2023年12月のシンポジウム講演がどれだけ重要だったか。そのことをどうしても今年のうちに書いておきたいと思い、書き始めたのですが、、
一連の文脈を振り返ろうと2021年1月の残酷な宣告からの投稿(←現在はすべて「非公開モード」にしてます)を読んでいるうちに、胸が苦しくなってしまい、かえって何も書けなくなってしまってます。。
ひととおり振り返った後に、最後に書きたいことは「いまの自分ができうる最高地点まで来た」です。でも、それを書くまでの経緯が長くなりすぎました。ごめんなさい。
再発発覚後、心に決めたこと、
それは「これまで探求に探求を重ねてきたことを今年12月の舞台で決着させる」です。
そして、
決着しました。
2023年12月1日、
思いは結実したと思っています。
これをもって、
2021年当時のことを湿っぽく振り返ったり、当時の投稿を詳細に振り返って深掘りするようなことは、おそらくもうないだろうと思います。区切りをつけるためにもそうすべきなのだろうと思います。
それならば、
いっそこの投稿は当時のすべての履歴を総ざらいする内容にしてしまおう。あのとき、何が起きて、そのときの自分は何を思い、何を考えていたのか、ということだけに特化しようと思います。
以下は、
2021年1月27日の非情宣告から
再入院に至るまでの全履歴です。
↓
2021-01-27 13:35:33
『最悪の事態』
「せめて来月のワークセッションが終わるまで待ってもらえないか?」と懇願するのが精一杯でした。
あまりに突然の
まったく予期していなかった事態。
冷静を装っていますが
実際は、錯乱状態だと思う。
明らかに冷静さを取り戻してから
あらためて書きます。
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2021-01-28 00:33:37
『昨年さんざん泣いたから、今日は驚くほど穏やか。諦めたんじゃない。受け入れるんだ。』
一人で過ごしている分には大丈夫そうです。
人に実情を説明する時は泣き出す可能性大ですが、すくなくとも今は、自分でも驚くほど穏やかです。昨年の4月から5月にかけて、さんざん泣いたから気が済んでるのかな。なんでこんなに穏やかなんだろう。不思議です。
夕方に帰宅し、
しばらくの間はボーっとしていましたが、
その後はいまも
「事業投資の企画管理実務」と「業績管理会計基礎」の役員向けオンライン研修を受講しています。
絶望感のなかではありますが、勉強してます。
---
今日は、通院日でした。
先週の骨髄検査結果を伺ってきました。
あー、
それを書いたら胸が苦しくなってきた。
やはりまだ冷静になり切れてはいないようです。
お恥ずかしいことに、
今日は途中から主治医の先生の話が途切れ途切れになってしまい、もう一度ちゃんと話を伺わないと直近をどうすべきだったかわからなくなってしまいました。それくらい、あまりに予期していなかった事態に直面してしまいました。来週も通院なので、先生の話をよく聞いてきます。関係各所にご説明してまわるのは、そのあとですね。向こう数日間は、説明し始めたら泣き出しそうなので、心を取り戻す意味でも説明してまわるのは来週後半以降のほうがよさそうです。
明日は、
某機関誌の連載原稿に集中しようと思います。
連載第5回の内容は「全員参加型経営の新しいかたち: 構想するのは誰か」。BM活動ならびにBM大会のススメです。
事業に関わる一人ひとりが「make our own will」を描くことの重要性を説きます。いまの私の心理状態とものすごいギャップですが、考えようによっては、気持ちを立て直すのに打ってつけの内容です。ぜひ、書き上げたいと思います。そして、自分の気の持ちようを補正したい。
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2021-01-29 12:44:24
『一つ一つを目に焼き付けるために、現地へ。』
もともとはオンライン開催だったのですが、現地を訪ねることにしました。いま電車移動中です。
自由がきく最後の機会になるかもしれない。今日の機会を逃すわけにはいかない。いま、そんな気持ちです。
あ、、
やばい。
泣きそうになってきた。
途中ですが、これ以上書くのやめておきます。
今日はなにかの拍子で泣き出すような気がしてなりません。
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2021-01-29 23:49:00
『これが最後の機会ではないと願っていますが、「急性」の名のとおり変化が急激だったことから、覚悟』
タイトル長すぎですね。
書き切れませんでした。
今日は、とても印象的な一日でした。
日中の議論はもちろんのこと、その後も。帰宅後のひと時も幸せいっぱいでした。
やはり、
「現場」はいいっすね。
現場、大好きです。
「諦めた」と書くと、
めちゃネガティブに聞こえるでしょうから、違う言い方をしたいのですが、どう言えばいいのかな。
やりたいことはまだまだたくさんあるので、ここで強制終了させられると、"未練"は残ります。そりゃもう間違いなく未練タラタラでしょうね。
だけど、
「あのとき、もっとこうすればよかった」といった"後悔"は、ない。失敗の連続でしたから、そりゃたくさんのタラレバはありますが、しかしそれは、「もう一度PDCAできる機会があるなら、次はこうしよう」という"反省"であって、
後悔じゃないな。
うん、後悔は無い。
未練はあるが
後悔はない。
だいぶ落ち着いてきたとはいえ、いまだ混乱している状態なので、正直なところ強がってる感は否めませんが、
でもどうかな。
来月も、再来月も、同じこと言ってるような気がします。
死期が迫り、意識が失われていくその瞬間に
「自分の人生、悪くなかったな」と思えたなら、もうそれでほんと御の字です。
ならば、
その瞬間に想起されてほしい「絵」を
丁寧に集めていこう。
それはとても悲しいことなのですが、
現実的に迫り来る日に備えるべき。
そんなふうに思うことを、ようやく受け入れることができつつあるような気がします。
「できつつある」ということは、
まだできていないということなのですけどね。
昨日から、自分の中でそういう変化が起きていると感じいます。今日はそのことを実行に移した日になりました。
意識を失うまさにその瞬間に、
頭の中に素敵な絵がたくさん浮かぶ。
そういう絵を一つ一つ丁寧に集めたい。
それは「諦め」なのでしょうか?
