🩺 AIと医師──“能力低下”は本当に悪なのか?

 

Lancetに発表された最新研究によると、AIツールを使った後の医師は、自分の目でがんを見つける力が20%低下したそうです。

 

「ほら見ろ、AIに頼ると人間がダメになるじゃないか」──こういう反応が多いのですが、私は少し違う見方をしています。

 

1) 能力“低下”ではなく、能力の“シフト”

 

人間は必ず疲れるし、感情に左右されるし、どんな名医でも「見逃しゼロ」なんて不可能です。

もしAIが人間の弱点を補い、総合診断精度(患者アウトカム)が上がるなら、それは“能力の再配分”です。

  • 人間の観察力の一部が落ちても

  • AI補完で総合精度が上がる なら

    → 患者にとっては純粋なプラス。医療は効率の競技ではなく、アウトカムの競技です。

2) パイロットと自動操縦の関係に似ている

 

飛行機の自動操縦は、今や安全運航の標準装備。パイロットは操縦桿を常に握らなくてもよくなりました。

でも「最後に責任を持つのは人間」という大原則は変わらない。だからこそ定期訓練があり、万一の時には“手動に戻せる力”を残している。

AIと医師の関係も、まさにこれと同じ構造だと思います。

 

3) それでも必要な「AIを疑う目」

 

ただし、自動化バイアス(AIに乗っかり過ぎる癖)は確かに存在します。

大事なのは“失った能力を嘆く”ことではなく、人間側の役割を再定義すること。

  • AIの指摘を必ず自分の目で再確認(二段チェック)

  • AIと不一致のときの手順を標準化(追加視認/上級医コンサルト)

  • 難症例はAIオフで読影できる訓練を残す

4) 余ったリソース、どこへ振り向ける?

 

AIで検出作業が軽くなった分は、人間にしかできない領域へ:

  • 患者説明・意思決定支援(リスクと価値観の摺り合わせ)

  • チーム連携・総合判断(既往薬、併存症、生活文脈の統合)

  • 合併症予防・術前最適化など“プロアクティブ医療”

「奪い合い」ではなく役割分担へ。これがAI時代の医療の成熟です。

 

5) 注意しておきたい“研究の限界”

 

単施設/特定手技/限られた期間の結果は、そのまま一般化できません。

AIの種類、症例ミックス、術者の習熟、評価指標…条件が違えば結論も変わります。

だからこそ、自院データでの検証→段階導入→継続評価が王道です。

 

6) 日本の現実──まだ協業にさえ至っていない

 

実は、日本の医療現場はまだ「AIと人間の協業」という土俵にさえ十分立っていません。

統合データ基盤の欠如、導入コスト、人材教育の遅れ──理由は様々ですが、現場の医師の多くはまだAIを“研究段階のツール”としてしか体験していない。

だからこそ、いま議論すべきは「能力低下を恐れるか」ではなく、どう安全にAIを実装していくかなのです。

 

💡 まとめ

 

AIで“人間の一部の能力が下がる”現象は確かに起こります。

でも、それを「無駄な副作用」と見るか、「再配分のチャンス」と見るかで未来は変わる。

 

私は後者に賭けたい。

 

パイロットと自動操縦の関係のように、人間の判断力+AIの補完力で最高のアウトカムを目指す。

そして、日本はまだその入り口に立ったばかり。いま必要なのは、AI導入を恐れることではなく、実装の仕組みをどう整えるかだと思います。

 

 

⛩️戦後80年──靖国神社正式参拝と全国戦没者追悼式

 

本日、8月15日戦後80年の終戦記念日を迎え、

靖国神社へ正式参拝しました。

 

他国では、勝戦記念日が普通ですよね。

実は日本は敗戦の日を記念日にしている、という、

稀有な国なんです。

これは戦後の占領政策や教育方針、

そして戦勝国への外交的配慮が重なった結果、

「勝利」ではなく「終戦」を強調する日として定着しました。

 

私は幼い頃から、この場所に特別な思いがあります。

父が存命だった頃、

伯父が駆逐艦「白雲」の艦長として戦死していたため、

毎年のように父に連れられて靖国を訪れました。

 

