あれから28年も経つというのに

この日を迎えると、当時の記憶が蘇り、緊張してドギマギします。

 

2月8日は、

舞台活動を引退した日。

大好きだった下北沢演劇祭で幕を閉じました。

 

 

当時のことを書いた過去投稿がありますが

あらためて読み返しますと、自分自身のあまりの青臭さに読んでて気持ち悪くなるのでリブログしないでおきます(笑)

 

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先月24日の作戦会議後の宴席で

「ビジョン」の話になりました。

 

話の内容は…

 

「ビジョン」と「戦略」は

本来、セットで扱われるべきものだが

実際は、別々に議論されている場合が圧倒的に多い。という話。

 

ちょうど相前後して、

 

別件では

「人が変わると、方針がガラっと変わる現実。人が変わっても、基本的な方向性は変わらないことが理想」という話がありました。

 

一見、

両者は関係なさそうなのですが

私の中ではこれら二つのことが引っかかってます。昨秋のイベント終了後の宴席で、「なぜ、後任は前任者を否定したがるのか」という話になったことが関係しているような気がします。

 

ビジョンの重要性。

それは、戦略誕生の源。そして、あまりに急激な『戦略の変動』を抑制する効果をもつ。すなわち、戦略の維持に関する頑健性。それはビジョンのとても重要な役割なのかもしれない。

 

言い方を換えると、

「ビジョン」というものがありながら、戦略の急変を繰り返す場合、そのビジョンはビジョンとしての役割を果たしていない。そういうことなのかな??どうなんだろう?

 

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我が国において「ビジョン」というものが注目されるようになった背景には諸説ありますが、よく聞くのは、、、

 

1980年代のプラザ合意でとんでもない円高になり、かなり多くの日本企業が倒れるのではないかと危惧された時代に、トンネルの先に見える光を頼りにしたい気持ちがビジョンという概念の存在をはっきりさせたと言われていますよね。

 

その後、時代は変わり、


ダイバーシティの時代に入りました。

多様な価値観は尊重されるべきと思います。が、その一方で、多様性を野放しにすると、無政府状態(アナーキー)になって収拾がつかなくなる。

 

では、どうするか?

 

その答えが

「ビジョン」であり、

今日風にいうと「パーパス」という言い方なのでしょうか。

(ビジョンという言葉は、「経営ビジョン」という名で、いついつまでに売上いくらを目指すなんていう財務的な数値目標をビジョンと称している企業もいますからね。。そういう矮小化された使われ方をするのなら、いっそビジョンではなくて、パーパスのほうがいいかもしれませんね)

 

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ビジョンかあ・・

 

話を

舞台活動の時代に戻しますと、、

 

照明と音響は一流劇団のスタッフ。

ミュージシャンはクラブでプレーするプロ。

最後の舞台では、共演者はプロの女優さん。

映像作家は美大出身の広告会社同僚。

写真家は自ら個展を開いているプロカメラマン。

 

いってみれば

利害関心のるつぼ。

思惑、大事なこと、利害関心はそれぞれ個々にバラバラ(@_@)


共通していることは

その道で稼いでいるプロだということ。


で、

私はいえば、

経験も知識も何もかも中途半端で半人前。

 

さらに時をさかのぼると、

 

劇団K-MODE旗揚げ時は、

団員もスタッフもみな経験者なのに、

あろうことか私はまったくの初心者。

 

まったくの初心者が、

経験者ばかり集めて劇団を旗揚げ

って、いま考えると、ゾッとします煽りアセアセいったいなに考えとんのじゃ!?ですね。。。

 

そんな私が

7年間も舞台活動を続けてこられたのは

もしかしたら、いまでいうところの「ビジョン」なのかもしれません。

 

一般的に舞台は、幕が上がれば役者のものだと言われているけど、僕はそうは思わない。舞台において一番大事なものは『メッセージ』。それを伝える最適な担い手は、役者とは限らない。メッセージを伝えるのは『常に役者』と決めつけたくない。時として、音のほうが伝わることもあるはず。映像のほうが伝わる場合だってある。照明は役者を引き立てることだけが役割じゃない。光は、メッセージを直接的に表現する可能性を秘めているはず

 