私の中で、それは諦めではなく、
「受け入れた」ということであり、
受け入れた上で、生きることを許された残りの日々を大切に過ごす。悲しいけど、でも、素敵なことなんじゃなかろうか。そんな気がします。
その表れの第一弾が、今日でした。
・・・。
もし叶うなら、
再入院する前に
BM月例ミーティングにリアル参加したかった。。
今年15年目を迎えるBM活動は
初年度から関わらせていただきました。
事業開発への開眼は、BM無しにありえません。
自分にとって、BMは人生そのもの。そう断言できます。それくらい、大切な活動です。
このたびの急変が、
1月の月例ミーティングが終わった直後だったことが、残念でなりません。コロナ禍なので、どんな理由だろうとオンライン開催だっただろうといえるかもしれませんが、
次回BMミーティングは、
2月中旬。それはもう、コロナがどうこうとは関係なく、間に合わないです。それより前に、再入院の指示がくることは避けられない。悲しいですが、もうどうにもならない。
9か月に及ぶ化学療法が今月終わったばかりだというのに、直後の骨髄検査で、骨髄内の血液細胞の40%がガンに冒されていることがわかり、
事実を受け入れる以外しかなくなりました。
事実を受け入れて、その上で、残りの日々をどう過ごすか。
生き様が問われます。
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2021-01-30 22:24:08
『思い出を残すことの是非』
いつまでもこの種の半ベソ投稿を続けるつもりはありません。が、3日前の衝撃が大きすぎて、いまはまだ方針を単純明快に定めることができていません。早く立て直します。すこしの間、情けない吐露をお許しください。
3日前は、あまりの衝撃で涙すら出ず。
2日前は、冷静さを一定程度取り戻したのか、財団のみなさんに淡々と病状を報告できました。「淡々と」、うん、まさにそんな感じでした。
昨日は、午前中に大学コンソーシアムのオンラインミーティング。病気発覚直後の5月にオンラインミーティングではこれまでずっとご一緒させていただいたF氏を前にポロポロ泣いてしまったのですが、昨日はその前日と同様に、淡々と病状を伝えることができました。
しかし、
昨日の午後は、
ぜんぜんダメでした。
恩師に病状をZOOMでお伝えした時と、
昨日の午後の某社プロジェクトで今まで13年間ご一緒させていただいた方に病状を面と向かってお伝えしようとした際、
涙が止まらなくなってしまいました。
恩師に
「いままでたくさんの機会をいただき、ここまで育てていただいたのに、こんなことになってしまい申し訳ありません」と言った瞬間の、画面越しの恩師の表情をみて、せき止めていた蓋が外れてしまい、泣き崩れてしまいました。報告を終え、ZOOMを退出する際も、「応援しています」と恩師から声をかけていただき、またしてもポロポロ泣き始めて退出したという有り様です。
残念な気持ち、そして、いつ死期が来るかわからない恐怖。想像を超えるネガティブな感情をほとんどまったく裁けてないということなのでしょうか。こんなに怖い気持ちになるとは思ってませんでした。
こんな状態を続けるつもりは毛頭ありません。
早急に立て直しますので、もうすこしの間、お見苦しいことをお許しください。
そこへ、もう一つ。
重大な問題が生じました。
記憶を残すことの是非です。
先日の新宿周辺を移動中の車内でのこと、
そして、さきほどのこと。
反省しています。深く反省してます。
逝く側のことばかり考えてしまってました。
残る側、すわなち、いろんな意味でリ・スタートする側のことに、考えが十分に及んでいませんでした。
時を大切に過ごすこと自体は良いと思うのですが、それを「思い出として残す」というのは別問題ですよね。
記憶は、
時に、人を苦しめると思います。
ほかならぬ私自身が7年前の記憶に苦しみました。年始の投稿で書いたとおり、長い月日をトンネルの暗闇のなかで過ごしていた感覚でした。「記憶を消す方法があればいいのに。」と、真剣に思ってたくらいでしたから。
自分の記憶庫にいろいろな絵をストックしようとするのは本人の勝手かもしれない。しかし、人の記憶庫という話になると、
絵づくり、記録づくり、記憶づくりは、自分の勝手というわけにはいかん。是なのか、非なのか。ダメだ。判断できないです。
すくなくとも
涙を伴う記憶は、残したくないです。
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2021-01-31 17:17:43
『連載原稿、完』
その後、何度も読み直し、
何度もちょこちょこ書き直していましたが、
うん、
ようやく完成したといえるのかな。
本文の最終段落は、
無念さを封じ、悲しみに震えながら書き上げました。
『
これからの時代、目指す姿は、所属部門を問わず、一人ひとりが顧客志向を徹底し、「自分たちの事業は、顧客のどのようなジョブに応えるべきか。どのように応えるべきか」を考え続けること。この取組の継続が、未来を見据えた新たな競争優位の自立的な確立をもたらすと信じています。そして、このような事業の構想活動に参画する場が、モチベーション向上の役割を担うと考えています。そのように考えの背後にある基本的前提は、「誰だって,自分が進む道は自分で決めるほうが楽しいに決まっている」。事業に関わる一人ひとりが事業の明日を考え、それらの様々な事業構想案を俯瞰して経営層が事業の進路を決断する、これが新たな全員参加型経営として目指す姿です。BM活動は「事業が生きる道を自らの意思で描く“make our own will”の取組み」であり、すべての従業員の事業に対するオーナーシップを醸成し、仕事に対するモチベーションを高める手立てとしての可能性を秘めています。