父自身も海軍77期生として入隊し、

数か月で終戦を迎えています。

それでも、その短い期間に共に過ごした仲間は、

一生の友となったそうです。

数か月でも、それほど濃密で、

命をかけた日々だったのでしょう。

「同期の桜」と呼び合い、絆を胸に生きた世代でした。

 

今回の靖国は、参政党の国会議員全員での正式参拝。

私にとっては初めての経験で、

伊勢神宮では何度か経験してきた作法とは

また異なる緊張感がありました。

 

戦後80年という節目のためか、

午前中から一般参拝の列は長く、

参拝まで2時間待ちの人もいるほど。

境内には、平和を願う人々の祈りが静かに、

しかし確かに満ちていました。

 

私が心に刻んだのは、

「絶対的な世界平和を願う」

という想い。

その後、天皇皇后両陛下もご参列なさった

日本武道館での「全国戦没者追悼式」に出席しました。

 

移動の途中、参拝者の方々から声をかけていただき、

温かい激励の言葉を頂戴しました。

午後はお盆の最中ながら、

レクチャーを2件こなし、1日フル回転で過ごしました。

 

あらためて、この平和は先人たちの犠牲の上にあること、

そして未来へと守りつなぐ責任を、

深く胸に刻んだ一日でした。

戦後80年──昭和から平成、令和へと時代は移っても、

祈りの形とその意味は変わらない。

 

今日のこのモノクロの一枚には、

その想いを静かに封じ込めました。

 

 

第4話:葡萄の「皮ごと・タネごと」──美味しさと若さのフランス流儀

 

フランスの葡萄文化に触れると、まず驚くのはその「まるごと主義」。

前回も触れましたが、皮もタネも、平然と口に運び、そのまま飲み込んでしまう。

日本人から見れば、皮は剥き、タネは出すのがマナー……と思いがちですが、フランス人にとっては「栄養も味も、そこにこそ詰まっている」のです。

 

🍇 抗老化の宝庫は“渋み”の中に

 

葡萄の皮やタネには、ポリフェノール、特にレスベラトロールが豊富。

これらは抗酸化作用により、細胞の老化を防ぎ、血流や代謝を整える“美容の守護神”のような存在です。

「美味しいかどうかより、体にいいかどうか」をさりげなく優先する──そんな意識が、自然と日常の中に溶け込んでいます。

 

🍷 美味しいワインと体にいいワインは別?

 

ワイン愛好家の間ではよく知られた話。

ポリフェノールは健康効果で有名ですが、多すぎると渋みや苦味が強まり、いわゆる「飲みやすい・美味しい」とは少し違う味わいになります。

 

フランス人は、そんな違いもちゃんと受け止めます。

健康を重視する人はポリフェノール豊富な一本を、味わいを重視する人は口当たりの良い一本を──目的に合わせて選ぶのです。

 

結局のところ、「飲んでどれだけ幸せな気分になれるか」。

その幸福感こそが、最高の美容液──そんな哲学が、フランスのワイングラスには宿っています。

 

🌿 日本へのヒント

 

日本では果物を「甘く・柔らかく・食べやすく」改良してきた歴史があります。

けれども、あえて皮やタネを残すことで得られる“複雑な味”や“生命力”もある。

 

これからは、美味しさと健康効果、その両方を味わい尽くす「ハイブリッドな食べ方」こそ、真の贅沢。

グラスの中にも、皿の上にも──人生を豊かにする哲学は宿るのです。

 

第3話:日本の葡萄 vs フランスの葡萄文化

 

1. 食文化の出発点がそもそも違う

 

日本の葡萄は、ほぼ生食用として進化してきました。贈答用や家庭用に人気なのは、皮ごと食べられるシャインマスカットや巨峰など、大粒で甘い品種。

一方フランスでは、葡萄文化の基盤はワイン用。もちろん生食用もありますが、食卓の主役はワインを生み出す品種たちです。

 

2. 栽培品種と味の方向性

  • 日本:糖度の高さ、種なし、皮ごと食べやすいことが最優先。房の形や粒の大きさもそろえ、美しさも重視。

  • フランス:香りや酸味、タンニンのバランスを重視。小粒で皮が厚い品種も多く、「香りの個性」を楽しむ傾向。

3. 土地と気候がつくるキャラクター

 