大事なことは、メッセージが伝わること。今回のメッセージは、どの媒体が伝達を担うことが最も相応しいか。担い手を"役者"と決めるつけるのではなく、メッセージ伝達の可能性を存分に探求してみたいです。」

 

「そして、そのようなメインメッセージを伝え切るために、前後の文脈をどう固めるか。その表現形式はどうあるべきか。そのような観点から、音楽と映像と照明を饗宴させて、舞台という名の1時間半を創ってみたいです。どうか一緒に創ってください。僕に力を貸してください。

 

なんて青臭い驚き

素人の分際でどの口でホザいてるんじゃ!ゴルァ!!って感じですね。恥ずかしいったらありゃしないふとん1穴はないから入りようがないけど、代わりに、寝たフリしたくなります

 

でも、これが

分野や立場の違いを超えて

7年間も続けることができた源だったのかもしれません。

いま振り返ると、これが私にとっての「ビジョンの重要性」の原体験なのかもしれません。

 

そしてもう一つ、

 

ビジョンに頼るのみだったことが

7年間しかもたなかった原因かもしれません。

 

そのビジョンを現実のものにするための戦略に落とし込まれなかった。すなわち、「SP:Strategic Positiong」と「OC:Organizational Capability」に落とし込まれなかった。SPとOCは「戦略」を構成する二大事項。ビジョンが、戦略に落とし込まれなかったことが、7年間で終わることになった結果を引き起こしたのかもしれません。当時の私は、ビジョンという求心力に頼ることしかしていなかった。そんな言い方があるような気がするのです。

 

だからきっと、

「経営の三要素」の話にビビっと反応したんだと思う。

 

経営の三要素とは、

ビジョンと、戦略と、オペレーション。


それぞれは、

Whyと、Whatと、Howに答えるもの。


ビジョンはWhy、

「なぜ、我々は存在するか?」という問いの答え。


戦略はWhat、

「ビジョンを体現すべく、我々はどのような価値を創造するのか?」という問いの答え。


オペレーションはHow.、

「上記の価値を、どのようにして創造するのな?」という問いの答え。


このうち、

「戦略」と「オペレーション」は

競争戦略で言うところの「SP」と「OC」に対応。


SP(Strategic Positioning:事業の戦略的ポジショニング)と、OC(Organizational Capability:組織能力)


このように、

経営の三要素とは、


競争戦略でいうところのSPとOCの二つに、ビジョンを上乗せしたもの。


「ビジョン(Why)」と

「戦略(What)」と「オペレーション(How)」。

 別の名は「Vision」と「SP」と「OC」。

 

三者はバラバラで扱ってはならない。

一体として扱うべきもの。

 

先月24日の宴席での

「ビジョンと戦略が一体として扱われていない現状」という話のなかで、


私にとって

経営の三要素を一体として扱うべきことの重要性を身をもって知った原体験は、劇団K-MODEだったのではないだろうか。


そう考えてみると

驚くほど合点がいきます。

身をもって、心に突き刺さるほどの学びを得たと思います。

 

舞台活動を引退して

28年という月日が流れました。


過去の投稿で

「当時の舞台経験が、その後の劇場型講義や講演に生きている。クリティカルシンキングとドッキングして、プレゼンテーション力になった」というようなことを書いてましたけど、


今回はじめて、

28年の月日を経て

とても大切な学びを得ていたことを新たに知ることになりました。私にとって舞台は、ビジョンの重要性を知る原体験だったかもしれない。


この経験から学んだことは今、

当時は考えもしなかったほど大きな効果をもたらしました。まさか、現在の主戦場である事業開発分野の1丁目1番地になろうとは。。


あらためて、

ほんとうに貴重な経験だったと思います。



<追記>

このブログの読者の一人に、当時の劇団K-MODEのメンバーがいます。いまもたまには読んでくれているのかしら?もし、これ見てくれたら、なにか感想を聞かせてくれたら嬉しいです(^^)



<もういっちょ追記>

あまりに青臭くて「こっぱづかしい」どころじゃなくて、大いに恥ずかしすぎますが‥‥どうせいまだに公開状態なので、以下にリブログしておきます。下記は19年前の投稿です。さすがに、いまこういう恥ずかしい文章は書けないっす。あはは