今後、業種を超えてさまざまな企業がBM活動に取り組むことによって、未来を見据えた新たな競争優位を自立的に確立できるようになることが期待されます。そのような新たな全員参加型経営を目指し、QC大会と双璧を成す新たな「組織的な相互学習の場」としてのBM活動ならびにBM大会の創設と継続を産業界に広めてまいりたい。筆者としても生涯をかけて全力で産業界をサポートしていきたいと考えています。
』
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2021-02-02 18:15:12
『何度も繰り返し読んでます。励ましの言葉、ほんとうにありがとうございました。』
しっかりしなければ。
しっかりします。
明日は診察です。
終わりましたら、報告します。
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2021-02-03 10:43:06
『病院到着。先週の衝撃はいまだ鎮まらないまま、ただいま診察待ち。』
退院後、
3回目の外来です。
前回の衝撃が大きすぎて
かなりドキドキソワソワしてます。
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2021-02-03 23:51:28
『今日中は無理でした。話を整理して、直近をどうするかは、明日考えます。』
冷静に。冷静に。
すべてをメモしきれていないから、忘れないうちにポイントを書き出しておかなきゃ。
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2021-02-04 22:26:21
『移植することに前向きになれない』
死亡率 30%
再発率 40%
完治率 30%
完治を目指して移植しても
移植後の短い間に死んでしまう割合は、私の場合、30%だそうです。
抗がん剤によって心臓が弱くなっていることが、死亡率を高くしているのだそうです。
そして、
仮に短期的に移植がうまくいったとしても、
その後、再発してしまう可能性は、40%。
悲観的な見方をすると、
早晩死んでしまう割合は、70%ということになるのでしょうか。
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2021-02-05 15:03:46
『説明会開催』
今年もエグゼクティブセミナー説明会の時期がまいりました。
開催日は、3月3日(水)14:25~16:30 です。
「ビジネスモデルで先行し、現場力勝負へ持ち込むためのこれからの品質経営」と題して、私も登壇させていただきます。
当初は会場に出向くつもりでしたが、
状況激変により、その日は病室 (T_T)
事前収録の上、
病室からオンラインで質疑対応になると思います。
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2021-02-06 23:51:21
『もう時間がない。「指導手順マニュアルづくり」と「ケースづくり」を急がなければ。』
「俺がいなければ仕事が立ち行かなくなると思っているのは本人だけ」という話をよく聞かされていましたが、
本件もね、、同じだと思います。
S氏の存在にガキ大将もきっと安堵していると思います。S氏の存在は、私にとってももちろんとてもありがたいです。その点は、ガキ大将とまったく同じ気持ちです。
そして、
私としては、無理なお願いだったにもかかわらず快諾してくれた二人の愛弟子が、すぐにでも講師として出動できる状態になってくれることが切なる願いなんです。
それを見極めるためのアイテムは、
「指導手順マニュアルづくり」と「ケースづくり」。これが本人の手で作り上げることができれば、それはほぼほぼ講師が務まることを意味すると思うんです。
せめて、
この二つを見届けてから、移植に踏み切りたい。
もう時間がないんだ。
頼む。力を貸して欲しい。
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2021-02-08 17:46:01
『何をやり、何をやらぬか。』
仮に、
活動可能期間を5ヶ月とする。
ざっと150日間。
やりたいことがたくさんあり、
この日数では、すべてをやり切るのは到底無理です。
やりたいことばかり書き並べていても、150日後は悲しい結果になること必至。
「何をやらないかを決めることがポジショニングアプローチの本質」という競争戦略の教えを当てはめるなら、現時点で考える「極めて優先順位が高い事案」は3つ。
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2021-02-10 09:23:55
『病院へ。診察結果次第で直後の過ごし方が大きく変わるためドキドキしてます』
前回の診察時は、その日の朝の血液検査の結果が出揃っておらず、その時点で明らかになっていた数値だけでの判断に留まりました。結果が出揃った後、「なにかあれば連絡します」と主治医の先生から怖いことを言われ、穏やかではありませんでしたが、
電話がかかってくることはなく、今日を迎えました。ほっ。。今日はもともと予定されていた通院です。
検査結果次第では即入院になりかねず、毎日気が気ではないのですが、悲観していてもしかたないですから一日一日を大切にしたいと思います。
まもなく虎ノ門駅です。
はぁ、、
病院行きたくない。。
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2021-02-10 10:07:39
『最悪のシナリオは「余命5カ月」』
直近は、とにかく最悪のシナリオを念頭に過ごすことになると思います。「移植直後の死亡率30%」という医師の言葉を真に受けるなら、最悪のシナリオは「余命5カ月」。