日本の湿潤な気候では病害虫リスクが高く、温室や袋掛けが主流。その結果、見た目の美しさ+際立つ甘みの果物が誕生します。

フランスは比較的乾燥しており、露地栽培が中心。昼夜の寒暖差とミネラル豊富な土壌が、複雑な香りと酸味を育みます。

 

4. 食べ方の作法も違う

  • 日本:冷やしてそのままパクッ。甘さとジューシーさをストレートに楽しむ。シャインマスカット以外は、皮と種は出すのが一般的。

  • フランス:食後やチーズと一緒に。酸味や香りを他の食材と組み合わせるのが得意。ワイン用の品種をそのまま食べることも珍しくなく、厚い皮や種も丸ごと──これ、初めてだと結構グエっときます😅

次回(最終回)は、気になる栄養&健康効果のお話しへ。

 

🍇 第2話:果物は芸術──日本の職人文化

 

1. 高級果物は「農の工芸品」

 

日本の果物は、単なる食料というより、美術品に近い存在です。

シャインマスカットの均整の取れた房、巨峰の深い色合い、桃のふわりとした産毛、そして網目模様まで完璧に整えられたマスクメロン──これらは、農家が何十年も積み重ねた技と勘の結晶。

1粒、1玉にかける手間は、まさに農業の職人芸と呼ぶべきものです。

 

2. 贈答文化が磨いた「見た目の完璧さ」

 

日本特有の贈答文化──お中元・お歳暮・お祝いなどの場では、箱を開けた瞬間に感嘆の声が上がるような「見た目の美しさ」が重要視されてきました。

この習慣は、農家に形・色・艶まで完璧を求めさせ、その結果「食べる前から感動を与える果物」が生まれました。

 

一方、フランスではマルシェ(市場)で山積みにされた果物が主流で、味を最優先、見た目は自然体が好まれます。

さらに特徴的なのは、“匂い”を重視する文化。市場では、果物に鼻を近づけて香りを確かめるフランス人をよく見かけます。

見た目の芸術性を大切にする日本と、香りや風味で選ぶフランス──ここに両国の価値観の差がくっきりと表れています。

 

3. 価格感と価値観の違い

 

フランスのマルシェで買える葡萄は、1房3〜5ユーロ(約500〜800円)程度。形や色が不揃いでも問題なし。

一方、日本の高級シャインマスカットは、1房3,000〜5,000円、特選クラスでは1万円超えも珍しくありません。

これは単なる価格差ではなく、「果物をどう位置付けるか」という文化の違いです。

 

フランス人にとって果物は日常の一部。

日本人にとって高級果物は、特別な日に贈る“美の象徴*──そこには職人の誇りと、贈る人の心意気が宿っています。

 

第3話「日本の葡萄 vs フランスの葡萄文化」につづく

 

🍇 第1話|パリ会で飛び出した「ぶどう味の飴はフランスにない」説

 

1. 出発点は、パリ会の何気ない一言

 

先日のパリ会でのこと。

ある方がふと口にしたのが、「フランスには、ぶどう味の飴ってないんだよね」という一言。「だからお土産に葡萄味のキャンディあげると、すごく喜ばれるよ」

…まじか。いいネタもらった。ぶどう飴外交できるじゃん。😆

でも、本当になかったっけ?

 

そんな疑問を抱いた私は、最近ますます博識で絶好な“Chappy”に聞いてみました。

Chappy:「マナッピ、それは半分本当、半分都市伝説ですね。」

どうやらフランスにも「ぶどう味キャンディー」は一応あるものの、日本でおなじみの“巨峰やマスカットのジューシー感”とはかなり違うそうです。

フランスのぶどう味は紫色で、香水っぽい人工香料寄り。日本のような「果汁そのまま!」な風味は、まず見かけません。

 

🇫🇷なぜフランスにジューシーなぶどう飴が少ないのか?

 

理由は大きく3つ。

  1. 味覚文化の違い

     フランスでは「ぶどう=ワイン用」というイメージが強く、生食やお菓子はあくまで脇役。

     キャンディ界の主役は、いちご・ラズベリー・レモン・オレンジなどの王道フレーバー。

  2. 農産物の事情

     ワイン用ぶどうは酸味・渋みが強く、そのまま飴にすると子ども向けにはならない。

     一方、日本の巨峰やマスカットは糖度・香りともに高く、香料にしても華やか。

  3. 製菓業界の歴史

     フランスの飴文化はハーブや蜂蜜、柑橘系が中心。

     巨峰やマスカットの香料は日本や韓国で進化しており、フランスでは未発達。

つまり結論は…

 

「フランスにぶどう飴がない」というよりは、“日本式のジューシーなぶどう飴はほぼ存在しない”ということ。

 

だからこそ、日本のカンロやUHA味覚糖のぶどう飴はお土産で大ウケする可能性大!

