この“命の交換”を前提とした謙虚さ──それが「いただきます」なのだ。

 

私は以前、こんなブログを書いた。

👉【“無農薬より、無自覚が怖い”──『いただきます』に秘められた思い】

 

では、フランスではどうだろう?

 

🍷フランスでは、食卓での決まり文句はとても軽やか。

「Bon appétit(ボナペティ)」──意訳は「たんまりお食べ!」

 

もちろん、カトリックの家では “Bénédicité(ベネディシテ)”と呼ばれる食前の祈りを唱えることもある。

これは「この食卓を与えてくれた神への感謝」を表すものであり、食材そのものよりも、“恵みを与えた存在”への信仰に軸がある。

 

そして食後は特に何も言わずに終了。

静かに次の話題へ、ワインを片手に会話が進むのがフレンチスタイル。

 

🟡【命に祈る日本。神に祈るフランス】

 

日本では、目の前の命(食材)に直接感謝を捧げる

フランスでは、命を与えた神へ感謝を捧げる

 

どちらも「感謝」ではあるけれど、

その矛先と文化的背景がまったく異なる。

 

言い換えれば──

日本は自然界との対話。

フランスは神と人間の契約。

 

🌿【文化は、言葉に宿る】

 

挨拶ひとつ取っても、そこには世界観が詰まっている。

日本語の「いただきます」には、命への“痛み”も含まれている。

一方、フランス語の「Bon appétit」には、“享楽と祝福”の響きがある。

 

どちらが良い悪いではなく、

どちらも「人間がどう世界とつながるか」という美しいヒントをくれる。

 

今日、あなたはどんな言葉で食卓を始めますか?

 

#いただきますの意味 #日仏文化比較 #BonAppétitの哲学

#命を食べるということ #挨拶に宿る精神性

#ぴよこと哲学シリーズ #食べるとは祈ること