先月の時点では「4月下旬から5月の移植実施」と言われていたのですが、さすがにそれはカンベンしてくださいとお願いし、
前回の診察の時に、8月実施に変更。
単に先延ばししたのではなく、当初はなかった化学療法を今月から二カ月間にわたって組み込んでいただくことにより、8月になりました。まあ、、、、正直いうと、とにかく死期を先送りしたかったというのが本音です。
余命3ヶ月が
余命5ヶ月に変わったところで
大差ないという言い方もありますが、
いやいや、、、マニュアルづくりと事例づくりを見届けねば。
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2021-02-10 23:48:45
『お別れ会になるかもしれないと思っていました。言葉では到底言い表すことができません。』
今日は、
診察後にクライアント企業を訪ねました。
1月27日の診察で、もしかしたら余命3ヶ月なのではないかと絶望の淵に沈んでいた最中にメールをいただき、今日という場を設定してくださいました。
1月27日の時点では「次の再入院したら、二度と外に出ることができないまま死んでしまうことも想定しておくように」と主治医の先生から言われていたため、
正直いうと
今日はお別れ会になるかもしれないと思い、心して先方を訪ねました。
・ 移植直後の死亡率
・ 移植前後の中断期間の長さ
など、すべて包み隠さずご報告しました。
迷惑をかけるわけにはいかない。ここまでご一緒させていただいただけで十分幸せと思うべき。今日、最後にお目にかかることができて本当によかった。
そう自分に言い聞かせながら、
病状を報告しました。
自分が具体的に何をどう申し上げたか再生できないほど、思い詰めていたと思います。
このとき、すでに終了予定時刻をすぎていました。「これで幕が閉じてしまう」という悲しい気持ちがマックスになったそのとき、
「来年度の契約書を用意した」と
目の前に書面を用意してくださいました。
9か月間にわかる化学療法が終わった直後に、再発。その事実だけでも相当の衝撃なのに、そこへ輪をかけて「最悪の場合、4月末から5月の移植による死亡率30%」という説明。さすがに心が折れました。もうダメだと諦めました。それが1月27日です。
なぜ、このタイミングで来年度の契約を要請してくださったのか。その意味合いは何か。
心折れてる場合じゃないよ。。
もうほんとに自分が情けない。
しっかりしろ!
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2021-02-16 23:15:27
『泣きそうになったけど、泣かなかったぞ!』
帰宅しました。
今日は某社ワークセッション。オンラインではなく、現地に出向いてワイワイしてきました。
あ、、ソーシャルディスタンスを十分に確保、さらにマスクを二重にして、臨んできました。ものすごーく広いワンフロアをたった十数名で使用するという、考えられないほど贅沢な空間の使い方でした。
メソトレキセートの副作用なのかわからないのですが、手足のシビレが激しさを増していて、さらに、足先を筆頭にむくみもひどく、ほぼほぼ寝込んでる状態でした。今日も本来は外出するなどもってのほかだったのかもしれません。
ワークセッションは昨日と今日の二日間。二日とも現地に出向くつもりでした。でも、体調が悪くて、昨日は現地入りを諦め、いままでどおりオンライン参加でした。
今日の体調は、昨日と大きく変わるものではなかったのですが、今日はどうしても現地入りしたかった。
今日は、同社ワークセッションの実質的な最終回でした。来月はじめにも予定されていますが、それは最終発表の予行演習。ワイワイガヤガヤとワークセッションできる場ではないんです。今日が最後の機会でした。
これまでずっとオンラインだったので、今日はメンバーのみんなにどうしても会いたかったんです。自分がどういうスタイルで仕事きてきたのか、そのことをもう一度、自分自身で再認識したかった。自分のためにも今日はどうしても現地に行きたかった。
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1月27日の診察で、再発が判明しました。主治医の先生から、速やかな再入院を勧められましたが、再入院後の最悪シナリオを伺い、心の準備ができていないことを理由に固辞しました。お恥ずかしいのですが、泣きながら抵抗しました。「再入院後、そのような最悪の事態がありうるなら、せめて、その前に、自分がどういう仕事をしてきたのか、どんなやり方で仕事してきたのか。もう一度、経験させてください。この一年間、コロナと自分の病気でオンライン一辺倒だったので、自分の仕事スタイルを忘れてしまいました。感覚が残っていないんです。自分らしさの感覚を忘れたまま、生涯を閉じるのはどうしても嫌です。せめてもう一度、全身で感じるチャンスをください。2月15-16日に最後の機会があります。再入院は、それまで待ってください。どうかお願いします。」と主治医の先生に懇願しました。ビービー泣きながら懇願したからでしょうか、、先生は一言、「わかりました」と言ってくださいました。その後の血液検査の結果が急激に悪化しないかぎりという条件付きで、ワークセッションに行くことを許可していただきました。それが、昨日と今日のワークセッションだったんです。
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今日の最後、
メンバーのみなさんにご挨拶してきました。
今日どうしても来たかった理由もお伝えしました。
危うく泣き出しそうになりましたが、
泣き始めたら言葉にならなくなる。
ここで泣いてたまるか!!