巨峰系・マスカット系・キラキラ個包装、この三点セットは鉄板です。

 

🍷マナッピのひとこと

 

こういう“お菓子のシズル感”って、食文化の差がそのまま現れるから面白い!

日本式ジューシーキャンディ、もっと世界発信してもいいかもしれません。

 

次回は、ぶどうだけじゃない!日本人の“果物への執念”を探ります

 

🩺【ワクチン副作用──“関係”と“因果”の間にある壁】

 

統計ゲノム研究と痛風・リウマチ分野の第一人者である、あの天才頭脳、鎌谷師匠と意見交換をしました。

テーマの一つが──「ワクチン副作用の検証」。

ここで避けて通れないのが、association(関連)/correlation(相関)/cause-and-effect relationship(因果関係)という3つの概念です。

 

1. Association(関連)

 

まず「関連(association)」とは、独立(independence)の反対です。

つまり「関係があるように見える」という段階。

たとえば、あるワクチン接種群において特定の症状が多く見られる──これは“関連”があると言えます。

しかし、この段階では「ワクチンが原因」とは断言できません。あくまで「同じ場所に現れている」だけです。

 

2. Correlation(相関)

 

次に「相関(correlation)」は、1つの変数が変化すると、もう1つも上昇(あるいは下降)するという統計的なパターンです。

たとえば「接種回数が増えるほど、ある副反応の発症率も上がる」なら“正の相関”。

逆に「接種回数が増えると症状が減る」なら“負の相関”。

ただし──相関は因果を証明しません

有名な例が「アイスの売上と水難事故数」。両者は夏に増えますが、アイスが人を溺れさせているわけではありません。

 

3. Cause-and-effect relationship(因果関係)

 

本丸が「因果(cause-and-effect relationship)」です。

これは1つの出来事が原因で、もう1つが動くこと

例えるなら「遺伝型がある表現型を決定する」「毒物摂取が中毒症状を引き起こす」。中でも一番揺るぎない因果関係というのが、”親子関係”といえます。

ワクチン副作用検証で言えば、「この成分が免疫系を特定の方向に過剰刺激し、結果として心筋炎や血栓を起こす」というレベルの証拠が必要です。

 

 

🔍 ワクチン副作用の検証でなぜ難しいのか?

 

鎌谷先生も指摘していましたが、ワクチンの副反応は“因果”の証明が極めて難しいのです。

理由は大きく3つあります。

  1. 時間差の問題

     接種後すぐの急性反応は比較的わかりやすいですが、数週間〜数か月後に出る慢性症状は、他の要因と区別しにくい。

  2. 多因子性

     副作用は遺伝的要因、既往症、生活習慣、他の薬剤との相互作用など、多くの因子が重なって発生します。

  3. 統計データの欠如

     日本は統一電子カルテがなく、全国規模で接種歴と健康アウトカムを直接紐付けることができません。これでは“相関”止まりで、“因果”に到達できないのです。

🏛 政治でできること

 

統計学観点から見て、国家中枢で進めるべきは以下です。

  • 全国規模のデータリンク基盤整備

     接種履歴、診療記録、死亡・疾病統計を匿名化し統合する。

  • ゲノム・免疫型データの活用

     遺伝型と副作用のリスクを結びつけ、接種前に予測できる体制へ。

  • 第三者機関による因果評価

     利害関係のない独立機関で、副作用報告を科学的に検証する。

🎯 結論

 

「関連」や「相関」で終わらせず、因果関係の解明こそが国民の命を守るカギです。

有効性と安全性が両輪であってこそ、社会的信頼は築けます。

だからこそ、政治は科学のインフラを整える責任があるのです。

 

 

Why Japanese Anime Captivated the French — The Beauty of the Unfinished

 

For decades, Japanese anime has held a special place in the hearts of French audiences.

