さきほどの
「それは意味内容の問題ではなく、言い方の問題」の続きです。

 

この話は、

先日に投稿した「フォロワーシップ」の話と密接に関係すると思う。

 

 

 

理想とされるのは、

第1象限「模範的フォロワー」でしたよね。

 

模範的フォロワーは、リーダーに対してクリティカルシンキングを発揮するわけですが、この実行には単に高度な論理的思考を身につけているだけでは十分ではない。相手の思考の欠損箇所を正面から突くかのような言い方をしたなら、発言内容の良否以前に、モノの言い方で軋轢を引き起こしかねない。(実際、あの事案ではそれが原因でハレーションを起こしてしまいました。。泣)

 

クリティカルシンキングを発揮して模範的フォロワーをやってのけるには、「モノの言い方」を心得ていることが不可欠なのだろうと思ったんです。

 

仮に、言ってることがどれだけ正論であったとしても、言い方を間違えると、人間関係に取り返しのつかない不具合を引き起こしかねない。それは、私自身が過去に一度のみならず二度三度やらかしているので、身にしみて感じています。

 

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いま、私には

自らが模範的フォロワーを担いたいと思っている事案があります。

 

その方が掲げるビジョンに心から共感してます。なんとしても叶えたいと思ってます。

 

ビジョン実現の過程、

すなわち今後の進路には

幾多の困難が待ち受けていると思われます。

 

困難を克服するための備えは、

もしかしたら、必ずしも万全ではないかもしれない。

 

ならば、

考えるべきは何か。

強靭なロジックに組み上げるべく、

補強すべきパーツは何か。

 

その方が考えていることを受け止め

さりとてそれを盲目的に受け入れることはせず

自分自身も考えて、考えて、考える。

 

自らも当事者意識をもって考え、

追加すべきこと、修正すべきこと、新規に考えるべきことは、進言したい。

 

それがビジョンを実現するために必要不可欠で、価値あることだと信じているから。

 

目指すことは、

「化学反応を通じて、考えを創発すること」。

 

一方がもう一方に自らの考えを押し付けるのとは、違う。

それは、「受け入れ」であり、「追認」であって、「創発」じゃない。

 

ビジョンという名の目的を共有した化学反応。

これが、目指していることです。

 

そのためには、

お互いの考えをガチンコさせる「状況」を醸成する必要がある。ぜひ、化学反応を起こすに相応しい場を醸成したい。

 

で、ここからです。

 

私が接続詞の使い方にものすごく注意を払うようになったのは、上述の実行に大いに関係があるのかもしれません。なんせ無意識のうちに高まっていったことなので、「かもしれない」という推量表現になってしまいますが、なんとなくそんな気がしてます。

 

すべてはビジョンを実現するため。

ビジョンを実現すべく、双方の考えに化学反応を起こして、ビジョン実現可能性を高めるための考えをブラッシュアップしていくことを目指す。

 

化学反応を起こすための考えを自らも創ることは勿論重要なのですが、もう一つ、自ら創った考えを伝えるという行為もめちゃ重要ですよね。

 

どれだけ的を射た内容を考えたとしても

言わんとしていることが相手に伝わらなければ、なんの意味もない。

 

考えを組み立てる技術とは別に

考えを受け止めとめてもらえるよう伝える技術もすんごく重要。

 

「ただの伝える技術」ではなく、

「相手が受け止めてくれる可能性を高める伝える技術」です。

 

単に伝える技術なら、

ピラミッド法を用いたクリティカルシンキング体得によって、主張を組み立てる力は飛躍的に高まったと思います。論理を組み立て、論理的に説明する能力は、まあまあいい感じの域に到達してきているような気がします。たとえば、同じ意味内容を何通りもの言い換えを常に考えながらワークショップに臨んでいるのは、「伝わらなければ意味がない」と肝に銘じているからだと思います。ピラミッド法をフル活用して、ワークセッションのその場でメンバーの発言を「拾って」、「言い換えて」、「他者の発話を繋げる」という立ち回りは、他者の追従を許さぬ模倣困難の域ではないかな?思い上がりかな?あはは爆  笑

 

しかし、

「相手が受け止めてくれる可能性を高める伝える技術」ということになりますと、話はまったく別。しばしば、いや頻繁に、言い方が雑になる。それが原因で、軋轢、ハレーション、心理的抵抗を招く。「発信するメッセージは、相手に受け止めてもらって、次の瞬間に化学反応を起こせるようなものでなければ意味がない」ということを頭ではわかってるし、大事にしているつもりなのですが、一貫してバラつきなく、やり切ることができていない。言い方に難アリ。ほんとダメ。アカンのです。凹凹凹

 

いまの私の最大の課題は、

「ものの言い方」です。

 

伝えようとしている意味内容の質レベルに達していたとしても、伝える際の言い方がダメだったら、伝わるものも伝わらない。

 

受け止めてもらうことすらできなければ、

化学反応なんて置きようがない。

もはや話にならない。

 

「意味内容のわかりやすさ」とは別に

「モノの言い方」の巧拙がコミュニケーション成否に立ちはだかっています。

 

相手が受け止めやすいモノの言い方には、それはいろいろな要因があり、様々なテクニックがありますが、どうしても血肉化しない。

 

そんな私がようやく辿り着いた急所、

それが「相手の言動に順接で添える」でした。

 

それはきっと

メッセージを相手に受け止められやすくする。

心理的抵抗を和らげるとても大事なことだと思うようになりました。

 

目指すこと、それは、

「化学反応を通じて、考えを創発すること」。

 

相手の考えと

自分の考えが化学反応を起こして

新たな考えを創発する。

 

それをガチンコでやっていきたい。

それはやっててほんとうに楽しい。

 

そのためには、

自分の考えを相手に受け止めてもらえることは大大大前提。

 

その可能性を高めるための

言い方は、是が非でも心得たいです。

これほんとに切実です。

 

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追記.

 

ということを書くと、なにやら経験を通じてやっとわかった風ですが、

 

振り返ってみると、

何を伝えるか(=What to Say)」と「どのように伝えるか(=How to Say)」を分けてコミュニケーションの質を評価することの重要性を大昔にホザいたことを思い出しました(°_°)

 

マーケプランナーの傍ら、

研究開発職も兼務していた時代に、

認知科学の知見を応用してK-LINEと呼ぶ「広告メッセージの開発と評価」のシステムを作りました。その際、中核に置いた理論的枠組みが「何を伝えるか(=What to Say)」と「どのように伝えるか(=How to Say)」だったんです。おいおい、はるか昔に自分で言ってたやんけ驚きあんだけクソ生意気なこと言っておいて、自分自身はなんも実践できてなかったとは・・・ほんとゲンナリ😵

 

「わかる」と「できる」は別物なんじゃ!

とブン殴られたような気分です。とほほ

 

ピラミッド法を用いたクリティカルシンキングは、前者・「何を伝えるか(=What to Say)」を支える強力ツール。一方、昨年にようやく文章として顕在化した「UXストーリにおける順接らせん階段」は、後者の「どのように伝えるか(=How to Say)」に関わることといえそうです。


前者・What to Sayはもちろんのこと、

後者・How to Sayも身につけていなければ、

模範的フォロワーは務まらない。

 

もちろんほかにも要件はあるでしょうけど、

とにかく「相手に受け止めてもらえるモノの言い方」を磨き込みたいです。