途中、声が震えはじめ、自分でもこりゃまずいと思いましたが、なんとかもちこたえることができました。
最後の最後で場がしんみりしてしまい、ごめんなさい。でも、なんといいますか、うまく言えないのですが、
今日、どういう気持ちで臨んだのか
みなさんに受け止めていただいたような気がして、それがとても嬉しかったです。
現地に出向いてよかった。
みんなと直接やり取りできてほんとに楽しかった。
今日のこの感覚、
一生忘れません。
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2021-02-17 10:28:15
『骨髄検査、ほんとキライ(ToT)』
ただいま30分間の安静中です。
今日の診察は、一ヶ月ぶりの骨髄検査。前回の検査で骨髄中の43%が芽球で占められていると言われて衝撃を受けて以来の検査です。
今回の検査結果次第で
即 再入院になるのか、それとも再入院時期をもうすこし先延ばしできるのか、変わってきます。
1月27日の診察のとき、
昨日のワークセッションまでは再入院を待っていただき、2月17日以降でなるべく早く再入院するということになっていたわけですから、即再入院と言っても、事前告知されていたことといえばそうなんですよね。だから、すぐさま再入院を通達されても驚きはないかな。。
でも、
そうはいっても
一日でも長く、一日でも多く、
こうして普通に過ごせたら嬉しいです。
ということで、
気持ちが落ち着きません。
というか
それ以前に腰が痛いです。。
ーーーーーーーーーーーーーー
2021-02-17 12:42:37
『結論は、即 再入院』
「明日・明後日に入院しなさい」と言われましたが、
日付の確定はもうすこしだけ待ってくださいとお願いしました。
どんなに引っ張っても
来週中かな。
やはり、こうなったか。。残念でなりません。
ーーーーーーーーーーーーーー
2021-02-18 01:32:14
『「おまえだけが諦めてるじゃないか!」とガツンと言われてしまった (◎_◎;)』
うん、まあ、たしかに、
諦めてる自分がいます。
だって、そりゃそうですよ。
いちいち口にはしてきませんでしたが、9か月間にわたる化学療法はそりゃもうしんどかったです。つらい、苦しいと思わず吐露したことはありましたが、基本的に耐えに耐えてきました。それもこれも、元に戻りたい一心でしたから。初月に寛解に達したと聞いたときは大きな大きな励みになりましたし、その後の月に一度の骨髄検査でも寛解状態は維持されていた。そして、ついにこの年始に抗がん剤治療を終えて退院することができた。退院後は維持療法。維持療法の期間はおよそ2年。さすがにその期間中の再発は可能性が低い。すくなくとも余命2年。よっしゃ!2年あればいろいろできる!
さあ、これから公私共に有意義に過ごすぞー!と思った矢先に、直後の骨髄検査で再発が発覚。しかも、骨髄中の全体の43%がガン細胞。あれだけ嫌がっていた移植なのに、「あなたにはもう移植しかない。早期死亡率は30%」との通告。移植手術の時期は4月末から5月。つまり、最悪の場合、余命3ヶ月。
そんなのいくらなんでもあんまりだ。
あの辛い9か月はなんだったんだ。
目視に頼らざるを得なかったとはいえ、治療中の9か月間に見つけられなかった芽球が、その次の測定で全体の43%を占めていたなんてことがあるのか?
なんなんだ、わけがわからん。現実を受け止められない。
そこへ、
昨年4月に救急搬送された先の病院で言われた言葉を思い出しました。「この病気は、確実に命を奪いに迫ってくる」と。あのときの寒気は忘れられません。そっか、「急性」なんですものね。なにがなんだかよくわかりませんが、突然に43%というのは別におかしなことではないのかな。ということは、次の骨髄検査で、80%とかになってもおかしくないのかな。。
--------------
そりゃ心折れます。
もともとは「諦める」が大嫌いですが、そんな私でも今回ばかりは、自分のなかに諦めてしまった自分がいるような気がしてなりません。
そんなことだと、
やはり、発言してると言葉に出るんですね。
最近のブログも、そんな感じでしたよね。
今日、
「まわりは、治ると信じてる。先生も、治ると思って最善の治療法を考えようとしてくれている。それなのになんだ!おまえだけが諦めてるじゃないか!」と言われ、まいりました。
ただし、
「ハッとした」と気付かされたんじゃないんですよね。だって、すでに自覚はしてましたから。
ここでいう「まいりました」は、
再認識して、ますます凹んだという感覚に近いのかな。どうなんだろう。よくわからないです。
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その後、あれこれ考えを巡らせて下記に至る。
---------------------
えーっと、、、
これも前に書いたことがあると思いますが、
やはり、
自分のなかでは
諦めたというより、
受け入れたというほうが合ってます。
さきの投稿で
第4段階に達している3件は
人生を閉じる最後の一日に至るまで入魂ですもん。そういうの「諦める」という言い回しじゃないと思うんです。
どうしても、諦めるという言葉を使って作文せよと言うなら、「生存期間の引き伸ばしを諦める」です。うん、それだ。それです!