From the whimsical worlds of Studio Ghibli to the “kawaii” charm of everyday school-life stories, French fans feel something unique — something they don’t get from Western animation.

 

But why?

 

One answer lies in the idea of “unfinished beauty”.

 

1. Aesthetics of the Incomplete

 

In Western art, especially in classical France, beauty is often symmetrical, complete, and perfect — think of the perfectly trimmed gardens of Versailles.

Japan’s gardens, by contrast, are asymmetrical, embracing imperfection and imbalance. This is the philosophy of wabi-sabi: finding beauty in the transient, the imperfect, and the unfinished.

 

Anime often reflects this.

Characters are rarely “perfect” — they stumble, blush, hesitate. Their relationships remain “not quite there yet” (kare-shi mima, “almost a boyfriend”), leaving a delicious sense of longing.

 

2. Kawaii: The Soft Power of Japan

 

Where Western animation tends toward big action and clear resolution, Japanese anime often plays in the realm of “yuru, fuwa, kyun, kyapi” — feelings that don’t have direct English equivalents:

 

  • yuru: gentle, loose, laid-back

  • fuwa: fluffy, airy

  • kyun: that heart-squeezing pang of innocent love

  • kyapi: bubbly, girlish excitement

These moods are culturally coded into Japan’s concept of kawaii, which combines smallness, vulnerability, and affection — something Western aesthetics rarely elevate to the highest form of beauty.

 

3. A Touch of the Forbidden?

 

Some French critics half-jokingly note that anime isn’t afraid to openly explore what Western culture treats as taboo — the “Lolicon” archetype. While controversial, it ties back to the same idea: the beauty of youth, incompleteness, and fleeting moments.

 

4. A Cultural Bridge

 

Perhaps this is why Japanese anime resonates so deeply in France:

It offers a counterpoint to the Western ideal of perfection.

It’s not about the grand finale, but the moment just before it.

Not about resolution, but the pause in between.

 

5. Conclusion — The Export of Imperfection

 

What Japanese animation exports to the world is more than its stories or visual beauty.

It is the value of imperfection.

 

Wabi-sabi, asymmetry, and the “protective cuteness” one wishes to shelter—

these three elements intertwine to form a uniquely Japanese aesthetic.

 

While Hollywood seeks a grand climax,

Japanese animation lingers in the quiet before it.

The sound of wind stirring the trees.

A distant gaze over the crowd at a summer festival.

 

This is not resolution.

It is the very moment you do not wish to end.

 

Thus, Japanese animation—like the wind in a Studio Ghibli film—

does more than tell a story.

It carries the viewer to another world,

and leaves a part of them there,

forever embedded in its quiet, unfinished beauty.

 

ジブリ風も得意なChappy画伯

 

🤖なぜ日本のアニメは、西洋人──特にフランス人の心をとらえたのか

 

未完成の美と、ゆるふわキュンの哲学

 

日本のアニメが海外で愛されて久しい。

特にフランスでは、アニメやマンガの祭典「ジャパンエキスポ」に毎年何十万人もが集まるほど。

では、なぜここまでフランス人の心を掴んだのか。

 

その理由のひとつが──「未完成の美」ではないか。

 

1. 西洋の“完成美”と日本の“未完成美”

 

西洋美術は「完成」を求める文化。

ルネサンスの絵画やヴェルサイユ宮殿の庭園は、左右対称で隙がない。

すべてが整い、堂々と、揺るがない。

 

それに対して、日本の美は「未完成」に価値を見出す。

アニメの主人公たちは、ゆる、ふわっ、としていて、どこか危なっかしい。

まだ成長途中で、弱さも欠点もたくさん。

その空白が、観る者に「想像の余地」を与える。

 

2. ロリコンのタブーと、“守りたい”の感情

 

西洋(特にフランス)では、未成熟な少女への性的な表現はタブー視される。

しかし、日本のアニメは、性的ではなく「守りたい・応援したい」という文脈で堂々と描く。

その結果、キャラクターが発する“きゅん”や“キャピ”が、抑圧された文化圏の琴線を不意にくすぐる。

 

3. アシンメトリーと侘び寂び

 

フランス庭園は左右対称、西洋建築は完璧なバランス。

一方、日本庭園はアシンメトリー──自然の曲線や不均衡をそのまま活かす。

そこには「崩れそうで崩れない」危うい安定がある。

 

