んー、
頭がこんがらがってきた(@_@)
これはまたしても、
「ハウツーくそ食らえ問題」なのかもしれない。
私は常々、
なにか手法を学んだところで
ゼロに何を掛けてもゼロはゼロだ!
と言い続けています。
ツールを習得しさえすれば
結果を出せるようになると思ったら、
それは大間違い。そんなことあるわけがない。
アイデアのかけらも持ち合わせていない人間が、ツールを学んだところで、そんなの宝の持ち腐れ。だって、そのツールに代入する材料をもっていなけりゃ、計算が動かないのだから。
さきのコンピテンシー概念に絡めて
ハウツーくそ食らえ問題を考えてみたいと思います。
まず整理したいことは、
「スキル」と「コンピテンシー」の関係。
両者は、しかるべき成果を出す上で極めて重要な要素であり、掛け算の関係。形式化するなら、
パフォーマンス = スキル × コンピテンシ
カタカナだらけなので
すべて日本語に置き換えますと・・
成果 = 学習や訓練によって習得した専門的技術 × その技術を活用する力
ということになりますよね、
で、
考えたいことは…
たとえば、
花火マップ、
顧客進歩プロセス、
マネタイズシナリオ、
UCチャレンジといった「考具」を引き合いに出してみます。
これらは、
さきのスキルに該当するのか?
それとも、コンピテンシーに該当するのか?
仮に
「考具の習得」と捉えるなら、
それは、スキルの話。
文字どおり、スキルの学習、スキルの習得という言い方になる。
ところが
それをしたところで
使いこなせず、成果に結びつけることができない人が少なからずいる。本件の場合だと、新たなアイデアを導出できない。場における自分の存在は、ほかのメンバーの発言を、追いかけるだけ。そうなってしまう原因の筆頭は、考具に代入する材料を持っていないから。だから、三大知らない問題がクローズアップされてしまう。
その一方で
考具を示された途端に
次々とアイデアを生み出す人もいる。
そういう人から見て
花火マップや顧客進歩プロセスというのは、スキル習得なのか?
いや、
ちゃうやろ。
そうとは思えない。
そもそもそういう人は
考具が示される以前に
アイデア導出に関わる分野や領域に関して、なにがしか見識や見解など考えを持ち合わせているケースが圧倒的に多い。そのような見識や見解は、いわばその人が既に持ち合わせているスキル。そして、その人は、そのスキルを、アイデア導出のために使いこなすことができずにいた。そこへ、考具が現れた。考具を使いこなすことで、その人は自分のスキルを生かして、アイデアを導出できるに至った。
この場合、
ここでいう「考具」は、スキルなのか?つまり、その人は、「考具という新たなスキルを習得した」ということなのか?
それは違う。
もし、「それは違う」という立場を取ったとしたら、では、上述の現象はどう説明することができるのか?もし、その人にとって、その考具はスキル習得ではないという立場を取ったとしたら…
その人は、
考具を用いることによって、自らのスキルを生かして成果を出したのということなのだから、ここでいう「考具」というのは、「その人のコンピテンシー向上に直接的に作用した」という言い方になるのではないだろうか?つまり、すでに本人が持ち合わせている見識や見解を生かす力を高めたということ。
こういう解釈があるとは思いつきもしませんでしたが、この新解釈はかなりアリなんじゃないかな。
こういう解釈をしていて
いの一番に頭に浮かぶのは
UCチャレンジです。
あの話は
あんちゃんが新たなスキルを手に入れたという言い方もありえますが、そんなチープな話ではなくて、
「あんちゃんがもともと持っていた見識を生かす力を、あんちゃんが自ら更に一層高めた」という言い方ができないっすかね?つまり、「UCチャレンジは、あんちゃんのコンピテンシー向上に寄与した」という言い方です。
やばい、
興奮してきた(@_@)
しばし頭を整理します。
追記、
まとまった文章は別投稿にあらためようと思いますが、こうして書いててあらためて思うことは、、
スキルを高める取組みは必要だとは思う。そのことを否定するつもりはないです。
でも私は
こんど再発したら終わり
という非常に限られた残り時間を
そこに全力投球するつもりはないです。
ベストプラクティスを創ることしか頭にないです。広く製造業に、これからの時代に目指すに相応しい道を示すこと。これをやっていればこそ、結果として人が育つのであって、人財育成を目的化していたらその取組みは「研修化」してしまい、コンピテンシー議論なんて進むわけがない。