生存期間中を諦めるつもりなんて毛頭ない。
短くなろうが、幸運なことに長くなろうが、どちらになろうと、最後の一日まで目一杯、存分に、手加減抜きに、楽しみたいと思います。やらされてることではなく、ほかならぬ自分がやりたくてやってることですから。
夜中の投稿は、
どうも湿っぽくなりますね。
特に今日は、表っツラは平静を装っていても、心は号泣の状態なので、なおさらです。
湿っぽくてすみません。
どうかお許しください。
ーーーーーーーーーーーーーー
2021-02-19 11:30:08
『急きょ、輸血』
入院することを嫌がっているからこういうことになるのでしょうけど、ここへきて外来の頻度が上がっています。
一昨日に来たばかりですが、今日も外来で病院にきています。いま、点滴の針が右腕に刺さっていて、慣れない左腕でスマホを操作しています。
白血球、赤血球、血小板、
すべて下限値を下回っていて、この状態で過ごしているのは望ましくないという理由で、急きょ輸血することになりました。
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2021-02-20 21:45:02
『輸血したけど、元気にならず(ToT)』
一昨日、赤血球と血小板を輸血したので、すこしは元気を取り戻すのかなと思いきや、輸血して2日が経過したというのに一向によくならないです。
そんな中、
今日は、7ヶ月間にわたる役員研修の最終回でした。今日の内容は、たとえていうと、そうですねぇ、、卒論発表会みたいなものかな。
受講者は企業の経営層。
7ヶ月間にわたって学んだ考え方を用いて、自分たちのこれからの事業展望を構想し、発表するという内容です。
今日の私の役割は、司会進行。
こんな体力では務まりそうにないと思ったのですが、ほかの先生方に代わっていただくことなく、予定通り司会進行を務めました。
腎臓のあたりが痛い。
身体中の関節が痛い。
そして、貧血なのか、倦怠感なのかわかりませんが、ぐったりしっぱなし。
がんばりましたけど、
ちゃんと務まったような気がしないです。
ごめんなさい。
ーーーーーーーーーーーーーー
2021-02-23 22:25:52
『入院したくなくて、逃げ回る日々』
主治医の先生との具体的なやり取りは機会があったら加筆するかもしれませんが、
あのときのやり取りがきっかけで
“再入院=囚われの身” という認識になってしまっていて、「入院したくないしたくない」と逃げ回ってます。入院する代わりに、頻繁に通院しています。
しかし、
通院で入院回避は、
残念ながら、もう限界のようです。
血液の状態が悪い。
これ以上は、命に関わってくる。
ほんとはね、
すでに再入院しているはずだったんです。
当初の再入院予定日は、2/17 でしたから。
すでに一週間先延ばしにしていますが、
実は、さらに引っ張ろうとしています。
できることなら、来週後半にしてほしい。。
そのことは、前回の診察時にお伝えしました。了承いただいていません。「毎週水曜日の血液検査結果次第」と言われています。
3/1 某プロジェクト来年度打合せ
3/2 別の某プロジェクト2020年度最終模擬発表会
3/3 エグゼクティブセミナー説明会講師
この三つだけは臨ませてほしい。ほかにもあるけど、それを言い出すと再来週以降になってしまうから、もういよいよ無理。
せめて上記3件だけ。
どうかお願いします。
それが終わったら、観念して入院します。
ーーーーーーーーーーーーーー
2021-03-01 10:15:42
『3月一発目の出来事は、輸血』
最近、輸血ばっかり
いま、アレルギー防止の薬を点滴中。
このあと、まずは血小板の輸血です。
どうせ数日以内に入院なのだから
今日わざわざ輸血しに来なくたってええんちゃうの?と思ってしまうのですが、そういう問題じゃないのでしょうね。知らんけど。
ーーーーーーーーーーーーーー
2021-03-02 20:45:12
『国道20号沿いのセブンイレブンで黄昏れる』
なんなんすかね、
心にポカっと穴があいたようなこの感覚は。
今日はクライアント先で現地開催。
ワークセッションではなく、最終発表直前の内容確認プレゼンでした。次回は、いよいよ最終発表。完全リモート開催です。同社を訪ねてワイワイやるのは、今日が最後でした。
楽しかったです。
今日の最後は、プレゼンテーション技術の授業になりました。ピラミッド法を講義しました。実に久しぶりの授業、楽しかったです。
再入院を遅らせるだけ遅らせて臨んだ今日でした。満喫しました。
帰ったら、
再入院の身支度です。
だからでしょうか、、
満足感や充実感よりも、
寂寥感のほうがはるかに強いです。
帰宅したら身支度開始なので、
こんどは、帰宅したくない気持ちでいっぱいになってるような気がします。
さきほどから
国道20号沿いのセブンイレブンの駐車場で、お店で買ったホットコーヒーを飲みながら過ごしてます。
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2021-03-06 19:29:13
『一日一日が愛おしい』
1月下旬に再発が発覚して以来、
一日一日を大切に過ごしています。
ぜんぜんそういう柄ではないのですが
人が変わったのでしょうか。
逃げ回っていた再入院でしたが
ついにロックオンされました。
実は、いまだ逃げ回ってました。
でも、もう逃げきれない。
残された数日間、
特に意識して大切に過ごしたいと思います。
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2021-03-07 00:38:32
『念願(?)の、大黒ふ頭\(^o^)/』
プローブ君、ボコスタ君
お留守番、おねがいね。
いい子にして待っていてください。
今日は二台を撫で撫でして
その場を後にしました。
昨年はプローブ君のバッテリを生き返らせることに躍起になるあまり、ボコスタ君は車庫でエンジンをかけてあげるだけになってしまっていました。
そしたら先月、
こんどはボコスタ君のバッテリがダメになってしまいJAFに出動要請。機械ですからヘソ曲げたということはないでしょうけど、キーをひねってもウンともスンとも言わずビックリしました。
朝のJAF要請だったのですが、JAFは早いし、丁寧だし、ほんと頼りになります。最近は自動車保険にJAFに似たロードサービスが付帯されていますが、今回のような経験をすると、やはりJAF会員はそのまま続けたいと思います。うん、JAF好きです。えへへ。
応急処置だけしたボコスタ君が戻ってからは、ボコスタ君にあちこちに連れて行ってもらってます。八王子に二回。そして、
ベイブリッジツアー!