アニメも同じ。

キャラの関係性や感情はシンメトリーではなく、微妙なズレや未完成のまま物語が進む。

この“危ういバランス”こそが、視聴者の心をつかむ。

 

4. ゆる・ふわっ・きゅん・キャピの美学

  • ゆる:完璧でない、肩の力が抜けた存在感

  • ふわっ:やわらかく漂う雰囲気

  • きゅん:不意に胸を締めつける感情

  • キャピ:無邪気な高揚感

これらは、重厚で完成された西洋美術とは真逆。

でも、この軽やかさが西洋の“完成美”に疲れた心を癒す。

 

5. 結論──不完全さの輸出

 

日本のアニメが世界に輸出しているのは、物語や映像美以上のものである。それは「不完全であることの価値」だ。

 

侘び寂び、アシンメトリー、そして“守りたくなる可愛さ”。

この三つが融合し、日本独自の美学を形作っている。

 

ハリウッドが壮大なクライマックスを求めるとき、

日本のアニメは、その前の“静けさ”にとどまる。

木々を揺らす風の音。

夏祭りの群衆を、少し離れた場所から見渡す視線。

 

それは物語の解決ではなく、

「終わってほしくない瞬間」そのものだ。

 

ゆえに、日本のアニメ──ジブリの風のような作品は、

単に物語を語るだけではない。

観る者を別の世界へと運び、

その一部を、心の奥底に永遠に残すのである。

 

 

“Kawaii” vs. “Beautiful” — What Japan Can Teach Us About the Philosophy of Aesthetics

 

Walk down a street in Tokyo, and you might hear it a dozen times within an hour:

“Kawaii!” — “Cute!”

It could be about a puppy, a cake, a handbag, or even an oddly shaped vegetable. In Japan, kawaii is omnipresent, almost a national reflex.

 

But here’s the paradox: in Japanese culture, kawaii is not simply a lighter form of beauty. It is an entirely different aesthetic category — one that carries emotional warmth, intimacy, and even a certain spirituality.

 

In French, “Cute” Is Not Always a Compliment

 

I spent nearly two decades in France, a country where beauty has its own hierarchy.

In French, mignon(ne) — “cute” — often carries the connotation of something small, charming, but incomplete. It belongs to the realm of the immature or the not-yet-fully-formed.

 

Call a sophisticated Parisienne mignonne, and you might be met with a cold stare — or perhaps a splash of Bordeaux across your face.

In contrast, belle — “beautiful” — denotes maturity, depth, and a certain accomplished elegance. It is reserved for things that are “complete.”

 

The Japanese Aesthetic Shift

 

In Japan, however, kawaii dissolves this Western distinction between “incomplete” and “complete” beauty.

Here, kawaii is not just visual charm — it’s an affirmation of life’s fleeting, fragile moments.

 

Cherry blossoms scattering in the wind.

A summer festival in yukata.

An elderly woman’s shy smile.

 

In this worldview, beauty is not something that arrives only with age and refinement. It is present right now, in this transient moment, before it fades.

 

“Kawaii” as a Cultural Philosophy

 

If belle in France is like a vintage wine — deep, complex, and aged — then kawaii is like freshly pressed sake: light, pure, ephemeral, and tied to the season.

One is a celebration of what time can create. The other is a celebration of what time will inevitably take away.

 

This is not merely about taste — it reflects a broader philosophical divide.

Western aesthetics often aim for permanence and perfection: to preserve beauty against decay.

Japanese aesthetics, shaped by Zen and Shinto sensibilities, embrace impermanence (mujō), seeing beauty because it will disappear.

 

What the World Can Learn from “Kawaii”

 

In a global culture obsessed with youth yet anxious about aging, kawaii offers a more forgiving lens:

You don’t need to be flawless to be cherished.

You don’t need to be “finished” to be valuable.

You can be appreciated precisely in your moment of becoming — before the world declares you “complete.”

 

It is an aesthetic that allows room for vulnerability, playfulness, and the little quirks that make us human.

And perhaps, in a time when we are increasingly measured and judged, that softness is exactly what we need.

 

Kawaii, then, is not the opposite of beauty.

It is beauty’s other face — the one that smiles, before the world turns serious.