「モノ価値とはなんぞや」「コト価値とはなんぞや」という定義で議論がグルグルするのは、正直ヘトヘトになります。ヘトヘトになるわりに決着しない。疲弊感がハンパない。

 

前回、言葉の定義で場が荒れたと聞いていたので、そういうことにならないように「たとえば」という例示に力を入れました。UXストーリーで「顧客が実現したいコト」「顧客がやりたいコト」を具体的場面を描いたうえで、「コト価値って、こういうことでしょ?」と言ってみました。

 

実務家のみなさん、特に「これまでの商品企画が、競合製品との性能差・仕様差を起点にして、製品のQCDを向上させてきたのに、そのわりに思うような売上や市場シェアを獲れていないことに、なにか着想を変えていかなければならないという問題意識をもっている実務家」や、「ハード単品売り切りではこのさき行き詰るから、アフターマーケットを含むバリューチェーン全体を俯瞰してソリューションを手掛けていく必要があると思っている実務家」には、それなりに感じることがあったと思います。演壇からお見受けしたご表情から、なにか感じ取ってくださっている方が少なくないとビシビシ感じました。

 

が、

「これまでの商品企画が、競合製品との性能差・仕様差を起点にして、製品のQCDを向上させてきたのに、そのわりに思うような売上や市場シェアを獲れていないこと」について、「なにか着想を変えていかなければならない」という問題意識ではなく、「ならば、もっとQCDを圧倒的なレベルにもっていかなければ」と思っている実務家、つまり、現行の価値創造パラダイムのままの実務家には響かない。言い方を変えると、いまも「良いモノを作れば、売れる」と信じてやまない実務家にはメッセージが刺さらない。

 

また、

いま成長市場の真っ只中で、いまのやり方で狙った収益を実現できている実務家にもメッセージが刺さらない。まあ、無理もないかもしれません、ヘンテコな概念の提示は、ドえらい迷惑。だって、いまのやり方でうまくいっている(と自分では思っている)のだから、ヘンな概念を持ち出して社内がかえって混乱するくらいなら、そりゃスルーするのは自然です。そして更には、めんどくさい。めんどくさいどころか。本業のジャマ。そうそう、その昔、某社プロジェクトが活動をグローバル展開しようとした際、当時、黙っていても新規顧客が次々と現れる「まるでモグラ叩き状態」だった某国の現法および代理店が「なんでこの好況期に、そんなことやらなあかんのや!そんな活動に時間を充てるより、顧客獲得に専念させろー」と言っていたことを思い出しました。

 

要は、

業績好不調に関わらず強い問題意識をもっているか、あるいは、いままさに市場成熟化の試練に直面している企業そして実務家には響く。一方で、強固なGDロジック志向、あるいは、成長市場ゆえ今のやり方で十分通用している企業そして実務家には響かない。そういうことなのでしょうか。。

 

まして、実際の価値創造現場に従事した経験のない方々には、場合によっては、かすりもしない。そりゃそうですよね、、、リアリティがないのだから。これが、例示を伴わない概念グルグル状態の空中戦を引き起こすんだと思います。ちゃいますかね?

 

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定義はどうでもいい

とは言いません。そんなこと言うわけありません。

 

しかし、

定義だけでグルグルまわるのは、なんか、、時間がもったいないような気がする。

 

抽象化と具体化(またの名を、帰納と演繹)・・・ 両者を行き来することで知は洗練されていくのだから、「具体化を伴わない抽象領域一辺倒の議論」や、「演繹を伴わない帰納だけの原理原則議論」は、そりゃしんどいですよ。。そんなんで前進できたためしがない。

 

そこで

先日は急に思い立って

言葉の定義に終始する議論をやめました。

その暫定的な終わらせ方は「モノ価値とコト価値を区別する必要がない立場の方々がいるのだから、両者を明確に分けて存続させなくていいのではないか。いっそ『価値』の一言にしません?」という、なんとも乱暴な終わらせ方。汗汗汗

 

そのかわり・・・

 

「もし、ここにいらっしゃる実務家のみなさまのなかに、社内で企画開発を推進する上で「コト価値」という言葉を使った方が社内に新機軸を示しやすい、社内のベクトルを一つに方向付けしやすいということがございましたら、御社の価値創造現場の現状とご自身のご意向をお聞かせいただけないですか?」と申し出てみました。ちょっと長々としてしまいましたね。言い直しますと、「モノ価値とコト価値の二つを無理やり使う必要はない。が、もし、あえて「コト価値」という言葉を使った方が都合がいいというお考えをお持ちの方がいらっしゃったら、その考えを聞かせてほしい」というものです。ん?言い直しになってないな・・・ただの繰り返しですね。。すみません。

 

この切り口、

なんかよさそうでした!

でも、すでに終盤だったため、途中で終わってしもたショック ううう・・・もうすこしやりたかった

 

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と、ここまで書きましたが、

ぐちゃぐちゃ言っててもダメっすね。

 

自らベストプラクティスを創る。もうこれしかない!

 

それをドカーンとぶっ放す場が

最近何度も口にしている「2023年12月」です。

 

ね、時間ないでしょ?

そうなんです。時間がないのです。

 

いま、私がやらなければならないことは、

2023年12月に間に合う案件はどれなのか見極めることなのだと思っています。

 

そうならないことをもちろん願っていますが、もしかしてもしかすると、2023年12月が、自ら舞台に立てる最後の機会にならないとも限らない。だから、「今回ダメだったら、次がんばろう」というわけにはいかないのです。そうです、待てなくなり始めているのは、私も実は同じなのです。「短期志向はあかん、中長期的展望をもって臨むことが大事!」と言っておきながら、自分自身が短期志向になっているというなんという矛盾。まったく情けない。

 

「2023年12月に間に合う案件はどれなのか」・・・ これは、ただ単に書いただけの文章ではなく、ここ数カ月、頭を抱えながら真剣に考えていることであり、それが「大ナタを振るう時を迎えた」と書いた投稿のことです。あ、その投稿はいまは「非公開モード」です。