第三京浜→首都高神奈川線→大黒で引き返し。
昨年9月のときにも
「大黒、行くぞー!」と書いてましたが、結局行けなかったんです。行こうと思っていた日に雨が降ったりなどあって。
やっぱ、ボコスタ君の高速走行は、ほんと楽しい。ゴーカートに乗ってるようなあの感覚は、たまらんですね。ものすごいボロ車ですけど。汗
第三京浜を入った直後にグイっとアクセルを踏み込んだ直後に視界いっぱいに広がる夜景、そして、
ベイブリッジ前後には
視界の左も右も、埠頭の黄色い灯りがまるで「昔の近未来映画」のようで、そこをアクセル踏み込んで走り抜けるのがほんと好きです。
フルパッケージは、
ベイブリッジを渡った後にそのまま首都高湾岸に入ってレインボーブリッジも見て帰るのですが、
今回はやめときました。
第三京浜→首都高神奈川線で十分です。
ほんと楽しかった。
ささやかな幸せですが、
昨年からずっと行きたいと思っていたことだったので、それが叶ってほんとによかったです。
ベイブリッジツアーと、二度の八王子で、どうかな?ボコスタ君のバッテリは息を吹き返してくれたかな?
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2021-03-08 00:00:27
『これ以上、何を望むのか。これ以上、望むものはない。腹を括って挑むのみ。』
今日はいつもより
感傷的になってるかもしれません。
どうかお許しください。
おかげさまで最近は前向きです。
「ここで死んでたまるかっ!」という気持ちを強くしています。
ただ、、
この反転攻勢の姿勢は自力ではないんです。
私自身は、再発が発覚してすっかり心が折れてしまってました。絶望感、その一言に尽きます。
そんな私を、この一ヶ月強の間に、何度も暗闇から引っ張り出してくださった方がいます。一度や二度ではありません。「何度も」です。
一番印象に残っていることは、「バックキャスティングとフォアキャスティングは、しばしば不整合を起こす。だから、マイルストーンが必要だ」という言葉です。
バックキャスティングは道のりが長すぎる。一方、フォアキャスティングは今回の場合は特に刹那的で短期志向になりかねない。両者の整合性を取るのは時に大変困難。
だから、
中間点をしっかり定める。
中間点は、バックキャスティングとフォアキャスティングが交わる接点といえるのかもしれませんね。
自分で編み出しておきながら、顧客進歩プロセス(ホップ→ステップ→ジャンプ)の重要性を再認識した次第です。
最大の焦点は、
ホップではなく、ジャンプでもなく、ステップにある。なるほど。今後、企業とのワークセッションで顧客進歩プロセスを扱う際は、説明の仕方が変わりますね。まちがいなく。持続的な脱コモディティ化に向けて、バックキャスティング思考を徹底することの重要性とともに、中間目標地点(マイルストーン)を定めることの意義に結構な解説時間をかけることになるのでしょうね。
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この一ヶ月強、
たくさん話し合いました。
話し合いの場は、優しさに満ち溢れ、安心していろいろ思うことを申し上げることができました。まさに、「心理的安全性」ですね。楽しかったし、嬉しかったし、幸せでした。
再発発覚直後の話し合いでは、途中までは「泣くまい!」と努めるのですが、最後に号泣。以後は、毎回、なんやかんや泣いてます。ほんと泣きすぎです。ごめんなさい。
本件の中間目標地点は、7月末。その理由は「移植前だから、一緒に喜びを分かち合える」です。
先日の定例ミーティングで、すでにその全貌が現れ始めました。あとは丁寧に肉付けすれば、一通りのプロセスとして仕上げることができる。よほど失速しないかぎり、7月完成はほぼ手中にあると言ってもいいような気がします (まさにその「失速」というのが心配のタネなのですが。
目指すは、
「コト品質保証はこうやるんじゃよ」
というベストプラクティスづくり。
保証の対象は、活動システム。
顧客Doはもちろんのこと、パートナー企業Doも含めた「我々のオペレーションシステム」が確実化の対象です。
難クセつけられることは想定済み。だから、ベストプラクティスをもって示す。問題提起は歓迎ですが、イチャモンには真っ向から挑む所存です。
この中間目標地点は
来年12月のあれが理想的。
ここで賛同社がいくつ現れてくださるか。それが、、、KPIかな。ひょっとすると、私の人生における最後の達成尺度になるかもしれません。心して臨みます。
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暗闇でメソメソしている中、
何度も連れ出してくださり、たくさん話し合いの機会をいただき、これだけ素敵な中間目標地点を約束するに至りました。
私はこれ以上、
何を望むのでしょうか。
ガキ大将と仲間と足跡を残すという、最後の大仕事があります。これはもう着手しようと思えば、すぐに着手できること。どうしても移植不可避なら、移植実施前までに終わらせます。
外化についても順調。S氏の指導のもと、松村と池田、さらには、さゆりちゃんがいるから、目処がつくのは間近。いや、すでに目処はついているといってもいいのかもしれない。さゆりちゃん、松村、池田、どうなの?頼りにしてますからね!
という感じです。
これ以上、
望むことはありません。
「いやいや、十分望んでるだろ」と突っ込まれたら、すみませんとしか言いようがないのですが、
これでもですね、
やめたこと、諦めたこと、捨てたこと、たくさんあるんです。
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たくさんたくさん話し合った2月11日、記念にこのときのワインボトルを持ち帰ってきました。ラベルに日付とサインもいただきました。どういう感じで画に収めようかなとアレコレ試して、行き着いた画がこれです
写真の場所は、「博士バー」にするつもりの場所なのですが、博士バーのオープンは、、、こんなんですから無期限延期ですね
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2021-03-08 12:49:35
『逆戻り』
さきほど再入院しました。
化学療法全工程を終えた年始時点では「ここから見える景色はとても好きだけど、明日退院するからもう見ることはなかろう」と思っていたのですが、
わずか二ヶ月で再鑑賞することになりました。この景色は好きだけど、心境は複雑です。。
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2021-03-08 19:17:43
『残念です。前回とは比べものにならないほど、結果が悪い。』
ものすごく落ち込んでいますが、
あかんあかん、こういう時こそ、しっかりしないと。
しっかりします。
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こうして逃避の旅は、終わりを迎えました。
再入院を拒み、逃げ回っていました。
束の間の日々でしたが、
生きていることへの感謝の気持ちや、生きることの意味を深く感じ、とても有意義な日々を過ごすことができました。心にしみる、かけがえのない大切な時間を送ることができました。
このあと、
2021年7月26日に臍帯血移植に臨みます。
多臓器不全で絶命の危機に直面しましたが、奇跡的に克服。
そして、
2023年12月1日の大舞台に向けた
反転攻勢が始まります。
後編へ
↓
以下は、
後編の冒頭です。
↓
2022-03-19 15:15:03
『反転攻勢。あの日を決して忘れない。』
苦しい時に助けてもらった記憶は忘れません。このさきずっと、一生忘れないと思います。
2011年2月10日と翌11日は、
反転攻勢の源になりました。
どちらか一方でもすごいことなのに、2日がかりだったのでそれはもうほんとにものすごく強い力になりました。
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9か月間にわたる化学療法が終わり、2011年1月5日に退院しました。これでやっと、元の生活に戻れると思っていました。
しかし、
1月13日の検査で、まさかの再発発覚。
死がいよいよ差し迫ったと思いました。
死を覚悟しました。
2011年2月11日、
絶望に瀕していたところへ
某プロジェクトのリーダーが「話をしませんか?」と声をかけてくださいました。
久しぶりに先方を訪ね、
リーダーに近況報告しました。
「9か月間におよぶ化学療法が終わったばかりなのに、先日、再発していることがわかりました。やっと活動再開できると思っていたのに。。」と口にしたら、悲しくて悲しくて涙が止まらなくなりました。
その間、リーダーは静かに
私が落ち着くのを待ってくださっているような気がします。
そして、
私がようやく落ち着きを取り戻すと、
リーダーが私に出して見せてくださったものは、来年度の契約書でした。
それは、
「我々はあなたを決して見捨てない」という意思表示に映りました。契約書を目にした時、別の意味で涙が止まらなくなってしまいました。
例年、契約書はこのタイミングではありません。そして、事務局は私の発覚をすでに知っています。あのタイミングでわざわざ次年度の契約書を示してくださった意味は、「負けるんじゃない!」という激励以外のなにものでもなかったのではないか。そんな気がしてならないのです。
悲しさと嬉しさが激しく入り混じったあれだけ複雑な心境はなかなか経験したことがありません。
ここで死んでたまるか!
その思いを強烈にした一日になりました。
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その翌日、
別のプロジェクトのリーダーから、同氏が行きつけのお店にご招待いただきました。このお店は過去にも一度連れて行っていただいたことがあり、私も大好きなお店です。
ひとしきり楽しく歓談し、
場は終盤へ。
同氏とは、
「我が国製造業にこれからの時代の生きる道を示す」という共通ビジョンのもとで、コト価値創造の型化に挑んでます。私が生涯をかけて達成したいことといって過言ではありません。
すごい勢いで進行していますが、
しかし、まだ道半ば。
そこへ再発。「生涯かけて本件に臨む」と意気込んでいたわけですから、どれだけの絶望感だったかわかりません。
和気藹々とした歓談の場でしたが
終盤に入るとその方は真顔に。
そして、
「期日」の話になりました。
本件の成果を
いつ、対外的に情報発信するか。
あの時点では
完成までまだまだ道のりがある印象でした。完成した時、私はもういない。そういう諦めの気持ちになり始めていました。だから、それを察知した同氏は、期日にこだわってくださったんだと思います。
直近で最も死亡確率が高いのは
夏ごろに実施が想定される移植手術直後。
ならば、
完成は6月末。
そして、対外的な情報発信は、
今秋の某イベント。
恐るべきタイトなスケジュールになること必至ですが、それをしてでも私が生きているうちに喜びを分かち合おうと言ってくださっているような気がして、またしてもその場でビービー泣き始める始末でした。
完成が6月末、
発信は11月。
これは、「夏ごろの移植手術をなんとしてでも無事に乗り切れ!」というメッセージが込められているわけで、言葉にせずとも期日を示すだけで意味が十分に伝わってまいりました。
→ その後、事情により、年内の実現は叶わなくなってしまいました。あらためて、セットされた場が、2023年12月1日の舞台だったのです。
講演を聴講してくださったみなさま、
貴重な声をお寄せいただきまして本当にありがとうございました。
大切にいたします。